◇八百比丘尼  前編


プロローグ

 夏休み。
 学生達にとって、この上ない思い出の綴れる暑い日々。
 乱馬とあかねもそうだった。
 高校三年生のひととき。受験だの就職だの、進路について真剣に思い巡らす夏。暫しだけその喧騒を離れて、参画する夏のイベント、学校の林間学校。行き先はこの春にオープンした新しいキャンプ地だった。

「ちぇっ!校長の奴、人の迷惑も考えねえで…キャンプかよぉ…。」
「文句言わないの…。」
「はーっ!かったりーぜっ!!」
 荷物を背負いながらクラスの一団体が行く。クラス単位で出かける二泊三日の簡単な野外活動。「比丘尼谷キャンプ場」。地元ではそんな風に呼ばれていた。
 鬱蒼と茂る森の中に、公営のキャンプ地があった。そこにテントを張り、三日間の野外活動をする。それが三年F組の組んだ日程。乱馬とあかねは例を違わず、また同じクラス。だから同じ日に来られた。
 班単位でカレーを煮込んだり、野営の準備をしたりと大忙しである。
「あかねは調理班には絶対に入るなよっ!!」
「うっさいわねっ!!」
「おえめは力が男並にあるんだから、力仕事やれっ!!」
「何よっ!何で班長でもないあんたに指図されなきゃならないのよっ!!」
 相変わらずの二人である。そんな賑やかな許婚たちを、クラスメイトもまたかというような目で見つめる。気温とともに熱くなるなる痴話喧嘩…。それをやれやれといった視線で見守る。
「あんたたちって、本当に仲がいいのね…。」
 ゆかが笑って窘(たしな)めに入る。もう、咎(とが)めるのも馬鹿らしい様子だ。
 完全に班行動の野外活動。男子五名と女子五名。メンバーも気心が知れた仲間となる。班分けの時にわざとそうした。乱馬とあかねを離すとまた何か厄介ごとを起こすのではないか…。周りはみんなそう判断して、当人達の照れはお座成りにして、無理矢理同じ班にくっつけた。
 くっ付けられれば反発するのが、この二人のパターン。わざわざ気を回されているのに、もう喧嘩の花が咲く。
 困ったものだ、と周りの皆は溜息を吐く。

 それでも、無事に夕ご飯を作り、野営地を建てる。流石にテントは同じ班といえども男女は別々。
 キャンプ地の気楽さ。夜は比較的自由時間が多い。
 薪を囲んで、ああだのこうだのと談義に花が咲く。こういう場で賑わうのは恋の噂話と怪談ネタ。
 このクラスにはご丁寧に五寸釘までいたから、怪談話には不自由しない。普段は教室の隅っこで大人しい彼も、怪談となると俄然張り切り出される。
 生臭い話は尽きない。
 
「ねえねえ、知ってる?ここがなんで「比丘尼谷(びくにだに)」って言われてるか…。」
 ゆかが面白おかしく話し始めた。
「当然知ってますよ…。」
 五寸釘がにやりと笑う。
「この辺りには、昔から「八百比丘尼(やおびくに)」って呼ばれる尼さんが住み着いているという伝説でしょ?」
「八百比丘尼?」
 大介がきびすを返した。
「ええ…。若い男の精気を吸って数百年という時を生きる妖力を持つ女性の尼さんですよ。美しく妖艶な容姿で男を手玉に取り、若さを保つために贄とて生き血や精気を吸い取るのだそうです。この辺り、昔から奇怪な事件が定期的に起こるから、本当に比丘尼が住み着いているって言われてるんですよぉ。ふふふ…。」
 五寸釘の顔が蒼白く揺らめく。
「五寸釘…てめえ、怖えーよっ!」
 ひろしが呟く。
「八百比丘尼ねえ…。聞いたことがあるというか…会ったことがあるような…。」
 あかねがふいっと言葉を継いだ。そうして火を見ながら沈黙した。
「会ったって?あかねっ?」
 隣のゆかが訊いた。
「あかねさん…。知ってるんですか?」
 五寸釘がちろっとあかねを見た。興味津々な顔つきだった。
「うん…。なんだか記憶の底に反応するものがあるんだけど…。んな訳ないよね…。この辺りの森も来たことがあるような気もしたんだけど…。」
 あかねの様子を乱馬だけは黙って聞いていた。軽く彼はあかねの言葉に反応したのだが、誰もその様子に気がついたものは居ない。

