スイート★パニック


第四話 奇々怪々

七、



 あかねは困惑しきりだった。
 とにかく、乱馬の様子が変だ。
 新手の嫌がらせかとも思ったが、あの奥手がキスまでしてくるのだから、変と言わずに何と言おう。

 
 一体全体、乱馬に何が起こっているのか。


(昨日までは何ともなかったのよねえ…。あたしの手作りチョコを散々こけにしてくれたし…。)

 本日のあかね。無論、授業に集中できる状況にはない。
 開いたノートブックに板書を書き移すでもなく、シャープペンシルを握ったまま、じっとうつむいて考えを巡らせていた。

(やっぱり、八宝斎のお爺ちゃんが言っていた、あの「ダイハレンキュウ」とかいうお灸のせいかしら…。)

 もし、何某かの原因があるとしたら、思い当る節は、ただ一つ。あのお灸しか無かった。
 ゆうべ、八宝斎が乱馬に施したと言っていた「ダイハレンキュウ」。
 そのお灸を据えられたせいで、宵のうちの早い時間から眠りこけてしまった乱馬だった。
 そして、あかねははっきり見た。寝返った確かに拍子に見えた。
 彼の背中の黒い灸痕。それから、その灸痕から立ち上っていた不気味な黒い煙。

『あれは、乱馬の化けの皮じゃ。』
『乱馬の化けの皮…?』
『ああ、そうじゃ。乱馬という男の化けの皮が、お灸によって剥がれおちているんじゃ。』
 脳裏に、昨夜の八宝斎とのやりとりがこだまする。

(おじいちゃんはあれが乱馬の化けの皮が剥がれる煙だとか、何とか言ってたわよねえ…。ってことは…今の乱馬は化けの皮が剥がれてるってことになるのかしら…。
 そもそも…化けの皮が剥がれたら、どなるのかな…。もしかして、本性とかが露わになるとか……。)

 そこまで考えを巡らせた時、コンと背中を叩かれた。

「あかねってば、早く回してよ。」
 後ろの座席に座っていたゆかの声だった。
「え?」
 と小さく声を挙げると、目の前に小さく切った紙が数枚置かれていた。
「何…これ。」
 咄嗟のことに行動を起こせないでいると、困惑げにゆかが口火を切った。
「何って、単語テスト用の紙よ。毎授業でひな子先生がやってる確認の単語テストよ…。たく、何寝とぼけてるの?あかねったら…。」

 毎度、授業の終わりに、ひな子先生が行っている単語テストの解答用紙だ。その存在すら忘れて、あかねは考え込んでいたのだ。

「あ…ごめんごめん。」
 あかねはそう言いながら、慌てて、紙をゆかへと回した。

「あっととと…ごめん、ゆか、一枚取って…自分の分を取るの、忘れてたわ。」
 回した後で、あかねは声をあげる。
「もう…何ぼんやりしてるの?あかねったら…。朝からずっと、ボーっとしちゃってさ。」
 思わず、ゆかも苦笑いを浮かべた。

「良い子のみんなー、準備は良いかしら?」
 ひな子先生がチョーク片手に、教壇に立って声を出した。それから、くるりと日本語を書き始める。単語テストのお題だ。
 いつものあかねなら、すらすらと書き始めるのだが、今日は授業中、ずっと上の空だった分、反応が鈍かった。いや、単語テストの存在すら忘れていたのだ。
 教科書の後ろの単語表から書きとりが十五問に日本語訳が五問、合計二十問。これを五分の間でこなす小テストである。
 そのうち、五問以上間違えると、特別課題としてプリント一枚が課せられる。そろそろ受験生としての自覚を持たねばならない二年生の早春。次の春へ向けての布石だと年明けごろからひな子先生が課し始めた、愛の鞭だ。


「終わったら、いつものようにお隣と交換して採点して頂戴ね。」
 ひな子先生の声が飛ぶ。
 
 優等生のあかねは、間違っても二問ほどでクリアしている。劣等生の乱馬は毎度、特別製のプリントを貰う。これが常であった。
 ところがである。
 この日はいつもと様子が違っていた。
 ぼんやりしていた分、あかねに精悍さが欠けていた。そのせいもあったのだろうが、ケアレスミスを連発してしまったのだ。
「どうしたんだ?あかね…。」
 隣の席の男子がいつもと違うあかねの採点に、目を丸くする。あかねの点数は十四点。つまりマイナス六点で、初めて追加プリントを貰う不名誉に陥ってしまったのである。

