◇Beachside Lovers 4

九、

 祭壇の前では九能と女乱馬が、独自に世界を作り出している。それを見ながら、酒杯を重ねる八宝斎。彼は彼で出来上がりつつある。 
 いちゃつく九能と女乱馬を肴に上機嫌であった。
「早く、媒酌をしてくださいな。爺さま。」
 乱馬の瞳が妖しく光る。
 あかねはゴクンと唾を飲んだ。

(やっぱり、コロン婆さんが言うように、何か別の意識体に取り憑かれているみたいね…。乱馬は。)

 このままの勢いなら、あれだけ嫌がっていた九能先輩を手玉に取って、そして、その意識ごと精気を吸い尽くしてしまうのではないか。そんな鬼気しに勝る凄みがある。
 八宝斎はともかく、彼女に気取られては何もかもがお終いになるだろう。
 九能はそんな女乱馬の異常さにはてんで気がついていないかのようであった。
 いや、もう既に彼は、女乱馬の尋常ならぬ妖気に取り込まれていたのかもしれない。或いは八宝斎も彼女の邪気に呑まれているのではないだろうか。ふとそんな考えがあかねの脳裏を過ぎった。

(皆、普通じゃない。)

 あかねは洞穴の中に満ちている異様な殺気を肌一杯に感じ取っていた。

 女乱馬はベールの代わりに、薄い布を頭からすっぽりとかぶっていた。
 花嫁衣裳ではないが、妖艶な美しさが漂っている。今の乱馬は、己が男と言う生き物であることを完全に忘れているようだ。
 それに、腕に巻かれた包帯から、少しだけ血が滲み出ているというのに、一向に痛がる様子もない。
 今の乱馬は傷のことなど忘れ去っているのか、それとも痛みなど感じないのかもしれなかった。

「おさげの女よ。それでは、固めの杯を交わそうぞ!」
 そう九能が切り出したとき、あかねはだっと前へと駆け出した。
「そうはさせないわっ!」
 まず、酒気でふらふらとしている八宝斎に体当たりを食らわせた。
 八宝斎は突然しゃしゃり出たあかねに、咄嗟に反応できずに、後ろへ尻餅をついた。
「なんじゃあっ?」
 酔っ払っているので足元がふらついたのだろう。
 あかねはだっと八宝斎の懐から、転がったポットを掠め取った。
 第一段階はこれでクリアした。

 だが、いきなり前に現れた敵に対して、女乱馬は容赦しなかった。
「諦めが悪い女ねっ!」
 そう言うと、気砲を放つ。
 ドンドンと岩が砕け散る音がした。今の乱馬は相手があかねだろうと容赦はしない。本気を打ち込んでくる。
「くっ!」
 あかねは紙一重でかわしながら、乱馬との間合いを取る。
 多勢に無勢。
 八宝斎も九能もすっかり女乱馬の毒気にやられているようで、あかねを邪魔者としか認識していないようだった。
 ごおっと音を立てて、洞穴の壁がバラバラと砕け落ちてくる。あかねはその瓦礫を避け、さらに、襲い来る三人の攻撃から身をかわさねばならない。圧倒的に不利な戦いである筈だったが、思わぬ伏兵があかねを助けてくれることになる。
 そう、苦戦を強いられていた彼女の元に、さっきあかねを捕まえていたオオダコがにゅっと顔を出したのだ。あかねの盾になるように、立ちはだかったものだから、三人の攻撃がまともにそいつに入る結果となった。

『うおお〜っ!』

 狙い撃ちにされた形で、女乱馬の闘気と九能の木刀と八宝斎の大華輪がオオダコの前で弾けたものだから、彼女は怒り心頭になったようだ。酔った勢いも手伝って、手がつけられないほど暴れ始めた。
 彼女はまず、九能を鷲づかみにした。
「何するの?あたしの九能先輩にっ!」
 乱馬ががなったが、オオダコは床に墨を吐きつけると、掴んだ九能を、床に叩き付けた。
「ぐ…。む、無念…。」
 オオダコの奇襲に、まず、九能が沈んだ。
「こら、タコ女。何てことをしよるんじゃっ!」
 怒ったのは八宝斎。味方である筈のオオダコの行為に怒り心頭といった言葉を投げた。だが、酒に泥酔していたオオダコには逆効果になったことはいうまでもない。
 元来、生き物は、生殖繁栄のため、子孫を産み落とすメスの方が、オスよりも強いものだ。
 今度は八宝斎の身体を足に巻きつける。
「わたっ!何をする?こやつめっ!ほどけっ!解かぬかっ!」
 八宝斎は絡め取られて足をジタバタとさせる。
 オオダコは八宝斎を絡め取ると、ふらふらと海面へと戻って行った。そして、上機嫌で身体をくねらせながら、月明かりの差し込む夜の大海原へと戻ってゆく。

