◇楊柳剣法帖

第一話  花の嵐


一、

 柳葉揺れる春の木立。新学期が始まって数日。
 風は柔らかに、陽射しは力強く、何事を始めるにもいい季節になっていた。

「あー、かったるい!」
 乱馬は眼下のあかねにふっと言葉を継いだ。
「仕方ないでしょ?」
「はあっ!どうせなら一週間くれえ連休が続いてくれたらいいのによ。」
 乱馬はひょんっとフェンスから道路へと駆け下りた。
「いいじゃない、暫くしたらゴールデンウィークなんだし。」
 あかねはやれやれというように乱馬を見た。
「わかってるけど・・・。あーっ!さぼりたい気持ちになるよな。こんな青い空。」
「じゃあ、さぼっちゃう?」
 あかねはくすっと笑って乱馬を見た。
 凡そ優等生のあかねが口にするような言葉ではない。
「さぼれるもんならな・・・。くそっ!校長の野郎、それ見越して、学力診断テストだとお?ふざけやがって!」
 乱馬は面白くないという表情を向けた。
「学生の領分は勉学に励む事が一番なんだから仕方ないでしょ?そろそろ進学に向けての喝を入れたいのよ。学校は。」
 いかにもという答えをあかねが返した。
 そう、二人とも、もう高校三年生になっていた。
「はああ、うっとうしいぜ。たく・・・。」
 そよそよと吹く風に川端に植えられた真新しい柳の葉がゆらゆらと揺れた。
 と傍を轟音を立てながら黒塗りの外車が颯爽と通ってくるのが見えた。
「あぶねえっ!」
 乱馬はたっとあかねを抱えてフェンスへと立ち昇った。
 車は狭い路地を物ともせずに、ブロオオっと低いエンジン音を上げながら走り去ってゆくのが見えた。
「乱暴な運転しやがるな・・・。」
 白煙を立てて走り去る車を見て乱馬がぽそっと言葉を吐いた。
「ちょっと・・・。いつまで触ってるのよ・・・。」
 あかねはじろっと乱馬を見上げた。
 我に返ると、あかねの福与かな胸を乱馬の右手がしっかりと鷲づかみにしているではないか。
「あ、こ、これはふ、不可抗力で・・・。」
 乱馬は脂汗を浮かべながら弁明を始める。
「だからあ、いいからさっさとその手をどけてって言ってるのよっ!!」
 
 ばっち〜ん。

 一発だった。

 乱馬の左頬に残る鮮やかな赤いあかねの手の型。
「たく・・・。凶暴女がっ!」
 乱馬は頬を抑えながらぶつくさ言って打たれた頬を摩っている。
「早くしないと遅刻よ、遅刻っ!新学期早々の実力テストに、遅刻だなんて嫌でしょ?」
 あかねは先にたっと駆け出した。
「あ〜、とんだ一日の幕開けだなあっ!」
 乱馬も釣られて走り出した。
 駆け慣れた通学路の小道。住宅街を抜けて道路を見据えるとその先に通っている風林館高校の校門が見えてくる。
 正面の時計が八時半を指そうとしている。始業の予鈴がもうすぐ鳴り始めるだろう。
 校門には詰襟と青いジャンバースカートの学生たちが足を急(せ)かせて吸い込まれてゆく。
 と、乱馬は校門で足を止めた。
「どうしたの?」
 あかねは立ち止まった彼に声をかけた。
「さっきの外車だよ・・・。」
 乱馬はじっと前へ指を差し出す。
 校門から少し横へ入ったところに、黒塗りの高級外車がドカンと駐車されている。中には帽子を被った運転手がじっとこちらを見据えて、その自動車の主を待っているように見えた。
 と、予鈴がキンコンカンと鳴り始めた。
「急がないと・・・。ほら、乱馬。」
 促されて乱馬はたっと昇降口の方へと駆けて行った。
(にしても・・誰だろう。あんな高級な外車に乗ってうちの学校へわざわざやってくるような奴って・・・。)
 そう言えば、いつも校門の脇に立って生徒たちに嫌がらせ、いや、朝の挨拶をする校長のおちゃらけた姿がなかった。九能はなびきたちと一緒にこの春に卒業してしまったので、朝の乱馬の登校を出迎えるのはこの変態校長の役割となっていたにも拘らずである。 
 だが考えている猶予はない。本鈴が鳴り出す前に教室へ入らなければ「遅刻者」の烙印を押されてしまう。
 靴を昇降口で脱ぎ捨てると、上履きに履き替えて乱馬はあかねと共に教室へと向かって急いで階段を駆け上がって行った。


