◆浪漫は流れ星の数

 山の冷気が降りて来る。
 その遥か上には深遠な宇宙が広がる。

 ここは奥深い山間の地。その中にあって空へ開けた空間。傍には川が流れる。山から流れ落ちる急流はこの辺りで少しだけ緩やかに流れを変える。
 周りを囲む木々は燃え上がるような紅葉。昼夜の寒暖の差が激しいのだろう。気温の差が大きいほど、紅葉は燃え上がるように美しい。
 修行のために籠るには、最良のスポットだと乱馬は言った。
 まだ幼き子供の頃から、父親と連れ立って時々はここへ修練に来ていたという。
 放浪の旅が多かった父子にとって、ここは格好の修行場だったようだ。人知れぬ山奥。傍に川が流れ、飲み水も確保できる。また、開けた川原は炊事場に持ってこいだ。近くには迫る山。野性の修業場。
 あたしがここへ始めてきたのは高校生の頃。まだ素直に愛情を表現できなかった年頃だった。
 女連れで修行が出来るかと不機嫌だった彼。
 その後、何度かここへ来た。
 結婚をし、子供を生み、育てていた間は、流石にここまで入らなかった。
 この夏に久しぶりに此処へ来るまでは、この場所の存在も忘れていたくらいだ。

 今は晩秋。
 都会よりも少しばかり気温が低い野外地。
 昼間は太陽の光があり、幾分かは温かいが、夜ともなれば身体の心底から冷えてくる。
 夏に入ったときは一緒だった双子の子供たちも、今回は練馬の家に残してきた。二人とも父親と母親にくっついて来たがったのは至極当然だ。でも、
「幼稚園を休んでもいいのかな?」
 という父親の一言で、二人とも渋々諦めた。
 幼稚園大好きな幼児にとって、これは殺し文句になる。
「たまには夫婦水入らず、二人でゆっくりとしておいで。」と言う、父や義父たちの見送りを受けて入った深山。
 乱馬が選んだ場所はここ。この夏家族で修行に入った山あいの地。
「ちゃんとした宿屋じゃなくって、野営でも別にいいだろう?」
 とご機嫌だ。
 実のところ、乱馬と二人っきりになるのは久しぶりだった。
 子育てをしている間は、どうしても母親というものは子供中心の生活を強いられる。決して「女」ということを忘れてしまっている訳ではないが、妻という立場よりも母という立場の方がより重要な役割のような今のあたし。乱馬もこのところ、対外試合で忙しく。全国を行脚しながら無差別格闘流のために遁走していた。彼も今や押しも押されぬ逞しい武道家。
 頼まれればどこまでも道着一つを持って駆けつける。
 つい最近まで家を空けていた。
 勿論、あたしたち家族を養うための行脚。労うつもりで父さんたちは温泉旅行でもと勧めてくれたのだ。が、彼は暫く考えて、「なら、山へ籠ろう。」と言い出した。
 普通の奥様なら、そんな旦那の提案に失望するのかもしれないが、あたしも今は子育てで自制しているとは言え「武道家」の端くれ。久しぶりに彼と修行をするのも悪くは無いと承諾した。
 昼間は散々動いた。久しぶりの彼との修行。やっぱり、身体を動かすと気持ちが良い。
 日暮れ前にこの川原にテントを張り、薪をくべ、塒(ねぐら)にする。
 電気一つ無い、静かな山奥の地。日が暮れてしまえば、修行も終了だ。後は長い夜を二人きりで過ごす。
 パチパチという薪の音に耳を傾けながら、寝る支度に入る。
 当然、いつものようにテントで頭を並べて寝ると思っていた。
 だが、乱馬は夜天の下に寝ると言った。
 今は十一月。晴れた夜空は想像以上に寒いのにである。
「無茶よ!風邪ひいちゃうわよ!」
 当然のこと、あたしは異を唱える。
 いくら乱馬が強靭な肉体の持ち主だからといって、夜露に濡れながら寝るのはどうしたものかと思ったからだ。
「薪をくべているから平気だ。」と言う。言い出したら聞かないところは昔と何ら変わらない。
「勝手にしたら!あたしはテントの中で寝るから。」
 と引き上げてきた。
 付き合いきれないと思ったからだ。
 あたしのご機嫌はちょっと斜めに入り気味。折角のふたりきりの夜なのに。
 寝袋を用意してさっさと潜り込む。
 きっと乱馬だって根負けして、テントに入ってくるに違いない。そう思った。

