◇十三夜異聞

第一話 やって来た大迷惑

一、

 天高く馬肥ゆる秋。
 誰がそんなことを言い出したのかは知らないが、青く澄み渡る空は、十月の半ばを過ぎると透明感を増したような気がする。
 だが、まだ日中はそれでも気温が高く、走っていると汗が皮膚を浮き上がってくる。
 流れ落ちる汗を拭いながら、乱馬はいつものようにロードワークで街中を駆け抜けていた。首には黄色のタオルを巻きつけ、肌を滴る汗を時々思い出したように拭う。
 真夏ほどの熱気はないにせよ、アスファルトの道は、太陽光線に炙り出されるように、ゆらゆらと陽炎が揺らめいていた。土の道など皆無に近い都会は、秋もたけなわだというのにまだ、熱い。
 それでも、鍛え抜かれた身体には、堪える風もなく、息も切らさないで駆け抜ける乱馬。流石に「武道家の卵」を自負しているだけある。足取りも実に軽やかだ。
 良く上を歩くフェンスを横目に見上げながら、川端の道を颯爽と駆け抜ける。いつもの小道、いつもん曲がり角。お決まりのコースを辿りながら、軽く汗を流していた。
 と、前から物凄い勢いで道を横切る影が見えた。
「ん?」
 目を凝らしていると、聞きなれた声が、影が走ってきた方向から追いかけてくる。
「ドロボーッ!」
 只ならぬ気配に乱馬は思わず、その声の主を呼び止めた。
「どうした?うっちゃん・・・。」
 彼が呼び止めたのは、お好み焼き屋の少女、久遠寺右京であった。
「あ、乱ちゃん・・・。食い逃げや!」
 悔しそうに少女は乱馬を見上げた。
「食い逃げ?うっちゃんの店でか?」
 乱馬は不思議そうに右京を見返した。
「そうや・・・。うちがちょっと目を離した隙に、だっと店先から入ってきて、まだ焼きかけのお好み焼きを二、三枚盗んで出て行きよってん。」
 歯ぎしりしながら右京は答えた。
「堂々と正面から入ってきてお好み焼きをか・・・。大胆な奴だな。」
「誰かこっちへ来(き)いひんかった?」
「さっきの人影かな・・・。」
 乱馬は横切った影を思い浮かべながら答えた。
「きっとそうやわ。まだ、そんなに遠くへ行ってへんやろうから。」
「どうだろうなあ・・・。かなりの素早さだったぜ。俺が見咎めることが出来ないくらいに・・・。」
「逃げ足の速いやっちゃな・・・。まだまだうちも修業が足らへんゆうこっちゃな。おおきに、乱ちゃん。」
 右京は諦めたのか、店のほうへ取って返そうとした。
 と、今度はまた違う方向から聞きなれた声が近づいてくる。
「待つねっ!ドロボーッ!」
 
「おいおい、またかよう・・・。」

 乱馬が苦笑いしながら声の主を呼び止めた。
「シャンプー。どうしたんだ?血相変えてよ・・・。」
「あ、乱馬。猫飯店で食い逃げねっ!」
「こっちでもか?今日はやけに食い逃げ騒動が続くんだな。」
「シャンプー。あんたんところもか?」
「そうね・・・。出前に行こうと思っていた岡持からラーメンを抜き取られたね。」
 エプロン姿のまま、シャンプーは悔しそうな表情を浮かべた。
「曾ばあちゃんが居てたら、絶対に取り逃がさなかったね。くやしーある。乱馬、慰めるよろし。」
「お、おいっ!こらっ!俺はロードワーク中だぜっ!抱きつくなっ!」
「どさくさに紛れよって・・・。」
 相変らずの猫娘に、右京は牽制の声をかける。
「乱馬には、あたしを慰める義務あるね!」
「何やそれ?」
 右京がきっとシャンプーを見据えると、とんでもないことを彼女が言い始めた。
「だって、そうね!岡持ラーメン、持ち逃げしたの、あかねある!」
「あん?」
 意外な言葉に乱馬は思わずシャンプーを見返した。
「何、アホウなこと言ってるねん!あかねがそんなケチ臭いこをするわけあらへんやろが。あかねは強暴やけど、盗みをするほど根性腐ってへんど!」
 大概な言い方では有るが、的を得ていた。
「そうだぜ!あいつがそんなことするわけねーだろうが!見間違いだろ?見間違い。」
 乱馬も大概にしろと言いたげにシャンプーを見返した。
「私、見間違いない!さっきの持ち逃げ犯、あかねだったある!右京のところは違うか?」
 シャンプーに促されて右京が腕を組んだ。
「そう言われてみたら、さっき、うちとこからお好み焼きを盗んで行った奴、あかねに後姿が似てたような気がするなあ・・・。髪が短い、少女やったわ。確かに。」