二、

 教室へ入るともう殆どの生徒が着席して、本鈴を待っていた。
 乱馬とあかねは再び同じクラスとなっていた。見渡せば、久遠寺右京をはじめ、大介、ひろし、ゆか、さゆりといった仲の良い連中がまた一緒の教室に集(つど)っていた。
 まだ新学期なので出席番号順に並んで座らされている。
 乱馬は鞄を机の上に投げ出すと、ダンと椅子を後ろに引いて腰を深々と落ち着けた。
「なあ、乱馬、転校生が来るらしいぜ・・・。」
 隣りの席から大介が身を乗り出してきた。
「転校生?」
 乱馬は鞄を横にかけながら怪訝そうに声を返した。
「さっき、職員室に日直日誌を取りに行ったら、ひなちゃん先生がニコニコしながら教えてくれたんだ。このクラスに来るらしいぜ・・・。」
 大介は引っ張ってきた情報を乱馬に伝えた。
「ふうん・・・。」
 と、横からゆかが声を掛けてきた。
「そう、転校生ね・・・。あたしも見た見た。凄いのよ。外車で乗り付けてきてさあ・・・。校長室に和服の女性と入っていったわ。きっといいところのお坊ちゃまね。」
「ちぇっ!野郎かよーっ!」
 大介がそれを聞いてがっかりとした声を出した。
「女の子の方がよかったってか?」
 乱馬は投げるように言った。
「そりゃあ、乱馬にはあーんな可愛い許婚がいるからよ、転校生が女の子じゃなくても一向にかまわねえかもしれねえけどな・・・。」 
 大介は後ろの座席に座っているあかねをちらりと見て答えた。
「けっ!誰が可愛い許婚だって?あんな凶暴女・・・。」
 乱馬はさっきあかねに思いっきりひっ叩かれた頬を撫でながらそう答えた。まだ何となくヒリヒリとする。
「相変らず素直じゃねえな・・・。」
 大介がそう言って笑ったとき、ガラガラッと教室の戸板が開いた。

 一斉にみんなはそちらへと注目する。

「みなさん、おはよう!」
 担任の二ノ宮ひな子先生が出席簿を抱えて入って来た。始業のホームルームが始まるのである。
 ひなちゃん先生は出席簿を教卓にたんっと置くと、みんなの方を一瞥してにっこりと笑った。
「今日から転校生がひとり、このクラスにやってくることになりました!」
 クラス中が一斉にどよめいた。口々にいろいろな言葉が漏れ始める。
「静かにっ!!」
 ひなちゃん先生はバンバンと出席簿を盾にして教卓に打ち付けた。と、みんなシンとして言葉を止める。
「それじゃあみんなに紹介するわね。入りなさいっ!」
 ひなちゃん先生は前の扉の向こう側で待たせていた学生服の少年を教室へと誘導した。