(あかねの奴…。まだ、記憶が残ってるのか?完全に消えちまった筈なのに…。)

 残り火を見つめながら乱馬は想いを巡らせた。

 そう、あれはちょうど去年の夏のことだった。




一、

「ねえっ!なんであたしまであんたにつき合わされなきゃならないのよっ!!」
 あかねはご機嫌斜めな風で乱馬に言葉を投げた。
「知るかよっ!こっちが聞きてえよっ!!たくっ!修行だってかこつけて、親父たちめっ!こんな山奥に連れてきやがってっ!!」
 大きなリュックを背負いながら乱馬が言葉を乱暴に投げ返した。
「あーんっ!もうっ!!おまけに、シャンプーやムースまで一緒に来るなんてっ!!最悪よっ!!」
「しゃあねえだろ?連れてこられたものはっ!!」
 乱馬も鼻息が荒い。
 シャンプーの婆さんに謀られて、修行に連れて来られた。いや、正しくは修行という名を借りた妖怪退治らしい。

「細かい事は気にしないのっ!ねっ天道くんっ!」
「そうそう、思い悩んだって仕方がないもんねっ!早乙女くん、あーははははっ!!」
 早雲と玄馬は遠足気分で先を行く。
「で、どんな妖怪なんじゃ?おばばさまっ!!」
 ムースは良く見えない目を瞬かせてあかねを覗きこむ。
「誰が、おばばさまよっ!だれがぁーっ!!」
 あかねはそう怒鳴るとムースを足蹴にした。
「凶暴女ね…。あかねは。ま、いいね。あかねに退治できる妖怪なんて居ないね。せいぜい乱馬とわたしの活躍、指くわえて見てるといいね。」
「ほーほほほ。退治した者には金一封が出るからのう。せいぜいがんばるがいいぞ…。」
 コロン婆さんは高らかに笑う。
「金一封手に入れて、帰りがけに乱馬と温泉に行くね…。そして二人は、混浴で…。」
 シャンプーは饒舌になっていた。何か想像しているらしく、目はウットリと空を見つめる。

「ふんっ!勝手に妄想してなさいっ!」

 あかねはとにかく機嫌が悪かった。
 それもその筈、折角のクラスメイトとの旅行をキャンセルさせられて引っ張って来られたのだ。鼻息が上がるのも無理はない。それに、さっき、森の中で足を木にこすりつけて少しばかり足首に傷を追ってしまっていた。たいした傷ではなかったが、Gパンが触れるとひりひりと痛んだ。

「ちぇっ!面白くねえっ!」

 乱馬もすこぶる機嫌が悪かった。大方、金に目がくらんだ親父たちの姦計で己も連れて来られたのだろうと踏んでいた。シャンプーはまだしも、許婚のあかねまで一緒にいる。
(あかねまで危険に巻き込む事はねえだろうっ!!馬鹿親父っ!)
 足場の悪いぬるぬる道を行きながら、乱馬は彼なりにこの一件に対して腸(はらわた)を煮えくり返していた。

 山の鋭気は何かを確かに孕んでいる。
 そんな感じだった。武道家の彼の第六感が何か禁忌(きんき)めいたものを捉えて止まない。

(何も起こらなきゃいいけどよ…。)

