第六話 洞穴の攻防

一、

「紫苑、こっちね。」
 蓮華は紫苑を伴ってだっと掛け始めた。夜の砂浜は危険が一杯だ。足を取られそうになりながらも、二人は海岸線をひた走った。天上には十三夜の月が冷ややかに二人の影を照らし出している。
 正直、紫苑は面食らった。蓮華が、いきなり、水を引っ被ったからだ。
 それだけではない、自分が被り終わるや否や、紫苑にもザブンと水を掛けたのである。
 そう、二人は今、呪泉郷の泉の呪いが貫通した身体に変身していた。あかねの姿にである。蓮華は薄いピンクのチャイナ風つなぎを、紫苑は黒っぽいカンフー風服を着込んでいる。

「あかねに化けた方が、好都合ね。」
 蓮華は屈託なく紫苑を導く。
 紫苑にしてみれば、迷惑な行為だった。彼は男にも関わらず、少女の身体への変身を余儀なくされるのである。心地良い訳がなかろう。
 だが、乱馬とあかねを助けなければならないという大きな命題があるので、渋々、蓮華の意見に従っていた。 
 真夜中の海岸を、あかねが二人、息せき切って駆けて行く。二人とも、修業を積んだ身体であったので、息は切れたものの、体力が落ちている訳ではなかった。

 やがて、二人は海水浴場の果てへと辿り着く。
「あそこ・・・。あの岸壁の洞穴に乱馬が居る。風が教えてくれた。」
 蓮華は目の前の暗がりへと指を指し示した。
 いかにも、何かありそうな怪しげな岩場。
「蓮華さま、気をつけて・・・。」
 紫苑が促す。
「わかってる。紫苑も足を取られて海に投げ出されないように・・・。」
 夜の海は怪しく月を照らしこんで水面が揺れていた。
 目を凝らして進んでゆくと、岸壁に、蓮華が言ったように、ぽっかりと開いた穴を見つけることができた。
「乱馬、あそこに捕らわれてる。」

「紫苑、頼んでたもの、私に!」
 蓮華がふっと言葉を告いだ。
 言われるままに、紫苑はポケットから何やらごそごそと取り出して蓮華に渡した。

 そして、暗がりで二人はこくんと頷きあった。

「そこまでだっ!」
 背後で声がした。
「やっぱり来たか!」
 声の主は二人を見詰めていた。
「ほーっほっほ。気付け薬を簡単に作って、蓮華さまを目覚めさせるとは。流石に、ワシの曾孫じゃ!のう、紫苑よ。」
 花梨婆さんであった。
「へっ!おばばさまたちの思い通りにはさせねえぞ!」
 紫苑はたっと花梨を睨み返した。
「何を言うかっ!これもそれも、おぬしらの祝言のためじゃぞよ・・・。」
 もう一人別の声が背後から響き渡る。
 見ると、花梨と背格好もほぼ同じな老婦人が杖を抱えて岩場に立ち上がっていた。コロンだった。
「祝言?何のことだ。」
 紫苑がきつい言葉を返した。
「ふふん、文字通りの意味じゃ。紫苑。おまえは羅公が現れる前は蓮華さまの許婚であったろう?一族一番の拳法の使い手、それに、蓮華さまと共に乳兄弟として育って来た仲。親同士が決めたこととは言え、まんざらではなかった筈。違うか?」
 花梨は畳み掛けてきた。
「羅公が他の娘を嫁にとってしまえば、蓮華さまは自由の身の上。また、元の鞘に戻って、おまえと許婚になれば良いことじゃ。」
「おばば、何を勝手なことを・・・。」
 蓮華がきっと睨みつけるのを紫苑は制した。そして静かに言い放つ。
「確かに、まだ私は蓮華さまを愛している。だが、今の私はその提案を受け入れるわけにはいかぬ。」
「紫苑・・・?おまえ・・・。」
 蓮華が言葉を継ぎかけて止めた。婆さんが割り込んだからだ。
「悪いことは言わん、これ以上、その洞穴の中には足を踏み入れるな。」
「私たち、乱馬、助けなければならない。これ、升麻族の当然の恩義。だから、おばばこそ、そこをどけっ!」
 凛と響く、紫苑の声。
「ふん、何度言っても平行線か。ならば、闘うのみ。えいっ!」
 コロン婆さんが先に動いた。続いて花梨がそれに続く。
 そう、蓮華と紫苑に向けて、婆さんたち二人で行動を開始したのである。

