第二話  蓮華とあかね

一、

「で、連れて帰ってきちゃったの?」
 あかねが怪訝そうな顔を向けて、乱馬たちを見渡した。
「しょうがねえだろ・・・。天道家なら部屋がたくさん空いてるだろって、シャンプーんとこの婆さんに言われたしよ、おじさんだって快諾しちまったんだから。」
 乱馬は不機嫌な顔をしてあかねを見返した。
「それに、この子、あんたに会いたがってたんだから・・・。いいじゃない。別に・・・。」
 なびきが口を挟んだ。

 ここは天道家の茶の間。
 夕方になって乱馬たちの姿が見えないことを不審に思いつつ、かすみと一緒に夕飯の準備をしていたあかねの元に、突如、来訪した少女。
 そう、乱馬たちについて来てしまった彼女は、玄関から上がるなり、いきなりあかねに抱きついたのだ。無論、天道家は大騒ぎ。
「ちょっと・・・。あなた、誰?」
 あかねは水を切ったばかりの手をばたつかせて、いきなりの訪問者に驚いていた。
「こらっ!てめえ!何しやがる。」
 乱馬も焦って止めに入ったが
「これが私たち一族の挨拶流儀ね。」
 と訳のわからぬ受け答えで、少女はあかねに飛びついたのである。
 
 そんな、訪問と挨拶の一部始終の後、あかねは大まかな事情を、すぐ上の姉、なびきから説明された。そして、まだ納得はしていないものの、ことの成り行きを理解したところである。
「で、あなたが、蓮華ちゃん?」
「そうね・・・。よろしく、あかね。」
 彼女は屈託なく笑う。
「それから、あなたが・・・。」
「近衛(このえ)の紫苑ある。」
 とぺこんと頭を下げる少年。
「近衛?」
 不思議そうにあかねが聞き返すと、
「ああ、この蓮華に影のように寄り従い、守る役目の少年だそうだ。ほら、日本にも昔あったろう?近衛兵。」
 早雲があかねに説明した。
「一応、蓮華さんって、「升麻族(しょうまぞく)」っていう戦闘民族の族長の娘なんですって。だから、まあ、お姫さま御付の近衛兵みたいなものね。」
 なびきが付け足した。
「へえ・・・。中国の奥地からわざわざ日本へ来たんだ。観光に?」
 あかねはようやく警戒心を解き始めたようだ。
「観光、ない。嫁入り前の見聞のために来たね。」
 蓮華がぽつんとそれに応じた。
「嫁入り前?」
 あかねがきびすを返すと
「蓮華さまはもうすぐ十七歳になられるある。だから、一族の長が選んだ相手に嫁ぐこと決まった。」
 紫苑が無表情で答えた。
「へえ・・・。相手はどんな方?やっぱり、中国の奥地の民族の方なの?」
「まあ、そんなところね・・・。それより、私、お腹大変すいてる。」
 蓮華は話の腰を折った。
「丁度いいわ。あかねちゃんと一所懸命に作ったお夕食、たくさんあるから、お召し上がりくださいな。」
 かすみがにこやかに応対する。
「おい・・・。おめえ、作ったのか?」
 恐る恐る乱馬があかねに問い掛けてきた。
「そうよ。何?文句あるの?」
 あかねの目がギロリと乱馬を睨んだ。
「あ・・いや・・・。その別に・・・。」
 乱馬は口でもごもごと答えると、後ずさる。そう、あかねと言えば、無類の味音痴。出会った頃からちっとも進歩しない料理の腕は、逆天下一品。できればお相伴(しょうばん)に預りたくない物の一つであろう。それを客人が食した日にはどうなるか・・・。
 先には地獄が待ち受けている。
 だが、誰一人、そのことには触れようとしなかった。
(まあ、いいか。勝手に押しかけてきやがったんだし・・・。それに、あかねに化けて、いろいろ無銭飲食も働いてくれたみたいだからなあ・・・。こいつらにあかねの料理を押し付ければ・・・。)
 全く客人には失礼な話ではあるが、乱馬は心の中でそう呟いていた。

