第四話 後の月の陰謀

一、

 漣(さざなみ)の音が緩やかに聴こえてくる。
 穏やかな海面は空を美しく照らし出し、鮮明なブルーに光り輝いていた。
 季節外れの海岸には、人影もまばらで、夏の喧騒が嘘のように静かだ。

「わあ・・・。これが海。」
 生まれて初めての海の景色に、蓮華は色めきだった。
 渡る浜風は、彼女の頬をゆっくりと撫ぜて通る。十月の中旬。昼間の太陽にはまだ力が残っている。暑くもなく寒くもない。丁度良い気候。
 湿度の高い日本では、体感温度が快適な季節は、本当は短いのかもしれない。
 空も海も穏やかで、ここだけ時の流が止まってしまったかのように悠然としていた。

「本当に初めて見たのかよ・・・。海。」
 ごそっと後ろから乱馬が紫苑に言葉を投げた。
「日本に来る途中、飛行機から下界の海見た。でも、それは遥か窓の下。海の風感じる。蓮華さまも私も初めて。」
 紫苑は心なしか嬉しそうに乱馬に話す。
「珍しいもんでもねえだろうに・・・。」
 打ち寄せる波に感激している少女を見ながら、乱馬は溜息を吐いた。
 ここはとある首都圏から少し東へ行った海岸。
 夏には天道家こぞって泳ぎに来る場所でもある。
 だが、今はオフシーズン。夏場は賑やかに並んで居た蔀屋は、今はひっそりとしている。海岸に沿って延々と続く松林。散歩の人もまばらだ。本当に夏場だけのリゾート地なのだろう。こうやって季節外れに来る客も珍しかろう。
 訊くところによると、紫苑の曾祖母、花梨の友である、コロンが宿を手配したのだという。
 大方の宿は夏場だけの限定であるが、中には、釣客などを当て込んだ料理旅館があるのだという。
 コロンの牛耳る店、猫飯店も、夏場はこの海岸で店を出している。コロン婆さんが、この辺りの旅館に通じていても、何ら不思議なことはないだろう。
 宛がわれた宿屋は、古い日本家屋。いかにも、という感じの「旅館」であった。勿論、畳敷き。
 物珍しさも手伝ってか、蓮華はすこぶる機嫌が良かった。
 この様子なら、風林館高校で引き起こした自殺騒動も避けられるかもしれないと乱馬は安直に考えていた。
 当の本人、蓮華は既に自殺願望は消えうせているとあかねには話していたが、いつまた水へ飛び込むとも限らない。紫苑はつかず離れずの「適正な距離」を持って蓮華を見守っていた。
「二人きりで遠くへ出かけるなよ。」
 乱馬もあかねに釘を刺すことを忘れなかった。
「わかってるわよ。」 
 あかねはぶっきらぼうにそう答える。己も泳げないのだ。出来る限り乱馬や紫苑から離れない方がいいことはちゃんとわかっているつもりだった。
 彼らに付き添って、お祭騒ぎ好きの天道家の面々もくっついて来たがったが、今回は遠慮してくれと紫苑に言われたらしい。紫苑にとっては邪魔者はできるだけ少ない方が、蓮華を守りやすいと思ったのだろう。蓮華と紫苑、乱馬とあかねの二組のカップル以外の同行者は花梨とコロンだけであった。
 勿論、部屋は男同士、女同士の二部屋だ。何があっても良いようにと、襖の間仕切りがあるだけの簡素な部屋。
 最初は嫌がった蓮華であるが、
「何かがあっては困ります。これが海へ来る条件でありますから。」
 と紫苑に押し切られた。
 あかねも、襖一つだけの衝立で、乱馬と共に居るのは、何となく気が引けたのだが、紫苑がそう諭すならば仕方がないと文句は言わなかった。
「緊急時以外はぜーったい、こっちを開いて入って来ないでよねっ!!」
 と乱馬に睨みを利かせた。
「うるせー。誰が、おめえみたいな色気のねー女の部屋なんか入りたいもんかっ!」
「ぬあんですってぇー?」
 と、万事いつもの調子である。
 出かけに父親たちから
『何があっても父さんたちは一向に構わないからね。乱馬くん、あかねを頼むよ。あかねもしっかりな!』
『乱馬よ、しっかりあかねくんを守ってくるのじゃぞ。少しは進展して来いっ!』
 と散々、訳のわからないことを言われて送り出されて来た。子供の気持ち親知らずとはよく言ったものだ。乱馬もあかねも呆れ果てて物が言い返せなかった。このぶっ飛んだ親たちは、男と女の関係を結んで来いとでも言わんばかりの口調で二人を送り出したのである。
 花梨とコロン、二人の婆さんたちの部屋は、若者たちの部屋とは少し離れたところに取ってあった。
 季節外れ故、泊り客はまばらだ。