「口で言ってわからぬのなら、ここは腕ずくでも、おまえたちの侵入を阻止してやるわっ!」
 花梨が言い放つ。
 頷きあうと、たっと砂浜を蹴り上げ、紫苑と蓮華は二手に別れた。
「来いっ!俺たちは絶対に、おばばさまたちには負けぬっ!」
 紫苑の拳が宙を舞う。蓮華の素早い動きが空を切る。
「ほほお・・・。なかなかやりおるな。」
 コロンが目を細めて向かってきた紫苑へ攻撃を加える。
「当たり前。これでも升麻族一番の使い手。」
 闘気と闘気が空で弾け飛ぶ。
 一方、蓮華に対する花梨。こちらも拮抗した勝負が続く。
「花梨さまとて容赦はせぬ。怪我をしないうちに大人しくしてはいかがかな?」
「そっちこそ、年を気にしてそう頑張らないほうがいいのではないの?」

 若者と年寄りの格闘合戦。
 だが、年齢が高い分、年寄りチームの方が長けていた。
「紫苑も花梨さまも、なかなか腕を上げられた。ふふ。これは升麻一族の行く末が楽しみじゃ・・・。我らの将来を確かなものにするためにも、やはり、我らの計略どおり事を進めたいでな・・・。」
 花梨婆さんはにやりと笑うと、何やら懐から取り出した。
 小さな笛だ。
 そう、風林館高校のプールサイドで、夕刻の海辺で、花梨を操ったというあの特殊な音域の出る笛。
 花梨はそいつを構えると、口へ押し当てて、吹き始めた。背中に丸い月が怪しく浮き上がる。

「う・・・。」
 蓮華は頭を抑え始めた。
「ふふ、花梨ちゃんの暗示が蓮華殿に利き始めたようじゃのう・・・。」
 コロンがにやっと笑った。
 頭を抑えていた蓮華は、海に向かって歩き始める。
「そら、紫苑、蓮華さまを助けにいかぬと、海に溺れてしまうぞよ・・・。」
 花梨婆さんは蓮華を操るように笛を無心に吹いていた。
 と、紫苑がだっと動いた。
「させぬっ!」
 コロンがそれを阻止しようと、同時に気を放つ。

 と、海に向かって歩み始めていた蓮華がひらりと身を挺した。そして振り向きざまに叫んだ。
「やっぱり、花梨っ!おまえが蓮華さまに暗示をかけていたのかっ!」
「な、何っ?」
 そう、操っていた筈の「蓮華」が花梨に反撃をしてきたのだ。
 ポロリと笛が花梨の手から零れた。
「しまった!」
 その隙を「蓮華」は見逃さなかった。
「やああっ!!」
 「蓮華」は気を花梨に向けて放った。

 ドオンっと音がして砂煙が舞い上がる。

「紫苑っ!!!」
 今しがた気泡を放った「紫苑」が声を上げた。
「あたしに任せてっ!!」
 コロンを相手にしていた「紫苑」が合いの手を入れる。
「おぬしらっ!互いに入れ替わっていたのか?」
 コロンが叫んだが、時は既に遅し。
「麗人月下鼓舞っ!」
 紫苑に扮していた蓮華はさっと右手を挙げる。と、ひらひらと蝶のように美しい金粉と銀粉が砂に入り混じって降りてきた。

「しまったっ!おまえは蓮華さまではなく、紫苑だったのか?」
 花梨もようやく、目の前に置かれた事態が飲み込めたのである。
 キラキラと降りてくる金銀の光る粉は、コロンと花梨を包んだ。
「暫く、眠っていてもらうね・・・。婆さんたち・・・。」
 まともに粉を浴びた二人の婆さんたちは無念そうに砂浜へと身を沈めた。

