バレンタイン ノベルス 2001・・・第三話
◆ムースの意地


「どうじゃったシャンプー?」
 コロンは孫娘に今朝の守備を聞いてきた。
「逃げられたある・・・。」
 シャンプーは美しい長い髪をしなやかになびかせながら言い放った。
「ほほ・・・婿どのも一筋縄ではいかんようじゃのう。まだ一日は長い。がんばれよ。シャンプー。」
 コロンはそう言って店を開ける準備にかかっていた。朝の仕込み。
「ムース?どこ行ったあるか?早く、店の掃除からはじめるねっ!!」
 シャンプーは不機嫌そうに箒を携えてムースを探した。
「ムースっ!ムース?」
 呼んでみたが見当たらなかった。
「もう・・・。肝心なときに外出するなんて、何考えてるあるかっ!!」
 シャンプーは仕方なく、自分で箒とちりとりを携えると、店内を掃き始めた。

「憎き奴は早乙女乱馬っ!!」
 ムースは朝の戦争の一部始終を電信柱の影から見詰めていた。
 朝から嬉しそうに駆け出してゆくシャンプーをついつい追って来てしまっていたのだった。暗い奴だと思われるかもしれないが、彼は彼でシャンプーのことを始終気にしているのだった。
 目の前のシャンプーは見事に朝の合戦に敗れ去った。いや、シャンプーだけではなく、右京、小太刀をも見事に玉砕した。乱馬は逃げ出した。おまけに、あかねまで巻き込んでいるではないか。
「男の風上にも置けない奴じゃっ!」
 シャンプーへの仕打は無論のこと、混乱に乗じて逃げにかかった彼を見るうちに、心底から怒りが沸き立ってきたのである。 
 「奴をこのままに捨て置くは、同じ男としての恥となるっ!」
 ムースは純情な性分である上、思考も単純だった。
 混乱に乗じて首尾よく逃げ出した乱馬を追って、彼は一緒に駆け出していた。
 
「なんとか逃げられたかな・・・たく・・・。どいつもこいつも・・・。」
 そう呟きながら乱馬は街外れの公園に来ていた。
「ちぇっ!おかげで学校へ行きそびれちまったじゃねえか・・・。」
 乱馬は迷惑千番というような顔をして、ほっと一息ついた。
 彼はまだ己が犯したあかねへの仕打を知る由もなく、ただ、彼を追い回す女性たちの魔の手から逃げおおせたことだけを良かったと思っていた。
 これから引き返して学校へ行くべきだろう・・・。彼は彼なりに考えを巡らせて結論を探る。
 今から行けば2時間目には入れるだろう。
 取って返そうと思ったとき、目の前に男が立ちはだかった。
 ムースである。
「よー。ムース。こんな早くから何やって・・・。」
 言葉が終わらないうちに、ムースが突進してきた。
 彼の隠し武器が右手から繰り出されて、顔の横を掠めた。
 ひゅっ!!
 寸でのところでそれをかわしたが、乱馬の服が少し破けて弾けた。
「くぉらっ!急に何するんでいっ!!」
「やかましいっ!オラのシャンプーや女性たちの気持ちを踏みにじるような奴は、このムース、見逃すわけにはいかねえだっ!!」
 ムースはそう叫びながら、第二の攻撃を仕掛けてきた。
 彼の得意技は「暗器」。身体に隠し持った武器を相手にたき付けてくる。
「何訳のわからねえこと言ってんだっ!!」
 乱馬は怒鳴り返しながらも、俊敏に身体を巡らせて行く。武道家として備わっている彼の気性は、望まぬまでも、攻撃を反射的に避ける本能がある。かわすだけの守備体制は、いつしか攻撃へと変化を遂げるのも、また武道家の性だろう。
「おのれ・・・。抵抗する気か・・・!!」
「あたりめえだっ!やられっぱなしって訳にはいかねえだろがっ!!」
「ならこれでどうじゃあっ!!」
 ムースは身体から刃物を解き放った。
「うわっ!!なんちゅう物騒なものを飛ばして来るんだよっ!!」
「やかましいっ!!貴様、シャンプーの純情を踏みにじりよってっ!!」 
「何うわ言言ってるんでっ!だいたいなあ貴様がだらしねえから、俺はいつまでたってもシャンプーから逃れられえんだっ!!男なら、たまには真っ向からシャンプーに気持ちをぶつけたらどうだっ。」
「おぬしに言われんでも、毎日果敢にアタックしてるわいっ!!でも、シャンプーは貴様から目を離そうとせんのじゃ。」
「そんなの俺の知ったこっちゃねえだろうが・・・っ!!」
「いんや・・・そればかりか、貴様、許婚のあかねの持っていたチョコレートまで粉砕しよっただろう。」
「あん?なんだ?」
 乱馬はあかねのことを急に持ち出されたので、思わず聴き返した。
「さっき、校門の前で、あかねが大事そうに持っていたチョコレートを泥まみれにしたろうといっとるんじゃっ。」
 ムースはそう言いながら攻撃をしかけてくる。
 それをかわしながら乱馬はさっきの光景を思い起こしていた。心当たりが無きにしもあらずだ。さっきの乱闘であかねまでも巻き添えにした可能性は多々にある。無我夢中で逃げ出してきたのだ。
「あかねのチョコは泥まみれになったのか?」
 乱馬は思わず聞き返していた。
「おうさ・・・。可愛そうに、放心しておったわっ!この女の敵めっ!!今日こそは、乱馬、貴様に天誅を加えてやるっ!!」
 純情な男心の暴発とでも表現するべきか、ムースはいつにも、増して、執拗で激しい攻撃を仕掛けてきた。
「な・・・何、血迷ってんでっ。」
 さしもの乱馬も、今日のムースの新敏な動きには手を焼いていた。いつもにも増して果敢に責め立ててくる。ムースの発したあかねのことも気にかかってか、乱馬はいつもより動きが鈍かった。
「ちくしょうっ!!何で俺がこんな奴に・・・。」
 そう思ったときだった。
 