「お、おいっ。二人とも。言っていいことと悪いことがあるんだぜ。確かにあかねは強暴だが、盗みを働くような奴じゃないぜ。」
 乱馬は、きっと二人を見返した。
「乱馬、あかね、かばい立てする気か?それ、贔屓のし倒し。良くない。」
「そやったら、天道道場ヘ確認に行ったらええわ。あかねが、その時間何してたか・・・。直接聴いてみたら。」
「そうね・・・。こういうことははっきりさせないと。」
 言いながらシャンプーは乱馬を見返した。
「もし、犯人があかねだったら、乱馬、ちゃんと責任取るよろし。私とデートしてもらう。」
「そやな・・・。そのくらいはしてもらわんと・・・。」
「何勝手なこと言ってやがるんでいっ!」
 だが、一度言い出したら、後ろに引かない気の強い少女たちだ。
「まあいい!あかねがそんなことをする奴じゃねえっ!よし、来いよ。確かめて、それで納得してもらおうじゃねえか。」
 乱馬は二人の先導に立って、天道道場へと戻り始めた。彼にはあかねが無銭飲食やこそ泥まがいなことをするとは、絶対あり得ない。自信を持ってそう言えた。
 
 天道道場ヘ帰ってみると、間が悪いことにあかねは留守だった。
「あらあら・・・。皆さん揃って、どうしたの?」
 かすみが乱馬にくっついてきた少女たちを見て、そう問い掛けた。
「上がらせてもらうで!」
「あかね、何処に居るね?」
 もう喧嘩腰である。
「あかねなら、まだ東風先生の所から戻ってないわよ。」
 二階からなびきが顔を出した。
「東風先生んちに行ったのか・・・あいつ。」
 あかねが留守であることが、彼女の立場をこの場合は危うくする。
「あら、昨日言ってたじゃん。借りた本を返しに行くって・・・。」
「そうだったか?」
「すっとぼけちゃって・・・。それより、どうしたのあんたたち。血相変えて。あかねに何か用?」
「あかね食い逃げしたね!」
「そうや、お好み焼きも盗んで行きよった。」
 シャンプーと右京が続け様に吐き出した。
「おいこら、てめえらっ!まだあかねの仕業と決まったわけじゃねえだろがっ!」
 乱馬が止めに入る。
「あかねが?食い逃げ?・・・そりゃあ、ないでしょう!」
 なびきが一笑に伏した。
「どうしてそう言いきれるね?」
「だって・・・。あかねは、東風先生んちへ、かすみおねえちゃんの作ったお惣菜を持って行ったのよ。今頃ちゃんと届けてるはずだもの。あんたたちの店に立ち寄る筈ないじゃない。」
「そんなん、わからへん。途中で、お使い物を落として凶行に及んだんかもしれへんやん!」
「そうね。そそっかしいあかねならやりかねないね!」
 なんていう言い方をする奴らだと、乱馬は半ば呆れ果ててしまい、反論する気も消えうせ始めていた。

 と、玄関がガラガラと乱暴に開いた。

「ただいまっ!」

 あかねが帰宅したのである。

「あかねっ!さあ、ラーメン代返すねっ!」
「お好み焼き代もあるで!」
 開口一番、少女たちはあかねに向かって一斉砲撃を加えた。
「何、あんたたちっ!」
 あかねはギロリと目を向いて二人を見た。
「さっき、猫飯店から岡持持ち逃げしたね、あかね。」
「うちの店の焼きかけのお好み焼きも持ってったやろ?」