「俺と蓮華さまが入れ替わっていたことに気がつかなかった、婆さまたちの負けだよ・・・。」
 紫苑がにっと笑った。
「あたしの計略もまんざらじゃなかったでしょ?」
 紫苑の振りをしていた蓮華は耳栓を取りながらにっこりと微笑んだ。彼女の発案らしい。
 この二人、あかねに変化した時点で、互いに入れ替わったのである。
 衣服を取り替え、互いに成りすまして、二人の婆さんたちにそれぞれ対峙したという寸法だった。花梨が蓮華と思い込んで術をかけた相手は実は紫苑であったし、コロンの相手も紫苑ではなく、蓮華だったというのだ。
 互いの癖を知り尽くした者同士だから出切る、演技であった。
「で、これから・・・。」
「勿論、乱馬を助けに行くわ。風で感じた。彼はこの奥に捕らわれているね。」
 蓮華は目の前の岸壁にぽっかりと開いた洞穴を指差した。
「彼救い出して、羅公の城へ送り込む。羅公の呪縛からあかね、解放できるのは、乱馬しか居ない。多分・・・。勿論、私たち、行けるところまで彼について行く。それで、いいね?紫苑。」
 こくんと紫苑は頷いた。
「で、私たちいつ、元の姿に戻る?」
 と付け加えた。
「暫くこのままね・・・。あかねの姿のままいくね。」
「その必要はないのじゃないか?蓮華さま・・・。」
 蓮華は首を横に振った。
「いいえ・・・。この奥に乱馬と一緒に居るのは、コロン婆さんの曾孫、そう言ってた。」
「なるほど・・・。あかねさんの姿のまま乱入した方が・・・。」
「動揺を生じさせられる。この戦い、勝たねばならないのだから。手段は選べない!行こうっ、紫苑!月が沈むまでに乱馬を羅公の元へやらないと間にあわない。」

 だっと二人は駆け出した。



二、

 洞穴の中は思ったより広かった。
 そう複雑な作りにはなっていないようで、二人は並んで入り、そして、気配を探り出した。

「こっちよ!」
 風を感じられる分、勘がいい、蓮華が先に立って先導し始めた。
 中は薄暗い。
 ざざあと波が洞穴の岸壁に打ち付ける音が響き渡る。
 洞窟の中は磯の香がする。暗闇の向こう側に何かの気配が確かにあった。
 あかねの姿のままに、二人は進んだ。
「多分、あの磐の向こう側に乱馬捉えられているね。彼の気を感じる。」
 蓮華は止まると紫苑に言った。
「紫苑、あとで部屋に乱入するよろし。」
「え?」
「さっきにも言った、この勝負、私たち勝たない、乱馬とあかねの未来ない。だから・・・。手段は選べない。」
「でも・・・。」
 反論意見を言おうとする紫苑を蓮華は押し留めた。
「私、先に行く。そして、相手の出鼻を挫く。多分、コロン婆さんの孫娘、私たち二人があかねに変身できること知らない。それに、婆さん、何時飛び出してくるかわからない。だから・・・。」
「わかりました。でも、危なくなったらすぐ・・・。」
「信じてる、紫苑。」
 にっこりとあかねスマイル。
 それから、蓮華は、灯火が漏れる、岩の方へと一人歩みだす。紫苑はそれをじっと見送る。


「乱馬、いい加減、諦めるがよろし・・・。」
 あくびをしながらシャンプーが様子を見に現れた。逃げられないことはわかっていたが、数分おきに様子を見るように言い付かっているのだろう。
「うるせーっ!」
 乱馬は吐き捨てると、また、力を全身に篭める。
 何度やってもびくともしない岩壁。全身の力が、手に繋がれた鎖の方へ吸い込まれているような気がする。魔石の力なのだろう。それではと、魔石を壊そうと、乱馬は壁に手を打ち付ける。いつしか彼の手首から赤い血が滴り落ちる。それでも、彼はやめようとしなかった。
「涙ぐましい努力ね・・・。」
 シャンプーはふんと鼻息を飛ばした。
「それだけに、乱馬、あたしを愛するようになること、楽しみね・・・。」
 彼はそれには目を背け、答えようともしなかった。

 と、シャンプーが、きっと部屋の壁を睨んだ。
(誰か来るっ!)
 乱馬もほぼ同時にその気配を察知していた。
「誰ねっ?」
 懐から、ナイフを取り出した。そして、それを入口の方へ向かって投げた。