「今夜、頃合を見計らって決行するでな・・・。」
 花梨とコロンは海の見える縁側に陣取ると、頭を付き合わせてひそひそやっていた。
「本当に、今夜、奴が現れるのか?」
 半信半疑という目をコロンが向ける。
「間違いない。気の乱れが生じた。ほれ、見よ。」
 花梨は手荷物の中から何やら怪しげなソフトボールくらいの透明な蒼い玉を取り出してコロンに見せた。
「ほお、これは?」
「わが一族に伝わる、宝玉じゃ。」
 そこに映し出されたのは、もくもくと立ち上がる黒い煙のような闇。
「昨日まではなかったでな・・・。ふふ。黄幡界の扉が開いたのだろうよ。」
「これがその卦か。」
 花梨がにやっと笑った。

「じゃがしかし、今まで嫁御なら腐るほど取って黄幡へ引き上げておるのじゃろう?」
 コロンは不思議そうに玉を見詰めた。
「奴の毒気に当って、子を産み落とす前に、皆、死んでしまうという噂じゃ。」
「ほお・・・。それは面妖な。」 
 花梨は声を潜めながら続ける。
「彼の身体は永年の修業で、猛毒の血が流れておるというでな・・・。それで、こたびは蓮華さまへ白羽の矢が当てられたわけよ。蓮華さまも武道はかなりの腕がおありじゃからな。」
「なるほど・・・。ならば、あかねでも充分・・・。」
「代役は勤まる。強い娘御なら、例え蓮華さまでなくても・・・。」
 息を大きく吸い込むと、花梨は話を続けた。
「この扉は年に一度しか開かぬ。そう、羅公は十三夜の月夜しか、この世界へ自在に現れることがないのじゃよ。彼の妖力が最大になる後の月の日しかな。だが、後の月の日の彼は最強じゃ。」
「そして、嫁御を取りに来るのか。」
「そういうことじゃ。」
「それを紫苑や蓮華は知っておるのか?」
 花梨は首を横に振った。
「あの子らに、時限は切ってはおらん。蓮華さまの嫁ぐ日は知らんのじゃよ。この日のことを知っているのはワシと蓮華さまの父だけじゃ。」
「ほお・・・。蓮華の父御も・・・。」
 コロンが目を細めた。
「闇から闇へ葬る陰謀もあるのじゃよ。」
 花梨がそう言ったのを受けてコロンが呟いた。
「蓮華の父御もそれを臨んでおる・・・ということじゃな。あかねを身代わりに仕立てて、そして、蓮華さまを守る・・・か。」
 にんまりと花梨が微笑み返した。
「蓮華さまが茜溺泉に入水されようとしたときから、考えてきた奇策じゃからな・・。」

 彼女たちの姦計の向こう側で夕陽が輝き始める。秋の夕べは釣瓶落し。さっきまで煌々と輝いていた太陽は、もう、真っ赤に燃え始めていた。海面を照らす光が眩いほど美しい。

「さて・・・。そろそろ、支度せぬとな・・・。」
 ゆっくりと花梨が立ち上がった。
「そうじゃな・・・。まずは第一段階じゃな・・・。」
 夕陽に照らされて、花梨が持つ宝玉は怪しく真っ赤に光り始める。


二、

「もう陽が沈む・・・。」
 花梨とコロンが蠢き始めた頃、感慨深げに蓮華は海岸を見詰めていた。
 砂浜で遊びながら、彼女は海の夕陽を飽かずに眺めている。
「日が落ちたら、お月様もほら・・・。東に。」
 反対側の松原の上に、ぽっかりとこれまた赤い月が昇り始めていた。
「あれが、海に渡ってゆくのだな?」
「そうね・・・あっちが西だから。今日は後(のち)の月、十三夜だって、出掛けに早乙女のおばさまが言ってたわ。」
 十三夜。そう、旧暦九月十三日の月をさす。所謂、「十五夜」の仲秋の名月は、旧暦八月十五日の満月をさす。それに対して、ひと月遅れの後の月を、愛でる風習が日本には古来からあったらしい。

