バレンタイン ノベルス 2001・・・第四話
◆お母さんと一緒


「乱馬?」
 ムースから解放されて、とぼとぼと公園内を歩いていると背後から声がした。 
「おふくろ?」
 声の方へ振り返るとそこには和装ののどかが立っていた。
「あらまあ・・・。そんなにびしょびしょになってしまって・・・。」
 のどかは不思議そうに我が子を見詰めた。こんな場所で理不尽にも濡れねずみになって佇んでいる息子をみつめてのどかはふっと微笑んだ。
「男の子はこのくらい元気が無くっちゃねえ・・・。」
 そう言いながら、裂けてしまった息子のチャイナ服を見た。さっき、ムースと取っ組み合ったときに大方切り裂いてしまったのだろう。
「それより、どうしたのこんなところで・・・。」
 のどかは母親らしく、学校にも行かずに、公園をさ迷っていた息子にその訳を正した。
「ちょっと登校時にドタバタに巻き込まれちまって・・・。」
 そう言いながららんまは頭を掻いた。バレンタインのチョコレートを巡る騒動をどのように言葉にして母親に説明したら良いのからんまには見当がつかなかった。
「そう・・・。あなたもいろいろ大変なのね・・・。」
 のどかはわかったのかわからなかったのか、そう言うと微笑んだ。さすがに玄馬の妻、乱馬の母親らしく、細かいことには捉われないさっぱりした性格であった。
「たまには、思い切って学校を御休みしちゃうのも良いかもしれないわね・・・。」
 などと、凡そ母親らしからぬことを言い始めた。
「・・・って、おふくろ・・・。」
 らんまは慌てた。
「私もね、お約束していたお稽古が相手方の都合で急にキャンセルになってしまって・・・。帰るところだったの・・・。丁度良いわ。今日はお天気も良いし、一緒に街を歩きましょうよ、ね?」
 そう言ってほのかに笑った。
「でも・・・。」
 らんまが躊躇していると
「保護者が一緒だったら、堂々とサボれるでしょ?」
 うふふとのどかは楽しそうにそう言った。
「そういう問題でもねえと思うけど・・・。」
 無下に断るのもなんだか気が引けて、らんまはのどかに付いてゆくことを決意した。今から行っても、もう三時間目に間に合うかどうか。それに、放課後にまた三人娘に追われるのは目に見えていた。争い事には充分に辟易としていた。
「ま、いいか・・・。」
 らんまはのどかの提案を受け入れることにした。