 カラン。

 金属の音がして、ナイフが転げ落ちた。
 現れたのは、あかね。もとい、蓮華であった。
「あかねっ?」
 シャンプーは驚きの声を上げた。当然だ。彼女は、蓮華が茜溺泉に落ちた呪泉郷の被害者ということを知らない。だから目の前に立ちはだかる少女はあかねだと思った。
「どうやって、逃げてきた?」
 ヒステリックな声を上げる。
 蓮華はその問いには答えないで、ただ、にやっと笑って対峙した。
(蓮華・・・。それとも紫苑か?)
 乱馬は対峙する二人の少女を見て、そう心に呟いた。
「しぶとい女ねっ!」
 シャンプーは傍にあった武器を手に取るとたっと身構えた。そして、あかね目掛けて打って出る。
「たあーっ!」
 あかねに扮した蓮華はそれをさっと交わすと、空へと軽く飛んだ。
「な?」
 力技だけで押してくる普段のあかねと違うパターンで繰り出される攻撃に、驚いた様子だった。あかねと言えば、押しも押されぬ、パワフルな力技。これが年頭に浮かぶのだった。
 地面へとトンと着いた蓮華は間髪入れずに攻撃を仕掛ける。それも、いつものあかねとは違い、目も止まらぬ速さだ。
「くっ!」
 シャンプーは紙一重でその攻撃を交わした。
「あかねっ!負けないねっ!」
 シャンプーはいつもと勝手が違うあかねに完全に気を飲まれていた。
 にやりと笑う不敵な笑顔のあかね。不気味に映った。

「シャンプー、加勢するぞ。」

 と、声がして、何やら気が飛び込んできた。コロン婆さんだった。
「曾ばあちゃんっ!」
 シャンプーは顔をほころばせた。あかね相手に苦戦を強いられていたからだ。
「そやつはあかねじゃないからのう・・・。」
 コロンは息を切らしながらながら言った。
「あかねじゃない?」
「そうじゃ・・・。」

「婆さん、まだ動けたのか?」
 さきほど倒した筈なのにと蓮華が意外な顔をした。
「何、花梨ちゃんが、間際に、ワシにだけ毒粉から身を守る封じ手をかけてくれたんじゃ・・・。」

 女たちの間に、見えない闘気が立ち込める。
「升麻族の使い手・・・。どおりで、あかねより身軽な攻撃をし掛けてくると思ったね。」
 相手があかねではないことに、シャンプーはほっとしたようだった。正体がわかれば、不思議と焦りも解ける。
「なかなかしぶといね、コロン婆さん。」
 初めて蓮華が口を開いた。
「ふふん、あたりまえじゃ。さっきは油断したがのう・・・。こっちも、可愛い孫娘の将来が掛かっておるでな。それに・・・。」
 ちらりと入口の方を見やる。
「紫苑どの、出てきなされ。」
 コロンにはどうやら、蓮華と紫苑の連携がわかっていたようだ。

「わかったのなら仕方ないね。紫苑、もういいよ。入ってっ!」
 構えながら蓮華が声をかける。

 現れたのは二人目のあかね。

「げ・・・。あかねが、また一人・・・。」
 シャンプーが目を回した。
「ほお・・・。紫苑殿も、まだ、あかねの姿か。戻っていないなら、こちらにも有利。」
 にやりと笑った。男であればともかく、女の背格好だ。力も半減すれば、それだけこちらに有利に働く。コロンはそう計算していた。
 だが、升麻族の二人には、そんなコロンの皮算用など関係がなかった。どんな時にせよ、全身全霊、全速力を尽くして闘う。これが、また、戦闘民族のポリシーでもあったからだ。
「それはどうかな?」
 先に動いたのは紫苑。
「速いっ!」
 シャンプーの懐へと飛び込む。
「逃がさないね!」
 シャンプーは叫んで飛び道具をダンと投げつける。
「やたあーっ!」
 激しい気合が弾け飛んで、紫苑は己に向かって飛んでくる丸い武具を片手で叩き割った。
「そら、これではどうかな?」
 彼が着地した一瞬の隙を突いて、今度はコロンが杖を出した。沸き起こる旋風。飛竜昇天破の変型技だった。グルグルと巻き込まれる空気の渦。目の前が一瞬霞んだ。目を開けていられないほどの埃が舞い上がる。
「そらっ!」
 コロンはにやっと笑って、再び杖を前に出した。
「させないっ!」
 今度は蓮華が飛び込んできた。
「蓮華さまーっ!」

 ドオーン!

