◇夢幻香   その5


十三、

 唸るような声を発し、二つの影が激しくぶつかり合う。
 二人の力はほぼ互角。いや、あかねが描き出した偽者の方が強かったかもしれない。
「くっ!」
「諦めなよ…。君より俺の方が強いぜ。何しろあかねが作り出した理想のおまえだからな…。くくっ。言っとくけど、飛竜昇天破も打てるぜ…。気功破だって。」
 握った拳を開くと、青い玉が弾けた。
 乱馬の腕から血が滴り落ちた。青い玉を少し避けそこなったのだ。
「乱馬ぁっ!!」
 あかねが叫ぶ。
「大丈夫だっ!」
 乱馬はあがる息の下から、なんとか状況を打開しようと考えを巡らせた。
「ふふっ。ぼちぼち消えるか?」
 余裕の笑みを浮かべて偽乱馬が間合いを詰める。そして強大な気を溜め出した。香炉の煙がそれに供応するように妖しく光る。
(このままじゃ、やばいな…。)
 乱馬は滴る汗を拭いながら気を発する偽乱馬を見た。
(何とかしねえと…。あかねを守れねえ…。)
 傍ではあかねが心配そうに自分を見ているのと目が合った。
(くそっ!あかねだけは。守る。何が何でもっ!)
 悲愴なほど純粋な決意だった。だが術が無い。その間にも偽乱馬は気を溜めている。大地を揺るがすような大きな気だ。
(命懸けるかな…。散ったっていいや。こいつのためなら。絶対守るって決めたんだ!)
 乱馬は静かに深呼吸した。不思議と気負いは無い。
 乱馬は汗を拭った手を振ったときに、手の先に光るものを見つけた。
「何?」
 軽く握ったその右手の先に、矢が現れた。
「これは…。」
 門を通り抜ける前に男の子から貰った矢だ。
 矢だけではない。良く見れば弓も握られている。

『その矢は必要なときに現れる…。命を懸けても守りたいというおまえの気持ちに反応したんだ。さあ、乱馬よ、今がそのときだ。思う存分打てっ!』
 そんな男の子の声が近くで響いたような気がした。
 乱馬は弓矢を握った。そして大きく構えた。

 偽乱馬が声を発し、気を打ち込んでくるのと、乱馬が弓矢を放ったのはほぼ同時だった。

 ドオンッ!!

 爆音が弾けた。

 偽乱馬が放った気は乱馬の持っていた弓を一瞬のうちに粉砕していた。弓がその気を吸収したので、乱馬もあかねも気に呑まれることはなかった。が、弓が砕けた以上、次の攻撃はできない。
「ふん…何処を狙ってるんだ?俺はこのとおりピンピンしてるぜ…。」
 煙の向こうから偽乱馬が笑った。
「それはどうかな…。」 
 あかねを庇いながら乱馬が偽乱馬を見てにやっと笑った。

 ゴゴゴゴゴ…。

 大気が震え始めた。
「おまえ…まさか…。」
 言葉を失った偽乱馬が後ろを振り向いた。
 香炉に弓矢が刺さっていた。乱馬は偽乱馬ではなく、香炉に矢を放っていたのだ。
「へへっ!おめえの本体はそこにあると睨んだんでいっ!香炉を貫けば、おめえだって…。」
 乱馬はにっと笑って偽乱馬を見た。
「おのれ…。」
 香炉が断末魔の悲鳴をあげ始めていた。
「畜生っ!この俺が…。人間ごときに…。」
 そう言いながら偽乱馬の身体は揺らめいた。そして、一度大きく光を発すると、そのまま空へと炸裂した。
偽乱馬の最後だった。