「はなせーっ!わしは貴様と添い遂げる意志などないぞーっ!!!」

 虚しく遠ざかる八宝斎の叫び声。やがて、オオダコは海の向こうへと消え、辺りは静かになった。

「これで邪魔者は居なくなったわ。後は乱馬っ!あんただけ。」

 あかねはきっと女乱馬を見上げた。

 と、女乱馬はふふふと笑い始めた。
「おまえなんか、俺の敵じゃねえ。なあに、九能先輩が目覚めるまでに、おまえを沈めれば、今度こそ誰にも邪魔されないで我が望み叶えられるというもの。」
「あたしはそう簡単にあんたにやられないわよ。」
「それはどうかな?」
 だっと乱馬が動いた。
 身体を何か得体の知れないものに取り憑かれているとはいえ、乱馬は武道家。増してや女に変身し、体重が軽くなった分、動きは早い。
「くっ!」
 あかねは辛うじて乱馬の打ち込んできた蹴りから逃れた。
「今度は外さねえぞっ!」
 乱馬は取って返す動きで、間髪入れず、あかねに襲い掛かった。
「させるもんですかっ!!」
 あかねとて意地はある。彼女もまた、武道家としての誇りがある。無意識に乱馬の腕へ肘鉄を食らわせていた。

 鮮血が飛んだ。

 そう、昼間、海岸で彼が痛めた腕に攻撃が当たってしまったのだ。明かりは灯されているとはいえ、ここは暗がり。乱馬の傷のことなど、すっかり忘れていたあかねであった。

「くっ!」

 流石の乱馬も、あかねの撃鉄に強襲され、腕の傷が痛んだのだろう。顔をしかめた。
「てめえ、姑息な手を使いやがって…。」
 怒りが彼女を駆け巡り始める。手負いの獣のような鋭い目を一瞬あかねに手向けた。
 ぞっと冷たいものがあかねの背中に突き抜けた。最早、彼女の前に立ちはだかる少女は乱馬ではない。別の人格に成り果てている。
「乱馬…。あんた。」
 彼女の気の裏に、混沌とした邪気を感じ取っていた。
「容赦はしねえ。この手で息の根を止めてやるっ!」
 普段の乱馬からは凡そ考えられもしない暴言であった。
 乱馬はあかねの傍へまわりこんだ。
「なっ?」
 一瞬迷ったあかねの身体をがしっと捕まえた。
 あかねより一回り身長が低い女乱馬ではあったが、その力は強大であった。あかねはそれでも、懐へと不自由な手を伸ばした。
 ここにあかねにとっての最後の砦がある。そう、八宝斎から奪ったポットを握り締めていた。
 あと少し…。
「うっ!」
 あかねを捕まえていた乱馬が気を身体に入れた。
 乱馬の肉体から電撃のような気が走りこんできた。まるで電気ウナギのような激流が彼女の身体から放たれる。
「やあっ!」
 思わす声が漏れた。痺れるような激痛が身体を通り抜けた。こんな技は乱馬は使わない。いや、使えてもあかねには放たないだろう。
「どうだ?苦しいか?もっと、苦しませてやろうか?その心臓が止まるまで、気を送り込んでやる。」
 乱馬が言い放つ。何の感情もない、冷たい言い方だった。
「あああーっ!」
 乱馬が気を送るたびにあかねは悶絶しそうになるのを辛うじて耐えた。そして、最後の気を振り絞って、八宝斎のポットの蓋を開けるのに成功した。気が遠くなりそうな激痛に耐えながら、あかねは、ポットを握りしめた。乱馬の気の合間を狙い定める。一瞬でこれを乱馬に浴びせ掛けなければ、彼は正気には戻るまい。
「どうだ…。そろそろ楽にしてやろうか?それとももっといたぶってやろうか…。」
 女乱馬は、冷酷な瞳であかねを見下ろしていた。

