◇星の数だけ浪漫を 後編(あかね編)


 夜中にふっと目覚めた。
 傍らで未来があたしの袖を引っ張る。
「おしっこ…。」
 彼女は寝ぼけ眼でそう告げる。
 テントの中でされては大変と、あたしは起きあがると、懐中電灯を持って未来を連れて外へ出た。
 外は満天の星。零れてきそうな瞬きだ。
 未来はぎゅっとあたしの手を掴んだ。
「お星様、落っこちてきそう。」
 東京の空ではこんなに星が見えないから不安なのだろう。
「大丈夫だからね。さっさと済ませちゃいなさい。」
 天然のトイレは、尚更子供を不安にさせる。増してや、辺りは星明り以外何も無い暗闇。
「傍にいてね…。お母さん。」
 まだ年端もいかない未来。昼間のお転婆ぶりは何処へ行ったのか、すっかり弱気だ。
 だが、子供は無邪気なもので、用を足してテントに戻ると、転がる先から眠りへと吸い込まれてゆく。怖がっていたことなど、もうとっくに忘れているのだろうか。
 隣で未来の双子の兄、龍馬が寝返りを打った。

 夏休みを利用して、山へ籠りに来た。
 お泊りというよりは「修業」に近い。自然に親しませながら、身体を鍛えるのもいいだろうと、時々家族で出かけてくる。この山へ籠るのは何年ぶりだろうか。
 と、夫の気配がテントにないのをあたしは初めて気がついた。
(あれ?)
 暗闇に目を凝らしても、何処にもいない。寝袋はそのまんまだ。
(乱馬もトイレかな…。)
 未来が眠ってしまったのを確認すると、あたしは外へ出てみた。
 五感を研ぎ澄ませて気を探る。川原の方に淡い光があるのが見えた。
(こんな夜中に…。小腹でも空いたのかしら。)
 こそっと歩み寄る。
 夕飯のカレーの残りを漁っているのが見えた。
(食いしん坊なんだから。)
 あたしはふうっと頬を緩めた。

「あかねか?」
 大きな影がこっちを見た。
「お腹減ったの?」
 声を掛けてみる。
「ああ、大自然の中に居るからな。トイレに立ったら無性に腹が減ってさ。残飯を漁ってた。」
 こういう野外のご飯はカレーに限る。子供連れだから、彼らの口にあわせて甘めのカレー。夕方たくさん煮込んでおいたから、それをごそごそやっていたのだろう。
「おめえも食うか?」
「あたしはいいわ…。特にお腹減ってないし。」
 そう言いながらも彼の傍に腰を下ろす。
 誰も居ない山は静かだ。まだ、こんな山ごもりに適した場所が、日本にも残っているのが少し不思議だった。山も海も、人間が雑多に奥まで入り込む。乱馬も年々修業場所を求めるのがやりにくくなったと嘆くこともある。
「あの日のまんまだな…。ここは…。」
 乱馬がふっと言葉を吐いた。
「あの日のまんまって?」 
 きょとんと見上げる。
「十年前だよ…。忘れたか。」