 彼らが入ったのはキャンプの造営予定地だった。

「へえ…。こんなところにまで人が入るのね…。」
 あかねは工事現場を見渡して言った。ブルドーザーやショベルカーが山を削っている。
「ああ。なんでも、この先に、妖怪が巣食う場所があるんだそうだ。工事が始まって、事故ばかり起こるらしい。それに、若い男が何人か行方不明になっているらしいんだよ。」
 早雲が顔をきりっと引き立たせて言った。
「それで俺達の出番って訳か…。ちぇっ!で、なんであかねやシャンプーまで居るんだよ…。」
 乱馬は苦々しく工事現場を見つめる。
「女の妖怪だそうだ…。この辺りの伝説に折り込まれた。」
「女の妖怪?」
「ああ、悲しい性を背負った老妖だそうだ。」
「誰か見たのかよ…。」
「工事現場のおやっさんが命からがら逃げ出してきたっていうことだ。恐怖に打ち震えて、良くは話してくれないらしいが…。」
「老女の妖怪だからって、なんであかねやシャンプーなんだよ…。」
「さあな…。コロンの婆さんが、ついでだから一緒にって言ったんでな…。」
 早雲も様子はわからないらしい。
(コロン婆さんが絡んでいるのなら、絶対何かある筈だ。)
 乱馬の勘がそう言っていた。
(あかねを危険に巻き込まなきゃいいが…。)

 妖怪退治といっても、何をするべきかわからずにその晩は工事現場にテントを設営した。
 でも、トラブルメーカーたちが揃う山中。いろいろすったもんだはあった。
 あかねだけならまだしも、シャンプーまで居るのだ。事態はややこしくなって当然だ。

「ねえ、乱馬。私の作った料理食べる宜しい…。」
 シャンプーはうきうきと乱馬にこびり付く。
「いい…。俺は自分で食料調達してくる!」
 あかねの鋭い視線を感じながら乱馬は無愛想に言う。
「あかねに気兼ねなんてしなくていいね…。乱馬は私の婿殿ね。」
「だーっ!暑いからくっつくなっ!!」
「もう、照れやさんね、乱馬は…。」
 必要以上にべたつくシャンプーを持て余して、乱馬は逃げの体制に入る。
 あかねとムースが物凄い形相で、じゃれるシャンプーを見つめていたのは言うまでもない。
「たく…。いつまでじゃれあってるのよ…。早く食事しちゃいなさいよ。」
 あかねが不機嫌に物を言うと
「あかね、私たちのことはほっといてくれていいね。あかね、ムースの相手してるよろし…。」
 などと答えを返してくる。
 もう、勝手になさいと言うあんばいにあかねはソッポを向いてしまった。
「おい…。あかね。くおらっ!すねるなよっ!!」
 慌てて乱馬がとりなしに入ろうとするが、フンッと鼻息であしらってとっととその場を立ち去った。

 そんなあかねを妖しげに眺める目が二つ。暗闇に蠢いていた。
…ふふふ。気の強そうな性格。おまけに飛び切りの美少女じゃないか…。媒体にするのに丁度いい…
 その瞳はにやりと笑った。
…みせてやろう…我があやかしの術…。

 天上を見上げると、東京では見られないくらいの星空が降りてくる。
 天の川が煌めき、静かに瞬く。
「あーあ…。妖怪退治かあ…。なんで、あたしまでつき合わされなきゃならないのよ…。乱馬は相変わらず優柔不断だし…。そんなに嫌ならもっと凛とした態度で臨めばいいのに…。馬鹿…。」
 そんな言葉を空に呟く。
「乱馬にとってあたしって一体何なんだろう…。」
 今更ながらにそんな疑問を己に投げかけてみる。
 「許婚」となってこの方、乱馬はほとんど優しさの欠片など自分に見せてくれた事は無い。ただ、時々感じる優しさだけが一縷の安らぎを与えてくれる。だが、それだけ。
 乱馬は殆ど自分の気持ちを顕にしないのだ。物凄くウブで奥手なのはなんとなくわかる。だが、あかねも年頃の夢見る少女。恋の時めきに少しは身を任せてみたいと思う事もある。
「あーっ!なんであたしがこんな想いしなきゃならないのよーっ!!」
 そう吐き出してふっと見上げた。

「え?」
 その時あかねは己の視線の先に乱馬とシャンプーを見た。
「ちょっと…。」

 乱馬とシャンプーが意味深に見詰め合っているではないか。声は良く聞こえなかったが、尋常ではない。どう見ても恋人同士…。

「乱馬…。私のこと好きね?」
「ああ…。」
「だったらそっとキスするね…。」
「じゃあ、目を閉じて。」

 耳を疑いたくなるような囁きが聞こえてくる。

…そんな…。何故?乱馬っ!!
 
