バレンタイン ノベルス 2001・・・第二話
◆右京のバレンタイン



「今日こそ乱ちゃんの気持ちをこっちへ惹きつけるつもりやったのに・・・!」
 右京はそう言い放つと、手にした包み紙を握り締めた。
 中でチョコレートが砕ける音がした。
 赤い包装紙とピンクのリボンで包まれたそれはバレンタインのプレゼント。普段は男っぽい身形の右京も、表へ返せば恋する乙女。
 いつも、あかねに一歩先へ抜きん出られている。同じ「早乙女乱馬の許婚」とは言いながら、恋敵のあかねは同じ屋根の下に乱馬と暮している。当の昔に、乱馬の気持ちが己の上にないことなど、お見通しだった。
 
・・・それでも。もしかすると・・・
 一縷の望みに賭けてみたいというのが複雑な乙女心のなせる業。
 朝から乱馬を巡る「チョコレート戦争」に参入した。
 シャンプー、小太刀、九能とバレンタインの熾烈な闘いに明け暮れる一日。勝つのは誰か。
 右京にはうすうすわかっていた。
 自分が戦いを挑んでも、敗れ去ることが。
 なのに、参入してしまう自分。

 登校の道から、その戦いは幕を開ける。
 真っ先に自分の思いの丈が詰まったチョコレートを乱馬に手渡そうと駆け寄るライバルたち。各人各様のセンスを持ち合わせた格闘少女。その争いは、目に見えて過激である。隙を見せたが最後、路傍の塵と化すだろう。
 乱馬も慣れたもので、朝から乱闘になることは見通していたようだ。
 彼は道すがら、彼女たちを必死で振り切って逃げ惑う。シャンプーや小太刀は容赦なく釈迦力になって、乱馬を追い掛ける。
 そこへ現れたのは、九能帯刀。彼の出現により、状況は乱馬に優位に働いた。
 九能は乱馬ではなく、彼と共に登校してくるあかねの方に用事があったようだが、そこは単純男の浅はかさ。乱馬めがけて木刀を打ち出したものだから、訳がわからなくなったのである。
 砂煙に紛れて、いつしか乱馬はその場を跡形なく逃げ去った。混乱に乗じたのである。
 そこに残されたのは、合点が行かずに立ち惑う少女が三人と九能。そして、放心状態のあかねの五人であった。
「放課後の戦いは絶対に負けないですことよっ!」
 黒薔薇を撒き散らしながら小太刀が去る。そして
「放課後は私とバレンタインデートするね。」
 とシャンプーも立去る。
 残ったあかねに手を差しのべた九能は天高く舞い上がっていった。

「大丈夫か?」
「うん、平気。大丈夫よ。」
 あかねは放心しながらも、辛くもそうやってにこりと微笑んだ。
 九能に対して彼女の拳は殆ど無意識に差し出された本能的な防御だったようだ。彼をやり過ごした後、あかねは我に返って力なく立ち尽くす。
「なら、ええんやけど・・・。」
 右京も砂塵を払って、校門へと吸い込まれた。
 大丈夫とは言いながらも、じっと地面にしゃがんで動かないあかねに声を掛けてみたものの、そのままあかねはじっと地面に這いつくばっていた。
「先、行くわ。」
 そう言って歩き出した右京だった。
 あかねはどうやら、九能が乱入した時点で、かばんと一緒に持っていたものを粉々に砕かれてしまったらしい。何が砕かれたのか容易に想像はついた。しかし、右京にとって、それは「人事」以外の何物でもなかった。おそらく、砕かれた破片はあかねの「バレンタインのチョコレート」だったに違いないだろう。きっと彼女のことだから、不器用な手つきで、それでも必死で作ったものに違いあるまい。乱馬のために。
 あかねには悪いが、砕けた方が良かったと思っている自分の心の狭さ。
 何て嫌なことを思うのだろう。
 右京はそんな自分を自嘲した。

