◆HOT LOVE


 「大丈夫、任せとけってっ!病人は大人しく寝とけっ!今日は幸い稽古日じゃあねえし、出稽古もないからな…。」
 乱馬はそう言って、腕をたくし上げた。
 「ごめんね。世話ばっかりかけて。」
 あかねは床に横たわりながらすまなさそうにかすれた声を出す。
 「龍馬、未来っ!父さんと買い物に行くか?」
 乱馬は隣の部屋で遊んでいる子供たちに声を掛けた。
 「うんっ!行くっ!」
 「行くっ!行くっ!」
 同時に鈴のような良く響く声がして、ひょこっと幼い顔が二つ現れた。
 一人は男の子。乱馬のようなおさげをしている。もう一人は女の子。この子もおさげを揺らせている。双子だ。だが、一卵性双生児ではないので二人は少しずつ顔つきが違っていた。
 「じゃあ、ついておいで。」
 乱馬はにっこりと微笑むと後ろの妻を振り返った。
 「ちゃんと横になってろよ。これ以上こじらせたら承知しねえからな…。」
 そう念を押して、子供たちと玄関を出た。

 「ねえ。お母さん大丈夫?」
 父親の傍らで心配げに未来が見上げて声を掛けた。
 「ちゃんと元気になるかなあ…。」
 もう片方の手を繋いでいた龍馬も神妙な顔つきをしていた。
 「なんだ、なんだ。おまえたち、母さんが気になるのか?」
 乱馬は笑いながら二人を見詰めた。
 「大丈夫。昔っから母さんは強いんだぜ。ちょっとやそっとの風邪では参らないよ。でも、幾分熱が高いみたいだからな。龍馬も未来も、母さんの寝ている傍で騒いじゃあだめだぞ。」
 父親らしく乱馬は二人に交互に話し掛けた。
 「ねえ、お父さん。今日の晩ご飯はどうするの?」
 龍馬が心細げに訊いて来た。
 「おじいちゃんたちやおばあちゃん、いないんでしょ?」
 「なびきお姉ちゃんが作るの?」
 それぞれ口々に訊き惑う。
 「なびきは外で食ってくるって出て行ったし、おじいちゃんたちは町内会の旅行だから、俺たちが作るんだよ。」
 乱馬はそう言って笑った。
 「え?」
 「私たちが作るの?」
 意外な顔つきで二人が父親を仰ぎ見た。
 「そうだよ…。おまえたちももう幼稚園に行ってるんだから、お手伝いできるだろ?」
  楽しげに乱馬が答えた。
 「うん、未来がんばる。」
 「俺もがんばる。」
 二人は小さく頷いた。
 
