スイート★パニック

第三話 乱馬の怪異


五、

 乱馬が部屋を出て行った後も、あかねはその場で暫らく放心していた。
 本当にさっき、部屋に居たのは乱馬だったのか。何か悪い物の怪にでも取り憑かれたのではないのか。
 乱馬の態度の異変に、戸惑いを、いや、恐怖さえ覚える。


「あかねっ!さっさと朝ご飯を食べないと遅刻するわよー!」
 廊下からかすみが声をかけて来た。
 その声にハッとして、時計を見やる。
 カチコチと動く、部屋の時計はとっくに七時半を回っている。それを見て、慌てて立ちあがった。

「ボケッとしている暇なんてないわっ!」
 パジャマを脱ぎ棄てると、制服に着替えた。それから、鞄を取り出し、時間割をチェックする。
「教科書とノート良し。筆箱と下敷き良し。ハンカチとチリ紙良し…。財布もあるわね…。」
 ざっと鞄に目を通し、身支度を整える。
 後は顔を洗って、台所へ行って朝ご飯を食べるのみ。
 鞄とコートを片手に、大急ぎで階段を下りた。

 台所へ入ると、なびきと乱馬が先にご飯を食べていた。

「あかねちゃんの方が乱馬君より後になるなんて…珍しいわね。」
 かすみがあかねの分のご飯をよそいながら、そんな声をかけた。

 乱馬は…。

 キスのことが脳裏に過ぎった。
 チョコレートをくわえたまま、奪われた唇。

 だが、彼は何事も無かったように平穏で落ちついていた。カシャカシャといつもの如く、箸を動かして惣菜やご飯を喉へ送り込んでいる。信じがたいほど平穏だった。
 早雲は朝刊を広げて読んでいるし、玄馬も、もぐもぐと口を動かしていた。
 朝の喧騒が壁ごしに隣の姉の部屋へ伝わっていたのではないかと、そっとなびきの方を見やった。が、特に何を言い出されるでもなく、彼女もまた、せわしなく箸を動かして、朝ご飯を食べていた。
「いただきます。」
 あかねはホッと息を吐いて、自分に用意されたご飯を食べ始めた。
 勿論、のんびり食べている余裕はない。
 学校は徒歩通学ができるくらい近いとはいえ、八時には出ないと始業時間ギリギリになる。
 自然、箸の動きは早くなる。

「あかね、今朝は何のんびりしていたの?」
 先に食べ終えたなびきが緑茶を飲みながら、あかねへと声をかけた。
「別に…。」
 あかねはどぎまぎしながらそれに答えた。
「乱馬君にチョコレートは無事に渡せた?」
 隣では乱馬は表情一つ変えず、もくもくとご飯を食べ続けている。その様子を見ながら、耳元で囁くように問いかけられた。
「まーね…。」
 あかねは俯き加減で小さく答えた。
「そっ…。」
 そう吐き出すと、なびきは湯呑みを食卓へと置いた。 
「じゃ、あたし、先に行くわね。あんたも、急がないと、遅刻するわよ。」
 なびきがすっと食卓を立った。
 それから傍らにあった鞄を取ると、そのまま出掛けてしまった。
 いつもなら、あかねの方が姉より少し先に家を出るくらいなのだが、すっかり遅れを取ってしまった。

 ふうっと溜息が洩れた。

 本当に朝から厄日だった。
 乱馬の様子からは、朝の甘いキスのことなど想像だにできない。
 いつものぶっきら棒の乱馬そのものだった。ホッとしたようで、残念なようで…何だか複雑な心境だった。
 
 あれはいったい何だったのか…。
 寝とぼけていたというには生々しい唇の感蝕。まだ、どこかに残っていた。

(やっぱり、からかってただけ?)
 そう恨み事を吐きつけてみたくなる。が、かすみや父親たちの目前で、公然と問い質す訳にもいかない。

「ほれ、さっさと食っちまえ。じゃねーと、遅刻するぜ。」
 手が止まったあかねを制して、乱馬が声をかけて来た。
(誰のせいでこうなったと思ってるのよ…。)
 そう吐き出したい気持ちをぐっとこらえて、あかねは慌ててご飯を掻きこみ始める。
 と、思わず、白米が喉へと詰まった。

