◇猫叉   後編


六、

「あかねーっ!!」
 一同の悲鳴にも似た怒声が響く中、白き猫に変化したままのあかねは地面へと軽やかに着地した。
 
 下には猫化した乱馬。すかり自制心を失っ手いた彼は手当たり次第に暴れまわっていた。
「ばかっ!猫のままじゃあ乱馬くんの暴走が止められるわけないじゃないっ!」
 なびきは上階から妹を覗き込んだ。
 人間の姿をしているのなら、猫乱馬も、あかねにわが身を預けて甘えてくるだろう。が、今は違う。どこから見てもあかねは猫のままだ。
 乱馬は猫化していると、あかね以外の人間はおろか猫にも動物にも容赦はない。このままでは乱馬はあかねにどんな危害を加えるか想像もつかなかった。

 案の定、見慣れぬ白猫の出現に、猫乱馬の目の色はみみるみる変わった。
 目の前に下りてきた白猫のあかねを見つけると、光り輝く目で睨みつけた。
 天道家の人々は、固唾を飲んで見守る他に術はなかった。むやみやたらに手出ししようものなら、下で沈んでいる玄馬
のように乱馬の餌食となるだろう。
「あかね…。」
 早雲もなびきもかすみものどかも、祈るように目を凝らしていた。
 月が雲間から現れて、猫化した乱馬と白猫に変化したあかねを光臨と照らしつけた。
 緊張した空気が庭先に漂う。
 じっと白い猫を見詰めていた乱馬がゆっくりと身体を後ろに引いた。
「にゃー。」
 あかねは彼に向って、魂を振り絞るような声を上げた。悲しげで寂しげな一声だった。
 乱馬はその声を聴くと、瞬時に彼女の方へと飛び掛った。
 
 あかねが乱馬にやられるっ!!

 待避していた天道家の人々は、皆挙(こぞ)ってそう思った。
 が、しかし…。乱馬は一同の予想を裏切って、白い猫の前へ飛び移ると、じっと彼女の瞳を覗き込んだ。襲い掛かるのではなく、白猫の周りを一回りすると「にゃあ…、にゃあ…。」と猫なで声を上げた。そして、白猫の前にちょこんと座り込んだ。
「にゃあ、にゃああ…。」
 白猫はそれに応じるようにしきりに乱馬に何か話し掛けている。
 
 それは不思議な光景だった。白い猫と乱馬は互いに声を出し合っていた。端から見れば会話しているようにも見えた。
 
「あの男…、白い猫を口説き出したにゃ…。」
 じっと見守っていた天道家の人々の後ろから猫魔鈴がひょっこっと声を出した。
「口説き出した?何よそれ…。」
 耳聡く振り返ったなびきは猫魔鈴に声を掛けた。
「いや…あいつ、白猫に求愛しているにゃ…。」
 猫魔鈴はそれに答えた。
「あんた、二人の会話わかるの?」
 なびきが問うと
「あたりまえだにゃ。わしは猫にゃ。猫同士の会話くらいわかるにゃ…。」
 猫魔鈴は腕を前に組むと首を大きく縦に振った。
「ねえ、ということは乱馬くんも猫の言葉を話しているのかしら?」
 かすみが興味深そうに尋ねた。
「ああ。ちゃきちゃきの猫語をしゃべってるにゃ…。こっちが恥ずかしくなるくらいの優しい言葉で白猫に求愛してるにゃ…。」
 猫魔鈴は聞き耳を立てながらそう言った。
「ねえ、あの二人の会話、通訳して…。」
 なびきが言った。
「そうね…是非とも聞いてみたいわ。」
 かすみも言った。
「わしが通訳するにゃか?」
 猫魔鈴が躊躇すると
「しないつもりかね?なら、おまえの身の安全ははかりかねるな…。」
 早雲がそう言って、じろりと睨みつけた。猫魔鈴は弱い化け猫だと言うことはとっくに周知していたので、強気に出られるのだ。
「わかったにゃ。すればいいだにゃ。猫遣いが荒いんにゃから…。」
 猫魔鈴はやれやれと言うように一同を見渡した。
 そして、ううん、とひとつ咳払いをすると、思わせぶりたっぷりで通訳をはじめた。


七、

「あかね、君の瞳は懐かしいような暖かさを感じるにゃ…。その愛らしさを俺の元へ留めておきたいにゃ…。誰にも渡したくない。さっきの猫叉のような男には指一本触れさせないにゃ…。」
「何…乱馬くんそんな歯の浮くようなことあかねに言ってるの?」
 なびきがくすっと笑った。
「しっ!続けてっ…。」
 かすみが真剣な眼差しでそれを遮った。
「ほら、あの月も俺たちを祝福しているにゃ…。あかね。だから、ずっと俺の傍で微笑んでいてほしいにゃ…。」
「でも、あなたは人間。今の私は猫のまま。呪いは解けないかもしれない…。乱馬の気持ちは嬉しいけれど、私は…。」
「泣かないでにゃ…。俺まで悲しくなるにゃ。きみが猫だろうと僕が人間だろうとそんなことは関係ないにゃ。俺には君が必要だし、君にも俺がきっと必要にゃ。だから…。ずっと傍にいて欲しいにゃ。結婚して欲しいにゃ。」
 