 ざわざわとさっきよりも大きく、クラスが湧き上がった。
 見ると一人の少年が、涼しげにこちらを眺めているのだ。長い後ろ髪をひとつにくくり、ポニーテイルのように垂らした髪。そして引き締まった身体は中肉中背。すきっと通った鼻筋。きりっとしまった口。二重のはっきりとした瞳は真っ直ぐに前を向いていた。何より姿勢がいい。
「ちょっと、彼、乱馬君そっくりじゃない!」
 あかねの脇をゆかが突付いた。
「そ、そう?」
 あかねはゆっくり視線を上げて少年を見た。
 確かに、乱馬と瓜二つである。驚いた。
 他人の空似とは思えぬほど似ているではないか。違うところといえば、チャイナ服ではなく、黒いぴったりとした学生服に身を包んでいることと、長く垂らした髪は紐のようなもので結い上げられ、乱馬のようにおさげは編んでいないということくらいかもしれない。目鼻元、全てがそっくりだったのである。
 教室がざわついたのはそのせいもあったのだろう。クラスメイトたちはひそひそと乱馬の方へと視線を流した。
「静かにっ!!えっと、ざっと自己紹介を。」
 ひなちゃん先生がそう促すと、彼はぺこんとひとつお辞儀をした。そして透き通った声で言い放った。
「ふくろこうじ、やまとです。今後ともよろしくお願いします。」
 声まで乱馬に似ているような気がした。
 乱馬はというと、ぶすっと彼を見上げていた。当人は似ているという意識は全くないようであった。
 「袋小路大和」とひなちゃん先生がたっと黒板に書いた。
「袋小路くんはお母様の仕事の加減でこちらへ引っ越してこられて、風林館高校へ編入されました。今日からクラスメイトです。皆さん、仲良くしてあげてくださいね。えっと・・・。席は・・・。天道さんの横がいいわね。」
 びくんと乱馬の上体が動いた。
「天道さんは面倒見がいいから。この学校について、わからないことがいっぱいあるだろうけど・・・。いろいろ教えてもらうといいわ。お願いね、天道さん。」
 ひなちゃん先生は一番堅い相手の横へと転校生を導いたのである。あかねといえば、大のお人好し、人あたりもよく、さっぱりしている。転校生の世話を焼かせるには格好の少女であった。
「宜しくお願いします。」
 転校生はそう言ってあかねへ笑顔を向けた。
「あ、いえ、こちらこそ。わからないことがあったら遠慮なく言ってちょうだいね。」
 あかねも愛想笑いを浮かべながら切り返した。
 乱馬は面白くないという表情を一瞬浮かべたが、クラスメイトの手前、俺には関係ねえとでも言いたげに、肘へ顔を乗せた。
「さて、皆さんお待ち兼ねの実力考査ね・・・。転校したてで悪いけれど、袋小路くんも頑張ってちょうだいね。」
 ひなちゃん先生はそう言い終えると、罵声が飛び交う教室の中、問題用紙を配り始めた。

「ちぇっ!たく・・・。朝っぱらから最悪な日だな。」

 乱馬は独りごとを投げると、鉛筆を筆箱から取り出して、右手へと握り締めた。


三、

 昼休みの教室は静かだった。
 あかねは姉のかすみが作ってくれた弁当を広げて、いつものようにゆかやさゆりたちと食べ始めた。
「ねえ、袋小路くんってさあ、乱馬くんにそっくりよね・・・。」
 ゆかが卵焼きを頬張りながら言った。
「うん・・・。他人の空似というには似すぎてるというか・・・。」
 さゆりも頷く。
「そっかなあ・・・。性格は全然違うみたいだけど・・・。」
 あかねは箸を持ちながら答えた。
 半日彼に接していたので、あかねは乱馬と大和の性質が違う事を肌で感じていた。
 大雑把でちゃらんぽらんなところが多い乱馬と違って、大和はきちんとしていた。野生児、乱馬と比べて育ちの良さが滲み出ている。大和には物腰柔らかいところがあった。ただ、その柔らかさは「軟弱」という言葉では言い表せない類である。あかねはそう思っていた。
「でね・・・。さっき男子に聞いたんだけどさ、大和くん結構、運動神経いいんだってさ。」
 ゆかが目を輝かせて言った。
「そうそう・・・。あたしたち、体育館だったけど、男子は外で鉄棒やマットしてたでしょ?乱馬君とタイマン張ってたって大介が言ってたよ。」
「へえ・・・。スポーツ万能かあ・・・。ポイント高いかもよ。」
「そうそう・・・。一時限、二時限の数学と英語のテストだって後ろから見てたらさあ、すいすい解いてたわ。」
「文武両道って奴かなあ・・・。」
 キャピキャピと女生徒は姦しく噂をする。
 あかねはホッと息を吐いた。