 ばっさりと頭から水を被った。

 公園の陽だまりに遊びに来ていた幼児たちが、水飲み場の噴水を、間違って放水してしまったのだ。それがちょうど争っていた乱馬とムースにかかってしまったのであった。
 乱馬は女に、ムースは無常にもあひるに変身する。
「ち、ちめてーっ!!」
 らんまはびしょ濡れになり、堪らずそう叫んだ。
「ぐわーぐわーぐわーっ!!」
 ムースはあひるに変化しても尚、嘴でらんまを執拗に突っついていた。が、残念ながら、人間と鳥では力の差は歴然だった。
「たく・・・。おめえのせいで、すっかり学校へ行くのが遅くなっちまっただろうが・・・。おまけにずぶ濡れだっ!」
 らんまは文句を垂れながら、ムースの首根っこを掴み地面に置いた。
「おさげの女ぁっ!!会いたかったぞっ!!」
 その時、ふって湧いたように九能が後ろかららんまに抱き付いてきた。
「う、うわーっ!!」
 突然、抱きしめられて。らんまは目を白黒させた。
「おさげの女・・・。チョコレートはいずこだ?今日はバレンタイン。さあ、その乙女心を僕に捧げてくれたまえ・・・。遠慮は要らぬ。」
 九能は抱きしめながら、さりげなくチョコレートを要求してくる。
「あほ・・・なんで俺がおまえに、チョコをやらなきゃいけねえんでぃっ!!」
 らんまは渾身の力を振り絞って、九能を大空へ向けて蹴り上げていた。
「おさげの女ぁ〜さらば・・・。」
 そう言いながら九能は大空へと消えてゆく。

「たく・・・。何だって言うんだよ・・・。」
 らんまは肩で息をしながら消え行く九能を見上げた。そして、まだわめき散らしているアヒルを掬い上げると、 
「おめえもだ・・・。たく。シャンプーたちのことはともかく・・・・。あかねのことに関しちゃあ、俺は何も知らねえ・・・。ほんとにあいつのチョコを粉砕しちまったのか?」
 首根っこを抑えられながらムースあひるはガアガアとがなりたてた。
「そっか・・・。」
 らんまはそう言うと、ムースを地面に置いた。 
「おまえは、シャンプーのところへ帰れっ!!今日の事に関しちゃあ俺は無実だ。じゃあなっ!!」
 らんまはそう言い放つと、さっさとムースの前から消えた。
 ・・・あかねのチョコって、昨日までかかってずっと練りまわしていたあの手作りチョコだよな・・・。
 らんまは昨日の台所の光景を思い出していた。
 不器用な手つきでかすみに指導を受けながら一所懸命にクッキングしていたあかねだった。彼女のクッキングは迷惑以外の何物でもなかったが、それでも、真剣に手作りに励んでいたあかねを思うと、心が痛んだ。
 ・・さっきの騒ぎで、俺が粉砕しちまたのか・・・。あかねの奴、怒ってるだろうなあ・・・。
 今朝方、何か言いたげに、朝稽古をしていた俺に何か言いかけていたが・・・。それは多分、チョコレートのことを言いたかったに違いない。家族たちの好奇心の手前、二人とも、それ以上は突っ込んで話ができなかったのをふと思い出したのである。
 多分、自分の為にせっせと作っていたのであろうが。渡される前にそれがパアになったなんて。あかねの気持ちまで噛み砕いてしまったような後味の悪さがらんまの心に去来し始めた。
 ・・・確認して、謝らないとな・・・。
 らんまは青空を見上げて、ふっと息を吐き出した。

 らんまが去った後、ムースは地面を這いつくばりながら、があがあとしつこくがなり続けていた。
「ムースっ!こんなところで何やってるかっ!早く来ないと、店が開けられないあるっ!!」
 後ろを見上げれば、シャンプーが自転車を引きながら睨みつけているではないか。
「があがあがあっ!!!」
 ムースはシャンプーに向って何か言いたげに羽をばたつかせた。
「たく・・・。しょうがないアヒルあるな・・・。」
 シャンプーはムースを抱き上げると、手荒に自転車の籠に突っ込んだ。
「帰るあるぞ・・・。曾婆ちゃんもかんかんあるからな・・・それと・・・ほら、ムースにチョコある。」
 シャンプーは素っ気無くそう言うと、徐にチョコレートの欠片をムースの嘴の中へ放り込んだ。
「義理チョコあるぞ・・・。帰ったら、目いっぱい働くある・・・。」
 シャンプーはにこっと笑うと、自転車を軽やかにこぎ始めた。
 ・・・義理チョコだっていい。シャンプーがオラの為に用意してくれただけで・・・。
 ムースは口に広がるくチョコレートの感触をゆっくりと味わいながら、ゆったりとした幸せに包まれてゆく自分をほのかに感じていた。
 ・・・いつかは、本命のチョコを貰えるように、頑張るだ・・・。
 ムースはシャンプーを青空越しに見上げて、静かに微笑んだ。



 第四話につづく



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