 買い物は近所のスーパーマーケットで。三人とも買い物に慣れているわけではないので、野菜一つ買うのにも時間がかかる。白菜や白ねぎ、人参、シイタケとそれでも順番にカゴは溢れてくる。
 「ねえ、今晩何作るの?」
 未来が目を輝かせて父親に訊いた。
 「鍋だよ。」
 乱馬は楽しげに答えた。
 「お鍋?」
 龍馬も訊き返してきた。
 「そうだよ。素人にはこれが一番のご馳走だからな。」
 乱馬は笑いながら答えた。
 そうなのである。一家の主婦が寝込んでいる以上、慣れない者が台所に立つとなれば、できるだけ調理が簡単で、それでいて栄養があって、なおかつ温まるものがいい。いろいろ考えをめぐらせて出てきた一つの結論。それは「鍋料理」。
 乱馬はざっと売り場を見渡して、買い忘れが無いか確かめるとレジに立った。
 勘定を済ませて外へ出ると、白いものがちらちらと舞い始める。
 「早く帰って、支度しような。ちゃんと二人とも手伝うんだぞ。」
 乱馬は二人の子供たちに話し掛けた。
 許婚だったあかねと結婚してどのくらい経つだろう。二人ともすっかり大人になっていた。双子が生まれて、不器用なあかねの気苦労は前にも増して大変だろうと思う。やっと、幼稚園にあがり、少し息をつけるようになったろうか?それでも、子供というのはこちらが想像できないことを簡単にやらかしてくれるので、毎日がヒヤヒヤのし通しというのもそう変わっていない。
 そんな毎日の連続の中で、珍しく風邪を長引かせてしまったあかね。
 …たまには労わってやらないと。
 こんなことを考えながら帰り道を辿る。
 龍馬がひょいっと塀へ上った。それにつられて未来も塀の上へ。
 「おいっ!そっちを歩くのもいいけど、川へ落っこちるなよ。」
 買い物した袋を両手に抱えながら乱馬が二人を見上げた。
 「へっちゃらだいっ!」
 龍馬が器用に歩きながら答えた。さすがに乱馬とあかねの子供だけあって、二人とも運動神経は天性のものが備わっているようだった。川沿いの塀の上も、事も無げに上がって、歩くことができる。普通の親なら、しかめっ面をしそうな動作だが、乱馬は咎めだてもせずに歩いた。
 …俺も昔はよくこの塀を上ったもんだなあ。…
 雪に霞む夕暮れを眺めながら、乱馬は子供たちを見上げた。
 さすがに最近は少年時代のように、塀へ上がって闊歩することはなくなっていた。この塀の上をたたたっと走りながら、高校へ通ったのが随分昔のことのように思えてきた。
 …あの頃のあかねは勝気一点張りだったな…
 塀の上から彼女を見下ろしながら駆けていたあの頃。彼女をはじめに見初めて「可愛い」と思ったのも、確かこの塀の上だったと思う。そう、良牙に長くふさふさしていた髪を切られて、短くした日。恋に破れて泣きはらした後の笑顔を覗き込んだとき、不覚にも「可愛い」と思ったのだっけ。その後突き落とされて水浸しにされたことが鮮やかに甦る。フェンス越しの彼女の笑顔。夕焼け雲に輝いて見えたあの日。
 乱馬はそんな記憶を辿りながら、彼女との間に生まれてきた二人の子供たちを愛しそうに眺めた。
 「おいおいっ!走るのもいいけど、落っこちるなよっ!」
 言っている矢先に未来が滑ったT。
 「あぶねえっ!」
 そう叫んだが、未来は慣れたものらしく、道側のほうへバランスを移して辛く着地した。 
 「大丈夫か?ほれ、言わんこっちゃねえっ!」
 「大丈夫、未来、泣かないもん。」
 そう言って下りる拍子に擦りむいた手に息を吹き付けた。
 「未来は母さんに似て、お転婆だなあ。」
 乱馬は白い歯を見せて笑った。
 「お転婆って?」
 未来は不思議そうに父親に訊き返した。
 「どうしようもないくらい元気な娘っ子のことだよ。」
 あかねもお転婆だった。おまけにじゃじゃ馬で、目が離せなくって。そうこうしているうちに本気で好きになっていた自分を思い出したのだ。最初、出会った頃は随分彼女のお転婆ぶりに目を見張ったものだ。
 父親にとって娘は目に入れても痛くないほど可愛いものだと世間では言うけれど、愛した人の仕草や表情にどことなく似ているので、そうなるのかもしれない。未来にあかねの姿が重なった。乱馬はそんなことを思う自分がおかしかったので、くすっと笑った。
 「お父さん、どうしたの?」
 急に思い出したように笑う父親が不思議だったのか、未来は乱馬の顔を覗き込んだ。
 「何でもねえよ。出会った頃の母さんのこと思い出しただけだよ。」
 乱馬は未来を眺めながらそう答えた。
 ちらついていた雪は止んでしまい、夕焼けが一層きれいに輝き始めた。
 