「うっわー、おまえの弁当すげえなあっ!!」
 横から大介たちの歓声がした。
「やっぱ、おまえ、いいところの坊ちゃんなんだろ?」
 うりうりというようにクラス一の長身の洋介が覗き込む。
 何事とあかねたち女子は振り返り見て驚いた。
 大和の弁当。見てくれは普通の弁当箱だが、中身は超豪華。何よりきらびやかに色とりどりの京風料理。
 大和は別にそれを鼻にかけるでもなく
「そうかな・・・。」
 と言って笑った。
「あ、あかねさん、お願いがあるんですが・・・。」
 と、大和はあかねに問い掛けた。
「なあに?」
「あの・・・。この高校には剣道部がありますか?」
 はにかみながら大和はあかねに問い掛けた。
「ええ・・・。あるわよ。」
 あかねが答えると、大和はにっこりと笑った。
「あの・・・。後で連れて行って貰えませんか?」
 大和は微笑みながらあかねに頼み込んだ。
「いいわよ・・・。」
 あかねは二つ返事で答えた。

(けっ!あかねの奴・・・。親しそうにしやがって・・・。)
 その前で乱馬はムスッと表情を強張らせていた。
 彼にとっては面白くない。
 鼻持ちならない野郎が現れた。そんな感じがした。
 苦虫を噛み潰した表情で、背中で二人のやり取りを聞いていた。
 学問はともかく、運動神経には自信があった乱馬だが、大和のせいで、いつもほど目立つ事ができなかった。
 そう、鉄棒にしてもマット運動にしても、大和は己に引けを取らないのだ。激しい運動をしても、汗ひとつかかず、息も乱さないで平然としている大和の様子を見ても明らかであった。
 己と同等の運動神経、いや、何かを秘めている。
 
(あいつ、もしかしたら「武道家」なのかもしれねえな・・・。それも一角の・・・。)
 それは乱馬の勘であった。野性の勘が乱馬にそう警鐘を鳴らしたのである。
 
 弁当を食べ終えるとあかねは大和と連れ持って教室を出て行った。
 大方、剣道部のボックスへ行くのだろう。
(あいつ・・・。あかねに変な真似しねえだろうな?)
 自然、あかねの後をつけていた。
 
 風林館高校の剣道部はそこそこのレベルだった。
 九能先輩はこの前卒業していったが、彼の鍛えた後輩たちは皆かなりの腕前の剣士として生き生きと部活をしていた。道場もちゃんとある。
「ありがとう、天道さん。」
 大和はあかねに礼を言うと、ボックスの扉に手を掛けた。

 中から出てきたのは隣りのクラスの主将、土門であった。
「何か用か?」
 土門はギロッと大和を見た。
「入部できるかどうか試させてもらいたいと思いまして。」
 涼しげな顔を差し向けた。
「ふん・・・。良かろう。これから昼の荒稽古をするんだ。良ければ来いっ!」
 主将の彼は高圧的な態度に出た。九能が卒業した後、彼が実質の剣道部の主になっていた。
「竹刀、貸してもらえますか?生憎、今日は持ってきていないんです。」
 大和はにっこりと笑って彼を見据えた。

(えっ!?)