 並べ立てられた料理は、豪華絢爛。とまではいかなかったが、品数だけはあった。かすみが作った普通の料理に混じって、明らかに形がチンケな物が並んでいる。元の素材が何なのかわからない惣菜の数々。一見して、あかねの作ったものと分かるのが面白かった。
 少し遅めの夕飯だ。
 一同はいつものように茶の間で卓袱台を囲む。畳の上に座って食す食事が珍しいのか、蓮華の目は輝いていた。
「ま、一つ・・・。好きにやってくれたまえ。」
 早雲が促した。
「いただきまーす!」
 口々に決まりの言葉を張り上げると、これまたお決まりの夕食の風景。
 乱馬を始め、天道家の人々の箸は、自然、あかねの作ったものを選り分けて避けてゆく。これもまたいつもの食事風景。
「ねえ、あたしが作ったのもたくさんあるんだから・・・。しっかり召し上がれ。」
 あかねはにこにこと乱馬を見返した。
 ほら来た・・・。と乱馬は一瞬顔をしかめた。
「あ・・・。後で食う。」
 と一応返事。
「何よそれ・・・。後でって・・・。」
「あの、そ、それはだな・・・。」(空腹の中におめえの料理なんかぶち込んだ日には、胃がビックリしちまうだろうが・・・。おめえの料理はよっぽど腹を据えねえと食えないんだよ・・・。)
 語尾はごくんと飲み込んだ。
 こんなことを囁こうものなら、この平和な食卓は地獄と化すだろう。今日は客人も居る。
 珍しそうに料理を眺めていた蓮華に、乱馬があかねの料理を勧めた。
「これ、食ってみろよ・・・。」

「こら、乱馬、貴様、何てことを・・・。」
 玄馬が乱馬を睨みつけた。
「いいんだよ・・・。これで!誰かが食わなきゃならねえなら、犠牲者はこいつらでも・・・。それとも何か?親父はあかねの作ったもんを食う度胸あるのか?」
「ない・・・。」
「なら、文句言うなっ!」
 酷い話である。
 だが、あかねの料理の何たるかを全く知る由もない蓮華は、乱馬の言葉を素直に受けた。
「これから食べてみるあるか・・・。」
「待って、蓮華さま。先に私が毒味を・・・。」
 しゃしゃり出てきたのは紫苑だった。
「毒味って・・・。何よ。」
 あかねが憤慨しかかると
「私の役目ある。蓮華さまに変な物を食わすわけにはいかない。これ近衛としての当然の義務。」
 
「お、おい・・。乱馬、やばいのではないか?先にあの少年が毒味なんぞしたら・・・。あかねくんの料理に怒ってしまうかもしれんぞ・・・。」
 こそっと耳打ちする玄馬に
「そのときゃ、そのときだ。」 
 居直っているのか乱馬は憮然と言い切った。心狭きこの男、あかねに化けて無銭飲食騒動を起こした彼等に、良い感情を抱けずにいた。

 紫苑の箸が伸びた。そして、あかねの作った、こげ茶色の食材を取ると、口へと運び入れる。
 天道家の人々は、その様子をじっと固唾を飲んで見守った。
 どお?・・・と言いたげにあかねは紫苑を見た。
「こ、これは・・・。」
 紫苑の口がだっと止まった。顔色がみるみる変わってゆく。

「ほらみろ・・・。怒らせてしまったんじゃないのか?」
 玄馬がぼそぼそと乱馬に耳打ちする。
「やっぱ、まずったかなあ・・・。」

 だが、大方の予想に反して、紫苑はこう叫んだ。
「美味いっ!!」
 え゛っと言う表情を一斉に手向ける天道家の人々。
「これなら、蓮華さまも大丈夫。」
 にっこりと笑った紫苑を横目に見て、今度は蓮華が箸を取った。
「食す!」
 そう言って彼女の手も伸びた。
「ホント!美味しいっ!」
 頬張りながら蓮華が言った。

「な?んなわけねえだろ・・・。」
「どうれ・・・。」
「まさか・・・あかねの料理が・・・。」
 乱馬と玄馬、早雲は半信半疑でいつもは手出しもしないあかねの皿へと手を伸ばした。そして我先に口の中へと放り入れる。

「うっ!」「げっ!」「あがっ!」

 三人の動きが止まった。
 
「あーあ・・・。白目剥いちゃって・・・。バカね・・・。」
 なびきが茶を啜りながら吐き出した。
「たく・・・。それぞれ育った環境や食事の嗜好ってもんは違うんでしょ?あかねの料理があの子たちの口にあっただけで、あんたたちに馴染むとでも思ったの?それが間違いよっ!」