「あのねえっ!あたしが何でそんなことしなきゃならないのよ・・・。それに、あたしだって頭に来てるの!かすみおねえちゃんが持たせてくれた肉じゃがをごっそりと盗んでいった奴が居るんだから!!」
 あかねは吐き捨てるように言った。
「あん?何だ?あかねもやられたのか?」
 乱馬はあかねを見返した。
「そうよ!東風先生の診療所の前で、後ろから近づいてきた人影が、肉じゃがを風呂敷ごと持ち去ったのよ!!」
 どうやら冗談ではないらしい。あかねの鼻息はいつもに増して荒い。
「東風先生に貸りていた本も入ってたのよっ!それと、かすみおねえちゃんに頼まれた、東風先生にお貸しする予定の本だって!」

「あらまあ・・・。困ったわ・・・。」

 かすみがのほほんと答えた。この天道家の長女だけは、本当に困っているのか、それとも、ついでに言葉を継いでいるだけなのか、わからぬような言い草ではあった。

「で、どんな奴だったの?あかねを襲ったのは・・・。」
 二階からなびきが言葉を投げた。
「わからないわ。物凄い素早さだったもの。」
「ひょっとしてショートカットの少女だった?」
 なびきがにやにやしながら聴いてきた。
「そういう風にも見えなくもなかったわねえ・・・。で、あんたたち、さっき、あたしをドロボー呼ばわりしていたけど・・・。」
「シャンプーも右京も、食い逃げにやられちゃったんだってさ。」
「ふうん。」
「それでね、この二人、それがあかねだって、家に押しかけてきたのよねえ・・・。」
 トラブルを楽しんでいるようななびきの口ぶりであった。
「な、何ですってえ?」
 聞き捨てならないわねという鼻息であった。

「ほら、あかねじゃねえって言ってるだろが・・・。」
 それみたことかと口を挟む乱馬。
「でも、この子たち、乱馬くんが連れて来たのよねえ・・・。」
「ちょっと乱馬ぁっ!あんたひょっとして、あたしを疑って、シャンプーと右京を連れて来たんじゃあ・・・。」
「ばっ!バカっ!んなわけねえだろ・・・。」
 後ずさる乱馬。

「邪魔したね・・・。また、何か情報あったら来るね。」
「そやなあ・・・。ぼちぼち夕飯時の客も来る頃やわ・・。」

 散々、あかねを疑っていたシャンプーと右京は、あかねの逆鱗を感じたのか、無責任にも、退却を決めて掛かる。
「じゃね・・・。乱馬。」
「乱ちゃん、またな。」

 引き際もあっさりとしたものである。

 その後、乱馬があかねにのされたことは言うまでもなく。あかねも、預かり物をごっそりと盗まれた角でご機嫌麗しくなく。悲惨であった。
「俺は、無実だーっ!。や、やめろーっ!!」
 乱馬の叫びも虚しく、天道家の玄関は地獄絵と化した。



二、

「てて・・いてててて・・・。」
 辺りが夕闇に包まれるころ、乱馬は道場で座禅を組んでいた。
「あかねの奴め・・・。物を盗られた腹いせと、犯人に見間違われた鬱憤を、俺で晴らすことはねえじゃねえかっ!」
 乱馬の鼻息は荒い。 
 さっきの乱闘で、しこたまあかねにしてやられた。
 脳天で床を支えて、逆さまに座禅を組んでいた。早乙女流の座禅の一形態である。
 あかねが相手でもめている時は、乱馬は殆ど反撃しない。勿論、彼女以外が攻撃してきたら、手加減なしなのであろうが、相手があかねの場合は「やられっぱなし」のことが大半だ。
 さっきもそうだった。
 それでも、受け身で避けていたので、見かけよりはダメージは少ないのであるが、それでもやっぱり腹立たしい気持ちは消えなかった。
「たく・・・。こっちが大人しく打たせてやれば、調子に乗りやがって・・・。」
 自然、ブツクサも多くなる。
「一回、思いっきり反撃してやろうか・・・。」
 深く吐く溜息。
 惚れた男の弱みなのである。
 そうは思っていても、あかねに手は挙げられない。いくら理不尽であっても、結局はあかねの思うがまま、なすがまま。頭が上がらない己が居た。