 いや、異変はそれだけでは無かった。

「ええええ?」
 まゆみが声を荒げた。
 何事かと、クラス中がそちらへと視線を移した。
「どうしたの?山本さん。」
 ひな子先生が、まゆみへと声をかけた。
「いえ…あの…早乙女君の答案が…。」
「早乙女君がどうしたって?」
 ひな子先生がひょいっとまゆみの机から、乱馬の答案を取りあげた。

「まあっ!満点じゃないっ!」
 ひな子先生が色目気だった。
「すごい、早乙女君、もしかして初めての満点?まさか、早乙女君…カンニング?」

「あのなあ…先生。冗談も休み休み言えよ。今朝早く起きて、ちゃんと勉強して覚えて来たんだぜ。何なら、何もなく、答えを板書してみせようか?」
 そう言いながら、乱馬はすっくと前へ立った。
「今日の範囲の単語を幾つか言ってくれよ、先生。」
 乱馬が不機嫌に言い放った。
「じゃあ…理屈っぽい人」

『an  argumentative  person』

「次は… 情熱を傾ける」

『be enthusiastic』

 乱馬はすらすらっと書いた。無論、アンチョコなど持っていない。
 当然、クラスがざわめいた。乱馬にはあるまじき行為だからだ。

「これで、文句ねーだろ?昨日の範囲ならばっちりだぜ。ちゃんと勉強して来たんだから。」
 パンパンとチョークの粉をはたき落して、ニッと得意げに笑って見せた。

「早乙女君って…やればできる子だったのね…。」
 ひな子先生が、ウルウルと瞳を潤ませた。

「当然でいっ!それに、これからは武道だってグローバル化して行くんだ。武道家たるもの、英語もできなきゃな。」

 乱馬らしくない言葉を連発する
 いつも落第点しか取らない乱馬が、いきなり、満点だ。それだけならまだしも、乱馬らしくないこの文言。クラス中がざわめいた。

 実際、乱馬が変だったのは、何も一時間目のひな子先生の英語だけでは無かった。
 いつもは惰眠を貪ると相場を決めていた、日本史や古典まで、舟を漕がずにじっと静かに耳を傾け、必要なら板書まで書き写しているではないか。
 その様子をつぶさに見詰めるあかね。

(な…何…乱馬の奴…。らしくない。)
 これまた、らしくなく、あかねは始終、不可思議な乱馬を観察する。
 いや、別に乱馬に見入っていた訳ではない。眠る気配すら無く、真面目に授業を受けている乱馬が気になって仕方が無かっただけだ。
 そんなあかねの気持ちを知ってか知らずか、乱馬は真面目に板書を書き写している。いつもなら空白のままのノートが彼の字で埋め尽くされて行く。
(やっぱり…変…。)
 そう思って、溜息を吐きだした時、コトンと傍で音がした。
 ハッとして見上げると、古典の中年教師がニヤニヤ笑いながら、あかねの脇に立っていた。
「こら、天道…。さっきから声をかけているのに、何、余所見してるんだ?」
 教科書片手に、教師はあかねを見下ろしていた。
「いえ…別に…。」
「たく、さっきから、早乙女の方ばかり見て…。許婚の顔に見惚れてるのか?」
 その言葉に、クスクスと笑い声が教室中に響き渡る。
「そ…そんなんじゃないです…。」
 あかねは気恥しさで、真っ赤になってうつむいた。



「たく…授業は集中して聞かねーとダメじゃねーか。」
 休み時間、乱馬が傍らに立って、あかねを諫めてきた。
 思わずあかねは、自分の耳を疑った。何を言いだすのとばかり、乱馬を見上げると、間髪入れず一言。
「授業を集中して聞いておけば、復習にも時間を取られねえし、時間を有効に使えるだろ?…たく、文武両道が無差別格闘流の真髄ということを、てめーが忘れちゃいけねーだろーが…。」
(あんた…何言ってるの?)
 そう問いかけたい気持ちをグッと抑えた。
 こんな言葉が乱馬の口から漏れて来る時点で、やはり、尋常では無い。