「ちょっと、お姉ちゃんっ!」
 あかねはきっと姉を見返した。
「ま、いいじゃない。あんたの料理でも、ああやって喜んでくれてるんだしさ・・・。手荒いことはなしよ。さてと、あたしも食べようっと。安心して食べられるわ。」
 なびきはしゃあしゃあとそう言い放つと、箸を取って食べ始めた。勿論、かすみが作った料理をである。

「うぐ・・・。升麻族って奴らは、味覚がないのか?あ、あかねの料理を好むなんて・・・。」
「無差別格闘流、破れたり・・・。」
「升麻族、恐るべし・・・。」
 次々に果てた男連中を尻目に客人たちは、もくもくと喜び勇んであかねの皿を平らげている。

 天道家の楽しい夕餉はこうやって過ぎていった。



二、
 
 食事が終わると、あかねは蓮華を道場へと誘った。
 夕食時の団欒で、彼女の一族もまた、武道を嗜むということを口にしていたからである。
 天道家の跡目として、武道を嗜む異民族の少女には大いに興味が湧いたからだ。
 夕食のお礼にと、蓮華は気安く付き合ってくれた。

「へえ・・・。ここが、あかねたちの道場か・・・。板張りなのだな。」
 きょろきょろとあたりを物珍しそうに蓮華は眺めた。
「蓮華さんたちの道場はこんな感じじゃないの?」
「違う。私たちの道場は天蓋がない。ただの広い野原で修練を積む。」
「まあ、それが本来の武道だぜ。野や山、何処でも道場になるんだ。早乙女流も道場は持たねえ・・・。」
 乱馬が腕組みをして立っていた。
「あんた、誰だ?」
 さっと、紫苑が構えた。
「あ、紫苑さん、大丈夫。彼は乱馬よ。そっか、さっきまで女の姿で居たものね。」
 あかねがそれを窘めた。
「乱馬?さっきの少女か?おさげがあるな。」
 紫苑はあかねに促されて戦闘態勢を解きながら不思議そうに言った。
「ええ。こいつもね、呪泉郷で溺れたの。女溺泉にね・・・。」
 あかねは笑って見せた。
「けっ!こっちが本当の俺だ。」
 乱馬は不機嫌そうに言い放った。どうも、紫苑と蓮華の二人とは相容れないのか、乱馬はずっと無愛想であった。
「何いばってんのよ・・・。ねえ、蓮華さんも、呪泉郷で溺れたって言ってたわよね・・・。」
「ああ、そうだ。溺れた。茜溺泉に。あかねが最初に溺れたという呪いの泉だ。」
「へっ!相当ドジを踏みやがったんだな。」
 乱馬は物怖じせずに言い放つ。機嫌は相変らず悪いらしい。
「ちょっと!あんまりな言い方じゃないっ!あんただって、ぼおっとしてたから女溺泉に溺れたんでしょうが?」
「うるせー。とにかく、そもそもなんでおめえは茜溺泉になんか溺れたんだ?呪泉郷で修業でもしてたのか?」
 一瞬の沈黙が蓮華と紫苑の上に降り注いだ。
「ま、そんなところね・・・。」
 こそっと蓮華が言った。 
「それはそうと、手合わせ・・・。あかね、強そう。蓮華、楽しみ。」
 にこっと笑うことも忘れなかった。

 二人は道場の中心へと進み出た。蓮華は彼女の国の道着に着替えていた。シャンプーの好む道着に似て、絹のさらさらとした上着と短めのズボンだ。真っ白な道着が眩い。
「構えてっ!」
 紫苑が手を上げた。
「礼っ!」
 静かに一礼をすると、構えた。礼を終えると、二人とも武道家の目になっていた。鋭い光が瞳に宿る。呼吸を整えて、いつでも来いと互いに牽制する。

「力は五分五分といったところか・・・。」
 乱馬は呟くように言った。
「おまえ、わかるか?二人の程度。」
 横に紫苑がスッと立った。
「ああ、おめえもわかるだろ?あの二人の闘気。ほぼ互角だってこと。おめえが、武道をやってるならな。」
 乱馬は表情ひとつ変えることなくそう切り返した。