 あかねは一瞬、大和の発した気配を読んだ。
 顔は笑っているが、心は戦慄するほど湧き立つ気を一瞬発した。
 だが次の瞬間彼は気の矛先を納めた。まるでこれ以上は悟らせまいと云わんばかりに。形を潜めた。
「どれでも好きなのを選べ。」
 土門はじろりと一瞥して答えた。
「天道さんも付き合うか?」
 土門は返す口であかねを見た。
「え・・・。ええ。そうね。たまには見せてもらおうかしら・・・。」
 あかねはどぎまぎしながらそう答えた。
 
「ははは・・・。天道あかね。そんなに僕の竹刀さばきを見たいか?」

 背後で聞きな慣れた声がした。
「く、九能先輩。」
 あかねは目をぱちくりと見返した。
 そこには九能帯刀が道着を着こんで立っていたのだ。
「どうしたんです?卒業されたんじゃないんですか?」
 あかねが聞き返すと、もう一つ別の耳慣れた声がした。
「九能ちゃんね、どうしてもここの部が気になるって聞かなくってさあ、午後の授業ふけてきたのよ。」
「なびきお姉ちゃんまで!」
 九能の後ろからにゅっと顔を出したのはあかねのすぐ上の姉、なびきだった。
「大学って便利なのよね・・・。自分の都合で自主休講だって何にだってできちゃうんだから。」
 なびきがにっと笑って言った。
 九能となびきは同じ大学の経済学部へと進学した。別に申し合わせていた訳ではないが、蓋を開けてみたら一緒だったのである。腐れ縁と言う奴だ。
「後輩たちがしっかりと剣道部を守っているかどうか気になってなあ。時々こうやって様子を見に来ているわけだよ。てんどうあかね。さあ、行こうか。」
 相変らずのマイペースである。

(奴は剣士だったのか。面白れえっ!あいつの本領が覗けるかもしれねえな。)
 剣道場の外の木陰で乱馬が嘯いた。


四、

 九能に導かれるまま、大和と剣道部員、そしてあかねたちはぞろぞろと剣道場へと足を進めた。
「道着を貸そうか?」
 九能は大和を顧みた。
「いえ・・・。試し打ちだからこのままでいいです。」
 そう言って大和は学ランを脱いだ。きちんと折りたたみ、道場の端へと置いた。この辺りも乱馬とは随分違うとあかねは思った。
「おぬし・・・。早乙女に似て居るな。」
 九能が今更ながらにそう繁々と眺めて大和へ向き直った。
「早乙女乱馬くんにですか?」
 大和は静かに答えた。
(え?・・・。大和くん・・・。乱馬の下の名前、何で知ってるの?)
 あかねは一瞬戸惑った。
 まだ風林館へ来たばかりの彼が何故「早乙女」と言う姓だけではなく「乱馬」という下の名前まで知っているのだろう。そう思ったのだ。だが、その疑問はすぐに中断させられてしまった。
「では・・・。土門。やってみろ。」
 九能がそう命じたからだ。
「その前に・・・。防具をつけなければな。」
 九能はそう言うと大和を促した。
「いえ・・・。私はこのままでいいです。」
 大和は凛と答えた。
「ほお・・・。余程に自信があると見受ける。ま、良いだろう。だが、怪我をしても知らぬぞ。では、互いに礼っ!」
 九能は道場に響き渡る声で号令をかけた。 
 面を着衣した土門と大和は互いに向き合った。
 二人は中段に構えた。