 予鈴がなって授業が始まったが、終ぞ乱馬は今日は教室にいや学校に現れなかった。
 彼なりに、戦いの壮絶さに嫌気がさして、今日一日はサボタージュを決め込んだのだろう。
 あかねはずっと放心していた。彼女を取り巻くクラスメイトたちはそれでも、いろいろととりなして彼女を慰めていたようだった。
 ・・・みんな、あかねには甘いんやから・・・
 横目でそんな風景を見るとつい、そんなことを思ってしまう。
 ・・・うちはあんな風にはなれんな・・・。
 妬ましく思う反面、羨ましいと思うあかね。気の強さはさることながらところどころに女の子らしいきらめきがある。傍目から見ていても羨ましくなるようなかわいらしさ、それも嫌味ではない清廉さをを持っている少女だ。
 ・・・乱ちゃんが本気で惚れてるの、ようわかるわ・・・
 悔しいが、彼女には絶対叶わないだろう。ただ、女々しい女性ではなく、彼女は強い芯を持っている。命の修羅場でも、乱馬に喜んでその身を投げ出すような直向(ひたむき)さ。
 悔しい反面、彼女なら、乱馬を取られても仕方が無いかと思ってしまっている自分。乱馬が望むのが彼女ならそれもしょうがあるまい。
 ・・・もうぼちぼち潮時やろうなあ・・・
 右京は深い溜息を吐いた。
 
 ヒネクレものの乱馬は、決して自分から己の気持ちを明かさない。秘めたその愛情を表現しようとはしない。奥手というより、不器用なのだ。
 口では「可愛くねえ。」を連発する癖に、いざとなるとあかねを守ろうと必死になる。己では気がついていないだけで、誰が見ても、あかねにゾッコンなのがわかるのである。
 乱馬の元へ復讐をしに来たときから薄々感じていたことだった。
 たとえ、乱馬の心がわが身の上になくても、もしかするとという淡い期待が己の心を去来し続けてきた。しかし、もうそれは限界だろう。
 
 右京は放課後の二回戦のドタバタには乱入する気力が失せていた。
 乱馬が終日、教室に現れなかったせいだけではない。
 ・・・気持ちの持ち具合やな・・・
 そう思いながら、お好み焼き屋の店を開けた。
「お帰りなさい・・・。」
 彼女を待つのは小夏。三つ指を突いて待ちながらにこっりと微笑む彼。相変わらず女性のように髪を後ろに束ねながら、聡明な瞳を手向ける。
「右京さま・・・はい。」
 小夏ははにかみながら真っ赤な薔薇を差し出した。
「なんや?」
 右京は咄嗟に問い返すと
「バレンタインですから・・・。」
 と小夏が答えた。
「なんで薔薇をうちに?」
 右京は問い返していた。小夏の真意が良くわからなかったからだ。
「本来バレンタインには男からも女からもチョコレートを渡す是非もないんですよ。現に亜米利加では男性からも贈り物をするんだって言うじゃありませんか。」
 と堂々と答えた。
 確かに本来はそうだったかもしれない。それを日本ではお菓子屋が勝手に女性から告白のチョコレートと解釈をしたのだというようなことを確かに聴いたことがあるような気がした。
「ま、ええか・・・。おおきに。貰っとくわ。」
 右京はそう言うと、小夏から花束を受け取った。赤い薔薇の香が右京の心に穂のかに広がった。
「そうそう、これ・・・。」 
 右京は渡さなかった乱馬へのチョコを小夏に差し出した。自分で砕いたのでボロボロになってはいたが・・・。
「一緒に食べようか・・・。」
 小夏はそれを見て嬉しそうに微笑んだ。

「小夏っ!さっさとそれを食べたら、店を開けるで。バレンタイン仕様のお好み焼きをバンバン焼きまくるでぇっ!」
 右京はそう気合を入れると、はっぴの襷(たすき)を結び上げた。



 第三話へつづく




蛇足
 バレンタインに女性が男性にチョコレートを渡すのは日本だけの風習として定着しました。
 欧米あたりでは、花束やちょっとしたプレゼントを男女分かたずに渡すのだそうです。
 そう、日本人は○ロゾフというコンフェクショナリーの謀略にまんまと乗せられたそうで・・それが定説になっております。


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