 耐えられなくなってあかねは、そこを飛び出した。


…ふふふ…。これでおまえは我が術に落ちた…。さあ、私の媒体とおなり…。

 木の葉の影で不気味な目が飛び出したあかねの背中をじっと見つめながら笑っていた。


二、

 あかねは走った。闇雲に…。
 何処をどう抜けたのかわからないが、とにかく、いたたまれない気持ちになって暗闇を駆け抜けた。
「痛いッ!」
 足元で何かが煌めいた。ズボンをはいていたが、足首辺りを何かがかすめた。
 止まって見ると夕方擦りむいたところから血が噴出していた。
 流れる血は赤い。あかねはその色に何故かこの上ない無常を感じ始めていた。
「さっきの…何だったんだろ…。」
 あかねは先ほど見てしまった乱馬とシャンプーの情景が頭にこびり付いて離れなかった。ドキドキと心臓が高鳴り始める。
「乱馬…本気だったのかな…。」
 悲しくなった。
 いくら口で悪態をついていても、他の女の子達に言い寄られても乱馬だけは…。そう、乱馬だけはと信じていた。彼の見えない心は、常に許婚の自分の上にある…。そう思ってきた。それを根底から覆すようなさっきの光景。
 
…シャンプーとコロン婆さんの姦計にでもはまったのだろうか?それとも本当に自分は彼に愛想をつかされたのだろうか?

 頭に血が上って、冷静に居れらない自分が在った。

「どうしよう…。」
 
 皆のところには帰り辛い。乱馬と顔を会わせるのも嫌だ…。だが、いつまでも暗い山の中に居る訳にもいかないだろう。
「戻ろう…。」
 揚々落ち着きを取り戻して、冷静に立ち返ったとき、先に人家が見えた。

…こんな山中に家?

 あかねは誘われるように、その明かりの方へと歩き出していた。
 引き戸を開けてそっと中を覗いた。
 中は煤けていて、ちろちろと蝋燭の明かりがともっていた。

・・もしかして、妖怪の住処?

 そう思った時、背後で気配がした。

「もうし…。娘さん…。こんな夜中に何の用かな?」
 びくんとして振り返ると、老婆が居た。黒い法衣をまとい、頭には白い頭巾をあてていた。そう、何処から見ても「尼僧」であった。

…比丘尼かもしれない…。

 あかねはそろりと後ずさる。
「怖がらなくてもいいよ…。何もおまえさんを取って食おうなどとは思わんよ…。」
 老婆はニタリと笑った。
「あ、あの…。」
 どう言葉を継げばいいものかあかねは躊躇った。
「娘さん、何か悩みでもおありかのう?こんな老婆でよかったら少しは相談にでものってしんぜようかのう…ほほほ…。」
 深い皺が老婆の顔をさらに揉みくちゃにした。
「え…あの…。」
 あかねは咄嗟に身動きが出来なくなってしまった。足はその場に凍りつく。
「ほお…。娘さん…。いいのう、あんたには若さが溢れている…。」
 ゆっくりと老婆はあかねに近づいた。

…逃げなきゃっ!!