 背後で見守っていた乱馬が、大慌てでどこかへ掛けてゆく。
「どうしたのかしら?」
 あかねが彼を目線で追うと、紫苑がふつっと言った。
「用足しに行くと乱馬言ってた。」
「あ・・・。トイレかあ・・・。もお、風情も何もないんだから・・・。」
「小水、これ、生理現象。仕方ないね。」
 紫苑がそう言うと、ふっとなずんだ視線を少しはなれた蓮華に向けた。物憂げな優しい視線を送る彼に、あかねは一瞬はっとなった。
「やっぱり・・・。紫苑くん・・・。」
 声にならない囁きを紫苑の横顔に返していた。


「ちぇっ!いちいち宿屋に戻らねえと手洗い場はないか。」
 乱馬はとととと駆けながら呟いた。夏場なら、そこここに簡易トイレも立っているが今は、秋。海水浴客は居ない。
 宿屋の玄関を駆け抜けて、だっとトイレに駆け込む。
 小水を済ませて、ジャブジャブと水で手を洗う。と、途端変身を遂げる。
「たく・・面倒な体だぜ・・・。」
 洗面所の鏡を見ながら乱馬はほおっと溜息を吐いた。このままでは具合が悪い。すぐに部屋に戻って、置いてあるポットの湯を頭から被ろうと思った。
 と、その時、禍々しい視線を背後に感じた。
「だ、誰だ?」
 乱馬は顔を上げて鏡を覗いた。
「ば、婆さん・・・。」
 そこには花梨が立っていた。
「はー、驚くだろっ!音もなくバックを取りやがって。」
「ほほほ、流石だのう・・・。コロンが孫娘の婿にと見込んだだけはある。」
 花梨はさっと、彼の目の前に、さっき、部屋で覗いていた宝玉を差し出した。
「何だ?それ・・・。」
 乱馬は差し出された玉を見た。
「これか・・・。わが一族に伝わる宝の玉じゃ。」
 そう言うと花梨はそっと掌でそれを撫で始めた。乱馬はその動きに次第に目が虚ろになってゆく。

(術にはまれ・・・。乱馬よ、くっくっく・・・。)




「ちょっと、乱馬ったらあ・・・。トイレにどれだけ時間食ってるのよっ!!」

 あかねの声にはっと我に返った。
「あれ?俺・・・。」
 手洗い場の水が流れっぱなしになっている。
 きゅっと捻ってそれを止めると、慌てて外へ出た。もう日がとっぷりと暮れて、辺りは暗闇が広がっている。蛍光灯の頼りなげな青い光が、眩しい。
「もお・・・。長いことトイレに立ったまま帰って来ないからさあ、心配しちゃったじゃん!」
 あかねが少し怒った口調で乱馬を見詰めていた。
「小水じゃなくて、大きい方だったあるか?」
 紫苑がぼそっと言った。
「そんなんじゃねえっ!」
「何、恥かしがってる?生理現象、これ自然の道理。」
 毒気もなく言い含める紫苑に、乱馬はぶすっと口を結んだ。
「それより、夕食よ・・・。早くいらっしゃいな・・・。」
 あかねが呼んだ。


 旅館の料理はごくありふれたお膳。日本人なら誰もが馴染む、野菜の炊き合わせや新鮮な刺身、てんぷらの盛り合わせなど。蓮華と紫苑は目を輝かせてご飯にありつく。食事の量も嗜好も彼らは独特であった。いや、本当に、蓮華も年頃の娘としては、かなりの量をぺろっと平らげる。その食べっぷりは見事なものであった。
「たく・・・。升麻族って奴は大飯食らいの味音痴なのかよう・・・。」
 乱馬がそう愚痴をこぼしたほどである。


 食後に、海岸へ出てみようということになった。
 海に臨む月を見てみたいと蓮華のたっての願い事を叶えるためである。
 砂浜はひんやりと冷たい感触であった。夜風が少し肌寒い、そんな秋の夕べだ。
 真夏と違って、花火を楽しむ観光客もなく、辺りは乱馬たち一行以外の影はなかった。

