◇猫叉   中編


四、

 ちゃりーん

 鈴は妖しげに鳴り響いた。
「何奴?」
 早雲が身構えた。
「にゃあ〜。皆さんお久しぶりだにゃあ。」
 大きな鈴は変化して、見覚えのある風体を現した。
「あらあら、化け猫さん。」
 かすみが振り返りながら声を掛けた。
「おお、いつぞやの化け猫ではないか。」
 玄馬が言った。
「化け猫化け猫って言わないでにゃー。猫魔鈴(マアモウリン)という名前があるんにゃから…。」
 猫魔鈴はひょっこりと窓から顔を出した。
「やだー。また猫だあ…。ネコ…。ねごぉ…。」
 うわ言のように乱馬が恐怖の声を口に出す。
「もしかして、貴様か?あかねをこんな目に合わせたのは…。」
 早雲は拳を振り上げて猫魔鈴に尋ねた。
「違うにゃ。わしは古い友達の猫叉が今晩嫁を貰うから立会人になれと言ってきたからここへ来ただけだにゃ。」
 そう言うと、猫魔鈴は部屋を見渡した。
「あ…。いたいた。猫叉の嫁はこの白いネコにゃ…。」
 白い猫は猫魔鈴に向って低い唸り声を上げた。
  
「やっと来たか。猫魔鈴。」
 
 背後で声がした。
 振り返ると、一人の青年が後ろに立っていた。
「猫叉…。久しぶりだにゃ。おみゃあ、人間に変化できるんだにゃ。」
 猫魔鈴は目を細めて旧友を迎えた。
「おまえか?あかねをこんな風にしたのはっ!!」
 早雲は声を荒げた。
「ふふ…。そう。彼女が聞き分けないから、猫の姿にしてあげただけですよ。彼女が、私の嫁になることを承諾したら元の姿に戻してあげます。もし拒否すれば彼女は一生このままだ。」
 愉快そうに猫叉は声をあげて笑った。
「さあ、あかねさん。私の嫁になる覚悟は出来ましたか?」
 振りかぶって猫叉はあかねを見詰めた。その目は無気味に光っていた。
「うー。」
 白い猫は猫叉を見ると、一層、低い唸り声を上げて毛を逆立てた。精一杯の拒否の意思表示をしているらしかった。
 猫叉はやれやれというように息を吐き出した。
「なんて、強情なんでしょうね。私の嫁になったなら、永遠の若さを保てると言うのに。月が沈むまでに承諾をしなければ、あなたはそのままの姿で一生を送るんですよ。私の呪いはそん所そこらの化け猫と格が違うんですからね。ちょっとやそっとでは解けないように設定してあるんです。破呪するのは容易ではない。それでもいいんですか?」
 猫叉は吐き出すようにあかねに言い含めた。
「さっきから聞いてれば勝手なことばかりぬかしおって。…今すぐあかねの変化をときたまえっ!!」
 早雲はヒステリックに猫叉に食って掛かった。
 しかし、猫叉はふふんというように早雲を一瞥しただけで、無視を決め込んだ。怒った早雲は、
「そこへ直れっ!わしが成敗してくれるわっ!!」
そう言って、猫叉に飛び掛っていった。
「人間の分際で、この猫叉さまに楯突くなどとは…。」
 一瞬で猫叉の容姿が変わった。青白い妖気と共に巨大な白い猫が姿を現す。
 そして、たった一撃で早雲を粉砕していた。
「無、無念…。」
 早雲は一たまりもなく、あえなく沈んだ。
「こ、こやつ、できる。化け猫・猫魔鈴とはケタが違う…。」
 傍にいた玄馬は後ずさりしながら正体を顕(あらわ)にした猫叉を見据えた。
「失礼な言いようだにゃア…。」
 猫魔鈴が一人呟いた。
「かくなる上は…。」
 玄馬はさっと身構えると
「敵前大逃亡っ!!」
 と唱え、その場をさっさと逃げ出した。
「ちょっとおじさまっ!!」
 なびきが呆れたように叫んだ。
「あらあら…おじさま怖気ついちゃったのね…。」
 かすみもおっとりとした口調で言い放つ。
「あなたっ!!」
 のどかも思わす非難の口調で言葉を上げた。
「ふん、他愛もない。これでおまえを助ける者もいなくなったわけだ。あかねとやら。いい加減で素直に私の嫁になる決意をしたらどうです?」
 猫叉はあかねにじわじわとにじり寄った。蒼く輝く瞳とピンと立った獣耳。そしてぞっとするような美しい毛並みの化け猫。
「悪いようにはせん…。おまえは美しい…。」
 そう言うと猫叉はあかねの毛並みをべろっと舐めた。
「にゃあーっ!!」
 あかねは精一杯声を振る絞ると、爪を立てて果敢に猫叉に突進していった。
 抵抗を受けた猫叉は思わず後ろにたじろいだ。
「全く、強情な…。」
 猫叉は軽くそれをいなすと、あかねに眼力を放った。
「にゃ…。」
 あかねはその場にばたりと沈んだ。
「あかねっ!!」 
 なびきとかすみの悲鳴が重なった。
「猫魔鈴。婚儀を執り行うから、わしと共に魔界へ来いっ。」
 猫叉はそう言うとあかねを軽くその大口に咥えた。
 あかねは最早抵抗する術もなく、なすがままに猫叉の口に咥えられた。
 魔界へ連れ去られてしまっては、もう、どうしようもないだろう。あかねは哀れ、化け猫猫叉のなすがままに嫁になるしか手だてがないだろう。