 乱馬もあたしも二十八歳。十年前ということは十八歳で、高校三年生だ。
「ここへ来たっけ…。」
 記憶の糸を辿ってみる。
「たく…。ぼけるのには早いぜ。」
 くすくす笑っている。
「そんなこと言ったって…。乱馬とはいろんな山で修業してきたし…。」
「じゃあ、あの日のことも忘れたかな。」
「あの日のこと?」
 真剣な表情で見返すと、乱馬はくすっと笑った。
 何よ、その笑い方。あたしは視線だけでちょっと抗議してやった。
「星空見上げても思い出せねえか?」
「星空…?」
 怪訝そうに見上げた。
 と、星が一つ流れて落ちた。
「あ…。流れ星。」
 あたしは驚いたように言い放った。都会の星空では流れ星など滅多にお目にかかれない代物だからだ。
「流れ星に願い事…。これがあの日のことのキーワード。」
 楽しそうに乱馬が言う。
「流れ星…。願い事…。」
 呪文のように何度も口の中で反芻して思い出そうとした。
「後一つ、ヒントをやるなら、カレーかな。」
「あ…。もしかして、あの日のことかな…。乱馬がカレーを美味しそうに食べてくれた…。」
 少女だった頃、夕飯に出したカレーを食べて貰えずに、孤軍奮闘したことをふいっと思い出した。あたしは人一倍不器用で料理が苦手だった。
「そういうこと…。」
 乱馬がにっと笑った。
「ちょっと待って…。あたし、カレーを作って。その時何かあったっけ?」
 何かある。そう睨んだあたしは乱馬に聴き返してみた。妙に引っ掛かる乱馬の態度と受け答え。
「まあな…。おめえ、流れ星に願掛けてたろうが。」
 楽しそうに受け答え。
「そっか、そういえば、あの時星に願いを掛けて…それから、何かあったっけ?…。」
 記憶を手繰ってみる。乱馬の様子から星に願いを掛けただけではないのだろう。
「思い出したんじゃねえのか?」
 愉快そうに乱馬が顧みる。ちょっと意地悪い瞳の輝き。こんな輝きをしているときは、絶対、何か、企んでいる。そんな彼の瞳に吸い込まれそうになって、慌てて座りなおすあたし。
 と、伸びてきた逞しい腕はあたしを包む。それだけであたしの心臓はドキドキ。
「乱馬?」
 積極的な彼にジタバタ。
「ど、どうしたの?」
 テンションも上がる。
「約束、叶えてやろうと思ってさ…。」
「約束…。どんな。」
「あ…。もしかして、まだ全部思い出せてない?」
 余裕の表情で乱馬があたしを見返した。あたしの思考はグルグル。
「星へ願ったんだろ?もっと器用になって、料理の腕が上がるようにって。」
「あ…。」
 少し思い出した。
 確かにそんなことを願った。それから…。手繰ろうとして途切れる記憶の糸。

 と、また星が流れた。
「また、流れ星…。」
 彼の気を反らそうとあたしは言葉を吐いた。
「じゃあ、二回、キスできるな。」
「キス?」
 星の流れる尾を追って考える。
「また流れた…。」
「じゃあ、三回だ。」
 くすくす乱馬が笑う。その顔を見てやっと全部思い出した。
 そう、流れ星に願いを掛けて、もし、料理の腕が上がったら…星が流れる数だけキスしてって。確かそんなことを彼に向かって言っていたっけ。
「やだ、乱馬、覚えてたの?」
 真っ赤になってあたしは乱馬を見返した。
「当然!」
 あの時はあたしの方が余裕があった。夏の夜の余熱のような台詞。戯れのように言い出して、乱馬が固まるのが面白くって。半分本気もあったのだろうけれど、からかった言葉を投げたのだ。
 でも、今は立場が一転してしまっている。彼の方が余裕があるじゃない。
 あたしは焦った。
 すっと差し出される右手は、「ダメ、逃がさねえぞ!」と云わんばかりに、あたしの頬に添えられた。
「ちゃんと料理はそれ相応に食えるようになって、上手くなったからな。あかね。」
 面白おかしくあたしに言う。
 ちょっと、あんた、いつからそんなに意地悪になったのよ!
 あたしの頭は大パニック。
 彼の瞳はあたしを捕えて離さない。
『覚悟しな…。』
 そう言っている。
 と、また彼を見上げる瞳に流れ星が映った。
「また星が流れたかなあ?」
 乱馬は楽しそうだ。
「ねえ、何で今日はこんなに星が流れるのよ…。」
 あたしは宙を見上げて心細げに吐き出した。
「そりゃあそうさ…。この時期、毎年のように流星群が来るだろう?」
「流星群?」
「ああ、確か今回の流星群は今日が極限(やま)だぜ。」
 キュンと跳ね上がる心臓。
「ひょっとして、乱馬…。あなた、これって、確信犯?」
 彼は執念深い。
 返事はこなかった。
「流星群が来るのを知っていてあたしをこんな山奥にまで連れてきたの?」
「野暮なことは聞くなよ…。」
「ちょっと、乱馬…。」
 そう言えば修業場所と日を決めたとき、乱馬は真っ先に今日の日とここを指定した。打ち合わせというよりも、ここでこの日にという具合にだった。
 彼は流星群が来ることを予め知った上で、この地を家族の修業地と定めたようだ。
 あたしに流星の数だけキスするために。
 まさかそんな下心があろうとは。確信犯と言わずしてなんと言おう。いつもよりも楽しそうだったのはそのせい?
 焦ってはいたが、彼の力強い腕があたしを逃がさないとがっしりと掴んでいる。あたしはもう、眼光鋭い蛇に捕まった蛙のよう。
「俺の好意を無にするなよな。」
 耳元で囁かれた。甘い吐息がすぐ傍で漏れる。
 恥かしがり屋で純情な少年は、もう、ここには居ない。今居るのは、積極的で、いつも真っ直ぐな愛情をあたしに注ぎかける凛々しい青年だ。
 あたしは観念して目を閉じた。
 すぐ傍で柔らかい吐息。それからひんやりと濡れた唇。
 少し開いた唇からあたしの全てを覆い尽くしてゆく。
 そして、心ごとあたしをエデンへと吸い上げる。
『今夜はずっと、何度でも唇を合わせるからな…。あの時の約束どおり…な。』
 唇からそんな言葉が漏れたような気がした。
 