 
 家に帰り着くと、早速夕飯の仕込みにかかった。
 台所に立って、湯沸し器のガス栓を捻り、お湯を出す。荒い桶に野菜を漬け込むと、ざぶざぶとそれを洗い始める。
 「ほら、二人とも、ぼんやりしてねえで、皿出したり、箸並べたりしておけよ。」
 乱馬はてきぱきと指示を出す。普段はあまり台所に立たない乱馬だが、今でもたまには山へ修行に入ったりするので、こういった料理には結構手馴れていた。大雑把だが豪快に材料を切りそろえてゆく。 「人参嫌だなあ…。」
 龍馬がそんなことをぽつんと言った。
 「男が好き嫌い言ってちゃあ、強くなれねえぞっ!」
 乱馬はすまし顔で嗜めた。
 「ちぇっ。お父さんもお母さんと同じこと言うんだなあ。」 
 龍馬は少しむくれて見せた。
 茶の間の食卓へカセットコンロを持ち出して火を入れた。
 昆布を水から入れて沸騰させて出汁をとる。くつくつと茹ってきたところで、材料を入れてゆく。本当は青菜などは後で入れた方がいいというのだけれど、その辺りは素人の料理。溢れんばかりに土鍋に材料をぶち込んだ。
 おかげで、煮だったときに後からあとからあとからお湯が吹き出す始末。
 仕方なくすぐに蓋を開けたので、かえって煮えるのに時間がかかる。
 「ねえまだ?」
 お腹がすいたのか、龍馬が箸をくわえながら父親の顔を覗き込む。
 「まだまだ。」
 煮立つまでの時間は結構長く感じられるものだ。
 「まだかな。」
 未来もわくわくした様子で鍋の表面を見ていた。
 「まーだだよ。」
 乱馬はしたり顔で答える。蓮華を持って、薬味を入れて、たれ代わりにポン酢をしたためて。待つこと数分。
 「もういいよ。」
 という声を合図に、一斉に鍋を突付きだす。
 「おいおい、そんなに慌てなくっても、材料はまだまだあるんだから。」
 せっつく子供たちに思わずそんな声を掛けた。
 殆ど乱馬が用意したというものの、やはり、少しは手伝った鍋料理。子供たちにもその味は一塩で、もくもくと箸を動かしていく。
 「しっかり食べろよ。」
 乱馬も鍋の材料を入れ足しながら目を細めて言い放つ。
 食事が終わる頃には、寒かった身体も、ほこほこといい気分になっていた。
 
 「ねえ、お母さんはご飯食べないの?」
 未来が女の子らしく、気を配ったことを乱馬に尋ねてきた。
 「そうだな…。母さんにもちゃんと食べてもらわなきゃな。」
 ざっと食卓を片しながら乱馬が言った。
 「もうそんなに材料がないよ。」
 心配げに龍馬が覗き込んだ。
 「大丈夫、父さんに任せておきな…。」
 そう言って乱馬は鍋に冷ご飯を入れた。
 「何作るの?」
 未来が興味津々に眺めていた。
 「父さん特製のオジヤだよ。母さんにはこれがいいだろう?」
 鍋の後のオジヤは、栄養がたっぷりだ。残った野菜を細かく切って、乱馬はくつくつ煮詰める。そして、玉子をさっと溶いて、軽く醤油で味を付ける。
 少し大きめの器に盛って出来上がり。
 「おめえたちも、まだ残ってるから、食べていいぞ。」
 子供たちは待ってましたとばかり、小さな目を輝かせる。散々たらふく食べたくせに、オジヤは軽々と入るのだから不思議だ。
 「食ったら、テレビでも見ておきな。」
 そう言うと乱馬は盆に器を乗せて、あかねの寝ている部屋へそれを持っていった。