 一人寝(い)ぬるテントは侘しい。暗がりの中にポツンと放り出されたような気がした。天上は月明かりがあるが、窓の無い空間には光が差し込みもしない。
 寝袋の中で寝返りを打ってみる。がさがさとナイロンの擦れる音がいっそう、侘しさをかもし出す。
 何よりも、身体が冷えてくる。テントの中に居ても、寒さはシンと寝袋を通して伝わってくるのだ。特に意識していたわけではないが、あたしは元々冷え性だった。
 末端に血が流れてゆかないような気がした。靴下を履いていても、足先は冷え切ってしまい、氷のようだ。気になりだすと、身体はもっと冷えてくるように思った。

 このままじゃ風邪をひくわ。

 先に音を上げたのは乱馬ではなく、あたしの方だった。

 眠れぬままに、寝袋を抜け出し、テントをはぐって外へ出た。
 山の冷気が凛と下りて来る。吐く息は白い。ぞくっと身震い。
 乱馬は、と目を凝らすと、寝袋に横たわって休んでいた。
 あたしが寒くて寝付けないのにである。いい気なものだ。
 ちょっと意地悪をしてやりたくなったあたしは、乱馬が寝そべっているところまで忍び足で行った。
 敵はすやすやと高いびき。
 くすぐってやろうかと上から見下ろした時、にょっと腕が伸びてきた。
「きゃっ!」
 あたしは見事に彼に腕をつかまれてじたばた。転んでしまうと目を閉じた時、彼の身体の上に沈んでいた。
「ちょっと!何するのよ!危ないじゃないっ!」
 自分が驚かそうとしたことなどお構いなしに文句を言う。
「バーカ!俺がおめえの気配に気がつかねーはずねーだろ?」
 と心なしか嬉しそうだった。
 あたしは音を上げたことが悔しくて黙って彼を睨みつける。
 傍で焚き火がパチンと鳴った。炎は決して大きくは無いが、その熱が心地良く伝わってくる。
「狸寝入りしてたのねっ!意地悪ぅっ!」
 まだ抗議を緩めない。
「絶対に、こっちへ戻って来るって思ってたからな。」
 彼は余裕だった。
「何でよぅー!」
「だって、おめえ、冷え性だろ?一人じゃ身体が冷えて寝られないってわかってたから。」
 と笑い出す。黙ったまま旋毛を曲げてじろりと彼を見た。と、ケラケラ笑いながらこう言った。
「素直に、一緒に寝てくださいって懇願すれば?」
 たく、憎ったらしいったらありゃしない。
 わざと返事しないでむすっとしていたら、しょうがねえなと云わんばかりに乱馬は腕をくいっと引っ張った。
「ほうら、手だってこんなに冷てえじゃん!」
 血流が悪いあたしは、手も足も先々が凍えそうに冷たくなっていた。
「あっためてやるから、入れよ。何もとって食いはしねえよ。」
 余裕の笑み。
 乱馬は無理矢理あたしを寝袋に引き入れた。
「ほうら、あったかいだろ?」
 と隣で笑う。

(ねえ、この寝袋…一人用じゃなくて二人用じゃん…。ちょっと大きいよ。)

 そう言いたくなったが言葉を飲み込んだ。
 少年の目をした乱馬がこっちを見詰めて笑ってる。直ぐ傍にある真っ直ぐな瞳。

(何か企んでる?)