「あんたなんかの自由にはさせない。あたしの乱馬を返してーっ!!ばかーっ!」
 乱馬が新たに気を送ろうとして、身体の力を一瞬抜いたときに、あかねは思い切り、八宝斎のポットを下から突き上げた。

「わたっ!あちっちーっ!!」

 ポットから湯が飛び出した。湯気が彼の背中や頭から立ち昇る。
 と、みるみる少女から少年へと変化を遂げてゆく。

「乱馬…。」

 暫く動かなくなった少年に、少女はおそるおそる声を掛けた。

「よっ!」

 にっと少年があかねに笑いかけていた。

「良かった…。元に戻ったのね。」
 あかねがホッとして顔を上げたの束の間。乱馬は包帯をしていた腕を洞穴の壁へと激しく打ちつけ始めた。怪我をしている腕だ。彼は狂ったようにその傷をわざと広げるような行動に臨み始めたのだ。

「乱馬っ?やめてっ!乱馬っ!何するのよっ!」

 彼の不可解な行動に、あかねは思わず叫んでいた。意味不明な自虐行為に見えたのだ。
 真っ赤な血がまた包帯から滲み出している。
 あかねは慌てて彼に駆け寄ろうとした。

「来るなっ!あかねっ!俺の傍に来ちゃいけねえっ!!」

 洞穴の中に乱馬の声が響き渡った。



十、
 
「来るなっ!来ちゃいけねえっ!!」
 乱馬の叫びが悲痛にあかねに届く。
 彼が云わんとしていることがあかねには理解できなかった。
 彼の腕からは赤い血が滴り落ちて、地面を濡らした。
 あかねはじっと乱馬の瞳を見詰めた。彼の瞳の輝きは激痛からか何かに耐えているように見えた。
 来るなといわれてそのまま放っておけるわけがない。それがあかねであった。
「何訳のわからないこと言ってるのよ…。」
 一瞬、後ろへたじろごうとした乱馬の元へあかねはゆっくりと歩み寄った。
 あかねは傷付いて血が流れ落ちる彼の腕へ、そっと手を触れた。
「あかねの馬鹿…。」
 乱馬は小さくそう吐き出す。
「馬鹿はあんたよ。こんなに傷口を広げて…。」
 そう言ったとき、乱馬の手があかねの肩に掛かった。

「乱馬?」

 さっきは激しく来るなと拒んだ彼の手が、今度はあかねを抱き寄せる。

「畜生っ!手が言うことをききやがらねえっ!」
 溜息のような声があかねの耳元で漏れた。

「あかねっ!聞けっ!俺が理性を失ったら、かまわねえからその身体で、俺の左手の傷を思いっきりぶちのめせっ!」
「なっ、何よそれ…。どういうこと?」
 あかねは突然の乱馬の言葉に目を見張りながら彼を見上げた。乱馬の瞳には苦渋が満ちている。
「俺が、九能に飲まされたあの惚れ薬のせいなんだ。女になってた俺が最初に見た異性は九能だった・・それから男になったときに見た最初の異性は…あかね、おまえだった。それがどういうことを意味しているかわかるな…。去年の騒動の一部始終を見ているおまえなら。」
 ごくんと唾を飲み込んだ。
 彼が云わんとしていることが、何となく察知できたのだ。
「まさか…。あんた。」
「ああ。おめえが思っているとおりだ。今の俺は理性と本能の間で漂っている。俺でないもう一人の俺が、おまえに襲い掛かれと掻き乱しやがる…。だから俺は、あの海岸でボートを降りたときに、この傷を作ったんだ。そのもう一人の俺に、奴に逆らうために。」
 謎が全て解けた。
 そう、乱馬ほどの達人が、動揺していたとしても、受け身も取らずにゴミ山へ身を投じ傷を作ることなど、考えられないことだったのである。彼は彼なりに葛藤していたのだ。あの時点で。
 だから、夕食がはねた後、直ぐにでも彼女から逃げるように、身体を休めると言って休眠したのだ。
 思い出したように、腕の傷を自分で痛みつけて、迫り来るもう一人の魔物と闘っていたのだ。
 女になったときは九能へ、そして男のときはあかねへ。純粋な想いとは云い難い、悪魔のような邪念が彼を支配していたのだ。
 さっき、洞穴の壁に腕をぶつけたのも、全ては己の理性を保とうとする、彼の苦肉の策だったに違いない。
「最後の砦まで侵入してきやがろうとする…。嫌だ…。俺は!こんな形でおめえを抱きたくねえっ!あかね。俺のことはいい。おまえは逃げろ。こんなわけのわからない俺に、襲われる前に…。」
「逃げろって云われたって、無理よ。ここから出るにはボートが必要よ。あたしは泳げないんだから。」
「そうだったな…。くそ…。痛みも感じなくなってきやがった。嫌だっ!あかねは俺の大切な許婚だ。てめえなんかにくれてやるほど安っぽくねえんだ。」
 乱馬は激しく言葉を吐き続ける。
「乱馬…。」
 もう一人の魔物、惚れ薬から飛び出した術者の怨念と闘っているのだろう。
「あかねは俺の許婚だ!畜生っ!あかねーっ!あかね…。」
 彼の声はだんだんと小さくなる。そして、やがて静かになった。
「乱馬?」
 彼の声が途切れたとき、あかねは腕から擦り抜けて様子を見ようと身体を捩らせた。と、途端、柔らかくあかねを抱擁していた手が、がしっとあかねの身体を抱きとめる。まるで逃がさないと言っているように。