十四、

「勝った…。」
 偽乱馬が煙の藻屑と消えたとき、乱馬は傍らのあかねの肩を無意識のうちに抱いていた。あかねも自然に寄り添っていた。
「ありがとう…。乱馬。」
 あかねは乱馬を見詰めた。彼女の目には他の誰よりも逞しく輝いて見えた。さっき、虜になっていた乱馬は何だったのだろう。
 改めてあかねは自分の姿にはっとした。
「なんで?あたし、こんな格好してんのよっ!」
 あかねは真っ赤になって俯いた。全然状況が把握できない。何が自分の身の上に起こったのかもわからない。自分が純白なウエディングドレスを身に纏っているという事実がだけが目の前にある。
「たく…。心配ばっかかけやがって。おめえ、さっきの奴と結婚しかけたろうが…。」
 乱馬はぶすっと横を向いた。そいつの為に袖を通したウエディングドレスが気に食わなかった。
「知らないわよ…。そんなこと。」
 あかねは記憶の糸を手繰り寄せる。自分の夢と香に酔わされて、殆ど記憶がない。が、優しい乱馬の面影があった。が、それは、さっきの偽者かもしれない。可愛いを連発してくれた優しい瞳。だが、煙にくすんだ。乱馬はその表情を見て面白くないという顔を向けた。
「へっ!偽者の俺の優しい言葉に騙されやがって…。」
 乱馬は一瞬捉えたあかねから目を離し空を睨んで吐き出す。
「そうね…乱馬が優しい言葉をかけてくれるわけないわよね…。」
「ふん。鼻の下伸ばして…。見てられなかったぜっ!」
 散々の悪態を吐いて来る。
「何よ・・あんた、妬いてるの?」
 あかねは盗み見るように乱馬に視線を投げた。
「ば…。バカッ!んなことねえよっ!俺が誰にヤキモチ妬くってんだよっ!」
 明らかに狼狽しているのが見て取れる。ヤキモチを妬いているのだろう。
 そのサマを見てくすっとあかねが笑った。
「あ、あんだよ…。可愛くねえなっ!」
 乱馬がいつもの言葉を吐き出した。己で吐き出してはっとした。
…そうだ。この言葉で俺はいつもこいつを傷つけてるから…。だから、あかねは…。
 言ってから乱馬は黙ってしまった。この言葉が作り出した世界がここならあかねは…。
 吐き出した後で乱馬はあかねを見詰めた。少し罪の意識にとらわれたのだ。
「ごめん…。」
 乱馬は思わず謝っていた。あかねの笑顔に。そして、そっと伸ばした手に力を入れた。
…違うんだ。本当は愛しくて。だけど上手く言えなくて、天邪鬼になるんだ。…
 心で言い訳しながらそっとあかねを見詰めた。
 今なら少しだけ素直になれるような気がした。
「あかね…。」
 乱馬が言葉を継ごうとしたとき、後ろから声がした。

「何やってるの?乱馬くんっ!あかねっ!早く逃げなさいよっ!」

 声の主はなびきだった。
「な、なびきっ?」
「おねえちゃん?」
 他のみんなは煙と化して虚空へ消えたのに、なびきだけが何故かそこにいる。
「なんでなびき、おめえが…?」
 乱馬が問い掛けて叫ぶと、
「そんなことはどうでもいいわ。早くっ!周りの状況を良く見なさいよっ!」
 
 二人は促されて周りを見た。
 香炉は壊れずに、まだ形を保っていた。
 が、苦しそうに煙を吐き出している。
 周りは暗く、朦朧と揺らめいていた。
 そう、矢を打ち立てた香炉は断末魔の叫びをあげている。この世界が崩れかかっているのは明白だ。

「あたし、先に行くわよっ!早く門から出てきなさいよっ!」
 なびきはそう叫ぶと門をひょいっと越えてしまった。
「行くぜっ!あかねっ!」
 そう吐き出すと、乱馬はひょいっとあかねを抱き上げた。
「乱馬?」
「そのままだと上手く走れねえだろ?生きるも死ぬも、一蓮托生だっ!」
 乱馬は笑いながら駆け出した。
「早く門を越えないと、帰れないわよ。」
「わかってるって。任せとけっ!」
 