 月がぽっかりと天上に輝いていた。キラキラと青白い光が、海面に照り返し、不思議な美しさを称えている。
「綺麗。」
 蓮華は簡単の溜息を吐いた。
「かぐや姫が天上へ帰ってゆきそうなくらい、澄んだ綺麗なお月様ね。」
「かぐや姫?」
 蓮華はあかねを見返した。
「日本の昔話に出てくるお姫様よ。月の国から地上に降りてきて、また月に帰って行ったという伝説のね。」
 あかねはふつっと言葉を継いだ。
 寄せては返す波の音と、白い月。
 静かな幽玄の世界がそこに広がっている、そんな気がした。


「ふふ・・・。第二段階じゃ・・・。」
 コロンはそう言うと、花梨を促した。
「そうじゃな・・・。どら、蓮華さまにはお気の毒じゃが・・・。溺れて貰おうかな・・・。」
 花梨は懐から、また、小さな笛を出した。風林館高校のプール脇で使ったあの小笛である。
「蓮華さま・・・。そのまま海へ入水なさるがいい・・・。」
 花梨は笛を口に宛がうと、ゆっくりと吹き始めた。
 特殊な波動で音が出ているのだろう。普通の人間には聴こえない音域で笛は鳴り始める。見ただけでは、花梨が吹き真似をしている風にしか見えないのだ。

 蓮華の耳にその音は静かに浸透しはじめた。
「蓮華さま?」
 紫苑ははっとした。蓮華の気の流が心なしか変わったような気がしたからだ。残念ながら、紫苑には花梨の笛の音が聞こえなかったのだ。
 蓮華は何かに操られているように、海の端を見詰めた。
「まさかっ!」
 紫苑はだっと駆け出した。
「どうした?紫苑っ!」
 乱馬も後を追う。
「蓮華・・・ちゃん?」
 あかねも蓮華の異変に気が付いたようだった。
 蓮華は放心したまま、海に向かって歩き始める。
「蓮華ちゃんっ!!」
 あかねが追い縋るのを嫌がるように振り切ると、波打ち際から真っ直ぐと海に向かってゆく。最初は足から水に浸かる。そして、腰、胸・・・。蓮華は真っ直ぐに歩くだけ。勿論、あかねの姿に変化してゆく。
「乱馬っ!紫苑くんっ!」
「お、おうっ!」
「任せとけっ!」

 バシャバシャと駆ける音がして、二つの影が海へと入って行った。
「蓮華さまっ!!」
 無我夢中で紫苑は歩みを止めない蓮華にしがみ付いた。
「乱馬っ!早くっ!」
「よっし!」
 二人がかりで蓮華を取り押さえた。
「畜生っ!何だってんだ?」
 乱馬はそう吐き出しながら、渾身に力を篭める。
 蓮華はそんな二人を尚も振り払って、入水しようと動いている。
「こいつ・・・。何かに操られているのか?」
 そう乱馬が吐き出した途端だった。
「蓮華さまっ、ごめんっ!!」
 紫苑が蓮華の鳩尾に、一発当て身を食らわせた。
 どおっと倒れこむ蓮華。それを懸命に受け止める紫苑。勿論、二人ともあかねに見事に変化していた。紫苑は気を失って身を預けてきた蓮華を抱えると、海水を滴らせながら海からあがった。

「どうして・・・?蓮華ちゃん・・・。」

 あかねは月明かりを背に、そう話し掛けていた。

(これは蓮華の意志じゃねえ・・・。何者かが、蓮華を操っている・・・。)
 乱馬は無言で三人のあかねの影を見詰めた。


三、

「ほお・・・。そんなことがあったのか。」 
 大事を聞きつけて駆けつけた花梨とコロンがわざとらしく演技しながら乱馬たちを見た。
「ああ、間違いない。こいつ、誰かに操られている。どういう魂胆でそうするのかわからねえが・・・。」
 乱馬は湯を被り男に戻るとそう吐き出した。
 紫苑は黙ったまま口をへの字に結んでいる。
 あかねの姿のまま、蓮華は蒲団に寝かされていた。
「紫苑・・・。悪いが、これだけの材料を集めてまいれ。気付け薬を煎じてやろう。」
 花梨は何やら墨で描かれた紙の切れ端を紫苑に託した。
「わかりました・・・。ばばさま。大急ぎで揃えて参ります。」
「うむ・・・。気をつけてな。」
 