 音が弾け飛んで、岩壁が崩れた。乱馬の繋がれた逆の壁が、ずずずと雪崩落ちる。砂埃を巻き上げて、立っていたのは二人の少年と少女。今の爆風で、傍にあった水桶が飛ばされた。コロンの放った気技に、その中に入っていた水の温度が一気に上昇し、「湯」に変わったのだろう。
 蓮華も紫苑も元の姿に戻っていた。



三、

「なかなかねばるのう・・・。」
 コロンが笑った。
「乱馬と私の邪魔させない!」
 シャンプーはすっくとコロンの隣りに立った。
「自然の流れを壊すもの、邪まなこと、許さない。乱馬の相手、あなたじゃない。」
 言い放つ透き通る声。
「うるさいっ!黙るねっ!」
 ムキになったシャンプーが襲い掛かる。蓮華はその動きを察知して、すっと後ろに引いた。

「いかんっ!シャンプー!熱くなるなっ!」
 コロンは叫びながら前へ出ようとした。
「婆さんの相手は俺だ。」
 立ちはだかる紫苑。
 四つ巴の戦いである。
 乱馬は歯がゆく思いながら、動かない手を握り締めていた。目の前で繰り広げられる女傑族と升麻族の熾烈な戦い。岩が弾け、バラバラと音を立てながら天井や壁が崩れてくる。何時の間にか狭い石牢の天井がぽっかりと口を開いていた。
 空に浮かぶ月は、美しく、戦いを見詰めるかのように照らしつける。

 シャンプーは蓮華を追い続けた。蓮華は逃げるばかりで、一向にシャンプーに向かってゆかないのだ。
「卑怯ね!逃げるばかりで。打って来るねっ!」
 金切り声を上げながらシャンプーが責める。
「攻撃ばかりが戦いじゃないわ。」
「ふん!升麻族の女、逃げの一手か。こっちが疲れるの待ってるのだな?姑息な・・・。でも、私には通用しないね。打って来ないならこっちから行くねっ!」
 シャンプーは傍にあった剣を取った。
「あいつっ!」
 乱馬はシャンプーを見て叫んだ。剣を取ると、シャンプーは身体中の気を集め始める。彼女の身体が剣と呼応するように怪しく湯気を立てて光り始める。
「蓮華っ!気をつけろ!シャンプーは何か企んでやがるぜっ!」
 そう叫んだ。
「今頃気が付いても手遅れね。乱馬、しかと見るよろし。女傑族の秘技を!」
 得意満面そう叫ぶと、シャンプーは飛んだ。
「やあーーっ!」
 獲物を狙うしなやかな動き。気を込めた剣を蓮華に向かってゆっくりと振り下ろす。
「待ってたね。この瞬間を!」
 蓮華は身を翻すと、シャンプーと正面切って対峙した。
「な・・・?」
 剣を持ったままシャンプーが固まった。
「ふふ・・・。動けまい。シャンプー!」
 蓮華はにっと笑った。
 糸に絡みついたようにシャンプーの動きは封じ込められていた。

 よく見ると、蜘蛛の糸のようなものがシャンプーの身体に巻きついている。
「しまった!はめられたある!」
 悔しそうにシャンプーは睨みつけた。彼女が蓮華を攻撃することに集中している間に、蓮華は手からテグスのような糸を出して、身体に巻きつけたのだ。逃げる振りをして。
「シャンプー!」
 コロンが横からそう叫んで、シャンプーの体と蓮華を繋いでいる糸を切ろうと飛び込んで来た。
「紫苑っ!」
 蓮華の叫びに呼応するように、今度は紫苑が動いた。
「やあーっ!」
 両掌を前に突き出すと、紫苑は人差し指と親指をくっつけた。その間から飛び出す、気柱。

「うわっ!」

 乱馬の周りを閃光が包んだ。

 ブツン!

 琴の弦が切れるような音がした。
 紫苑の放った気が、シャンプーと蓮華を結んでいた糸を切った音だった。
「きゃあーっ!」
 悲鳴がしてシャンプーが後ろ向きにどおっと倒れた。糸を切られた反動で飛ばされたのである。激しく壁面へ身体を打ち付けられた。シャンプーはそのまま意識を失ってしまったのか、だらりと床に倒れ伏した。
 ふわっと糸が空に舞いながら落ちてくる。まるで幕を引いたように。

「勝負あったな・・・。婆さん。」
 乱馬がにやっと笑ってそう吐いた。
「何をっ!まだまだじゃっ!」
 コロンはきつい顔をしてそれに答えた。
「無理しねえほうがいいんじゃねーか?」
「何をっ!」
「そのまんま、戦いを続けて、みすみすシャンプーを見殺しにする気かよ・・・。」

