第三話  ご招待は危険がいっぱい

一、

 翌日、あかねは十時前に家を出た。
 もちろん、一人である。
 乱馬とは相変らずギクシャクしており、あれから一言も言葉を交わしていない。
 乱馬はというと、すっかり不機嫌を決め込んで朝からずっと道場に籠もって身体を動かし続けていた。
「いいの?あかね・・・。軽々しくご招待なんか受けちゃって。」
 なびきが出かけようとする妹を階段状から見詰めた。
「大丈夫よ。ゆかもさゆりも一緒に行ってくれるって言ってたから。」
 あかねは靴を履きながらそう答えた。ゆか一人では心許ないと思い、あれからさゆりにも声を掛けた。彼女も好奇心があったのだろう。暇だからと二つ返事であかねの申し出を受けてくれた。
「何か一悶着ありそうな気がするなあ・・・。そのお母さん。相当な人だったんでしょ?」
 なびきはそう言って妹を見詰めた。
「さあね・・・。大丈夫よ。大和くんは紳士だし。乱馬と違って優しいから・・・。」
「ふうっ。あんたたち、本当に素直じゃないわね。ま、いいわ。何かあったら電話なさい。」
 そう言って自分の携帯をあかねにポンと投げた。
「使用料は後払いでいいから。」
 相変らずしっかりしている姉であった。が、彼女なりに向こう見ずな妹を心配しているようだった。

「行ってきます!」

 あかねはそう言うと、がらっと玄関の引き戸を開けた。

「たく・・・。何もないと良いけど・・・。」
 なびきは、そう言うと道場へと足を向けた。

「ねえ、乱馬くん、いいの?あかねを一人で行かせて。」
 入口からそう声を掛けた。
「何の話だ?」
 乱馬は動きを止めてなびきを見た。
「暢気ね。」
 そう言うとなびきはずかずかと入って来た。
「はん、あんな凶暴な女、手懐けようったって簡単にはいかねえよ。」
 乱馬は傍らに置いてあったタオルを取ると汗を拭き始めた。
「あれから九能ちゃん、大変なのよねえ・・・。」
 なびきは乱馬の傍らに腰掛けるとそう切り出した。
 九能は、大和が転向して来た日に、こっぴどくやられてしまったショックで廃人同然になっているという。
「まあ、あの脳天気男だから、そろそろ復活はしてくるとは思うんだけど・・・。でね、気になって少し調べてみたのよ。」
「何をだよ?」
 乱馬は汗を拭く手を止めてなびきを見返した。このしっかり者のあかねの姉は、常にアンテナを張っている。そして、必要な情報を的確に掴む腕は天性と言ってもよい。
「はいっ!」
 なびきはそう言うとやおら右手を乱馬に差し出した。
 某の金を要求しているようだ。
「たく・・・。しっかりしてるぜ。後で払うよ。今、稽古中だから財布持ってねえ・・・。」
「わかったわ・・・。五百円玉ひとつでいいわ。つけとく。」
 そう言うとなびきはノートを取り出してシコシコと「乱馬くん、五百円付け」という文字を書き込んだ。
「ちぇっ!相変らずだな・・・。で、仕入れた情報は何だ?」
 乱馬はじっとなびきを見据えた。
「格闘剣道袋小路流。京の都の公家の間で広められていた剣の流派でね、隠密剣法の一つとして古来ひっそりと伝えられてきた秘剣の流派だそうよ。気を刀に込めて相手を打ち砕くと言う独自の剣法だそうよ。」
「気?」
「ええ・・・。あんたたちが使ってる気砲などの技を剣道に応用したものね。かなり手強い剣道流派らしいわ。」
 乱馬は黙ってなびきの情報を聞いていた。確かに手強い。それはあの九能を一撃で倒した技からも容易に推測できる。
「で、袋小路大和。彼は次の当主になるわ。今の当主は袋小路ほのか。彼の母よ。」
(昨日会ったあのオバサンか・・・。)
 乱馬は苦笑いしながら思い出した。
「父親は他界したらしいわ。そしてその前の当主、大和くんの祖父も他界したそうよ。行方不明になって・・・。」
「行方不明?」
 乱馬は思わず聞き返した。
「ええ・・・。何かお家騒動があったらしくって・・・。」
「ふうん・・・。」
「それから、これが重要なんだけど。相当な資産家だわよ。」
 なびきはそう言ってにっと笑った。
「京都に本宅があって、東京にあるのはあくまで別荘。でも、敷地は三千坪ほどあるわ。見てきたけど物凄い豪邸よ。」
 なびきは淡々と話し出す。彼女にとって資産力が一番の重要項目なのだろう。
「その何千億という資産を大和くん一人が背負うってわけ。で、肝心な大和くんだけど・・・。かなりの使い手らしいわ。「格闘剣道界の神童」と言わしめるくらいのセンスと頭脳を持ち合わせているそうよ・・・。」
「けっ!あーんなマザコン野郎がかよ?」
 乱馬は面白くないという表情を向けた。
「おちおちしてると、あかねを持ってかれちゃいかねないわね・・・。」
 なびきはふふんと鼻先で笑って見せた。
 