 極めつけは四時限目の数学の時間。

 数式などとは全く縁がないと言わんがばかり、いつもなら夢の中へと突入している乱馬が、じっと講義に耳を傾け、しかも、質問まで浴びせかけていた。
 無論、付け焼刃がきく教科では無いものの、乱馬なりに理解できないことをしつこいくらい、数学教師に食らいついていた。
「早乙女…。何か、今日はやけに熱心だなあ…。」
 乱馬の授業態度の豹変に、猜疑心を抱きつつも、教師たるもの、生徒の質問には答える義務がある。
「わからなかったら、副読本の参考書の同じ単元の中に、詳しく解説してあるから、後でさらっておけ。それでもなおかつわからなかったら、もう一度、先生に聞きに来い。」
 数学教師は乱馬の質問攻めに音をあげて、最後はそう答えた。
「しゃーねえか…。これ以上質問したら、授業の進行に差支えるもんな…。わかったよ、先生。参考書を読んでみて、わかんなかったら、休み時間か放課後に個別に教えてくれよな。」
 と乱馬も納得した様子だった。
 無論、あかねをはじめ、クラスメイトたちは、皆、不可思議な瞳で乱馬と先生のやりとりをぼんやりと眺めていた。

「ちょっと…乱馬君、どうしちゃったのよ…。」
 後ろの席からゆかがあかねを突っついて来た。当然の反応だろう。
「さあ…。」
 あかねは苦笑いを浮かべながら、それに対する。
「急に勉学に目覚めちゃったみたいよねえ…。」
「ほんと、昨日までの乱馬じゃねえみたいだな…。」
 ゆかの隣の大介も首を縦に振った。
「あかねと許婚宣言したから、真面目に勉学する気になったんじゃねーの?」
 あかねの隣のひろしがもっともらしいこと言う。
「まさかっ!」
 あかねは一笑にふした。
「というより…乱馬の奴って、根は真面目なんだな…。」
 ふつっと大介が言った。
「みたいね…。それに、本当は相当賢いんじゃないの?今までは勉強しなかっただけで、ちゃんとやれば、結構、結果出すんじゃないかしら…。」
「うーん…。」
 あかね同様、仲の良いクラスメイトたちは乱馬の変化に困惑しながら、首を傾げた。


(やっぱり、変よ…。お灸が原因だとしても、異様過ぎるわ…。)
 違和感を通り過ぎた空恐ろしさが、あかねの心の中を過ぎって行くのであった。




八、

 昼休み。

 お弁当箱を机に置いたゆかとあかねの間に割り入って、乱馬がポンとあかねの肩を叩いた。
「何?」
 とあかねが怪訝に乱馬を振りかえると、
「一緒に飯食おうぜ…。」
 と乱馬は言いかえして来た。
「はあ?」
 あかねが戸惑っていることなど、全く気も留めない彼は、キュッと手を握ってきた。いや、そればかりではない、机の上に置かれたあかねのお弁当箱包みをそのまま空いた手で持ち上げたのだ。
「何するの?」
 焦ったのはあかねだ。
 あかねは常はゆかやさゆりといった、仲良し女子とお弁当を食べている。その間に割り込んであかねを誘いに来たのだ。
 一緒にお弁当箱を広げようとしていた、ゆかやさゆりも、ふっと動きを止めてしまった。が、乱馬は周りの様子に気を配ることも無く、さも当然のように言い放つ。
「だから、一緒に食おうぜ。」
「はあ?」
 戸惑ったあかねが声をあげると、
「夫婦は一緒に飯を食うもんだろ?」
 とニッと笑われた。
「とにかく、行くぜ。」
 右手でぎゅっと握られた。

「ちょっと…!」
 焦るあかねなど、アウトオブ眼中。乱馬はそのままあかねを教室から連れ出した。
 そのままずいずいと、勢いよくあかねを引っ張って行く。

 一緒にお弁当を食べようとしていたクラスメイトたちは、ポカンと二人の姿を見送る。
「何か、ちょっと、乱馬君…変わったわよね…。」
「っていうか、変よね…。」
「ま、良いんじゃない?許婚宣言もしたんだし。」
「そっか、許婚宣言したんだもんね…。」
 訳のわからぬ言葉を吐きだして、互いに顔を見合わせ、ふうっと溜息を吐きだす。
「ま、いいっか…。食べよ、食べよ。」
「昼休みが終わっちゃうわ…。」