(ふふ、第三段階も上手くいったようじゃのう。紫苑を上手く遠ざけよったわ。)
 花梨の目が怪しく光った。
 コロンは無言で花梨に合図を送った。
(第四段階、開始といくかのう・・・。)
 軽く頷くと、花梨は乱馬に向かって言った。
「おそらく・・・。これは羅公の仕業に違いあるまい。」
 花梨は深刻ぶった声でその場に残った乱馬とあかねに説明し始めた。
「羅公って、蓮華ちゃんを嫁にしたがっている、一族の?」
 コクンと頷きながら花梨は続けた。
「実はのう・・・。今日は羅公が蓮華さまをさらいに来ると予言してきた日なのじゃよ・・・。」
「な、何だって?」
 乱馬の声のトーンが変わった。
「花梨ちゃんたちはのうはそれを避けるために日本へ逃れてきた。それが本当のところなんじゃ。」
 コロンがいかにもという具合で後に続けた。
「じゃあ、まさか、さっき、花梨ちゃんが海に入ろうとしたのは・・・。」
「羅公は黄幡、即ち、常世界に住む仙人じゃからのう・・・。大方、綿津見(わたつみ)へ連れてゆこうとしたのではあるまいかのう・・・。」
 花梨が困ったという表情を浮かべて見せた。
「けっ!小賢しい奴だぜ・・・。」
 と、生温かい湿った風が海のほうから吹き抜けてくる。明らかに何か潜んでいる。そんな風であった。
「来たか・・・。」
 コロンが外を見上げた。
「ああ、気の流れが変わりやがった。」
 乱馬もじっと外を睨んだ。
 コロンと花梨は互いに目を見るとコクンと合図をしあった。
「お願いじゃ。蓮華さまを守ってはくださらぬか。」
 花梨は一世一代の大芝居に出た。
「任せとけっ!妖怪だか仙人だかしらねえが・・・。そういうことなら。」

 コロンの目があやしげに光った。」
(くくっ!かかったのう・・・婿殿。)
 流行る気持ちを抑えて二人に向かい合う。
「羅公はあやかしの術を使う。ワシらと共に、戦い抜いてはくださらぬか・・・。」
「そうね・・・。そういうことなら、仕方ないわ。」
 あかねも身構えた。
「けっ!俺にかかればそんな奴。」
「頼もしい味方ができて良かったのう。」
 コロンは目を細めた。
「では、羅公に会いに行くかのう・・・。」
 花梨は立ち上がった。

「何処へ行くんだ?」
「海岸じゃよ・・・。ここで暴れる訳にはいかんじゃろう?幸い、夜中の海辺じゃ。少々暴れても。」
「迷惑にはならないって訳か・・・。」
「そうじゃ!二手に分かれて、婿殿はワシと、あかねは花梨ちゃんと行動を共にしよう。」
「わかったわ。」
「よしっ!」
 乱馬もあかねもだっと立ち上がる。
「あかねっ!無理はするなよ・・・。引くときは引けよ・・・。おめえは泳げねえ。海を背にだけは絶対にするなっ!」
 気遣いの言葉を乱馬はこそっとあかねにかける。
「大丈夫よ、あんたもね・・・。」
 
(今生の別れになるとも知らずに・・・。けなげなことじゃな・・・。)
 コロンはそう心に呟いていた。

 海は暗がりが広がっていた。
 月が天上から照らしつける。
 確かに、何処からともなく、妖気が漂い始めている。
「すげえ、妖気だ。身体にビンビン来るぜ・・・。」
 乱馬は砂浜に身構えながら、コロンに吐き出した。
「婿殿・・・。怖気ついたか?」
「けっ!そんなことはねえやっ!」
 勝気な乱馬は胸を張ってみせる。

『蓮華はどこだ・・・・。私の嫁御は・・・。』
 
 海鳴と共に、そんな声が響いてきた。

「来たぜっ!」
 乱馬はサッと構えた。
 海の端から何か黒くて大きな物が蠢いていた。
「な、何だ?あれは・・・。」
「黄幡族の棲む世界への入口じゃよ・・・。ワシも初めて見るがのう・・・。」
 そいつはだんだんと形を現して来る。もくもくと煙に浮かぶ、岩の洞穴。そんな感じの物だった。海の端に向かってぽっかりと口を開く闇への入口。
 風が轟音を立てはじめた。
「扇風機みてえに、吸い込み始めやがったぜ。」
 傍にあった小船がバキバキと音を上げて闇に吸い込まれた。