「乱馬ぁ〜!デートするねっ!」
 そこへ自転車が突進してきて、シャンプーが現れた。
「待ちいっ!乱ちゃんとデートするのはうちやでっ!」
 続いて現れたのは右京。
「乱馬さまあ〜、ご機嫌よろしく〜。天道あかねは留守だそうね。いざ私と逢引を!」
 小太刀まで現れる。
 三人娘が勢ぞろいしたのだ。
「て、てめえら・・・。何故あかねがいねえことを。あ゛ー、さてはなびきだな?」
 乱馬は傍らのなびきを顧みた。
「さあてね。」
 なびきは嘯いてみせる。
「乱馬ぁ!」「乱ちゃん!」「乱馬さまっ!」
 同時に襲い掛かる少女たちの魔の手。
「うへっ!勘弁してくれーっ!」
 乱馬は一目散に道場から駆け出して行ってしまった。

「やれやれ・・・。お盛んだこと・・・。」
 なびきはそう言いながら乱馬と少女たちが駆け出した方を眺めた。
「他にも情報はあったんだけど・・・。ちょっと込み入ってるからね。後は、早乙女のおば様あたりから直接訊いた方がいいわね・・・。乱馬くん、しっかりあかねを守りきらないと失うことにもなりかねないわよ・・・・・・。」 
 なびきはそう言ってふっと溜息を吐いた。


二、

「わあ、でっかい家。」
 あかねとゆかとさゆりは思わず息を呑んだ。
 都心の高台に聳え立つような白亜の屋敷。
 立派過ぎて足を踏み入れるのが躊躇われるような広さである。
 ガアーっと音がして、門が電動で動いて開くと、彼女たちを乗せた外車は吸い込まれるように敷地内へと導かれた。
「さあ、どうぞ。お嬢様方。」
 そう言って開かれる後部座席のドア。
 足元には赤い絨毯が敷き詰められている。まるでVIP待遇だ。
「大丈夫、今日はセキュリティーを解除してありますから。」
 運転手はそう言うとにっと笑った。
「セキュリティー・・・。」
 そう言われて庭へ視線をめぐらすと、木の陰や外灯の上に、何やら妖しげな装置が据えられている。大方泥棒避けなのであろう。
 
「やあ、いらっしゃい!」
 玄関から大和が迎えに出た。着物を着用していた。
 学生服姿しか見たことがないので、あかねたちは目を見張った。
「普段は着物で過ごしてるんだ。」
 大和はそう言って笑った。
 後ろに揺れる長髪は、着物姿に良く映えた。まるで一昔の武士を見ているような、そんな錯覚に捕らわれる。凡そ、洋風な作りの家にはそぐわない井手達だった。
 ゆかもさゆりもその敷地や調度品の豪華さにこぞって目を見張った。
「女の子がたくさん来てくれるなんて今までなかったからね。」
 そう言いながら大和がいろいろ邸内を案内してくれた。ちょっとした博物館を見学しているような気分だった。

「すごいわ・・・。大和くんの家。大金持ちじゃない。」
 ゆかがあかねにこそっと耳打ちした。
「乱馬くんから乗り換えちゃえば?」
 と無責任な言動も忘れずに付け加えた。
 邸内を歩くだけでも小一時間かかったくらいだ。
 導かれるままに客間に通されると、これまた物凄いご馳走が立ち並ぶ。
「折角尋ねて来てくれたんだから・・・。」
 大和はにこにことあかねたちに接してくれた。
 すっかり飲まれてしまったあかねたちは、畏まって食卓に付いたほどだ。