 乱馬の人格が再び入れ替わった。

 いや、正確には乱馬に取り憑いた別人の意識が浮き上がり、本当の彼が押し込められたのだ。

「ふう…やっと沈みやがったか。女の時はあんなにすんなりと我輩の侵入を受け入れたというのに…。くくっ!そんなに目の前の少女が大切なのか。」

 声は乱馬のものだが、語り口調など、全くの別人だった。

「あんた、惚れ薬を調合した術者ね。」
 あかねはきっと険しい表情を浮かべると彼を見上げた。
「ほお…。おぬし、我輩のことを知っているのか。」
「あんたは乱馬じゃない。乱馬に取り憑いた魔物ね。乱馬を返しなさいよっ!」
「そういうわけにはいかないでな…。お嬢さん。」

 奴は乱馬の口を借りて語りかけてくる。

「生憎だが、おまえの純粋な気をワシの復活のために捧げて貰おうか…。」
「そうはいくもんですか!」
 あかねはさっき乱馬に言い含められたように、狙いを定めて、彼の左手の傷へと腕を振り上げようとした。だが、彼の強い腕に阻まれて両手首を反対に捕まれてしまった。
 それから余裕の表情を浮かべると、松明が灯された壁へとあかねの身体を押し付ける。
「無駄だよ…。この男の身体、相当鍛えこんである。おまえさんの動きなど、手に取るようにわかるというもの。まさに、復活の依り代にするには最高の身体だよ。」
「依り代ですって?」
「ああ。この男なら、女にはもてるだろう。それに、呪泉の呪いで女にも変化できるという面白い身体。この世の酒池肉林を味わい尽くせるというもの。ふふ。我輩は幸運だったな。」
「そんなことさせるもんですかっ!乱馬を元に戻しなさい。乱馬から出て行ってよ。」
 動かぬ体の下から果敢にも言葉を投げつけるあかね。
「それはできぬ相談だな。」
 乱馬の目が怪しく揺らめいた。
「我輩も存命中におまえのような清廉な少女に愛されていたら、もっと違う人生を歩めたのであろうが…。」
「乱馬は絶対にあんたなんかに負けはしない…。そんな陳腐(ちんぷ)な化け物に魂を売り渡してしまうほど弱虫じゃないわ。」
「戯事を。沈んでしまった奴に何ができる。無駄なことだ。」
 彼はにやりと笑うと、あかねの身体をそのまま動けないように、手で壁へと固定した。
「さてと…。もう誰もここへはやってこまい。泣こうが喚こうが助けはない。奴も沈んだままだ。大人しく、我輩のエサになって貰うとしようかな。」
 不気味な笑みが零れ落ちる。
「おまえもこの男を愛しているんだろう?せめてもの慰めだな。最初の獲物がおまえみたいな少女で良かったよ。余程、先ほどの舞い上がり野郎よりは喰らい甲斐があろうというものだ。」
「さあ、それはどうかしら。」
 あかねは怯えることもなく、見据える目で彼を睨みつけた。
「気の強いお嬢さんだ…。大丈夫、苦痛は与えないさ。」
 そう言ってあかねの口元へ彼の口が近づいてきた時、あかねは「気」を乱馬目掛けて解き放った。
 
 ビシッ!と空気が揺れる音がして、乱馬の身体に電撃が走った。
「何をするっ!」
 彼はあかねへ怒声を上げた。彼は咄嗟にあかねから手を放していた。
 あかねは捕えられていた壁から身を起こした。手足が自由になった。
「さっきあんたがあたしに放った気技よ。」
「無駄な抵抗だ。」
「さあ、それはどうかしらっ!!」

「はっ!」

 再びあかねは触れ合う身体から「気」を放った。離れた場所からでもあかねの気は確実に相手を捉えて、打ち込まれてゆく。

(乱馬っ!目覚めてっ!あんたなら目覚められる筈よ。そんな化け物の思い通りにならないで。乱馬っ!!)