 最初に動いたのは蓮華の方だった。
 あかねもほぼ同時に動く。
「たあっ!」
 床をドンっと蹴って蓮華が飛んだ。
「でやーっ!」
 それを目掛けてあかねが足を振り上げる。
「えいっ!」
 蓮華があかねの蹴り上げた足を鷲づかみにする。あかねは脚をつかまれたまま、くるっと体の向きを変え、今度は蓮華目掛けて拳を出す。
 あかねの反撃に蓮華は掴んだあかねの足をぱっと放した。
 二人の身体が宙で弾ける。
 すっと床に着地する二人。

「なかなかやるもんだな・・・。まあ、二人とも隙が多いが。」
 乱馬がにやりと笑った。
「さて、次はどんな攻撃を仕掛けてくるかな?」

 あかねは着地したところで低く身構えた。いつでも来なさい・・・目はそう誘っている。
「やあーっ!」
 蓮華は身体を後ろに軽く引くと、手を前に思い切り差し出した。

「気!?」
 
 乱馬が目を見張ると同時に、蓮華の翳した手から赤い炎のような気が飛んだ。
 やばいと思ってあかねを見やる。

「だあーっ!!」

 あかねは瞬時に、気合を入れた。
 
 バシュンッ!!

 蓮華の気が弾けて果てた。
 もくもくと煙が立ち込めて、辺りは焦げ臭い匂いが立ち込めた。

「気を打ち返したか・・・。」

 乱馬はほおっと息を吐いた。

 あかねは瞬時に、蓮華の気を見切っていたのだ。放たれた気を辛うじて、己の気をぶつけて凌いだのである。

「やるな、あかね。」
 にっと蓮華が笑った。
「そっちこそ!」
 あかねもつられて笑った。

「勝負、互角。これまで!」

 紫苑が二人の間に割って入った。
「えー?もっとやりあいたいあるね・・・。」
 蓮華が口を尖らせた。
「いいえ、これ以上遣り合うと、この道場、壊れてしまいます。ここは、升麻族の村、違う。ここ、日本ね。だからこれ以上本気になる。建物壊れて危険。蓮華さま、我慢ね。」
 窘めるように紫苑は蓮華を諭した。
「紫苑の言うとおりだな・・・。これ以上やると、おんぼろ道場が崩壊しないともかぎらねえぜ・・・。おめえら二人とも、強暴っていう点では、どっちも引けをとらねえぞ・・・。」
 もくもくとまだ湧き立っている煙を目の当たりに、乱馬は腕を組んだまま答えた。
 力のセーブがまるで出来ていないという乱馬の口調だった。

 あかねと蓮華は、仕方がないかという目を互いに交えて、道場の真ん中で、軽く会釈した。そう、終わりの一礼だ。

 勝負が終わってしまうと、今度はいい友人になる。これも世の常だ。
 一度対峙すると、大体相手の性格や心は感じ取れるものだろう。相手が己と精神が近しい人間であれば、打ち解けるのも早いというもの。
 丁度、あかねと蓮華はタイプ的に似たところがあった。勿論、個々の性格や性質を細かく見てゆけば全然違うのであろうが、大雑把には似ている。すぐに、打ち解けられた。あかね自身が、元来の人のよさを発揮したのかもしれない。が、手合わせしてから、蓮華とあかねはすぐに仲良くなっていた。
 何となく、余所余所しい、男連中とは違って、この少女たち、和気あいあいと互いのことを話しはじめた。
 乱馬は勝負が終わってしまうと、興味を無くしたのか、さっさと道場から姿を消していた。紫苑も、あかねと楽しそうに話しはじめた蓮華に気を遣ったのだろうか。何時の間にか二人の視界からは消えていた。