「ワインっていうわけにもいかないから・・・。ジュースね。」
 大和はそう言ってグラスを差し出す。
 並々と注がれる葡萄ジュース。
 前菜からはじまるレストランのような豪華な昼食にあかねたちは驚きつつも、堪能させてもらった。
「美味しい!」
「ほんとっ!幸せね・・・。」
 ゆかもさゆりも嬉々として舌鼓を打つ。
 最後のデザートまでたっぷり時間を掛けて味わい尽くす。そんな贅沢な時間だった。
 食事が終わると、客間へと通された。
 そこで語らう。そんな感じの時間だった。
 紅茶が運ばれてきて、焼き菓子も盛られる。
「もう、食べられないよ。」
 と言いながらも、少女たちは物珍しい菓子に手を延ばす。
「お母様は?」
 あかねは母の姿がないのを気にしながら大和に問うた。
「大丈夫。別にあれから機嫌を損ねたりしていませんから。それより、ここの紅茶、美味しいんですよ。」
 そう言いながら自ら茶器に湯気が立つ紅茶を注ぎ入れた。
「いっただきまーす。」
 ゆかがそう言って手を伸ばし、軽く口へとつけた。
「あたしも・・・。」
 続いてさゆりもごくんと呑み込んだ。
「美味しいっ!」
「ほんと・・・。まったりとして・・・。いい気持ち。」
 二人はそう言うと、ティーカップをテーブルに置いた。それから、ふうっと酔いしれたような目をあかねに向けた。
「ゆか?さゆり?」
 二人の様子が明らかにおかしい。
「大和くん、あなた、飲み物に何か小細工したわねっ!」
 あかねはギロリと大和を睨んだ。
「大丈夫・・・。ただの眠り薬です。」
「眠り薬?何故そんなものを・・・。」
「ごめんなさい。悪気はないんです。母がどうしてもあなたの力を試したいというもので・・・。彼女たちには暫く眠っていただいただけですよ。」
 「それはどういう意味よ?」
 あかねが睨みつけると
「こういう意味です。あかねさん。」
 
 大和はそう言うと、パチッと指を鳴らした。すると、あかねの掛けていた椅子がずずっと揺れた。と、途端、床下がパックリと口を開いた。
「きゃあーっ!」
 勢い良くあかねは下へと落ちてゆく。奈落だった。

 床下は柔らかいマットが敷かれていて、衝撃はなかった。
「何よ・・・。ここは。」
 どのくらい落ちたのか、あかねは天井を見上げた。
 遥か上に落ちてきた天井が開いていたが、ぎぎぎと音を立てるとそれも閉まっていく。
 辺りは一瞬暗闇になった。あかねはゆっくりと床から立ち上がると、辺りへと気を巡らせ始めた。
「この先に誰か居る。」
 あかねは緊張した。

「あかねさん。ようこそお越しやす、袋小路家へ。あんさんの力がどうしても試しとうおした。悪う思わんとってね。」
 天井から大和の母の声が響いてきた。スピーカーがどこかに設置してあるのだろう。
「試したいって・・・。」
 あかねはきっときびすを返した。
「この子と対戦してもらうだけ。竹刀はそこに置いてあるから。自由にお使いやす。」 
 天井からスポットライトがさあっと射した。見るとそこに竹刀がぽつんと置いてある。
「竹刀を使うって・・・。剣道の試合?」
 あかねは竹刀を取った。彼女の野性の勘がそうしないとやられると警鐘を鳴らしたからだ。
 竹刀は思ったよりもしっかりしている。
 それからあかねは中段へと身構えた。
「剣の道を全く知らない訳ではなさそやね・・・。」
 天井の声が響いた。
 幼い頃から無差別格闘流儀を叩き込まれたあかねは、少しだが剣道にも心得があった。中学時代に少しだけかじったのである。
「とっとと掛かってきなさいよっ!」
 あかねは本性の気の強さでそれに答えた。
「ふふ・・・。威勢がええお嬢さんやね。ミドリ、行きなはれっ!」
 天井の声に反応してがががっと鉄の扉が開く音がした。そちらへと目を向けると、あかねより年格好が少し下の少女が剣を構えていた。
「うちの弟子のミドリはんどす。まだ中学生やけど、結構いい使い手どすえ。油断しないことやね。」
 母はそう言うと高らかに笑った。
「いいわ、かかってらっしゃいっ!」
 あかねはじっと剣を構えた。格闘剣道の流儀がイマイチ良く分かっていないから、こちらから動くのは返って不利だと思ったのである。
 