「うぅっ…。」
 と詰まって、慌ててお茶を喉へと通す。
「熱っ!」
 思わず、グッとなった。淹れたてのお茶だ。がぶ飲みするには熱すぎた。
 トントントンと胸を叩きながら、熱い湯が食道を通り過ぎるのを待つ。

「たく…何やってんだよ…。」
 乱馬はチラッと一瞥しながらあかねへと声をかける。
「う…うっさいわね。急いでるんだから、話しかけないで。」
 思わず声が荒らいだ。
「ほれ、早くしねーと…ほんとに遅刻するぜ。おまえはのろまだから…。先に行くぜ…俺は…。」
 そう言いながら、乱馬は先に立った。そして、ゆっくりと茶の間から出て行った。
「わ…わかってるわよっ!のろまは余計よっ!」
 その後ろ姿に、思わず叫んでいた。

 がががっと味わうのもそこそこに、そそくさと朝ご飯を食べ終える。目の前にはすっからかんになった茶碗と汁椀。
「ごちそうさまー。」
 箸を置く手をそのまま、傍らの学生鞄の持ち手にかける。
「お弁当は持ったわよね?」
 急ぐ背中にかすみが問いかけた。
「持ったわ。じゃ、行ってきまーす!」
 コートに袖を通すと、玄関へ走って行って、そのまま靴を履く。トントンと手も使わずに靴を履くと、ガラガラっと引き戸を開けて、そのまま表へと飛び出して行った。


「いつまで待たせるんだよ…。ほんと、のろまな奴だな…。」
 門扉の影でそう吐き出す影。乱馬だった。
 それには答えず、あかねはだっと駆け出した。話しかけるなオーラも一緒に投げかけながら。
「こらっ!無視すんなよっ!せっかく待っててやったのに…。」
 と恩着せがましく奴は言った。
「待ってて…なんて頼んだつもりはないけど…。」
 振り向きもしないであかねは吐きつけた。
「何言ってるんだよ…。いつも一緒に登校してるだろーが。」
 あかねの前に回り込みながら、そんな言葉を吐きつけて来る。
「別に意識して一緒に登校してるつもりなんてないわよ。同じ学校へ行くんだから、自然に一緒になるだけよ。」
 とぶっきらぼうに返答した。
「そうかな…。」
 にやにやと乱馬は前に回ってあかねを見詰めてくる。
「あのねえ…言いたいことがあるんなら、はっきり言いなさいよっ!」
 あかねのテンションが上がり始めた。
「今朝はやけに不機嫌だな…。」
「そりゃあ、不機嫌にもなるわよ。」
 あかねはジロリと見返しながら吐き出した。

 すっきりしないのは、今朝のあのキスのせいだった。
 いきなりのディープキスだ。
 しかも、チョコレートを含ませて来るといった、訳のわからないある意味「マニアックなキス」だった。決してウブな素人が出来る代物では無い。
 何かの嫌がらせだったのかと、恨み辛身を言いたいくらいだった。

(あんたさあ…乙女の純情を何だと思ってるの…。)
 と吐き出しそうになったが、そこはグッと堪えた。

 本当にあれは「現(うつつ)」だったのか。夢では無かったのか…。寝ボケていただけで、そういう行動は実際無かったのではないか…。
 いや、できれば、無かったことにしたかった。
 あれは夢だと決めつけて、そこで終わらせたかった。
 そうでなければ、この先、乱馬にどんな風に接したら良いのか…いきなり迷路(ラビリンス)にはまりこんでしまいそうだったからだ。