「先ずは男に戻りなさいね・・・。」
 そう言うと、のどかは一軒の甘味処へ入った。ぜんざいを頼むと、白湯を貰ってらんまに振りかけた。湯煙と共に、乱馬は男へと変身を遂げる。
「やっぱり、男の子の乱馬のほうが素敵よ・・・。」
 のどかは白い歯を見せて笑った。
 差し向かいになって善哉をすすり、お腹が膨れたところで、のどかがデパートに行こうと誘った。
「そのままじゃあ具合が悪いでしょ?」
 さっき濡れたおかげでなんとなく湿っぽくなった衣服。おまけに所々さっきの乱闘のせいでほころんでいる。のどかは乱馬を連れて乱馬の服を選びに来たかったらしい。
「一度で良いから、こうやって息子にお洋服を買ってあげたかったのよ。」
 のどかは楽しそうに、売り場を物色して回る。
 武道一筋のすちゃらか親父に育てられてきた乱馬は、こうやって母と対峙などしたことなどない。少してれながらもなんだかくすぐったい気持ちになっていた。
 ・・・そういえば、おふくろとこうやって肩を並べることも、ショッピングすることも無かったもんなあ・・・
 乱馬は上機嫌な母親を顧みてほっと息を吐き出した。
「これこれ、これにしましょうよ・・・。どう?」
 のどかはそう言って薄いベージュのタートルネックセーターを乱馬の胸に当ててみた。
「似合うわ・・・。ねえ?」
 のどかは少女のような笑みを浮かべながら我が子を見上げる。
「そ、そうかな・・・。」
 乱馬は言葉少なげにそれに答えたが、内心はとても嬉しかった。
 ・・・たまにはこういう親孝行もいいかもしれねえな・・・
 そう思いながら、学校をサボってしまったことを自分なりに正当化したのである。乱馬は案外根が真面目なのであった。
 セーターとそれに見合ったGパンを買ってもらって、乱馬はそれに着替えてみた。
 いつもチャイナ服を愛用している乱馬はそれだけでもいつもと違った雰囲気の少年に変身を遂げていた。着慣れぬ洋服に身を包み、戸惑いながらも心は和んでいる。母親とはありがたいものだと今更ながらに実感するのであった。
「ねえ・・・乱馬。折角いつもと違う格好をしているんだから、おさげととってみなさいな。」
 のどかは徐にそう言うと、乱馬の髪のおさげを結っていた紐をさっと解(ほど)いた。
「え・・・?」
 母親の突然の行為に、乱馬はしばし固まった。
「たまにはこうやって髪型から趣を変えてみるのも一興だと思うわよ。ね?」
 そう言ってのどかは笑う。
「なんだか息子が別人に見えるわ。」
 などと楽しそうに言った。
 呪泉郷から帰国して以来、乱馬はチャイナ服を愛用している。
 チャイナ服は軽くて動きやすい。乱馬のように激しい動きをする武道家にはもってこいの服かもしれない。その上、変身して女の子になってもファッショナブルな感じがする。乱馬なりのこだわりを持っていたといっても良かろう。
 また、「おさげ」の方は、元は「竜のひげ」の効力を封印する為に施した応急処置であった。が、あの騒動が治まった後もずっとおさげを結っていた。
 幼少時から長く伸ばしていた髪。昔、武家の子供が成人するまで前髪を下ろさなかったように、彼もまた自然に髪を長くなびかせていたのだ。もしかすると、のどかの趣味だったのかもしれない。
 物心がつくと、髪を後ろに束ねていた。
 女みたいな髪型だと悪餓鬼連中にからかわれたこともあったが、一向に気にならなかった。
 或いは父親への対抗意識から切らないでずっといたというのが正解かもしれなかった。まだ、幼かった頃は、父親は雲の上のような存在だった。強さではてんで叶わなかった。髪の毛が少ない父親へのせめてもの優越感、あてつけが、この緑なす黒髪であった。いつしか乱馬の中に、幼い頃から一緒に放浪していた父親への対抗心が芽生え、髪を切ることを拒否し、そのまま伸ばし続けるようになったのかもしれない。
 おさげを解くと、肩を軽く越し、背中の中央にまで垂れ下がる長く伸びた黒髪。思ったよりさらさらとしていて後ろに靡(なび)いている。
 それから結局、夕方近くまで乱馬はのどかに連れられて、街中を巡った。
 美術館に行って、柄にも無く絵画を見たり、のどかの行きつけの茶の湯の店に行ったり、のどかのショッピングに付き合ったり。
 ゆったりとした時間が乱馬に過ぎていった。
 チャイナ服を脱ぎ、セーターを着て、おさげを解くと、最早、見慣れた乱馬ではなかった。
 そのお陰だろうか。
 堂々と街中を歩いていたのに、いつも目聡く見つけられてしまう、シャンプーや小太刀、うっちゃんたちからは見つからず終いであったのはありがたかった。

 夕暮れ近くになって、乱馬は街角にあかねの姿を見つけた。
 早くに下校したのだろう。
 まだ、夕暮れまでには少し時間があったが、制服からとうに着替えていて、一人ゆっくりと商店街を歩いていた。
 ・・・何やってるんだろ・・・あいつ。こんなところで。
 乱馬はふと歩みを止めた。
「さあ、ここから先は、あかねちゃんにバトンタッチ・・・ね。」
 歩みを止めた息子を振り返って、のどかが笑った。のどかの視界にも、あかねの姿が入ったのだろう。
「昨日からあかねちゃん、チョコレート作るって張り切っていたものね・・・。」
 そうだ。そうだった。
 乱馬はチョコレートのことを思い浮かべた。
 あかねの作ったチョコレートは今朝の乱闘で砕けて落ちたのだ。
 乱馬は道路の対面を歩いているあかねをじっと見詰めた。手に小さな赤い物を携えていた。大方、粉砕したチョコの代用を慌てて買いに来たのだろうか・・・。
「ねえ、乱馬。あかねちゃんを大切にしてあげなさいよ。彼女を守るのはあなたの使命みたいなものなんですからね・・・。無差別格闘流のためにも・・・。ううん、あなた自身のためにも。」
 のどかはにっこり微笑むと、乱馬の背中をトンと押した。その勢いで、青に代わった横断歩道に乱馬は押し出されていた。
「おふくろ・・・。」
 乱馬が振り返ると、のどかは軽く息子に手を振った。そして、のどかはそのまま、人ごみの中へと飲み込まれていった。
 息子はいつか、親の元を巣立ってゆく。愛する我が子を外の女性に委ねる日がいつか来るのだ。少し寂しい気もするが、それもまた人の世の条理というものだろう。息子はまた、許婚を愛している。ほとばしるような激情ではないものの、静かな愛情が彼の中に確実に芽生えている。のどかにはそれがよく分かっていた。
「ありがとう・・・おふくろ。」
 乱馬は見えなくなった母にそっと呟きかけた。
 いつも喧嘩ばかりしている許婚に、今日は素直になれそうな気がした。
 砕いてしまったチョコレートのことも詫びなければならないだろう。
 乱馬は点滅し始めた信号機を見ながら、あかねが歩いている対面に足を向けた。



 第五話(最終話)へ続く



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