 格闘家の本能がそう示していた。しかし、思いとは裏腹に身体は金縛りにあったようにピクリとも反応できなかった。そう、あかねは既に老婆の手の中に落ちていた。

「くくっ…。もうおまえは動けまい。私の蜘蛛の糸にひかかったのだから…。さあ、その身体、私が貰い受けてもっと美しく咲きほころばせてあげよう…。瑞々しい…。」

 そう言いながら老婆はあかねに近づく。

「嫌っ!」

 あかねは必死で抵抗を試みる。が、全ての動きは老女に封じ込まれていた。
 老女はちろりと赤い舌を出した。そして皺枯れた手であかねの頬に触れた。
 ぞくっとした悪寒があかねを突き抜ける。
「来ないでっ!」
 恐怖で心を震わせながらあかねは叫んだ。
「大人しくおしっ!さてと、私の毒液をたっぷりとおまえの身体に注ぎ入れてあげよう…。」
 そう耳元で囁くと、老婆はふっとあかねに蒼い吐息を吹きかけた。
「あ…。」
 あかねの口から小さな叫びが漏れた。
 身体がかすかに痺れはじめた。
 でもまだ抵抗を止めようとしない。最後の力でもがく。
「ふふ…。生きのいい娘だね…。でも、これでどうかね…。」
 老女は人差指を突き立てると、つうっとあかねの瑞々しい腕に触れた。
 そこから蒼い液体をあかねの血液へと侵入させる。
「これで最初の獲物がかかる頃には、媒体液が身体中に満ちるだろう…。そうなれば、おまえの身も心も私の物に…。せいぜいその若い肉体で、男たちのエキスを吸い取っておくれ…。くくっ。」
 老女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「う…ん。」
 あかねの身体がビクッと一度大きく動くと、だらりと力が抜けた。
 そして彼女の瞳から光が消えていった…。


三、

「たく…。あかねの奴、どこまで行ったんだよっ!!」
 乱馬は居なくなったあかねを探して森を駆けていた。
「あかねなんかほっといたらいいね…。」
 隣でシャンプーが口を尖らせる。
「んな訳にいかねえだろっ!」
 まとわりつかれながら乱馬は迷惑げに声を荒げる。
「何処へいったんじゃ?あかねくーんっ!」
「あかねーっ!居たら返事しなさい…。」
 玄馬も早雲も連れ立って探していた。
 あかねが皆の元から離れてかれこれ小一時間。
 なかなか帰ってこない彼女を心配して、手分けして探し始めていた。

 森の中はシンとして冷気が漂い始めている。

「ねえ…。あんなところに明かりがあるね…。」
 シャンプーが指差した。
 まとわりつかれているのを迷惑がっていた乱馬は彼女の指した森の奥を見詰めた。
 とろとろと漏れる光の中。いかにもという妖しげな民家。

 と、人影を見つけた。

「あかねかっ!?」
 乱馬は呼び止めた。
 呼び止められて振り向いた姿はあかねとそっくりの少女だった。が、着ている服が違った。
「あかねじゃねえのか?」
 恐る恐るもう一度声をかけると、
「誰じゃ?」
 と中から声がした。出てきたのは皺まみれの老女。
「あのう…。俺たち、あかねっていう女の子を探しているんですが…。」
 乱馬はあかねにそっくりな少女を横目で眺めながら老女に話し掛ける。
「あかね…?聴き慣れぬ名前じゃなあ…。」
 老女はふふふと揺らめくような妖しい笑みを浮かべた。
 傍らの少女は黙って虚ろに乱馬とシャンプーを見つめていた。

…あかね…。じゃねえのか?

 目の前の少女を怪訝そうに乱馬が眺めていると
「この子がどうしたのかのう?」
 老女が笑いながら尋ねた。
「あ…。いや。あかねにソックリだったもので…。」
 乱馬が言った。
「そうかそうか…。さ、おまえは客人たちにお茶でも入れておいで…。」
 老女は少女に指示をした。
 少女は黙って頷くと奥へと消えた。

「あかねに似てるね…。婆さん、あの子は誰ね…」
 シャンプーも気になったのか老婆に問い返していた。
「孫娘じゃよ。不憫な子でのう…。口が利けんのじゃ。」
 そう言って老女は含み笑いを浮かべた。
「ふうん…。」
 暫くしてあかねに似た少女は湯飲みを二つ持って現れた。
「どうれ、何にもない山中じゃが…。折角ここまで渡って来なすったんじゃ。お茶でも飲んでいかれるがええ…。」
 老婆は茶を二人に勧めた。
 断る理由もなかったので、シャンプーと乱馬は茶に手を伸ばしてすすりはじめた。
「こんな、山の中に住んでて、不自由ないね?」
 シャンプーは屈託なく老婆に問い質す。
「慣れたらこういう山中もいいものじゃよ…。」
「ふうん…。」
 乱馬は二人のやり取りを聴きながらじっと少女を見つめていた。鋭い武道家の彼の目は、彼女の身体を上から下まで舐めるように見つめていた。