 しかし、一緒に歩いていた木偶(でく)の坊は、フッとニヒルな笑いを浮かべ、あらぬ言葉をあかねへと放り投げてきた。

「やっぱ、俺が女子たちからたくさんチョコレートを貰ったから不機嫌なのか……。ほんと、素直じゃねーんだから…おめーはさあ。」
 
「はああ?」
 思わず、足が止まりそうになった。
「今、何て言ったの?」
 疾走する足を緩めて、声を張り上げる。

「おめーが不機嫌なのは、俺がたくさんチョコレートを貰ったせいなんだろ?俺ってもてるからなあ…。…で、ヤキモチ妬いてんだろ?」

 その言葉は…、いや、言い方は、あかねの怒りに火をつけるのに十分だった。
 
「黙って聞いていたら…このナルシスト男があっ!」
 思わず怒鳴っていた。

「嬉しいぜ…。あかねが嫉妬してくれるなんて…。」
 微笑みながら、乱馬の瞳がぱちくりとあかねを見詰めて来た。
 
 らしくない言動、そして、らしくない表情。一体何だと言うのだ。
 きょとんと疑問符だらけの顔を乱馬へと手向けると
「だって、言うじゃん…嫉妬は愛情の裏返しだってよー。あかねは俺のことが好きなんだろ?」
 とにっこりとほほ笑んで来る始末。

「あんたさーいい加減にしてよね。あたしをからかってるの?」
 つい、眉間を吊り上げ、きつい顔を乱馬へと差し向ける。
「からかってなんか、いねーよ…。俺はいつも真剣だぜ…。」
 とにんまり笑う。
「真剣?どこが?」
 つい、力強く尋ねていた。
「俺はいつも、自分の愛情に対しては真剣で真面目なの…。じゃねーと、キスなんかしねーよ…。」
 とうそぶく。

 キス…。
 そうだ、あのチョコレートキスは…やっぱり夢では無く消せない現実…。
 みるみる赤く染まるあかねの頬。

「ほら…赤くなってる。あかねだって俺が好きなんだろう?」
 はやし立てるように話しかけて来る。
「黙って聞いていれば…この、無神経男ーっ!」
 あかねが振りあげた手首を、乱馬は軽く握り取ってしまった。手首を掴まれては、拳は振りおろせない。
「ちょっと、何するのよーっ!離しなさいよっ!」
「やーだね…。」
 ニヤニヤ笑いながら乱馬はあかねへと軽口を叩いた。
「離してってばーっ!」
 暴れ回るあかねに、乱馬は言った。
「じゃ、もう一回、俺とキスしてくれる?だったら、離してやってもいいぜ?」
 
「え…?」
 一体、何なの…。と問いかけようとしたその刹那だった。


「ちぇすとーっ!早乙女乱馬ーっ!何、朝からあかね君にちょっかいを出しとるんだーっ!このボクが成敗してやるーっ!」

 木陰から振って湧いて来た剣道着男。木刀を片手に裸足で二人の間に割って入って来た。
 
「きゃあああっ!」
 九能の襲撃は毎度のことだったが、乱馬の「らしくない態度」に、あかねらしくなく、すかり油断していた。木刀が差し出されたのを見て、構えるどころか、つい、身をかがめて、悲鳴を挙げてしまったのだ。

 どっごーんっ!

 乱馬の右足が九能の顔へとのめり込んだ。
 乱馬はポケットに両手を突っこんだまま、くるりと回転して九能の顔面へと蹴りを一発入れたのである。
「たーく。無粋な奴だなあ…九能先輩は…。俺たちの朝の語らいの中に割って入るなんて…。」

「朝の語らいだと?…何のたわ言を言っているのだ?」
 乱馬の靴の裏側で顔面を抑えつけられて、九能は木刀を振りかざしたままジタバタしている。
「いいから、お邪魔虫はとっとと消えやがれ―っ!」
 乱馬は身構え直すと、そのまま九能を高らかに右キックで上空へと蹴りあげた。

「早乙女乱馬ー、覚えておれ―――っ」
 高らかに声を挙げながら、九能が虚空へと消えて行く。
 
「けっ!ざまあみろっ!これに懲りたら、俺たちの朝の語らいを邪魔するなよー。」
 消えて行く九能先輩を見送りながら、乱馬が言葉を継いだ。
「ちょっと…朝の語らいって…何?」
 聞き慣れない言葉を流して来た乱馬に、あかねは疑問符だらけの顔と共に、問い返していた。 乱馬は周りへと目くばせしながら、
「説明しなきゃわかんねーか?」
 と反対に問い質して来た。
「うん…わかんない…。」
 気圧されてあかねがそう返事をすると、しょうがないなあという感じで乱馬はぼそぼそっと言った。
 「じゃあ、見てみろよ…。周りの光景を…。」
「周りの光景?」
 そう指摘されて、あかねは辺りを見渡した。
「別に普通の通学路よ…。」
 困惑げにあかねが返答を返すと、乱馬はチッチッと人差指を動かしながら首を横に振る。
「もっと、良く見ろよ…。今朝はやたらカップルが目につかねーか?」
 そう指摘されて、改めて、周りを見渡す。