「あんたも大変よねえ・・・。」
 
 夕焼けの残照を背に、なびきが佇んでいた。
「ちぇっ!何の用だよ・・・。」
 乱馬は不機嫌さをなびきへと手向けた。
「優柔不断なんだから・・・。たまにはあかねにバシッとした態度取ればいいじゃないの。未来の旦那さまなんだから。」
 ふふふと笑うなびきに
「うるせーんだよ。ほっとけよ!」
 と悪たれてみる。
「ねえ・・・。それはそうと、気にならない?あかねが盗人に見間違われたこと。」
 なびきは歯に衣がかった言葉を投げてきた。
「別に・・・。あいつは盗みを働くほどひねくれてねえからな。強暴だけど。」
 さっき、右京が投げた言葉と同じ事を切り返していた。
「まあ、それはそうだけど・・・。あの子たちだけじゃないのよね・・・。」
「あん?」 
 乱馬は逆さになっていた頭をくるりと前に倒し、普通の座禅の体制へと身体を起き上がらせた。
「実はね・・・。あかねが出かけている間に数軒ほど、贔屓の飲食店から問い合わせがあったのよねえ。」
「何だそりゃ。」
 と言いながらも真摯な目を手向けた。
「あかねに嫌疑がかかってるって言うのも本当なのか?」
 乱馬はなびきを見返した。
「そうみたいね・・・。中にははっきりとあかねの顔を見たっていう店主も居てさあ・・・。」
「あのよお、あかねがそんなチンケな犯罪に手を染めるわけねえことは、姉貴のおめえもわかってんだろ?」
 あからさまに不機嫌な言葉を投げ返した。
「だから、気になるって言ってるんじゃないの。」
「うーん・・・。」
 乱馬は暫く腕を組んで考えた。
「あかねに嫌疑がかかってんなら、ほっておけねえな。」
 歯切れ悪くぼそっと言った。
「そうこなくっちゃ。」
 なびきの目が輝く。
「何だ?」
「だからね・・・。あんたに囮になってもらおうかってね。これ。」
 差し出されたのは、四丁目の蕎麦屋の岡持。
「お、おい。何の真似だ?」
「だから、あんたにこの岡持を持って、街中を歩いて警戒してもらおうかって思ってさ・・・。手配してきたわ。」
 なんと言う手の早さ。流石に、天道家次女である。
「で、これを持って俺に歩き回れってか?」
「ご名答!許婚の嫌疑だもんね。あんたが晴らしてやらないと・・・。で、そらっ!」

 バッシャと水が飛んだ。消火用水の赤いバケツを思い切り頭から浴びせ掛けたのだ。
 みるみる乱馬は女体へと変化を遂げる。
「な、何しやがんでいっ!いきなりっ!」
 一際大きな声を乱馬が荒げた。
「男が岡持持ってても、相手が警戒するじゃない。だったら、女になってた方が相手も油断するでしょ?」
「あのなあ・・・。」
 水浸しになった床に座って、乱馬はなびきを見上げた。
「ほら・・・。これもつけて。」
 差し出されたのは蕎麦屋のエプロン。
「俺は女じゃねえぞっ!」
「いいじゃん、気にしない。ちゃんとコスもしておかないとね♪これもあかねのためよ。」
「他人事だと思ってよ・・・。」
 文句は山ほどあったが、確かになびきの言うことにも一理あろう。男の岡持だと、相手が警戒して出てこないかもしれない。この半日という短時間に、一体全体、何軒の飲食店が食い逃げ、持ち逃げされたのであろうか。あかねがその犯人として、嫌疑にかけられているのだ。
「しょうがねえか・・・。」
 重い腰を上げると、乱馬はなびきから岡持を受け取った。
「重いぞ・・・。これ。中味空じゃねえのか?」
「あ、ちゃんと蕎麦も入れてあるの。盛り蕎麦だけどね。だって、相手はどんな奴かわからないし、嗅覚が働いて空だと寄って来ないかもしれないし・・・。」
「ちぇっ!ぬかりねえんだな。」
 溜息を吐く。

「乱馬君!頼んだよ!」
 何時の間にか傍に早雲と己の父親の玄馬が立っていた。
「お、親父たち・・・。」
「ワシらも後からこっそりとつけていくからね・・・。あかねのために無実を晴らしてやらねば・・・。」
 早雲直々このようなことを言い出すのだ。余程、天道家に苦情が殺到しているのだろう。
「で、あかねは?」
「知らせてないわ。今、かすみおねえちゃんと台所。」
「だ、台所?」
 嫌な予感に襲われたが、あかねが居ない方が動きやすかろう。
「ま、いいか・・・。本人には知らせねえほうが・・・。」