 武道家としてのあたしの勘が働き出す。彼がこんな目をあたしに向けるときは、決まって何かを企んでいるからだ。経験的にわかっていた。
 ほうら乱馬の腕が伸びてきた。
 わざと身体を動かして少し拒否してみる。でも、寝袋は閉じられて、あたしたちは芋虫みたいに地面に転がっていた。
 悔しいけれど、暖かい。テントの中に居るときの比ではない。
「身体をくっつけてれば外だってあったかいんだぜ。」
 あたしの心の動きを悟ったのか、そんなことを言った。
 一回り大きい乱馬の身体。すっぽりと包まれる温かさ。悔しいけれど頷くしかなかった。
 あたしの心臓がバクンバクン。乱馬の心臓がトクントクン。共鳴しあうように響きあっている。
 身体と身体をくっつけあってこうやってじっとしているのは何日ぶりだろうか?
「最近は子供らにすっかりとおめえを盗られてるからなあ。」
 乱馬はふっと声を漏らした。
 一人だって持て余すのに、寄りにもよって、あたしと乱馬の愛の結晶は双子。元気な男の子と女の子なのだ。片一方が静かならもう片一方がやんちゃ。本当に引っ切り無しなのだ。幼稚園に上がって、幾分楽になったと思うが、それでも戦争状態の子育て中という現実には変わりない。
 こんな人気の無い山の中で身体をくっつけあって夜を過ごす。
 常識では考えられない世界だろう。

「ねえ、二人で寝袋に入りたくって、この山へ入ったとか?」

 あたしは透かしたように言ってみた。

「まあ、そうだな…。」

 当の乱馬は悪びれる風は無い。
「もおっ!何考えてるのよ!」
 あたしは最早真っ赤な顔。
「何も考えてねえ…。今は、あかねのこと以外はな。」
 そう言ってじっとあたしを見詰める。
 彼の目はキスしていいかと問い掛けている。そう思った。
 
 心音がまた撥ね上がるのを感じた。
 でも、動揺を伝えたく無いと、ここでまた強がってしまったあたし。結果、彼の術中にはまってしまうことになろうとは。

「だーめ!キスはおあずけよ。」
 と即座に言ってやった。最大の意地悪。
 乱馬は少し考えてから
「じゃあ、流れ星がある度に、キス、じゃだめかな?」
 と言い返してきた。
 あたしは乱馬の方をじっと見返す。
「流れ星…。」
 反芻すると、この夏の出来事が脳裏に蘇る。
 そう、この夏、この場所で、あたしはキスの洪水を乱馬から食らった。若い頃、無用心にしてしまった約束を、彼が果たしたのだ。
『星の数だけ、キスして…。』という戯言を律儀に返してくれたのだ。その時の記憶が蘇る。
 星が流れるのを確認するたびに交わされた熱いキスの記憶。
 あの時は、流星群が来ていたから、それこそ流星の数だけのキスのシャワー。

(あの時は油断したから…。でも、今日は大丈夫よね。流星群でもなければ、一晩に流れる星の数もたかが知れているって訳だし。)
 一晩に何度も繰り返されるキスは受けるあたしも大変だった。でも、流星が少なければ彼も大人しく諦めて眠りに入ってくれるだろう。あたしも、此処で彼の体温と共に、ぬくぬくで朝まで。

「いいわ。それで手を打ってあげる。」

 余裕でそう切り返した。
 ところがだ、彼の目がまた少年のように輝いた。
(え?)
 その光に思わずはっとなったあたし。
 もしかして、まずいこと言っちゃった?
「じゃあ、覚悟しな。」
 乱馬は嬉しそうに答えた。それから、彼はあたしへと腕を回した。首の下から手を入れられて、反対側の肩をがっと掴まれる。逃げたくても逃げられない。ここは寝袋の中。
「ちょっと…。乱馬。」
 思わず声が上擦ったあたし越しに乱馬は満天を見上げた。
「ほんと、おまえって単純。こっちが思ったとおりに反応してくれるもんなあ…。」
「何よそれーっ!」
 食って掛かろうとしたら、乱馬は空を見ろと云わんばかりに上へとあたしを促した。
 一緒に見上げる夜空。