「あかね、あの乱馬という少年、どういう関係ね?」
 乱馬の存在が気になったのだろう。男連中が居なくなると、蓮華はこそっと尋ねた。
「許婚よ。」
「許婚?何?」
「婚約者、とでも言った方がいいのかな。」
「それ素敵な関係ね。」
「さあ、どうだか・・・。父親同士が勝手に決めてくれた相手だから。」
「そうなのか?あかねは乱馬好きじゃないのか?」
「・・・・・・。嫌いなわけじゃないわ。でも、彼はね、優柔不断なのよ。」
 ほおっと吐き出す溜息。そうなのだ。呪泉洞以来、近くなった関係とはいえ、彼は目立った愛情の表現は一切してこない。態度や口には殆ど出ないのである。実際、あかねのことをどの程度本気で捉えてくれているのか。将来、本当に結婚する意志はあるのか。全ては闇の中に包まれている。
「私、あかねに興味あって、日本来た。」
 ぽつんと蓮華が言った。
「え・・・?」
 その真意が掴みきれなかったあかねは、不思議そうに蓮華を見返した。
「私、中国の呪泉郷で茜溺泉に落ちた・・・。ほら、見るよろし。」
 蓮華は、道場の脇に置いてあったバケツを手に取ると、ざばっとやってみせた。
 みるみる身体はあかねと瓜二つになる。
「・・・。本当・・・。鏡の中を見てるみたい・・・。」
 あかねは己と寸分違わない姿に変化を遂げた蓮華を驚いて見返していた。
「呪泉郷の泉。最初に溺れた者の姿を写す呪いの泉。泉に落ちた後、呪泉郷ガイドが説明してくれた。『この泉、茜溺泉は、昨年、日本から来たあかねという少女が落ちた泉。彼女は想い人のためになら命も掛けられる強く気高い少女。この泉であかねに変身できることになった女性。きっと強い人間になって幸せになる。』と言ってた。」
 呪泉郷ガイドが尋ねてくる呪泉郷観光客にそんなことを話しているというのだろうか。
「私、強くなりたかった。幸せはともかく、あかねのように芯のある女性になりたいと願った。いつかあかねに会ってみたいと思うようになったね。これきっと、あかねに姿形、似てしまったせいね。」
「もお・・ガイドさんったら、大袈裟なんだから。」
 あかねは苦笑しながら受け答えた。
「あかねが想い人を助けた話、有名になってるね。ガイドさんの長女、プラムちゃんも同じこと言ってた。サフランとの戦いで死にかけたあかねが、愛する人のキスで目覚めたという話だって聞いたよ。」
「えーっ!ないわよ。そんな話。キスなんて!あたしは単に悪運が強かったから息を吹き返せただけよ。乱馬が、奥手の彼がそんなことするわけないわ。」
 真っ赤になって否定に走る。考えてみれば、初対面から間もない蓮華に、そんなことをムキになって話さずともいいのであろうが、あかねは根が正直なのだ。
「ふふ・・・。あかねの想い人やっぱり乱馬だな。」
 蓮華は楽しそうに言った。
「もお・・・。そんなんじゃないってば・・・。」

「あかね幸せね・・・。親が決めた許婚でも、心から愛せる。これ、羨ましい。」
 小さな声で蓮華は囁くように、月に向かって言葉を吐いた。

「え?」

 蓮華は寂しそうに笑うと
「風呂入らせてもらうね・・・。あかねのままじゃいろいろみんな迷惑するから。」
 そう言って道場を出て行った。
 屋根の上には、満月間近の白い月が、煌々と道場を照らし出していた。



三、

「何でおめえがそんな格好してんだよっ!!」

 朝からテンションが高い乱馬を尻目に、あかねはころころと笑い出した。
「いいじゃない。今日一日だけ、日本の高校生になりたいって蓮華ちゃんが言うんだもん。」 
 風林館高校の制服に身を固めた蓮華がそこに立っていた。
「似合うわよ・・・。かすみおねえちゃんのお古だけどね。」
 あかねはウィンクして見せた。
「だからあ・・・。そんな勝手なこと!!」
 つばきを飛ばして乱馬が二人を見詰めた。
「あら、その辺は大丈夫よ。お父さんが、担任のひなちゃん先生に頼んでくれたし。」
「いくら、ひなちゃん先生がおじさんに惚れているからって、そんな無理を頼み込んで。第一、あの九能の親父の校長がうんと言うわけねえだろうが・・・。」

「それなら大丈夫よ。昨夜のうちに、花梨婆さんが、正式に手続きしてくれたようだし・・・。」
 なびきがしたり顔で答えた。

「何だよその手続きって・・・。」

「視察ということで申し込みしたね。蓮華さま、日本の学校、覗いて見たがっている。これ、悪いことない。蓮華さま、もうすぐ、黄幡国の后になる。黄幡国繁栄のためにも役立つ経験になる、間違いない。だから、ちゃんと申し込んだ。」
 紫苑は乱馬に説明した。
「そうか、それであのババア、今朝早くから来てやがったのかよ・・・。たく、年寄は早起き過ぎていけねえよな・・・。それに、たかだか、一日の学校体験が国家の繁栄になるとは思えねえんだが・・・。」
 今朝方、さっきまで花梨婆さんが天道家に居たことを乱馬は思い出していた。
 花梨は夜が明けると不意に天道家に現れると、たったと蓮華の寝ている部屋へと入っていって、何やらごそごそと話し込んでいたのである。