「乱馬の言う通りね。コロン婆さん。」
 蓮華が糸を絡めながら言った。
「この糸、升麻族の絹糸。シャンプーの身体に巻きついた糸へ紫苑が気を送ると、一緒に燃え上がる。ほら。」
 空から降りてくる切れた糸に向かって、今度は紫苑が赤い気を打った。ボッと音がして炎が燃え上がる。
「ぐぬ・・・。」
 コロンはわなわなと杖を握り締めた。
「婆さんだって、無事じゃねえはずだぜ。立っているのがやっとだろうが・・・。」
 乱馬は静かに言い放つ。蓮華とシャンプーを結んでいた糸を切った紫苑の気砲は、同時にコロンにも命中していたのである。
 コロンの右腕から赤い血が滴り落ちていた。
「この勝負は、升麻族の勝ちだ・・・。邪まな気が入り込まなかった分な。」
 乱馬は無表情で言い放った。

「しょうがあるまい。」
 コロンが肩を落とした。
「わかった、おぬしらの良いようにしろ。」
 吐き捨てるように言った。

 蓮華はにっこりと微笑むと、乱馬の傍に立った。
「乱馬、その鎖、外してあげるね・・・。」
 そう言うと、やおら、耳につけていた薄ピンク色のピアスを取り外した。
 すると、ピアスが怪しく光り始めた。

「何だこれは・・・?」

 ピアスの光に呼応して、乱馬を縛り付けていた鎖が一緒に光はじめる。
「この手枷(てかせ)、升麻の魔石使ってある。だから、これを使わないと外せない。」
 ぽおっと暫く光っていた手枷へ何かの波動が伝わっているような気がした。
「魔石の力消えた。乱馬。」
 にっこりと蓮華が微笑んだ。
 バラバラと音をたてて手枷が開いた。
「ありがてえ・・・。」
 すっぽりと乱馬の手が手枷から抜け落ちる。
「これで乱馬、呪縛から逃れられた。もう、自由に動ける。」
 手首を擦りながら、乱馬はほっと息を吐いた。

「おっと、こうしちゃいられねえ・・・。あかねを助けに行かねえと・・・。」

「やっぱり、行くのか?婿殿。」

 傍らで沈んでいたコロンが声をかけた。

「あったりめえだ・・・。あかねは、俺の許婚だ。だから、この手で取り戻す。」
「その命、惜しくはないのか?」
「ふん!俺を誰だと思ってやがる。俺は、早乙女乱馬だぜ・・・。誰にも負けねえっ!例えこの命が果てようとも、俺は俺の意志を貫く。あかねは・・・。あかねは誰にも渡さねえ。それが、化け物だろうが神様だろうが、な。」
 澄んだ瞳であった。
「良かろう・・・。此度(こたび)は諦めよう・・・。」
 コロンはそう言い置くと、倒れこんでいるシャンプーの手から刀剣を掴み取ると、さっと、乱馬に差し出した。
「何の真似だ?婆さん・・・。」
 真意を図りかねて乱馬が声を出す。
「これは、女傑族に伝わる、伝説の宝剣じゃ。何かの役に立つだろうて・・・。おまえの気に呼応してきっと助けてくれるじゃろう・・・。シャンプーが愛した男じゃからな。」
 乱馬はその剣を受け取るべきか否か、一瞬迷った。女傑族の宝剣ということに素直に手にする気持ちになれなかったのである。
「疑り深い奴よなあ・・・。大丈夫じゃ。おぬしが心配しているような事態にはならぬよ。今日のところは諦めたとはいえ、おぬしがシャンプーの婿候補だということは変わらん。おまえに死なれる訳にはいくまいでな。それに、黄幡族の羅公と闘うのに、丸腰では辛いぞ。」
 コロンはふっと笑みを浮かべた。本音なのであろう。
「わかった。使わせてもらうぜ。」
 乱馬は静かにそう言うと、剣を手に取った。美しく青く光る刀剣であった。磨きこまれている。彼はそれを鞘に収めると腰に差した。

「ならば、急げっ!月が沈んでしまうとあかねの捕らわれている世界は分離してしまうでな・・・。婿殿、生きて帰って来いよ。」

「ああ・・・。」

「乱馬っ!こっちよ。私たちで案内するある。」

 蓮華が天井にぽっかりと開いた穴から上へと上り始めていた。

「待ってろ!あかねっ!絶対に俺がおまえを連れ戻して見せる。」
 乱馬はそう吐き出すと、きっと上を見詰めた。
 月が蒼白く輝く。まるで、ここまで登って来いと云わんばかりに挑戦的な光を発しながら。



つづく



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