 乱馬は闇に紛れてこっそりと天道家の門を出た。
 夕陽はとっぷりと暮れて、空には星がまたたき始める。昼間の暑さが嘘のように、今は秋風が心地良い。
 気配を探りながら足を進める。
 周りには家路を急ぐ学生やサラリーマンたちが足早に通り過ぎる。
 ひたひたひたと地面を蹴りながら、早すぎもなく遅すぎもなく、乱馬は岡持を携えて歩いていた。
「たく・・・。面倒臭えなあ・・・。」
 文句を垂れることも忘れなかった。彼のかなりの後方を、これまた人目を忍んで、早雲と玄馬がつけていた。
「親父たちは、頼りになるとは思えねえな・・・。」
 苦笑しながら足を進めた。

 と、乱馬は身体に気を感じた。
 虎視眈々とこちらを伺う禍々しい気だ。
(野郎・・・現れやがったか。)
 急に足を止めると相手に警戒心を抱かせてしまう。乱馬は身体中で迫る気を感じ取りながらも、己の殺気は消して歩き続けた。まさぐる気はあかねとは全然別物である。それだけでも、正直ホッと胸を撫で下ろした。
(いつでもいいぜ。絶対とっ捕まえてやらあ・・・。)
 こそっと宣戦布告をする。
 と、背後で探るように動いていた気が一気に駆け抜けてきた。
「させるかあっ!」
 乱馬はだっと岡持を空へと放り投げた。
 ダンッ!
 そして同時に地面を思いっきり蹴った。
「きゃっ!」
 岡持を狙っていた奴は、急に乱馬が消えたのでうろたえる。
「へっ!馬頭を現しやがったな。神妙にしろっ!」
 乱馬は奴の背後へと回り込んで腕を引っ張った。
「うっく!」
 抱え込んだのはどうやら女性のようだった。柔らかな胸が乱馬の手に触った。
「良くやった!乱馬くんっ!」
「いいぞっ!捕まえたかっ!」
 やんや、やんやと後から付いて来ていた早雲と玄馬が応援に駆けつける。
「ああ、捕まえたっ!こいつが、岡持泥棒だぜ・・・。」
 乱馬は力をこめた。奴はジタバタと手足をばたつかせたが、乱馬の敵ではなかった。
「顔を拝ませて貰うぜ・・・。親父っ!」
 乱馬の合図と共に、玄馬は持って来ていた懐中電灯のスイッチを入れた。

 ぱっと点いた電灯の光は、犯人の姿を映し出す。

「あ・・・。おめえ・・・。」

 驚愕の声を乱馬は投げつけた。

「あ、あかね・・・。」
 腕に抱えた少女は、紛れもない「あかね」本人であった。

「あかねーっ!何てことを・・・。」
 早雲も悲鳴を上げた。
「あかねくん・・・。悪い冗談だろ?」

 乱馬に抑えられた少女は、円らな瞳を彼に手向けた。その瞳の輝きも、あかねと寸分違わない。
「何でだ?あかね・・・。」
 乱馬は放心したように彼女を抱え込んでいた。


三、

「やっぱりあかねの仕業だったね。もう、言い逃れできないね。」
 そこへ再び聞きなれた声が鳴り響く。
 現れたのはチャイナ娘、シャンプーだった。
「絶対あかねだと思ったね。さあ、乱馬。約束ね。あかねと別れて私と付き合うよろし。」
 勝ち誇ったように言い放つ。
「待ちやっ!抜け駆けは許さへんで!シャンプー。うちにかて権利はあるんやで。乱ちゃんはうちの許婚でもあるさかいにな。」
 右京まで一緒に現れた。
「シャンプー、右京・・・。何でてめえらがここへ・・・。」
 乱馬は放心しながらも、二人を見てそう咎めた。
「ごめん、ごめん・・・。つい、喋っちゃって・・・。」
「な、なびきっ!てめえかっ!!」
 金の亡者、なびきが頭を掻きながら笑っていた。
「乱馬、あかねの仕業を闇で処理する。これ一番いけないこと。あかね、悪いことした。無銭飲食した。バツ受けなければならない。これ、当たり前のこと。だから、あかねは最早、乱馬と許婚であること許されない!」
「そうやで・・・。無銭飲食は立派な犯罪やさかいな・・・。」
 