…気にくわねえな…

 乱馬は湯気の上がる茶を嗅いだ、と、軽い目眩を覚えた…。
「!!」
 何か入っている。早直感した。

「婆さん…。何企んでやがる…。」
 乱馬は湯飲みを下に置くと老婆を見つめ返した。
「何も企んどりゃせんよ…。ワシはただ…若いエキスが欲しいだけじゃっ!!」
 そう言うと老女は牙を剥いた。

「けっ!正体現しやがったなっ!!」

 乱馬は叫んだ。
「シャンプーッ!」
 横に居た彼女を見てはっとした。
 茶を口に含んだのだろう。彼女は、喉元を抑えながら苦しんでいた。
「何、入ってたか…。」
 飲んだものを必死で吐き出そうとシャンプーはもがいた。
「て、てめえっ!何の真似だっ!!」
 乱馬は中段に構えながら老女を見据えた。
「なあに…。ちょいとした痺れ薬を混ぜておいただけじゃよ…。ふふ…。」
 老女の毛は逆立つ。

「そこまでじゃっ!!」

 背後でコロンの声がした。

「曾婆ちゃん…。」
 シャンプーは苦しい息の下からコロンを見つけると叫んだ。
「よくも、わしの大事な曾孫に…。覚悟は出来ているだろうな…。八百比丘尼よっ!!」
 コロンは杖をかざして老婆を牽制した。
「ふふ…いかにも、ワシは八百比丘尼よ…。」
 愉快そうに老女が声を上げた。
「おおっ!伝説の妖怪が、今ここにっ!早乙女くんっ!!」
「天道くんっ!!我ら今こそ力を併せて挑もうぞっ!!」
「オラのシャンプーに何するだっ!」
 早雲と玄馬、ムースも婆さんの後ろから顔を出した。

「ゆくぞっ!」
 真っ先に向ったムースは、目が良く見えないのか、あらぬ方向へと攻撃を仕掛けた。
「こりゃっ!ムース。ワシに向かってきてどうするっ!うつけものっ!」
 コロンの杖先にムースはあっけなく沈んだ。

「ふふ…。おぬしらのような若造にやられるような私ではないぞよっ!」

 老女はそう言い放つと両手を広げた。すると、見る見る黒い袈裟懸けの瑞々しいまでに妖艶な女性が立ち現れた。
「おお…。なんとっ!」
 玄馬はその姿に暫し見惚れた。
「う、美しいっ!!」
 早雲も見惚れた。

「惑わされるでないっ!!」
 コロンは気概を吐いた。
「おぬしらが気、根こそぎ私が頂くっ!!」
 袈裟衣に変化した妖怪は、数珠を手前に構えると、カッと目を見開いた。

「うぐっ!!」
「こ、これは…。」

 早雲と玄馬の気が前へと飛び始めた。

「うわあっ!…。」「ぐおおっ!…・」
 つんのめるように二人はどうっと前へと倒れた。

「ホホホホ…。中年男とはいえ、美味しい気のエキスを持っているね。武道家の熱き身体。どうれ…。そちらの男はもっと若いのう…。」
 老女は倒れたムースにまで魔手を伸ばして気を吸い込んだ。
 妖怪は心なしか早雲と玄馬、そしてムースのの気を吸収して、妖力が増したように見えた。
「させぬっ!!」
 コロンは持っていた杖に己の闘気を溜めて解き放つ。
「ぐわあ…。女の気は嫌いじゃっ!」
 妖怪はコロンの気を避けるように身を屈めた。
「やはりおぬしの弱点は女の気か…。ワシが睨んだ通りじゃな…。ならば得と味わえっ!シャンプー、一緒に併せるんじゃっ!!」
「わかたっ!曾婆ちゃんっ!」
 痺れ薬で身体が利かないなりにもシャンプーは力を振り絞る。
「それっ!!」「やあーっ!!」
 コロンとシャンプーは女傑族の意地を見せて、妖怪目掛けて気を解き放った。

 ばあんっ!

 音が弾けた。
 あろうことか、妖怪はあかねの身体を盾にして難を逃れていた。そして、同時につんざくような禍々しい気をコロンとシャンプーへと飛ばしていた。
「む、無念。後は任せたぞ…婿殿…。」
「乱馬…。頑張るね…。」
 コロンもシャンプーも敢無く沈んだ。



つづく



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