◆炬燵の中の小さな幸せ


 天道家の茶の間には冬になるとどっかりと家具調の少し大きめな炬燵が部屋の中央に据えられる。
「ただいまーっ!」
 春はもうすぐそこに来ているというのに、また寒がぶり返す3月上旬。外は再び木枯らしが吹き荒び、身体は芯から冷え切っている。
 あかねは玄関の引き戸を開けると、真っ先に長い廊下を伝って洗面所に向かった。
 水道の蛇口をひねると凍るような冷たい水が流れてくる。

…冷たいっ!…

 今日は日曜日の昼下がり。
 なびき姉さんはアルバイトと言って出て行った。昨晩、写真を嬉しそうにいっぱい袋詰めにしていたから、大方乱馬(らんま)の写真を九能先輩などの顧客に高く売りつけているか、どこかのレストラン辺りでたかっているのだろう。
 父と居候の玄馬は、修行と称し八宝斎のおじいさんと朝早くに出掛けていった。
 同じく、居候の身となったまま天道家に同居している乱馬の母のどかも、お茶会に出席するとかで、これまた外に出掛けている。
 普段、お買い物に出る以外、殆ど家を空けないかすみ姉さんも、学生時代のお友達と久しぶりに会うからとご機嫌で出掛けてしまっている。
 あかねは高校の友人と宿題の調べ物をしに図書館に出掛けていて、今帰宅したばかり。
 だから、今、家の中に居るのは乱馬一人の筈。
 玄関に鍵が掛かっていなかったところを見ると。家の中の何処かにいるのだろうが、乱馬の気配は無く、辺りは水を打ったように静まり返っていた。

…道場で修業でもしているのかな…あいつ。…

 裏口から道場の方も覗いて見たが、扉は固く鍵で閉ざされていた。

…どこに居るんだろう?

 訝しがりながら茶の間の襖を開けてみると、いたいた。
 乱馬は炬燵の中にすっぽりと身体を入れ込んで、気持ち良さそうに寝息をたてている。 寒い日の午後のうたた寝。これには炬燵が一番だ。
 足元からホカホカしてくると座しているのが大儀になり、何時の間にか一つ二つ座蒲団を身体の下に敷き込んでゴロンと横になる。余った座蒲団は二つ折りにして、枕よろしく頭をのせる。
 テレビを観るのも良し、読書するのも良し。テレビを観賞するのなら、リモコンが側にあれば尚更良い。
 そのまま、贅沢な時が過ぎてゆく。
 そのうち炬燵に包まれた体がホコホコと火照りだし、浅い眠りの淵が迎えにやって来る。

 あかねが乱馬の傍らに視線を落すと、あったあった。手元には半開きのまま伏せられた本が一冊。
 「格闘読本」とかいうタイトルが目に付いた。

…乱馬らしい本ね。…

 文学作品なんて柄ではない。
 指定された現代国語の感想文用課題図書だってちゃんと読んでいるかどうか怪しいものだ。この前だってちゃっかりあかねに感想文の代筆を頼み込んできた。

『自分でやんなさいよっ。』
 って邪険にしたら
『かわいくネエっ!』
って捨て台詞。あまり困らせてやるのも可哀想だったから本の粗筋だけは教えてあげたっけ。

…「格闘読本」、きっとかすみお姉ちゃんあたりが東風先生に借りてきたのを暇つぶしに読んでいたのね。…

 くすっと笑って今度は炬燵の上に目が行った。

 籠に盛られたみかんがいっぱい。

 みかん。
 これは絶対欠かせない炬燵アイテムだ。
 茶色い炬燵の卓上にみかんの橙色はきれいに映えて美しい。
 咽喉の渇きを甘酸っぱいみかんは程好く湿らせてくれる。