「あかねっ!何か訳でもあるんだろう?あかね・・・。」
 早雲が情けない声を張り上げて、我が娘を見やった。
「何とか言えよっ!あかね。俺だっておめえのこと信じてたんだぜ・・・。」
 周りの熱気にほだされて乱馬までそう責め上げた。さっき感じたのはあかねの気ではなかったのにである。いや、すっかり、うろたえてしまい、冷静さを見失っていたのだ。
 だが、当事者のあかねは涼やかな顔で一同を見渡すばかりで、言い訳一つする素振りもない。何が悪いのというような無言の態度であった。
「あかね、黙秘権使うつもりか?」
「ふてぶてしいやっちゃなあ・・・。」
 シャンプーと右京が更に声を荒らげた。
「黙ってばかりいちゃあ、わからんではないか・・・。あかね、あかねよぅ・・・。おーいおい。」
 早雲は早雲で情けなく泣崩れている。
「あかね・・・。おめえ。」
 乱馬が力拳を入れてあかねに対峙しようとした時だった。

「待つねっ!早まらないよろしっ!」

 背後から少年の声がした。
 突如として一人の少年が、この場へと飛び込んできたのである。見慣れぬ着物のような衣服に身を包み、乱馬とあかねの間に立ち塞がるように間合いを取った。
「何だ・・・てめえは!」
 乱馬は警戒しながら声を荒げた。

「ああ、良かった・・・。探したですよ・・・蓮華さまっ!」
 少年は、あかねの前にひざまずいて、深々と頭を下げた。
「紫苑・・・。」
 初めてあかねが声を出した。涼やかな声は、確かにあかねには似ていたが、少し違った響きを持っている。
「もう・・・。あれほど、勝手な行動はお慎みくだされと、言ってたありますに・・・!たく、困りまする。」
 少年は咎めるようにあかねに言い含めた。ちょっと日本語に訛りがあった。独特な口調である。
「退屈だったから、ちょっと遊んでただけね。そんなに怖い目、するな、紫苑・・・。」
「退屈しのぎ?!いいあるですか、蓮華さま。他の方々を巻き込むような悪戯はダメあります。度が過ぎまする。」

「度を越えた悪戯だって?」
 
 乱馬が思わず聴き返していた。
「おい、てめえは、やっぱり、あかねじゃねえんだな?」
 目の前のあかねは、大きく首を横に振って見せた。
「違う。私の名前、「あかね」ない。私「蓮華(れんげ)」。これが正しい名前ね。」
 少女は悪びれる風もなく、ただ、思うがままに口を開く。やっぱり独特な口調である。
「ほお・・・。世の中には己と良く似た容姿の人が三人居るという伝説があるが、まさにその通りじゃのう・・・。あかねくんにそっくりじゃないか!」
 後ろから玄馬がにゅうっと顔を出した。今日はパンダに変化せずに、単なる中年親父として、その場へと君臨していたのである。
「これまた、面妖な・・・。あかねやあらへんかったんか?」
 右京が突拍子もない声を上げた。
「たく。人騒がせな・・・。」 
 乱馬はほっと,胸を撫で下ろした。とにかく、あかねへの嫌疑はこれで晴れたことになる。