「たあーっ!!」
 溜まりかねた少女が先に動いてきた。
「えいっ!」
 あかねは紙一重でそれを交わした。
 ビリビリと竹刀から振動が伝わる。
(これって気・・・。)
 あかねは咄嗟にそう感じ取った。ただのぶつかり合いなら、ここまで手が痺れない。ましてやまだ幼さを残す少女が相手だ。
(もしかして、格闘剣道って・・・。)
 あかねはぎゅっと竹刀を握り締めた。それから腹の底から力を漲らせた。そう、気を竹刀に篭めたのである。
「でやーっ!!」
 再び少女があかね目掛けて打ち込んできた。まだ気を充分に溜め込めていなかったあかねはそれを寸でで避けた。ぴっと音がしてあかねのブラウスが切れた。
 あかねに交わされて少女はバランスを崩した。あかねはそれには反応しなかった。こちらを油断させる策かもしれないと警戒したのだ。あかねが打ってこないので少女は悔しそうに見上げた。
(やっぱりフェイントね。そんな手にひっかかるもんですか!)
 あかねは更に身体中から気を溜め始めた。ゆっくりと気があかねの竹刀へと伝わってゆく。
 あかねとて無差別格闘天道流の継承者。乱馬ほどではないにしろ、相当の格闘センスを持ち合わせているのだ。中学生如きに軽くやられるほど弱くはない。
「今度ははずしませぬっ!」
 少女がそう叫んだ。
「望むところよっ!」
 あかねはそれに応じた。
 カッと目を見開いて、あかねは打ち込まれる竹刀を正面から受け止めた。
「でやあーっ!」
 そして、気を込めた竹刀を一気に前へと突き出す。
 切っ先から燃え上がるような気が弾けとんだ。
 ビシッ!
 竹刀が割れる音がして、向ってきた少女の身体が面白いほど高く浮き上がった。

「きゃあっ!」

 少女は叫び声を発すると、床へどおっと倒れ込んだ。
「勝負あり!」
 傍らで声がした。
 肩で息を切らせながらもあかねはその声の方へと目を反らせた。そこには大和の母、ほのかが道着を着て颯爽と立っていた。
「さすがに大和が目をつけるだけあるやないの・・・。あかねはんとやら。」
 ほのかはにっと笑ってあかねを見た。彼女の背から立ち上がる闘気にあかねは思わず後ずさりした。
「あたしにこんなことをさせるなんて・・・。どういうおつもりなんですか?」
 それでも激しい気炎の言葉を吐き出す勝気さは忘れていなかった。
「格闘センスもいい。それにその気の強さ、気に入ったわ。」
 ほのかはしげしげとあかねを見た。
「貴女はんなら十分、袋小路家の子を宿す資格がおすな。大和の嫁にふさわしい。」
 
「な・・・。それはどういう意味なんです?あたし、大和くんのお嫁さんになんか・・・。」
 
 そう言葉を振り上げたとき、ほのかがたっと竹刀を振り上げた。
 ドンッ!
 鈍い音がして、竹刀から飛び出した気合があかねの身体を突き抜けた。

「うっ。」
 あかねは呻き声を上げると、身体が脆くも崩れ去った。
 倒れそうになった彼女の身体を、しっかりと受け止めるほのかの細腕。
「なってもらわないと、こっちも困るんよ・・・。何しろ、大和はもうすぐ一八になるんどすえ・・・。それに、これで忌々しい春日一族に復讐できるやおへんか・・・。そう、あんたが春日のどか、いえ、早乙女のどかの血を引く早乙女乱馬の許婚と知ったら尚更なあ・・・。」
 あかねは意識が途切れる前に、確かにそのような言葉を聞いた。
「乱馬・・・。」
 あかねは遠のく意識の下で許婚の名前を呼んだ。