五、

「待てっ!」
 
 その時、玄馬が不意に現れた。
「おじさまっ!!」「あなたっ!」
 かすみとのどかの声が重なった。
「おまえの思い通りにさせるわけにはいかぬ。覚悟しろっ!!」
 玄馬はそう言うと、乱馬の傍へとにじり寄った。そして
「こらっ!いつまで気を失っとるんじゃっ!貴様の許婚の危機じゃろうがっ!」
 と渇を入れた。
 乱馬は玄馬の声に息を吹き返したが、目の前に見たこともない蒼白い巨大猫が立ちはだかるのを見て、また狼狽しはじめた。
「嫌だっ!!猫は嫌だっ!!来るなっ!あっちへ行けっ!」
 そう声を振り絞った。
「乱馬っ!男らしくあかねちゃんを守りなさいっ!!」
 そう言って乱馬を猫叉の前へと突き飛ばしたのは、玄馬ではなく、その母のどかだった。
 
 乱馬の思考能力はそこで途切れた。
 可愛そうに、苦手の猫を目の当たりに蹴り上げられたのだ。
「うぎゃーっ!!」
 断末魔のような雄叫びを上げると、乱馬はそのまま意識を失った。

「ふん、他愛のない…。人間の男は弱虫ばかりだなあ…。」
 猫叉はだらしない少年を見て、鼻先で嘲笑った。
「さあ、猫魔鈴。行くぞ…。」
 あかねを口に咥えたまま、猫叉がそう言い放ったときだった。
「にゃーご…。」
 背後で猫の鳴き声がした。
「ん?」
 猫叉がその声の方を振り返ると、さっき悲鳴を上げて突っ伏した少年が四つ股になってこちらを睨んでいるのと視線が合った。猫叉はその目の光が尋常でないのを察っした。場数は踏んだ化け猫の本能がただならぬ乱馬の気合を感じ取ったらしかった。猫叉はあかねを口から離すと、ことりと床に置いた。
 それと同時だった。
「にゃ、にゃーっ!!」
 乱馬は雄叫びを上げると、そのまま身体ごと突進していった。

 そう、彼は、乱馬は、猫への恐怖が極限に達し、ついに切れたのだ。
 切れて自ら「猫化」してしまったのだ。
 こうなると彼は猫への恐怖など微塵もなくなる。いや、それどころか無敵の強さとなる。要らぬ思考力が消え去る分、相手には厄介な存在となるだろう。敵が猫ならば尚更のこと。人間以上に敵愾心をたぎらせて、暴走は迷走となって巡り始める。
 猫叉を目標と定めると、乱馬はそのまま体当たりした。
 バリン。
 窓ガラスが砕け散る音とともに、二人はあかねの部屋から外へと投げ出された。
 音もなく、地面に着地すると、乱馬は身を翻して、間髪をも入れず、尚も猫叉に襲い掛かる。

「にゃ、にゃ、にゃ、にゃ、にゃ、にゃーっ!!」
 乱馬の攻撃は、緩むことなく、猫叉に向って繰り広げられた。
 さしもの猫叉も乱馬の攻撃を交わすのがやっとの状態だった。反撃のきっかけもつかめないでやられっぱなしになるのだった。
 「な、なんだ?こ、こやつはっ!!」
 猫叉は完全に己を見失っていた。
 化け猫とはいえ、所詮は猫。猫化した人間に叶うはずがない。
 息つく間もなく繰り出される乱馬の執拗かつ激しい攻撃に、体中の毛がズタボロに引き裂かれてゆく。
「畜生っ!俺様ともあろう者が、こんな人間ごときに…。」
 猫叉は肩で息を吐きながら怨恨の目を乱馬に手向けた。
「わ、わかった。あ、あかねは、返す…」
 猫叉は息を切らしながら乱馬に言葉を投げつけた。
「だが、呪いは貴様でも解けぬだろう。あかねは一生このままだ。私の求愛を踏みにじった報いだ…。」
 そう吐き出すと、猫叉は月に向って一声鳴いた。
「にゃーごうっ!!」
 喉から声を振り絞ると共に、猫叉は夜陰へと消えた。
 
「ふーっ!!」
 乱馬は猫叉が消えた虚空を見上げて、毛を逆立てながら威嚇をした。
 
「乱馬っ!よくやった。」
 玄馬が駆け寄ると、乱馬はきっとそれを眺め返し、爪を立てて抗った。
「乱馬…。」
 顔中を乱馬に引っかかれて、父、玄馬はばったとその場に倒れてしまった。
 乱馬はまだ、怒りをその身にたぎらせて興奮し続けていた。 

「不味いわ…。あかねは猫のままだし…。」
 なびきが二階の窓から下を覗き込んで言った。
「これじゃあ、誰が乱馬くんの暴走を止めるのよ…。」
 そう。猫化した乱馬を落ち着かせるのはあかねしかいない。然るに肝心のあかねは、猫叉の呪いが解けずにまだ猫のまま存在していた。
 乱馬は手当たり次第に、見失った敵の代償を求めるように、庭先を徘徊しながら木を削っている。彼の暴走は最早留まるところを知らないだろう。このまま放っておいたら彼はどうなるか、誰も予測できなかった。
「にゃん。」
 あかねは意を決したようにそう一声鳴くと、二階の窓から下へと飛び降りた。
「あかねっ!」「あかねちゃんっ!!」
 なびきとかすみがあかねを目で追って絶唱した。
「あかね、あんたはまだ猫のままなのよっ!!そんなことしたら、あんたはっ!!」
 なびきはそう呟きながら、地面に吸い込まれてゆくあかねを見詰めた。



つづく



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