 一方、乱馬に引っ張られたあかねは、そのまま中庭のベンチへと連れて行かれた。校舎にコの字に囲まれた陽だまりのベンチだった。今日の風向きでは風も吹きこんで来ず、冬とはいえ、ポカポカと暖かかった。
 
「ここが良いかな…。」
 乱馬は一人、悦に入っている。
「ちょっと、乱馬、あんた、一体何、どういうつもり?」
 唐突にクラスメイトの前から連れ出されたあかねは、困惑げだった。
 いつものあかねなら、開口する前に手が出そうだが、まだ、その右手は乱馬に握られたままである。反撃は出来ない。
「何って、さっきも言ったろ?夫婦は一緒に飯を食うもんだって。」
「あのねえ…あたしたちはまだ夫婦じゃないでしょう?」
 思わず口を吐いた。
「でも、おめーは俺の許婚だぜ?」
 にっこりとした笑顔があかねへと手向けられて来た。
「ええええ…そうよね…。親の決めた…。」 
 わざとあかねはヘソを曲げた言葉を、乱馬へと投げつける。 
 が、乱馬はそんなあかねの暴言など、お構いなしで、マイペース。弁当包みを広げ始めた。

「おっ!やっぱ、かすみ姉ちゃんのお弁当は、逸品だぜ。この色どり。…宝石箱みてーだ。」
 蓋を開いて、そんな言葉を吐きだした。
「おめーも、俺と結婚したら料理の修行して食えるもんを作ってくれよな…。」
 などと言って来る始末。

「あのねえ…誰があんたと結婚するって言った?」
 あかねはあかねで喧嘩腰だ。

「何、尖(とん)がってんだよ…。たく…。ほれ食うぜ。」
 乱馬はあかねの弁当箱も、丁寧に開けた。
「ちょっと、あたしのお弁当でしょ、それは…。」
 と、茶々を入れてみるが、それすら耳に入らないらしい。
 箸箱から箸を取ると、タコさんウインナーを一つ。摘まみあげるや否や、あかねの口へと放り込んだ。見事な、不意打ちプレイだった。
「ほれ、ちゃんと食わねえと、元気な子供、産めねーぞ。」
「こ…子供?」
「結婚したら、子作りに励むもんだろ?俺、あかねとの間に、たくさん子供が欲しいな…。あかねに似たかわいい女の子とか俺みたいに強い男の子とか…。」
 いきなり赤面するようなことを、さらっと言って来る。
 タコさんウインナーを咥えたまま、つい、口元が固まった。

 そんなあかねを嬉しそうに見ながら、もぐもぐと弁当を食べる乱馬。
「何、固まってるんだよ…。さっさと食えよ。」
 その言葉に我に返ったあかねは、急いでタコさんウインナーをもぐもぐと噛んで飲み込む。
「こらこら、もっとしっかり噛めよ。早食いは不健康の元だぜ?しっかり噛んで食えって、親から習わなかったか?」
 口の減らない乱馬である。いや、それだけではない。おもむろに今度は、玉子焼きがあかねの口へと差し込まれた。

「ちょっと、乱馬っ!いい加減にして!」
 思わず、口を吐いて出た。
「何で?」
 キョトンと乱馬はあかねを見詰めた。
「それはこっちのセリフよ。何であんたが、あたしに食べさせるの?」
「その方が、楽しいじゃん。」
「はあ?」
 また、的を射ない言葉が返って来た。
「夫婦って、差しつさされつ、こうやって、あーんって口をあけて互いに口に放り込んで食事するのが当り前なんじゃねーの?」
 などと言いだす始末。
「どこの夫婦がそんなことやってるってーのよ?」
「少なくとも、俺はやりてーな…。何ならあかねが俺に食わせてくれても良いぜ。大歓迎だ。いずれにしても、これからは、こうやって、毎日、二人一緒に昼めしは食うぜ。」
 などと、一人でニコニコ笑っている。