「男なら、細かいことぐちゃぐちゃ言わないの。ほら、蓮華ちゃんだって、あんなにはしゃいでいるんだから。」
 あかねの視線の先には蓮華が居る。制服に袖を通して珍しげに鏡に映し出している。早く行こうと言いたげな視線をこちらへと送り込んでくる。

「蓮華だけならまだしも・・・。なんでおめえまで、そんな格好してんだよ!」
 乱馬は紫苑を流し見た。そう、彼も、学ランを着こんでそこにちょこんと立っていた。
「近衛の役目果たす、これ、義務。」
 と取り付く島もない。
「あ・・・そう。で、学生服かようっ!言っとくが、高校はコスプレの場じゃないんだぜ!」
「何てこと言うのよっ!」
 あかねが学生鞄でポカンとやった。
「乱馬ねえっ、服装のことはあんたがとやかくは言えないわよ。転校してもう一年以上経つって言うのに、あんた、まだ学ラン着ようとしないじゃない。いつもチャイナ服でさあ!」
「うーるせーっ!おれはこの格好気にいってんだっ!!」
 言い訳にもならない服装論を堂々と言う乱馬だった。
「ほら、あんたたち、早く行かないと遅刻よ!あたし、先に行くからね!」
 なびきがだっと駆け出した。
「ほら、乱馬っ!行くわよ!」
 あかねと乱馬も続いて家を出る。勿論、蓮華も一緒だ。青のジャンバースカートが輝いて見える。

「おまえな・・・。わかってるだろうが、蓮華は水を被ると変身するんだぜ!」
「大丈夫よ。水に近寄らなければいいんだから。ね?蓮華ちゃん。」
 蓮華は足取り軽やかに頷いてみせる。
「私、学校、初めての経験。大変、楽しみ。」
 と言ってることに脈絡もなければ屈託もない。
「畜生・・・。嫌な予感がするぜ。」
 乱馬は楽しそうに後に続く蓮華と紫苑を見比べて苦笑を浮かべた。
「そら、飛ばすわよ。蓮華ちゃんもっ!」


 学校へ着いてみると、案の定大騒ぎ。
 見慣れない二人が乱馬たちと校門を潜ったのだ。
 最初に咎めたのは九能。
「こら、早乙女っ!誰の許しを得て、不法侵入者を学内へ導きいれておるかっ!」
「誰が、不法侵入者だよ。」
「こら、そこの二人っ!風林館高校はピアスは禁止だっーっ!」
 全く見当違いなことを口走る九能であった。確かに、蓮華も紫苑も、見事な宝珠のピアスを耳に付けていた。
「これはわが、一族の誇りの印。外すわけにはいかないある。」
 紫苑がきっと九能を見返した。
「だとよ・・・。先輩。」
 乱馬は吐き出した。
「何が、一族の印だ!そんなもの、僕は認めんぞーっ!」
 九能は竹刀を振りかざして、紫苑目掛けて繰り出してきた。

「たく、石頭めっ!」
 乱馬が彼をおなそうとすると、それよりも早く紫苑が飛んだ。

「え?」

 電光石火の早さであった。
 紫苑は九能の切っ先を軽く避けると、彼の懐へとだっと飛び込んだ。
「何っ?」
 九能が振り替える頃には、紫苑の拳が彼の鳩尾(みぞおち)へと吸い込まれていった。
「う・・・。」
 呻き声を一声上げると、九能は前のめりに倒れていた。
 その一部始終を見ていたギャラリーたちから、感嘆の声が上がった。