 男子や女子の集団に紛れるように、あちこちで男女のペアが目についた。
 手をつなぐもの、さりげに女子の肩を抱く者、俯き加減に恥ずかしげに話しながら歩いて来る者…。確かに、いつもより通学路にはカップルが多いような気がした。

「な?意外にカップルが多いだろ?何せバレンタインの翌朝だからな…。」
 と乱馬はニヤッと笑った。

「バレンタインの翌朝だから…何?」
 あかねが問いかけると
「おまえ…相変わらず鈍い奴だなあ…。バレンタインの昨日の今日だぜ?女子に告られた男子が黙ってる訳ねーだろ?朝一番、誘い合わせてお互いの愛を語らいながら通学するのは、カップルの常識じゃねーの?
 だから、あの光景がズバリ、俺の言う朝の語らいだっつーの…。わかったか?」

 その言葉に、あかねは思わず、背筋がゾクッとした。
 当り前である。乱馬がそんなことを言いだすなど、明らかに何時もと様子が違う…などと躊躇する間も無く、乱馬はあかねの手をキュッと握って来た。唐突な乱馬の「らしくない行動」だった。
 その手を振りほどこうにも、乱馬はぎゅっと握ってきて、容易に離れそうもなかった。彼は武道家の卵なのだ。男の彼が本気を出せば、あかねなど、敵ではない。…というよりも、乱馬の積極的な行動に、あかねの方が度肝を抜かれてしまったのである。

 ぎし…。
 繋がれた手ごと、岩のように身体が固まってしまったのだった。
 
「ゆったりと語らいあってちゃ、遅刻するかなあ…ちぇっ、朝の語らいは明日までお預けだな…。早く行かねえと遅刻だ…遅刻…。」
 などと傍でうそぶく。


 いや、らしくない…。絶対、らしくない…。
 …なんなの…これ…。


 手を引かれて道を急ぐあかねの脳内でそんな言葉がぐるぐると回転し始めていた。


 そんなカップルを取り巻く瞳。
 道端のあちこちから、ひそひそ声や溜息が聞こえてきた。

「早乙女さん…。やっぱり許婚を選んだのね…。」
「そっか…。あの二人、仲が悪いっていうのは噂だけだったのか…。」
「残念…振り返って貰えるかも…って期待してたのになあ…。」

 そんな周囲の声を、あかねは上の空で聞きながら、ただ、呆然と前を見詰めて、歩いて行った。



六、

 ゆっくり歩いたのか、それとも早足だったのか、それすら明確ではなかった。
 思考回路は停止したままだ。
 右手は乱馬の左手にしっかりと繋がれたまま、歩いている。

 やがて二人の目的地が見えていた。
 風林館高校の校門だ。終ぞ、離されること無く、あかねは乱馬に手を引かれたまま、学校まで辿り着いたのである。

「天道あかねっ!覚悟っ!」
 甲高い声が校門をくぐろうとした二人の耳に響き渡った。
 思わず足が止まる、乱馬とあかね。

 この声は…。
 止まっていたあかねの思考回路が、俄かに回転し始めた途端だった。
 頭の上に、黒い影が写った。何かがこちら目掛けて落ちて来る!
 そう思った時だった。
 ぐいっと乱馬に手を引かれた。力強く乱馬の手はあかねを抱き寄せたのだ。
「はっ!ほっ!」
 あかねを抱えあげるとると、乱馬は身軽にそれを避けて、横へと飛んだ。

 ズンッ!ずんっ!ズンッ!