三、

 気がつくとそこは柔らかなベッドの上だった。
「ここは・・・。」
 見慣れない部屋。微かにラベンダーの香りがする。
 何かを思い出そうとしたが思い出せない。確か、ゆかとさゆりと大和の家に呼ばれてやってきて・・・。そこまではうっすらと記憶にあった。
 ということはここは大和の家なのか・・・。
 ゆっくりと起き上がろうとしてはっとした。
 傍に見慣れたお下げ髪の少年が座っていた。
「乱馬?」
 あかねはそっと彼の名を呼んだ。
 少年はふっと振り返ってあかねを見下ろす形を取っていた。
「大丈夫か?」
 そう言葉を継いだ。
「うん・・・。ちょっとくらくらするけど・・・。」
 あかねはベッドへと起き上がるとそう小さく答えた。なぜか分からないが頭が少しぼやっとしている。それより、ここがどこか、何故こんなところに二人でいるのか、それが知りたくなった。
「ねえ・・・。乱馬。あんたどうしてここに居るの?」
「おぼえてねえのか?」
 乱馬はきょとんとした顔をあかねに向けた。
「たく・・しょうがねえ奴だなあ・・・。」
 乱馬はにこっと笑ってあかねを見詰める。
「まさかとは思うけど・・・。妖しいところではないわよね・・・。」
 周りの雰囲気に飲まれながらあかねはこそっと言葉を継いだ。
「もしそうだったらどうするつもりだ?」
 乱馬は少し意地悪い答えを返してきた。
「ち、ちょっと待ってよ、乱馬。」
 あかねは焦りながらそう答えた。
「もし俺が望んだらおまえはどうするつもりだよ・・・。」
 乱馬はじっとあかねの唇を眺めた。
 あかねは凍りついたように乱馬を見上げた。
 乱馬の瞳はあかねを穏やかに映し出している。
 ドキドキと心臓が跳ね上がるような響を叩き始めた。
(悪い冗談よね。)
 思わずあかねは後ろへと後退した。ベッドの柔らかいバウンドが跳ねて、あかねはバランスを崩した。と、乱馬の腕があかねにそっと伸びてくる。
「乱馬?」
 あかねは捕らえられた小兎のような怯えた目で乱馬を見返した。
「本気だって言ったら?」
 
(乱馬がこんなことする訳ないじゃない!)

 あかねの心はそううねり声を上げた。
 そして、はっと我に返った。

「やめてっ!あなた乱馬じゃないっ!」
 そう声を上げた。

「ちぇっ!見破られたか。」
 そう言うと目の前の乱馬は笑い出した。
「大和くん、冗談は止めてよね。」
 あかねはきっと彼を見据えた。
「良く分かったね。乱馬じゃないことが・・・。」
 大和はおさげ髪を解きながら笑った。
「分かるわよ・・・。彼はそんなに優しくないわ・・・。」
 あかねは少し寂しげな光を瞳に宿した。乱馬は口が裂けてもそのような柔らかい言葉を発するほど長けてはいない。第一、「超」が付くほど純粋なのだ。言葉を発する前におそらく固まってしまうだろう。
「ねえ、何のつもりでこんなことしたの?」
 あかねは返答次第では容赦はしないというように大和を見上げた。
「それは・・・。僕が本気だから・・・。」
 大和はすっかりお下げを解いて元のように一つに結い上げた。
「本気って?」
 あかねはじっと彼を見据える。
「君を僕のお嫁さんにする。」
 大和はきっぱりと言い放った。
「ちょっと、冗談は休み休み言ってちょうだいよ。」
 あかねは汗が滲み出てくるのを感じていた。ここは誰も居ないベットルーム。事と次第によったら大変な状況に陥る。そう思ったからだ。
「冗談じゃない・・・。本気だって言ってるだろ・・・。」
 大和はふっと微笑んだ。それから言葉を継いだ。
「大丈夫・・・。僕はそんな下賎な男じゃない。そんなに身体に力を入れなくても、君を手篭めにしようなんてこれっぽっちも思ってないから。」
 そう言って柔らかく微笑んだ。
「なら、あたしをどうするつもりなの?」
 あかねはきっと睨んだ。
「誕生日までここに居てもらう・・・。」
「え?」
「僕は来週、一八の誕生日を迎えるんだ。それに先立って許婚を決めないといけない。それが袋小路家を継ぐものの代々の決まりなんだ。そして、一八になった日に名実ともに婚姻を結ぶ。」
 あかねは血の気が引いてゆくのを感じた。この一大事なことをすらすらと己に打ち明けるこの少年の意図をまだ図りかねていたからだ。
「でも、まだ高校生じゃない。」
 あかねはそう反論した。
「そんなこと、小さなことだよ。袋小路家は代々、そうやって子孫を作ってきた。僕もそれに従うまでさ・・・。」
「で、何故あたしを・・・。」
 あかねは震えながら彼に尋ねた。
「それは・・・。君が可愛いと思ったからさ。多分、僕の中に流れている君の許婚、早乙女乱馬と同じ血がそうさせるのかもしれないけれど・・・。」
「同じ血?」
 あかねは思わず訊き返していた。
「どうだい?乱馬くんのことはさっさと見切りをつけて、僕と婚姻を結ぶっていうのは・・・。」

 窓からさあっと風が靡いてきた。
 カーテンがふわりあかねの目の前にゆっくりと膨らんで揺れた。

 目の前の少年は真摯な瞳であかねを翻弄し始めた。
 乱馬と似ているこの少年の熱情が、瞳を通してあかねに迫り来る。それは、獲物をねら定めた獣のほうに、あかねを金縛りにしていった。



つづく



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