「か、勝手に決めないでよ!」
 玉子焼きを飲みこんだあかねは、そう吐きつけた。
「妻たるものは、夫の言に従うべし…っていうのが、早乙女家の家訓なんだけど…。」
 乱馬は笑いながらあかねへと突き返す。冗談なのかそれとも本気なのか。
「何…それ…。」
 あかねは困惑しきりな顔を乱馬へと返すが、当の乱馬は全く動じずだった。
「ま、それは建前で、俺としては、あかねを毎食共にしてえー。それが本音だよ。だって、愛する人と一緒に食う食事は、最高じゃん。」
 と来た。完全に浮いたセリフである。聞かされる方がおかしくなりそうだった。

 言葉を継げずに無言でいると、乱馬がいたずらな瞳を投げかけながら、また箸を差向けて来た。

「ほれ、口開けて…。今度はご飯だ。あーん…。」
「あーんってあんたね…。」
 と苦情を申し立てようとしたあかねだが、徒労に終わった。言葉を発するのを狙っていたのか、本当に白いご飯があかねの口へと差し入れられた。冷たいご飯が口いっぱいに広がる。ゴマ塩も乗っていて、ちょっとしょっぱい。
「いい加減にしなさいよ…。乱馬。」
「もう、文句が多すぎるんだからー。あかねはよー。そんなあかねには御仕置きだぞ。」

 そう笑いながら声をかけると、今度は、唇が触れて来た。

「え…。」
 無論、避ける閑も無かった。

 繋がった唇から、再び押し込まれる塊。乱馬の唾液と共に押し出された煮豆。
 ドクン…。
 またぞろ、あかねの心臓が跳ねあがる。
 朝の熱いチョコレートベーゼの記憶が甦る。
 真っ赤に熟れたあかねの顔。怒気は消え失せてしまった。そのまま、放心して固まる。

「早く、食っちまおうぜ…。昼休みは短いんだし…。」
 そう、嬉しそうに言いながら、奴は自分の口へと料理を放り込んで行く。自分の取った行動を、微塵も気にしている素振りなどない。そればかりか、固まったまま動かないあかねに、追い打ちをかける。

「食えねーなら、俺がまた直々に口に運んでやろーか?」

 そのデリカシーの無い言葉に、かああぁっとなったあかねは、箸箱から自分の箸を掴みだすと、一転、自分のお弁当を抱えて食べ始めた。
「じ、自分のお弁当は自分で食べるから。余計なお節介はやかないでっ!じゃないと、金輪際、あんたとはお弁当なんか食べないわよっ!」
 
 その様子をチラッと一瞥した乱馬は、ニッと笑った。
「じゃあ、お節介はやかねーから、これからはずっと一緒に昼めしだぜ。」
「はあ?」
「嫌なら、もっと、お節介やくけど?」
 とニヤニヤ笑って来る始末。


…今の乱馬(こいつ)なら、また、やりそうだ…。

 そう危惧したあかねは、
「わかったわよ…。一緒に食べてあげるから、平穏に食べさせて…。」
 と小さく頷いた。ここは一旦、承服しておかないと、また、口移しで食べさせられそうな気がしたのだ。

「もう、純情なんだから…。あかねちゃんは…。俺だったら、いつでもスタンバイオッケーだから、口うつしで食べさせて貰いたくなったら、遠慮なく言ってくれよな…。」
 愉快げに乱馬は笑った。

 どこまでが冗談で、どこからが本気なのか、わからない。
 いや、案外、全てが本気なのかもしれない…。

 うすら寒い感覚を心に抱きながら、あかねは黙々を箸を動かし続けた。
 その様子をにこにこしながら、円らな瞳で見つめる乱馬。
 食べている間中、監視されているようで、落ちつかなかった。あたふたとして、何度、箸から惣菜やご飯を落としそうになったことか。
 
 とにかく、もくもくと食べた。乱馬が投げかけて来る、慈愛に満ちた瞳を避けるように、俯きながら、必死で口を動かし続けた。 
 その甲斐あって、数分でお弁当を完食した。
 ホッと一息ついて、空っぽになったお弁当箱を仕舞いにかかる。
 と、そっとコップを出された。湯気が立つ水筒のコップだった。無論、乱馬が差出してきたものだった。

「食後のお茶だぜ。コーヒーをいれて来た。」
 これまた、らしくない言葉だ。

「家から持って来たの?」
「ああ…。」
「かすみお姉ちゃんにいれて貰ったの?」
「いや…自分でいれて来た。」
「乱馬が?」
「ああ…。俺がコーヒーをポットにいれて持ってきたら悪いか?」
「べ…別にそんなことは言ってないけど…。でも、また何で?」
「食後にコーヒーってのは、定番だろ?ホッと一息つけるじゃん。」