「結婚?…積極的ねえ…。乱馬くん。」
 なびきはおなかを抱えて笑った。
「乱馬、何て男らしいの…。」
 のどかはひたすらに後ろで相槌を打ちながら感動していた。
「乱馬くん、猫になって人格も変わったのね…。」
 かすみはのほほんと言ってのけた。人間の時にはそんなきざな言葉、気恥ずかしくなるような言葉を人前で淡々と話すことなど考えられないほどウブな乱馬なのである。
「あ。いいにゃ?続けるにゃ…。今の私はあなたのお嫁さんにはなれない。あなただって猫と結婚するわけにはいかないでしょ?」
 「いいにゃ…たとえ君が猫のままでも、俺の愛情は決して変わらないにゃ。」
 猫魔鈴の通訳にも熱が入り始めた。
 二人が実際にそんな会話をしているかどうか怪しいところもあったが、真剣に何か言い合っていることだけは確かだった。
 乱馬は危害を与える素振りは全く見せなかったし、確かに良く観察してみれば、乱馬が白猫を口説いているように見えなくもなかった。乱馬の目元は吊り上るどころか、細められていて、柔らかだった。猫撫で声とはああいう声を言うのではないかと思うような甘ったるい鳴き声を白猫に投げかけている。
 白猫のあかねは、寂しそうな瞳を浮かべ、躊躇しながら言葉を返している。
「俺は君の全てが欲しいにゃ。あの白く輝くお月さんに誓うにゃ。」
 猫乱馬の動きが静かに止まった。彼は白い猫を両手に抱きかかえるとじっと瞳を見詰めていた。
「君が素直に俺の思いを受け入れてくれるなら、呪いを俺がこの手で解いてみせるにゃ…。だから…。」
 猫魔鈴の言葉はそこで途切れた。


 そして…
 そっと目を閉じると乱馬は白猫に己の唇を重ねたのである。

 見守る猫魔鈴以下、天道家の人々は、瞬時に凍りついた。
 正々堂々と乱馬は白猫に深々とキスをしてしまったのである。
 驚きとどよめきが一同を支配した。
 と…。奇跡が起こった。
 白猫の姿はむくむくと白い煙に包まれて、あれよあれよと言う間に変化をし始めた。そう、あかねの姿に戻ったのである。
 乱馬のくちづけが偶然にも猫叉の呪いを解いたのだ。
「にゃん…。」
 乱馬は満足そうにそう一声泣くと、愛しいあかねの膝の上に身を垂れた。
「にゃん…。」
 あかねも嬉しそうに彼を睦んだ。

「どんな呪いも必ず解く方法があるにゃ。猫叉の奴、破呪の法にくちづけを選んでたにゃ…。」
 そう言うと、猫魔鈴はほーっと長い息を吐き出した。
 天道家の人々はやれやれと言うように大きく伸びをした。
「ま、一件落着ってところかな…。」
 なびきがふいっと声を掛けると、ぞろぞろとあかねの部屋から退散を決め込んだ。
「もういいのかにゃ?にゃんか、他人の幸せをこれ以上見せ付けられるのは、嫌だにゃ。」
 通訳をしていた猫魔鈴が振り返ると
「ええ、あとは二人の時間ですもの。ご苦労様。」
 そう言ってかすみが静かに微笑んだ。


 その後しばらく、月明かりを背に受けて、二人は庭の中央の松の下で幸せそうに佇んでいたという。
 夜露に濡れながら、二人が我に返ったのは、随分時間が経ってからだった。
 二人は何故、其処に佇んでいたのか、それも二人で身を寄せていたのか。全く見当だにつかなかった。
「ねえ、なんであんたがここにいるの?」
「おまえこそ、何やってるんだ?」
 乱馬だけではなく、あかねも猫化していた時の記憶がすっかり欠落していたのだった。
 何がなんだかわからぬまま、二人は顔を見合わせて首を傾げた。
 更にわからなかったことは、肩寄せ合う二人の目の前に玄馬が白目を剥いて気絶していたことだった…。
「ま、いいか。家に入ろうぜ…風邪ひいちまう。」
「そうね…。」
 そう言い合うと、二人はふっと微笑んだ。
「なあ・・・宿題。つきあってくれよ。」
「わかってるわよ…。」
 月明かりにあかねの胸元で揺れるネックレスが美しく煌めいた。乱馬はそれにそっと手を触れて、そのままあかねの肩に手を置いた。
 冴え渡る寒月は穏やかに二人を照らしつけ、その傍らではオリオン座が静かに瞬いていた。



 完




一之瀬的戯言
 初期作品には珍しい、少し長めの投稿作品。
 原作よりも一年進めた、十七歳の二人です。
 化け猫、猫魔鈴もいじくると面白いキャラクターだと思います。猫は乱馬くんの天敵ですものね。
 で、のどかさんは天道家にそのまま同居しております。

 今書くと、この作品も長編になることは間違いなく…。機会見て、書きなおしたいなあ…と思うこの頃。


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