「紫苑っ!蓮華さまは見つかったか?」
 少し遅れて走りこんできた老婆がいた。
「はい、婆さま。蓮華さまはここに。」
 少年は老婆を乱馬たちがたむろしている輪の中に招き入れた。
「ほお・・・。これが升麻(しょうま)族の長、椰子殿の娘か。」
 その後ろから聴きなれた声。
「曾ばあちゃん。」
 シャンプーが声を上げた。そう、声の主はコロンであった。
「婆さんの知り合いか?」
 乱馬は何気にコロンへと向き直った。
「おうさ・・・。ワシの知り合いじゃ。」
「おお、コロンちゃんか。久しぶりじゃなあ・・・。」
 婆さんが二人、抱き合わんばかりに対面を喜びあった。
「この花梨(かりん)ちゃんは。幼馴染でな。女傑族の血を引いてるおる。」
「ああ、コロンちゃんとワシはこんな小さな頃から遊びまわっておった。ワシの母者が女傑族から嫁に来たでな・・・。」
 手を下にかざしている。
「今でも十分に背が縮んでるだろうが・・・。もっと小さいって、ハイハイの頃からの知り合いかよ・・・。」
 ブツブツと乱馬が口篭る。
「升麻(しょうま)族の花梨婆さま。聴いたことがあるね。私の故郷の女傑族の村から更に奥地へ入ること数日、歩き切ったところにある羅魔眉山(らまびさん)の麓にある、誇り高き武闘の一族の女傑ね。」
「若い頃はブイブイと鳴らしておったがのう・・・。今はこの孫息子の紫苑共々、蓮華さまの付き人をやっておるわ。ひゃっひゃっひゃっ。」
 皺だらけの顔をくちゃくちゃにして花梨婆さんが笑った。
「ほお・・・。中国は奥が深いのう。妖怪婆さんが二人か・・・。」
 玄馬がひょいっと顔を出した。
「誰が妖怪じゃ!」
 ぎろっと視線を投げたコロンは、言葉を継いだ。
「ほっほっほ・・・。今度、日本へと升麻族の長の娘御が遊びに来るとこの、花梨婆さんから手紙が来ておったでな。ワシが迎えに出た隙に、この娘御が、迷子になったというから、探し回っておったところじゃよ。中々の跳ね返りと聞いておったが、評判以上じゃな。」
 コロンが笑った。
「そらそうや・・・。この子、何たってあかねにそっくりやないか。」
「あかねと似てるなら跳ね返りというのも頷けるね。」
 右京とシャンプーが顔を見合わせて笑い出した。
「無礼者っ!これが蓮華さまの本当の姿ではないわっ!」
 花梨が持っていた杖をコツンと弾くと、ボンと竹筒が出た。
「蓮華さま、元の姿にもどりなされ。」
 竹筒を横にすると、中から湯が滴り落ちた。
「あっ・・・。」
「何とっ!」
 一同が呆気に取られていると、湯気の中から、髪が長い別の少女が現れたではないか。
「お、おい・・・。変化したぜ・・・。」
「湯で変身したね・・・。」
「まさか・・・。この子、呪泉郷の・・・。」
 乱馬とシャンプーと玄馬がぼそぼそっと声を出した。彼らも変身体質を持っている面々だ。
「いかにも・・・。つい先月、呪泉郷で溺れた。」
 花梨婆さんが言い放った。
「茜溺泉か・・・。」
 乱馬がぼそっと言い放った。
「そうだ・・・。そんな泉の名前であったな・・・。」
 花梨婆さんが答えるや否や蓮華が息せき切って乱馬に畳み掛けた。
「おまえ、茜溺泉知ってるか?それじゃあ、茜溺泉を作った、あかねという少女知ってるか?」
 蓮華の顔がぱあっと明るくなった。
「ああ・・・。知ってるも知ってないも、あかねは俺の・・・。」
 乱馬が答えるや否や、蓮華は彼に抱きついた。
「あいやー!感激ね。はるばる日本来てよかった!紫苑っ!私と一緒に会いに行くねっ!あかねにっ!」
「わたっ!抱きつくなっ!」

「こやつ、何するねっ!ドサクサに紛れて乱馬に抱きつくなんて!」
「こら、あんたっ!乱ちゃんから離れいっ!」

 シャンプーと右京の怒声を張り上げた。と途端に、紫苑がだっと前へと立ち塞がった。
「蓮華さまへ手出し無用ある。手出しなさると、この紫苑、容赦しないあるっ!」
「これ、紫苑、穏やかにしなされ。ここは中国の奥地ではないでな。」
 それを咎めるのは花梨。

「やれやれ・・・。また大変な厄介事を背負いこみそうだなあ・・・。早乙女くん。」
「そうだね・・・。天道くん。何しろ、あかねくんに変身するお嬢さんだからなあ・・・。」
 おやじーずも互いに目を見合わせて溜息を吐いた。

 空の上には蒼い月が、そんな乱馬たちの喧騒を見下ろして、照らしつけていた。満月が近いのだろう。まん丸に近い美しい月夜だった。



つづく




「ふるるSTREET」(川端ふるるさま)二周年記念として書かせていただきました。
もう、これは迷惑以外の何物でもないくどさ。八話構成です。内容はともかく、読み応えだけはあると思います。


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