 思わず、黙り込んでしまった。湯気がたつコップから、コーヒーの香りが立つ。インスタントコーヒーのようではあったが、確かに、ホッと一息つけそうな香りだった。

「これからは、毎日いれて来てやっから…一緒に飲もうぜ…。」
 と、悪びれずに言う。この様子なら、毎日、彼はまめにコーヒーをいれて持ってくるつもりだろう。
「う…うん…。」
 つい、コクンと頭が垂れる。
 勿論、こんな細やかな気遣いなど、今までしてもらった試しはない。
 口に含んだコーヒーはほろ苦かった。
「そうそう…素直なあかねは大歓迎だぜ。」
 また、聞き慣れぬ言葉が乱馬から発せられる。いや、言葉だけでは無い。そっと乱馬はあかねの肩に手を回して来た。抵抗することも忘れて、乱馬の肩へと身を任せるあかね(自分)が居た。

 まったりとした時が、中庭の中で流れて行く。
 絵にかいたような穏やかな時間が、二人の上に流れ始める。

 心の奥底で、こんな二人の時間が欲しいと恋焦がれていたのかもしれない…。

 そんな想いがあかねの心に過ぎったその時だった。
 ぞわっと、脇から殺気が立ち上った。



「早乙女ぇー。貴様、誰に断って、あかねくんとこんなところで、いちゃついているんだーっ!」

 すっと二人の間に差し入れられた一本の木刀。背後に立っていたのは九能先輩だった。
 ひんやりと首筋に触れた木刀の冷たい白木に、思わず、ギョッとして身体が固まるあかね。
 だが、傍の乱馬は落ちつき払っていた。

「俺とあかねは許婚だ!仲良くするのに、誰の許可も、要らねーと思うぜ、九能先輩。」
 溜息交じりの声で、ふうっと吐き出す。


 そう一言吐き出すと、電光石火、反撃へと出たのである。
 ひょいっと身を翻すと、差し入れられた木刀を鷲づかみにして、思い切り放り投げた。
 その体制から反撃を食らうと思っていなかったのだろう。木刀を構えたまま、九能の身体がふわっと浮き上がった。
 地面へと踏ん張ろうとしたが、乱馬の強襲はその暇も与えなかったのである。
「一度ならず、二度も俺たちの邪魔をしやがって…。」
 乱馬は九能へと声を荒げた。ズチャッという着地音と共に、引き倒された九能の図体に、掴み取った木刀を、容赦無く打ち込む乱馬。
 ボコボコと音をたてながら、九能の身体に食い込む、木刀の刀身。袋叩きにのし始めた。一切の手加減は無い。

「ちょっと、乱馬っ!やめなさいって。ダメ―ッ!」
 尋常ならざる乱馬の激しさに、傍に居た、あかねが焦ったほどだ。
 あかねの怒声に、乱馬は殺気を引っ込め、九能への攻撃を止めた。
 哀れ、九能は土まみれになって、地面へと転がった。
「うーん…。」
 と一声発すると、そのまま気を失ってしまったようだ。白目を剥いて気絶していた。

 胴衣を着用していたからまだしも、もし、無ければ、あばら骨の一本や二本、折れていたかもしれなかった。

「あかねは優しいんだな…。」
 返す言葉で乱馬はそんなことを言った。

「九能先輩、覚えとけよ。今回はあかねに免じて、このくらいで許してやっけど、今度、俺たちの愛の語らいを邪魔したら、タダじゃおかねーからな…。」

 恐らく、彼は本気だろう。今度、九能が茶々を入れれば、骨の一本や二本はへし折ってしまいそうな雰囲気すら漂っている。
「乱馬…。」
 その冷たい迫力に、あかねは思わず、後ずさる。

(やっぱり…普通じゃない……何とかしなきゃ…。)
 
 そう思った時、五時限目の予鈴が鳴り響いた。

 









 






 だんだんと、乱馬君が奇々怪々としてきたな…。

 って…バレンタインはおろか、ホワイトデーも過ぎ去ったし…桜も散り…灼熱の夏真っ盛り…。季節無視してすいません…。 だんだんと、乱馬君が奇々怪々としてきたな…。


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