「すげえ・・・。」
「あいつ、一撃で九能を倒しやがった。」
「乱馬とあいつ・・どっちが強いだろう・・・。」

 そんな囁き声が男子生徒の間から漏れる。

 乱馬は口をへの字に曲げたまま、校門を潜った。
 そこへ予鈴。
 生徒たちは一斉に、教室へと吸い込まれてゆく。乱馬とあかねもまた、教室へと急いだ。



「さあて、今日一日、風林館高校へ体験入学してくださる蓮華さんと紫苑くんを紹介しておきます。お二人は中国からはるばる、日本へ視察に来られたそうでーす。良い子の皆さんは、今日一日、仲良くしてあげてくださいねーっ!!」
 ひなちゃん先生の元気な声が響いた。
「ちぇっ!何で俺たちのクラスに編入なんだ?」
 乱馬はぶつくさ言っていた。
「いいじゃん。うちに寝泊りしてもらってるんだし。」
 あかねはくすっと笑った。
「天道さん、早乙女君、君たちに、二人は任せるから、しかり、面倒みてあげてね。」 
 ひなちゃん先生がにこやかに二人に話し掛けた。
「はい、先生。」
 威勢のいいあかねに比べて、乱馬はあからさまに不機嫌だった。
 確かに、優等生のあかねには二人のお守は適役ではあったが、乱馬はどうだろう。彼は「トラブルメーカー」なのだ。
 だが、大方の予想に反して、紫苑は近衛としての任務に忠実で、乱馬よりは蓮華にべったりで、決してハメを外そうとはしなかった。おかげで、午前中は何事もなく過ぎてゆく。蓮華と紫苑はまとめてあかねが面倒をみてうるようなものだった。
 クラスメイトたちも、珍しがって、人垣を作ってはいたが、輪のかなにあかねが居たので、変なトラブルにはならなかった。
 蓮華は珍しい日本の高校生活を、一日だけではあったが、楽しんでいるようだった。

 昼ご飯はあかねの作った弁当。
 乱馬はヘベレケになりながら、それにがっついた。予想はしていたが、とても食べられた代物ではない。
「ほお・・・。升麻族っていうのは、あかねの味が好みなのか・・・。」
「大変だな、おまえも・・・。」
 大介とひろしが、気の毒そうに乱馬を見た。
 作った本人のあかねは、まだ食べたりないという蓮華と紫苑に、己の分を分け与えて、自分は購買部でパンを買っていた。



「本当に、いいのか?花梨ちゃんよ。」
「ああ、いいんじゃよ。それで。」

 蓮華と紫苑の様子を遠眼鏡で見ながら、ひそひそとやっている四つの目があった。
 シャンプーの曽祖母、コロンと、紫苑の曾祖母、花梨であった。
「それで、そやつが騙されるとは思えんが・・・。」
「いいんじゃ。そやつは。可愛い女子なら、どんな奴でも。」
「ほお・・・。」
「何なら。おまえさんの孫娘のシャンプーをけしかけてみるか?」
「馬鹿なことを申すな!」
「ふぉっふぉっふぉ、冗談じゃよ、冗談。」
「で、明日・・・なのだな?」
「ああ、そうじゃ。明日を凌げば、蓮華さまは・・・。それに、その方がおぬしも好都合だと言っていたではないか?あの乱馬とかいう男、シャンプーの婿に据えたいのだろう?」
「いかにも・・・。」
「それならば、手段は選べまい?ワシの見たところ、あの男、あかねという少女にホの字じゃぞ・・・。良い仲になるのも時間の問題なのではないのかな?」
「良かろう、協力してやろうぞ。にしても・・・。本当にそんな方法で・・・。」
「大丈夫じゃよ。今朝方ちゃんと暗示をかけておいたでな。どら、試してみるかのう・・・。」
「おまえ、相変らずワルじゃなあ・・・。若い頃から変わってないのう・・・。」
 コロンはそう言うなり黙った。

「ふふ・・・まあ見ておれ・・・。」
「良いのか?仕える身の上でそんなことをしても。」
「蓮華さまのためじゃ。さて、まずは、紫苑の奴の警戒をそちらへと向けねばならぬでな。あやつ、あれでいて真面目一辺倒じゃから。」
「まあ良いわ。丁度退屈しておったところじゃで。お手並み拝見といくかのう。」
 二人はにやりと笑うと、たっと高見から飛び降りた。
 木の葉がガサガサッと揺れて落ちる。

「どうしたの?」
 あかねが、急に立ち止まった蓮華を見た。
「今、風が・・・。」
「風?」
 あかねは周りを見渡した。
 だが、何も感じ取ることはできなかった。
 あかねも蓮華も、己たちの背後で「とある陰謀」が渦巻き始めていたことをまだ知る由もなかった。



つづく




だんだんと一之瀬の本領が発揮されてきてしまってます・・・
最初はギャグタッチで軽く描こうと思っていたのに、思いっきり別の方向に走り出した典型。


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