 何度も何度もあかねは乱馬の身体目掛けて闘気を放ち続けた。

「困ったお嬢さんだ。無駄だということがわからないらしい…。」
 彼は憎々しげにあかねを見た。
「無駄だって言ってる割には反撃してこないじゃない。」
 あかねは更に攻撃を加える。
「やっぱりあんた、乱馬の意識を完全には沈めていないんでしょ。だから、彼が拒否している、彼の技での攻撃ができないのね。」
 乱馬が女に変化していた時は、確かに完全に意識から乗っ取ることができたのに、男の乱馬は意のままには扱え切れないのだ。まるでもっと打ち込んで来いと云わんばかりに、身体が重く、反応も鈍かった。魔物は焦り始めていた。

「畜生っ!何故意のままに扱えぬ。」
(へっ!俺は誰の指図も受けねえ!あかねにだけは絶対に手出しさせねえ…。)
 魔物の抑えていた意識が少しだが浮上しはじめる。
「うるさいっ!おまえの身体は我輩がいただくのだ。」 
 あかねの放つ闘気に身を窶しながらももがき続ける魔物。
(俺の身体は…俺の血と肉と心は…全て俺の物だ。おまえのものじゃねえっ!)

「乱馬っ!目覚めてっ!!」

 あかねは一際大きい気砲を乱馬目掛けて撃ちこんだ。
 震えるほどの震動が洞穴一杯に鳴り響いた。

 うおおおおおおおおーっ!!

 乱馬の体が青白く発光し始めた。体内で二つの心が激しくぶつかり合っているのだろうか。
 仁王立ちした乱馬は握り拳を作り、唸るように大の字なる。ビリビリと身体から沸き起こる気から稲妻のような光が身体の周りに伝わってゆく。

「俺は、早乙女乱馬だ。他の誰でもねえーっ!!」

 そう叫んだかと思うと、乱馬は体内の気を一気に昇華させた。
 と同時に、身体が眩いほどの光に包まれる。
 乱馬の中に巣食っていた魔物の断末魔の叫びが、あかねの耳にも聞こえてくるような気がした。
 彼の上に向かって開かれた口から、何か赤いものが吐き出されてゆく。それが空気に溶け込ん出行くように見えた。
「あかねっ!あの妖気を撃てーっ!」
 乱馬が叫んだ。
「任せてっ!」
 あかねは彼の口から立ち込めた怪しい煙に向かって、まだ残っていた気を一気に放出させた。

 ぎゃあああああーっ!!

 悲鳴とも取れる音が炸裂した。
 あかねの放った気に耐えられなかったのか、煙は一瞬にして凝縮されていった。
「あれは…。」
 煙の中心から真っ赤な血の色の玉が浮かび上がってきた。
「惚れ薬…。」
 そう、乱馬が飲み込んだ惚れ薬であった。
「悪霊退散っ!くたばりやがれーっ!」
 乱馬はその薬に向かって体から気を解き放った。
 至近距離から打たれた、乱馬の気功破を受けた赤い惚れ薬は、ピキンという音をたてて、硝子球のように弾けて飛んだ。
 粉々に粉砕して、ドライアイスの塊のように、しゅうっと空気へと昇華されていった。

「終わったのね…。」
「ああ、終わった…。奴はもう俺の中にはいねえ。」
 乱馬は親指を立ててにっと笑ってみせた。
「その傷…。」
 乱馬の左腕から真っ赤な鮮血が滴り落ちる。
 かなりの出血だ。
「大丈夫さ…。このくらい。」
「ダメよ。ほっておいたら化膿しちゃうわ。」
 あかねは己のTシャツを破ると、乱馬の腕に巻きつけはじめた。
「お、おい…。大胆なことすんなよ!目のやり場に困るじゃねえかっ!」
 キャミソール一枚になったあかねを正視できないウブさはまさしく乱馬のものであった。
「旅館へ帰ったら東風先生に頼んで消毒しないとね。」
 触れるあかねの手の柔らかさに、真っ赤に染まってゆく乱馬だった。