 彼が門を潜り抜けたとき、後ろの世界が弾けて崩れた。
「ふうっ!間一髪ってとこだったな。」
 乱馬が振り返りながら言う。そこで逃避行は終わる筈だった。
 が…。
 門を出たところで、急に道が急勾配に下っていた。。
「え?」
 余所見をしていた乱馬は止まる機会を失ってしまう形になった。そう、歩みを止めることができなかったのである。それほど坂道は急だった。やいそれとは止まれない。無理に止まると二人とも道端に放り出されてしまうだろう。
「わわわわわーっ!」
 乱馬はあかねを抱えたまま、それこそ坂道を転げ落ちるように足を動かし続けた。どこまで続くのか果てしない道。あかねをしっかりと腕に抱き勢いを増すその歩みのスピード。緩やかなところになるまで走り続けるしかないだろう。
「乱馬…。」
 怖いのかあかねがしがみ付いてくる。
「大丈夫…。俺がついてるから…。」
 根拠はないが、そう言ってあかねをなだめる。
 危険に晒されているのに、何故か心が弾んできだ。
…俺って不謹慎な奴かもな…
 腕からあかねの温もりが心地良く伝わってくる。まるで式場から強奪した花嫁を抱えて逃げる本当の恋人のようだ。奪い返した許婚。彼女を抱えてひた走り降りる。このまま何処かへ連れ去りたいとさえ思えてくる。自然に笑みが零れ落ちた。
「何笑ってるのよ。こんな状況で…。気持ち悪いわね…。」
 あかねが嬉しそうな乱馬を見て訝しがった。
「悪い悪い…。なんかとっても嬉しくってさ…。」
 乱馬はおさげを揺らせながら答えた。
「何が嬉しいの?」
 あかねが不思議そうに問うと
「こうやって、ウエディング姿のおまえを抱えて走ってるなんて…。やいそれと経験できることじゃないだろ?だから…。」
「だから?」
「これ以上聴くなよ、バカッ!」
「バカで悪かったわねっ!乱馬のバカッ!」
「ちぇっ!可愛くねえなあ…。」
 楽しそうに乱馬がそう囁いた。
「可愛くなくて悪かったわねっ!」
「別に…悪いなんて言ってねえよっ!いいんだ…。おまえは、そのままで。自然なまま俺の傍にいてくれたら…それでいいさっ。」
 語尾になるほど小声になったが、乱馬はあかねに囁いた。精一杯の不器用な愛の言葉を。
 あかねは乱馬にしがみ付きながら、己の心の狭さを悔いた。彼が口にする「可愛くねえ」に込められた深い愛情を、今更ながら知ったのだった。
「ありがとう、乱馬…。」
 あかねは自分が満たされてゆくのを感じていた。等身大で背伸びしないで傍に居て支えてくれる暖かい存在。それが乱馬だとわかった。
 心の中に温かい想いが流れ出した。それは己を満たしてくれる。あかねはそっと抱きながら走る乱馬の肩に顔をくっつけた。

 その時、地面が足元からすぱっと抜けた。

「え?」「わっ!」
 急に途切れた道。二人はそこから真っ逆さまに落ちて行く。乱馬はあかねを守るために、落ちながら、ぎゅっと腕の中へと抱きしめた。
 軽い振動があって、身体は柔らかいものに包まれていた。

 長い沈黙が二人を包んだ。
 乱馬はあかねを仰向きに抱きかかえたまま、背中から地面に倒れこんでいた。
 あかねは彼に守られるように彼の上へと覆い被さるように横たわる。
 人心地がついたとき、二人は自分達の体制を見て、赤面して慌てて身体を起こした。
 その時、頭上で声がした。
『乱馬、あかね。その柔らかい想いをいつまでも大切に。そうすれば、二度と魔の世界に囚われることはない。お前たちが崩したこのまやかしの世界は永遠に封印されるだろう。これで私も安心して眠りにつける。ありがとう。さらばだ…。』
 それはさっきの男の子の声だった。そして再び訪れる静寂。