 星は落ちてきそうなくらいに天上で瞬いている。何百光年も先の浪漫が煌きながら光っている。天上に輝いていた月は、少し西へと傾いたらしく、視界にはない。
 と、さあーっと流れ星。
「早速一個。」
 乱馬は勝ち誇ったように言う。
「ほら、また一個っ。」
「え…?」
 信じられないと目を疑った。
 それからまた一個。天上から流れ落ちる。だが、流星はそれだけではなかった。
 ちょっと見上げた隙に、いったい幾つの星々流れていったろうか。
 驚いて固まってしまったあたしに、彼はくすくす笑いながら囁いた。
「おあいにく様…。今、丁度流星群が来てるんだぜ。」
「う・・そぉ…。」
「最近、子供らに追い立てられて新聞もテレビも満足に見てなかったろう?この季節、「獅子座流星群」が来ることも知らなかったろう?あかね。」
 獅子座流星群。そう言えば、昨年、話題になっていた。寝袋を持って人々が深夜の流星ショーを堪能したと報道されてたっけ。それが今年も来たっていうの?
 一度ならずも二度まで、あたしは流星群に、いや、乱馬にしてやられたのである。
 愕然として言葉を継げないあたしを、乱馬の手は優しく引き寄せる。
『逃がしてやらねえからな…。』
 そう輝き始めた彼の瞳の向こう側で、満天の星が一斉にさざめいた。数多の流星が弾けるように天頂から真っ直ぐに糸を引いて落ちてゆく。
 ゆっくりと降りて来た彼の瞳の中に宇宙が見えた。ダークグレイの輝きの中に広がる果てしない宇宙。
 その宇宙の中に吸い込まれるように、あたしはうっとりと目を閉じた。

 閉じた瞼の裏に広がるのは、果てしない二人の宇宙。
 流れ星の一つになり、あたしは陥ちてゆく。遥か太古、一つであったろう、己の半身に抱かれながら。









またまたインタビュー

K子「今回はあかねちゃんにインタビューしてみたいと思います。…あかねちゃんも大変ですね。夏の流星群に引き続いて、今回もキス三昧で一晩ですか?」
あかね「もう、乱馬ったら結婚したらあたしより常に優位に立ちたがって…。困ったものよね…。」
K子「その結果がこれですか?」
あかね「久しぶりに二人きりだからって、もお…ホントに…。」
K子「という割には嬉しそうなんですが…。あはは。で、どのくらい、その、キスされちゃったんです?」
あかね「…う〜ん…。数えてなかったらわからないわ。」
K子「ということは、数え切れないくらい?夏と比べてどうだったんですか?」
あかね「寒かったから、どっちかというと…こそこそこそ(以下ひそひそ声)」
K子「……。そのまま掲載できませんね、それって。」
あかね「男ってみんなそうよ。…でも、聞くところによると、この話って書き手の方の実態も見え隠れてるって話もあるんだけど?」
K子「あはは…。実は私は冷え性でして、冬場になると、決まって旦那の蒲団に足突っ込んで暖を取ってるんです。足先だけです。だって、下手にくっつくと肘鉄食らってタンコブできるし。足だけ旦那の方へ突っ込んであたためてます。コタツ代わりに。」
あかね「ひょっとして本当にタンコブ作ったことがあるとか?」
K子「企業秘密です(笑…あ、でも旦那って寝入ってるとき、足や手といった末端がめっちゃ温かいんですよ。夏場は大変みたいですが。でかい図体を(187センチあります)蒲団からはみ出して寝てるんです。子供が眠いと良く、手足が熱くなりますが、そんな感じ…。」
あかね「そういえば、乱馬も温かいかも(笑」
K子「そらよござんした(苦笑」
あかね「それに、あたしに時々夜中攻撃されるって言ってたわ…。」
K子「そら、あかねちゃんの寝相なら…。乱馬くんも命がけ。寝ていても修行・・違うか。」
あかね「その辺りのことは偽頁の中級編にRANAさんが書かれてたと思いますが。」
K子「偽頁に隠してあるあの作品ですね(笑」
あかね「抱き枕は必需品です(笑」
K子「そろそろ乱馬君にあっち行けって目を流されてるんで、今日はこの辺にしておきます。」
あかね「またお熱いの書いてくださいね…できれば今度はあたしのリベンジを。」
K子「確約できませんぜ…。そうしょっちゅう流星群は来ない(笑」


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