「行くぜっ!婆さんっ!先手必勝だ・・・。」
 乱馬が駆け出そうとしたときだった。
 コロンが何やら、金粉のような光る粉を乱馬へとだっと投げつけた。
「婆さん?」
 その粉を全身に浴びて、乱馬が咳き込んだ。
「行かぬとも良い・・・。婿殿はな・・・。」
 コロンが不敵に笑っている。
「どういうことだ・・・。」
 そう言っている先から手足が痺れ始めた。
「升麻族伝来の痺れ薬じゃそうじゃ・・・。ほっほっほ・・・。」
「まさか・・・。婆さん。」
 乱馬はガクガクと膝から砂場にへたりこんだ。
「ふふふ・・婿殿はそこで見物しておるがよかろう・・・。」
 体の自由が利かなくなりながらも懸命に動こうとする乱馬であったが、無駄なあがきであった。

 その頃、あかねの身にも異変が起こっていた。
 あかねの目の前にぽっかりと開いた穴。そこへいとも簡単に引き込まれてゆくボートを見ていた。
「あそこに蓮華さまを吸い込む魂胆じゃな。」
 あかねの脇で花梨が忌々しげに呟いた。
「だが、そうはさせぬ・・・。」
 花梨はにっとあかねに笑いかけた。そしてさっと動いた。
「お婆さん?」
 と、あかねは花梨に後ろから羽交い絞めされた。
「ちょっとっ。」
 婆さんのものとは思えない馬鹿力であかねは押さえ込まれてしまった。

『おお、花梨。約束どおり花嫁を貰い受けに来たぞ。』
 穴からおどろおどろしい声が聞こえてきた。
「ほうら・・・約束どおり、ここに連れてきた。」
 えっという表情をあかねは手向けた。
『おお、そなたが、蓮華殿か・・・。ん?前に見初めた姿とはちょっと違うようじゃが・・・。』
「ちょっと待ってよ。あたしは蓮華じゃないわっ!」
 そう言おうとしたが、口を布切れで覆われてしまった。
「ほっほっほ。蓮華さまはあの後、呪泉郷で溺れなさってな。水に滴ると、ほれこのとおり、違う娘へと変化してしまわれる身体になられたのじゃよ。」
 花梨がにやりと笑った。
「風の噂でそうお聞きになりませなんだかな?羅公さま。」
 と付け加えるのも忘れなかった。
『そう言えば、呪泉郷の茜溺泉とかいう泉に落ちたと聞き及んだ。確かに・・・。ほお、変身した姿がその少女か。なかなか可愛いぞ。ワシの好みじゃ。』
 あかねは足掻いたが、如何せん、口を塞がれていて全く物が言えなかった。
「それでは確かに、花嫁御をお渡しいたしましたぞ・・・。」
『恙無く。この少女なら、今度こそワシの子孫を残してくれそうじゃ・・・。』
 ご機嫌な声が響き渡る。
「ふふ・・・。来年の今頃はお子様をお連れで起こしなされ。」
『そうしたいものじゃな・・・。では、ありがたく、いただいてゆこうか・・・。』
 
 声と共に、穴倉から何か触手のようなものが伸びてきた。
 それは、あかねを絡める。まるで大事なものを抱え込むように。
「今しばらく、蓮華の振りをしてもらおうかのう・・・。どっちにしてもおぬしはあやつ、羅公に気に入られたようじゃがのう・・・。しばし、眠ってもらおうか・・・。」
 ふっとあかねに粉を吹き付けた。
「う・・・。」
 あかねは身体中が痺れるのを感じていた。意識が遠ざかる。
「乱馬・・・。」
 薄れる下であかねは乱馬の名前を呼んでいた。
 
 あかねはそのまま、抱え込まれるように、穴の中へと飲み込まれてゆく。
『またな・・・。升麻族の首長に宜しくな・・・。』
 そう声がすると、すうっと穴は小さくなる。そして、再び海は下の静けさに戻ってゆく。


「あかねーっ!畜生っ!」
 乱馬は最後の力を振り絞ろうとしたが、徒労に終わった。
「婿殿にも、しばらく眠ってもらおうかのう・・・。」
 コロンは持っていた杖を立てるとそれで乱馬の鳩尾をトンっと突いた。
「あかね・・・。」
 名前を呼びながら彼の全ての意識がゆっくりと暗転していった。



つづく



(c)Copyright 2000-2005 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。