 乱馬はあかねに絡めていた腕をそっと外すと、起き上がって座リ直した。ちょこんとあかねも座りなおした。あかねのベールが微かに風になびいて揺れた。
「あの…。」「あの…。」
 二人の言葉が重なる。
 また訪れる静寂。
「け、怪我ねえか?大丈夫だったか?」
「うん…。なんとか…。」
「そっか…。」
 乱馬はほっと溜息を吐いた。
「ねえ、乱馬…。」
「ん?」
「あたしってやっぱり可愛くない?」
 唐突にあかねが言葉を突き立てて来た。その言葉に悲壮感は無く、明るい笑顔が浮かんでいる。
 その笑顔が眩しくて、乱馬は思わず言葉に詰まる。二人の時が止まった。
…可愛くねえ訳ないだろ。バカ…。
 目でそう答えると、そっとベールをかき上げて、右手をあかねの頬に当てた。
 そして目を閉じて添えた柔らかいくちづけ。
 触れた唇は甘くて暖かかった。
 満たされる想いを堰き止めたくて、あかねもそっと目を閉じた。


十五、エピローグ

「あーあ。もう、やってられないわね…。」
 傍でなびきの声がした。
「えっ?」「えっ?」
 二人は慌てて唇を離した。
 なびきが腕を組みながら苦笑する。
「なびきっ!」「おねえちゃんっ!」
 急に開けた視界は、あかねの部屋を映し出す。二人が座っていたのはあかねのベットの上。
「たく…。いきなりこれだもの…。」
 ころころと笑い声が響く。
「なんでおまえがここにいるんだよ?」
「だから…。一緒に夢幻界に吸い込まれたのよ。部屋の窓を開けていたらね。あたしの部屋隣だから、煙が充満してきたのね。たく、人騒がせなんだから…。」
「じゃあ、やっぱり、あそこに居たのは?」
「あたしよっ!」
「で、香炉は?」
 照れ隠しに叩きだす疑問。
「そこ。」
 なびきが指差すその方向。香炉はまだ置かれたまま。しかし、赤色輝いていた香炉はただの真鋳色になってくすんでいた。あれほどたぎっていた妖気は跡形も無い。
「普通の香炉にもどったって訳か…。」
 なびきは香炉を手に取りながら話した。
「で、これどうするの?」
「うん…。貰ったおばあさんに返すわ。」
 なびきの問いかけにあかねは笑って答えた。さっきまで着ていたウエディングドレスはいつものパジャマに戻っていた。乱馬はちょっと惜しいような気がしたが、それで良かったと思い直した。
 純白の衣装は他の男のためではなく、いつか、自分のために着て欲しい。
 彼はふっとそんなことを思って微笑んだ。
「それがいいかもね…。返しちゃった方が…。それにしても…。」
 なびきがクスリと笑った。
「乱馬くんも隅に置けないわねえ…。カメラ持っておけばよかったな。決定的瞬間だったのに。邪魔者は消えるから、好きなだけ続きをしなさいね…。」

 パタンとドアが閉まった後にはそのまま赤面して固まる二人。
 続きなんてできる訳が無い。純情すぎるカップルだった。
 二人の傍には、香炉がそっと置かれていた。朝日が昇って、香炉を優しく包み込む。

 乱馬とあかねは太陽が昇りきるまでずっと二人でそこに固まっていたとかいないとか。








一之瀬的戯言
いなばRANAさまのHP開設祝いに勢いで書き殴った小説です。
ひたすらウエディングドレスのあかねを抱えて走って逃げる楽しそうな乱馬を描きたかった私。前から描いてみたい情景の一つだったもので…
無理矢理お願いして、半官半民さまに素敵な挿絵まで描いていただき…感謝感激!
挿絵はRANAさんのページに展示していただきますので、そちらでどうぞ。
昔からファンタジーを描くのは大好きだった私。あ〜楽しかった!

HALFMOONコンビの最初の一作目。
当時のことを思い出しながら…


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