 乱馬は皮袋ごとみかんを飲み込んで食すらしく、みかんの抜け殻が一つ分、ちょこんと炬燵の卓上にのっていた。

…あたしも、一つ食べようかな。…

 そんなことを考えながら、あかねは乱馬の寝顔がよく見える位置に腰を下ろした。
 何故だろうか…傍で彼の寝顔を見ていたかった。

…気持ち良さそうに眠ってるわね。…

 あかねはそっと乱馬を覗き込む。

 心が満ち足りている時の寝顔は幸せそうに見える。
 あかねの見た感じでは、悩みの片鱗すら感じられない満ち足りた顔をして乱馬は眠っていた。

…ホントは悩みだっていっぱいあるだろうに。…

 人と違った変な体質を持ってしまった乱馬。
 父との長い放浪生活の末、呪泉郷で呪いの泉に落っこちて、水を被ると女になるという、摩訶不思議な特異体質を持ってしまったのだ。
 悩まない筈はない。

…もし、私がそんな体質になったら、乱馬みたいに明るくできるんだろうか?…

 元来のポジティブさが幸いしているのか、普段の乱馬は変身体質のことなど気にも留めていないようだ。
『完全な男に戻りてぇ!』
 なんて口では言っているものの、女になってもさっぱりとしたものだ。
 時同じくして呪いの泉のせいでパンダになってしまった彼の父親などは、この頃人間でいる時間の方が確実に短くなっている。
『パンダのままの方が、体裁を気にせんでいいから気が楽だ。』
 なんて言っているのを前に耳にしたことがある。
 無論、乱馬も玄馬おじさまも、完全な男に戻りたくない訳ではないだろう。今までに幾度となくそのチャンスを逃してきている父子二人。
 その度ごとに失望はするものの、
『男は細かいことには気にしネエんだ!』
 強がる乱馬。女のままで力説されると思わず笑ってしまうけど。

 マイペースで自身過剰で負けず嫌いで無神経で鈍感で…二言目には『かわいくねえ』を連発する、許婚。

…あたしの気持ち、どこまで分かっていてくれてるんだろう。…

 あかねはふっと溜息を吐いた。

 最初から好きだったわけではない〜彼と出会ったときは、ちゃんと別に恋をしていた。
 いきなり「許婚」として現れて、気がついたら心ごと彼に盗られていた。
 悔しいから「好き」って言えない、素直になれない。
 彼も私のこと、一言も好きだなんて口にしてくれない。やっぱり素直じゃない
 そんな恋にちょっと寂しくなることだってある。

「う…ん。」
 乱馬は急に寝返りを打つ。

…ぼちぼち目覚めるかな?…

 でも、起き上がる気配は無く、また、寝息をたてはじめる。

「あかね…こら、ばかっ。」

ふいに呟くように乱馬が言った。
あかねは名前を呼ばれてびくっとなったが、どうやらそれは寝言らしい。

…夢の中でも、口が悪いんだから。…

あかねは思わず苦笑する。

…夢の中の私に世話でも焼いているんだろうか。…

 また、パタンと寝返りを打つと
「あかね。」
 そう囁いて今度は微笑んでいる。

…いつも憎たれ口ばかり叩いている乱馬だけれど、ホントは優しいんだよね。…

 乱馬のぶっきらぼうな心の奥底に秘めた想いの一片を見せてもらったような気がして、あかねは身体も心も暖まってゆくのを感じた。

…不器用な恋だけれども、それでいい…彼さえ傍にいてくれたら。

 縁側越しに見上げる空は遥かにひこうき雲を棚引かせて、ガラス戸の向こうに青さが突き抜けて見えた。

…いつまでも彼が傍に居て微笑んでくれますように…
 そう願いながら、あかねは一つ小さな欠伸をした。








一之瀬的戯言
 裏乱馬さまのページ(閉鎖)へ投稿したもの。
 小説投稿の初チャレンジ。炬燵に関する考察的なエッセンスにあかねの気持ちを重ねてみました。
 この作品は小説というよりは随筆(エッセイ)に近いかもしれません。
 形体も、段落の代わりにふんだんに改行や余白を使っていました。

 文学的な雰囲気を「らんま的小説」に出してみたいと常々思ってはみるものの、やっぱり、文章のセンスがない…というのが現状ですが…。


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