 星は流れ続ける。
 広がる満天の星の下、夜が白むまで、乱馬はあたしにキスをくれるのだろう。
 一つ一つに想いをこめて。
 天壌無窮の甘い口付け。
 星の数だけの数多の恋浪漫。








特別インタビュー

K子「あのう・・素朴な疑問ですが、やっぱり確信犯だったんでしょうか?」
乱馬「当然!俺が負けたままで引き下がると思うか?」
K子「あはは・・そらそうですね。乱馬君って負けないし…で、もし、あかねちゃんが夜中起きなかったらどうするつもりだったんですか?運良く未来ちゃんがトイレに立ったから、乱馬くんが寝床にいないことにきがついて出てこられたんでしょう?」
乱馬「大丈夫。子供って環境が変わると、夜中にトイレに起きることが良くあんだろ?それに未来も龍馬もたくさん夕食時には水を飲んでたしな。夕食だってカレーだったしな…。へへっ。」
K子「そこまで考えて夕食のメニューを?」
乱馬「まあな…。修業地の料理ってだいたい決まってくるからな。今回は俺がリクエストしてカレーにしてもらったんだ。」
K子「すごい執念ですね…。で、途中で龍馬くんは起きなかったんですか?お母さんとお父さんが居なくって平気だったのかな…?」
乱馬「龍馬は未来より早くにトイレに立ったんだ。俺が連れて行った。」
K子「あ、そうですか。(それも計算してたんかい!)…で、肝心な質問ですが…何回キスしちゃったんですか?」
乱馬「う〜んと…沢山だな。本当は数えてたんだけど、内緒だ。」
K子「教えてくださいよ…(数えてた?こいつめ…結構助平やな。)」
乱馬「後で俺たちが座っていた辺りへ行ったらわかるよ。「正の字」で地面にこっそりと書いてたから・・なーんてな。」
K子「あはは…。それはそれは…。(半さんが書いた某作の乱馬みたいやな。後で確認しに行ってやろうか!)」
乱馬「冗談だからな。本当に数えに行くなよ。」
K子「冗談ですか。(ホンマにやっとったんとちゃうんか…こいつ。)」
乱馬「星は多いときは一分に二、三個流れてたな…。」
K子「一分に一個として、あれは夜中の12時ごろだったと仮定して、夜明けは4時頃、4時間で…240回…恐ろしい数ですね。」
乱馬「そうかな…。4時間ずっと唇重ねてただけだぜ…。」
K子「普通しませんよ…。そんなバカなこと…。(この二人ならやりそうや…。)で、あかねちゃんは?体力持ったんですか?」
乱馬「勿論、あいつの体力が人並みはずれている事はわかるだろ?」
K子「ええ、まあ、そうですが…。」
乱馬「幸せそうな顔してたぜ。また、来年、ここへ来てえな…。」
K子「また来年もも流れ星の数だけキスするんですか?」
乱馬「ああ、この腕に柔らかく抱き締めながらな…。」
K子「積極的ですね。高校生の頃とは打って変わって。」
乱馬「愛情はかわらねえぞ…。なあ、また、このくらい美味しい作品書いてくれれよな♪大歓迎だぜ♪」
K子「ど、どもありがとうございました…。(この男わ…。)」

逃避…

注…一之瀬は関西人です。



(c)Copyright 2000-2005 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。