「あかね…。」
 抑えていた感情が一気に溢れ出すのを、彼自身、戸惑いながらも持て余していた。
「ありがと…な。」
 それだけを端的に告げると、そっと肩を引き寄せる。腕に沈めるあかねの柔らかさは、不思議な安らぎに満ちている。そう思わずにはいられなかった。
「乱馬…。」
 珍しく積極的になった彼に、身を預けようとあかねがそう答えたとき、背後に殺気を感じた。

「さ〜お〜と〜め〜っ!貴様、あかねくんをっ!」

 さっきまで地面に倒れ付していた九能だった。
「九能先輩…。」
 ラブシーンを目の前で演じられたのだ。九能のテンションは異様に高い。背中から、怒りの闘気が燃え上がる。
 乱馬はごくんと唾を飲む。
「成敗してくれるっ!そこへ直れっ!!」
 九能は持っていた木刀を振りかぶると、乱馬目掛けて打ち下ろしてくる。
「わたっ!やめろーっ!!俺はまだ何にもしちゃいねえぞーっ!」
 乱馬は必死で逃げ惑う。
「問答無用っ!貴様、あかねくんを誑(たぶら)かそうとしておったではないかっ!それだけで万死に値するわぁっ!」
 ビュンビュンと音を立てながら九能は乱馬を追い回す。

「ちょと、九能先輩っ!乱馬。ここじゃ危ないわよっ!」
 あかねが叫んだとき、乱馬は脚を滑らせて、洞穴まで浸水した海水の中へ落下した。
「ぶわっ!いてえーっ!」
 海水が傷に染みたのだろう。女に変身した彼は慌てて水から這い上がる。
「おおーっ!おさげの女ぁっ!会いたかったぞーっ!」
 急に女乱馬が姿を表したのを見つけて、九能は今度は打って変わって、彼女を抱き締めにかかった。
「やめろーっ!」
「何を言うか。さ、祝言の続きを…。熱いキスを。」
「冗談じゃねえーっ!やめろーっ!!」
 乱馬の悲鳴が響き渡る。
「あんなに愛し合った二人ではないか。」
「違うっ!俺はてめえなんか愛しちゃあいねえっ!気持ち悪いから寄って来るなーっ!!」
 半ば呆れながらも、あかねは楽しそうに二人を振り返った。
 乱馬は惚れ薬に打ち勝ったのだ。そう思うと自然に笑みが零れ出す。

「あかねさーん!乱馬!無事かあ?」
 洞穴の向こう側で声がした。
「良牙君たちね。」
 あかねは声の方に向かって叫んだ。
「ここよーっ!皆無事よーっ!!」
 そう言いながら合図を送る。
 そんなあかねの傍を乱馬と九能の追いかけっこがまだ続いていた。

「やっぱり、乱馬はそのままがいいわ。元通りのね…。」
 追い縋る九能と逃げ惑う乱馬を見比べながらあかねがうふふと嬉しそうに笑った。
 洞窟の向こう側は、遥かに白み始め、また新しい一日の到来を告げる。
 寄せては返す波は柔らかな朝を運んで来た。








一之瀬的戯言
 軽快なテンポでコミカルに描き出そうと組み上げていた原作後日談のプロット。
 ところが、悪い癖が出てしまい、気がつくと、濃厚長編になる始末。
 惚れ薬を作った術者も八宝斎とあかねのやり取りも、最初に軽いプロットを組んだ段階では微塵も予定していませんでした。
 本当はシャンプーを絡ませて書くつもりだたのに、書き流すうちに、物語は全然違う方向へ流れていったのでした。
 ストーリーを組み上げるうちにどんどん話の裾野が勝手に広がってしまった典型作品であります。

 実は当人はあかねに迫る乱馬を描きたかったらしい…そう言う意味から見れば「水鏡」に少し世界観が似ているかもしれません。
 しかし…くどい伏線の張り方、話の引張り方だなあ…。(反省)

 で、肝心要なんですが、どこに投稿するつもりで書き出したのか忘れました(こらあっ!
 いや、マジでどこか…。RNR身内だったような気もしないでもないんですが…。すいません。ウチですという方いらっしゃいましたら申し出てくださいませ。よろしくお願いいたします。


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