(やっぱり、強い・・・。)
 あかねは大和を見てごくんと唾を呑み込んだ。
 構えだけでその強さは手に取るように分かる。それが「武道」だった。
 隙だらけの荒削りの土門に比べて、大和には卒がない。ごく自然に身体が道場の床板と密着している。いや、何より美しい構えだった。
「はじめっ!」
 九能の声と共に対戦が始まった・・・。が、一瞬で勝敗は期した。
 大和へ気合と共に打ち込もうとした土門はパンッという軽やかな音と共に、床へと、どっと投げ出されたのである。
「す、すごいっ!」
 あかねは思わず目を見張った。
「ちっ!土門では無理だったか。」
 九能は苦い顔をした。投げ出された土門は暫く起き上がれないほど打たれたと見え、道場の床に倒れこんで暫く動くことができなかった。
「面白いっ!この九能帯刀が自ずから相手してやろう。」
 九能はぱっと表情が明るくなった。そして、自ら傍らに置いてあった竹刀を取った。
「防具、つけないで大丈夫ですか?」
 大和はにっこりと九能を見据えた。
「笑止!おぬしがつけないものを何故僕がつけられようか。」
 九能はカラカラと笑った。
「お怪我をなさっても、僕は知りませんよ。」
 大和は静かに言い放つ。
「怪我などせぬわっ!」
 九能は大きく返事した。

(負けたな・・・。九能先輩。)

 道場の入口でじっと大和を垣間見ていた乱馬がそう口走った。
(どう見ても、実力はあいつの方が上だ。)
 彼はそう見て取った。
 
 礼をして勝負が始まる。
 何時の間に勝負を聞きつけてきたのか、ギャラリーたちがぞろぞろと道場ヘ集まり始めた。

 すり足で二人は道場の中央へとたち進む。
 竹刀を前で合わせて、二人は静かに対面した。
「来いっ!」
 九能が叫んだ。
「やあっ!!」
 その声に反応するや否や、大和は前へとぐっと足を踏み込んだ。
「遅いっ!」
 九能は待っていたと云わんばかりに竹刀を振り上げた。
「なっ?」
 一瞬、九能は捉えた筈の大和を見失った。
 物凄い勢いで大和は床を蹴っていた。

 パアンッ!

 九能の竹刀が空へと弾き飛ばされた。
「む、無念っ!」
 九能はそう言葉を発するとどおっと前へつんのめるように倒れ込んだ。
 
 九能も一撃で倒されてしまったのだった。
「つ、強い。」
 あかねはただ呆然と大和を見た。
「ふうっ!ここの剣道部もこの程度のものでしたか・・・。」 
 大和は静かにそう言った。
 道場中がざわめいた。当然だ。九能とて剣道界では結構有名な使い手なのである。その彼を一撃の下に静めたのだ。騒ぎにならないわけがない。

「手間を取らせましたね。」
 大和はたたんであった学ランを手に取るとあかねに向かってにっこりと話し掛けた。
「え・・ええ。」
 あかねはすっかりと飲まれていた。ここまで彼が強いとは思わなかったからだ。まだ身体が戦慄していた。心の震えが止まらなかった。
 倒された土門主将と九能元主将を取り巻く剣道部員たちを尻目に、大和は颯爽と道場を後にする。なびきがやれやれと言うように九能へと歩み寄るのが見えた。あかねは動揺が止まらずに、入口へと進みだした大和の背中を目で追っていたが、慌てて彼の後を追った。
 
 道場の出口では乱馬が腕を組んで今までのやり取りを全て見ていた。
 大和は通りすがりに、乱馬へと声を掛けた。
「どうです・・・。早乙女君。これが格闘剣道です。いつかあなたの無差別格闘流と勝負してみたいものですね。」
 大和はにこっと乱馬に微笑み返した。
 乱馬は眉ひとつ動かさず、振り返りもしないで、黙ってそのまま大和へと言葉を返した。
「おもしれえっ!いつでも勝負、受けてやるぜっ!」
 ごおっと風が二人の間を通り抜けた。砂煙が舞い上がる。
 校庭に咲いていた桜の花がかすかに揺れて、残った花びらを散り初めてゆく旋風。
「ふふ・・・。その話はいずれまた。」
 大和はそのまま通り抜けて行ってしまった。

「袋小路大和・・・か。何者だ?あいつ・・・。」
 乱馬の心は得も言わぬ戦慄の炎が燃え上がった。
 そして桜が舞い散る校庭を、大和が進んでいった反対方向へゆっくりと歩き始めた。



つづく



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