 「少し腹に入れとかねえと、薬も飲めねえからな。」
 そう言いながら身を起こしたあかねにハンテンを掛けてやった。
 「ごめんね…。」
 あかねは小さく笑う。
 「だから、謝るなって。」
 乱馬はそう言って嗜めた。
 「ちょっとはましになったか?」
 赤らんだ顔を覗き込みながら乱馬はあかねを気遣う。独身の頃にはあまり見せなかった優しさかもしれない。
 「うん。でも、まだ熱っぽい。」
 確かにほてった顔をしている。
 「お転婆娘も、風邪じゃあ台無しだな…。」
 乱馬は笑いながら答えた。
 「お転婆娘って誰のこと言ってんのよっ。」
 あかねはちょっと膨れて見せた。そんなところは娘の頃と変わりない。
 「ほれ、これ食べて薬飲んでさっさと寝ろっ!」
 口調は乱暴だが、優しさに溢れている夫。申し訳ないと思いながら甘えてしまう自分。
 「美味しい…。心も身体もあったまるわ。」
 蓮華で一口頬張ると、あかねはそう言ってほっと息を吐いた。
 「あったりめえだ。龍馬と未来、俺の想いが入ったメシだ。そん所そこらの物とは違うさ。」
 乱馬は誇らしげに言ってのける。
 「そうよね。あの子たちも随分大きく育ったものね。」
 あかねの目からするりと涙が零れ落ちた。
 「何塩らしく泣いてるんだよ…。おめえらしくねえ。」
 乱馬は不思議そうに覗き込む。
 「だって美味しいんだもの…。」
 「おいおいっ。風邪のせいで気弱になってるのか?泣き虫。」
 乱馬はそう言いながらあかねの柔らかな頬を人差し指で突っついた。
 「もう、茶化さないでよ。気が散るじゃない。」
 あかねは抗議しながらも、胸がいっぱいになってゆくのを感じすにはいられなかった。
 雨の日も風の日も乱馬が傍にいる。振り返ると笑顔がある。そんな小さなことが、どれだけ幸せなことなのか。今日みたいに病気になって気弱でいると、ささいなことがどれほど価値のあるものかわかるのである。
 「ありがと…乱馬。ほんとに…。」
 ようようのことで食べ終わると、あかねはこそっと礼を口にした。
 「くおらっ!また泣くっ!勘弁してくれよ。俺がおまえの涙に弱いこと知ってるだろ?」
 乱馬はあかねを見詰めながら微笑む。
 「早く元気になれよ。子供たちも心配してんだからな…。ほんと。あいつらの相手は俺一人じゃあ大変なんだから。」
 そう言うと乱馬はそっとあかねの頼りなげな肩に正面から手を差し伸べた。そして、緩やかに胸へあかねを抱えると、耳元で囁いた。
 「俺も心配してるんだからな…。」
 「うん…。」
 あかねは頷きながらそっと目を閉じた。広い乱馬の胸とその鼓動。全身から優しさが溢れ出してくるのがわかる。彼の腕の中では、多分、龍馬や未来たち以上に純粋無垢になっているのが自分でも可笑しいくらいよくわかる。
 乱馬の胸に顔を埋めながら、あかねは幸せをかみ締めていた。

 自然に互いの唇が軽く触れ合う。

 …え?
 …ん?
 
 気配を感じて、二人が振り返ると、そこには好奇心旺盛な瞳が四つ。じっとこちらを見詰めているではないか。
 「何してんだっ!龍馬っ!未来っ!」
 乱馬は慌ててあかねを腕から離した。心なしか頬は赤く染まっている。
 「お父さんとお母さんって仲がいいんだね。」
 にこにこしながら龍馬が言った。あかねの顔も真っ赤に染まっていた。
 「ねえ。お父さんとお母さんさあ、いつもそうやってキスするの?」
 どこで覚えたのか未来が訊いてきた。
 「ふうん…それがキスって言うの…。」
 龍馬が呟いた。
 「ば…。ばかっ!おめえらはそんなことまだ、興味持たなくていいんだよっ!」
 と怒鳴る乱馬。当たり前だ。こんな場面を見られては、親としての立場が危うい。
 「くおらっ!龍馬に未来は早いこと風呂に入って寝ろっ!もういい時間じゃあねえかっ!」
 乱馬は続けざまにそう口にした。かなりのボルテージで狼狽している。
 あかねはそんな乱馬を見て、くすっと笑った。いくつになってもシャイな乱馬。
 「そうね…お父さんとお風呂に入ってらっしゃいな。そして、湯冷めしないうちにおやすみなさい。」
 「はあい。」「はあい。」
 幼い声が重なって、二人は部屋を出て行った。
 「たく…。ませガキどもが…。」
 乱馬は顔中を真っ赤にしてあかねを振り返る。まだ動揺しているようだった。
 「と、とにかくだな…早く良くなれよ。そうじゃないと、俺が困るんだからな。」
 ぼそぼそとそう言い残して、あたふたとその場を退散した。
 
 後に残ったあかねは、そんな夫を見て、顔中に笑顔をほころばせた。
 「乱馬ったら…何が困るのよ…。」
 そう呟くと、羽織っていたハンテンをそっと置いて、また、寝床に横になった。白い息が身体から湯気のように天井に向って吐き出される。溢れ出す愛は温かい。
  
 「おーい!龍馬っ!未来っ!風呂に入るぞ…。早く来いっ!」
 
 襖の向こう側には愛しい人の声。








一之瀬的戯言
 いわきりえさんの「ONE BY ONE」へ貢いだ未来編です。
 私の妄想の中では、乱馬とあかねはこのような家庭を作っているのではないかと…決して自分の話ではありません。
 いくつになっても乱馬は乱馬で、きっとシャイなのでしょう。
 あったかい気分になっていただければ嬉しいです。


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