 特大の石燈籠が頭上から降って来て、地面へと落下した。

「小太刀っ!てめー何しやがるっ!」
 乱馬はあかねを抱えたまま、キッと小太刀を睨みつけた。

「乱馬様と手を繋ぐなど、許しがたき不届き千万ですわーっ!」
 キッと小太刀が仁王立ちしていた。

「せやっ!あかねっ!許さへんでっ!」
 今度は横から鋼鉄の巨大コテが降り注ぐ。
 ズブッ!すぶっ!ズブッ!
 と鋭敏な刃物のようなコテは、地面へと一直線に突き刺さって行く。

「あかねっ!乱馬誘惑したか?」
 今度は双錘という中国の飛び道具がズボッっと横を通り抜けて飛んで行った。


「あぶねーじゃねーかっ!てめーらっ!あかねに当たったらどうすんでいっ!」
 乱馬はあかねを抱えたまま、不意の乱入者たちに怒鳴り付けた。
 

「うちはあかねに当てるつもりやってんけどな…。」
 はっしと睨んで来る学生服姿の麗人、久遠寺右京だった。
「天道あかねっ!乱馬様を惑わす悪女っ!許しませぬわっ!そこへお直りませ!そして八つ裂きにされなさいっ!」
 キッと見詰めて来るのはレオタードに身を包んだ九能小太刀。
「乱馬!そっちの泥棒猫に誘惑されたか?」
 そして、その後ろからはチャイナドレスのシャンプーも凄んでいた。
 三人娘は三人三様、はっしと乱馬とあかねを睨みつける。
 それもその筈。乱馬はあかねの手を引いて、通学路を闊歩していたのを目の当たりにしたのだ。この三人娘が捨て置く筈もなかろう。


「し、失礼ねえっ!誰が泥棒猫よっ!いつ、あたしが乱馬を惑わしたってーのよっ!」
 あかねは乱馬の腕の中で思わず怒鳴りつけていた。
「たく…てめーら、性懲りも無く…。」
 乱馬はふうっと溜息を吐き出して見せた。そして、あかねを小脇に立たせると、
「いい機会だ…。はっきりとさせてやるぜっ!」
 と声を荒げた。それは澄んだ声だった。一点の曇りも無い透き通った声だった。

「何やて?」
「何ですの?」
「何あるか?」
 三人娘は問い質しながら、互いにダッと身構えた。
 乱馬の様子が尋常ではないことは、この名うての格闘少女たちも容易に推察できたからだ。何より、目の前の乱馬は殺気だっている。
 しかも、その殺気は三人娘に向かって投げかけられていたからだ。
 このまま、攻撃されるのではないか…そんな風に思わせる激しさがあった。

「てめーらっ!いいか、よく耳の穴をかっぽじって聞けっ!」
 乱馬は殺気を収めること無く、ガッシと三人娘を睨みつけながら、吐きつけた。
「俺は…俺の愛するのは、あかね、ただ一人だ。だから、てめーらがもしあかねを傷つける行為に及んだ時は…容赦しねえっ!」
 そう言い切った時、乱馬の右手から激しい闘気が炸裂した。
 猛虎高飛車のような激しい気砲を浴びせかけ、グラウンドの上空目がけて打ち放ったのである。

 ゴオオオオッ!

 乱馬の放った気砲は、上空へと真っ直ぐに打ち上った。そして、辺りはその気に飲まれるように、轟音と共に、上空高く風が吹きあがって行く。
 飛竜昇天破ほどの威力は無いにしろ、もし、人に当たっていれば負傷は免れないだろう。
 傍に居あわせた風林館高生たちが、何事かと一斉に吹き抜けた風を見送る。
 右京も小太刀もシャンプーも微動だにせず、息を飲んでその場に突っ立っていた。
 こんな激しい乱馬を見たことは無い。
 いつもの小競り合いも、逃げ惑うだけで、手は出して来なかった。なのにである。返答次第ではこの激しい気の刃を、容赦無く三人娘に向けて来るような気迫も感じられるのだ。

「乱ちゃん…。」
「まさか、乱馬様…。」
「あかねを選ぶつもりか?」
 三人娘の顔が蒼白になった。

「ああ…。今、ここで俺は宣言するっ!」
 乱馬は静かに言い放つと、傍で呆気にとられて佇んでいるあかねの手を思いっきり引いた。
「今日、今この時を持って…あかねは俺の正式な許婚だ。誰にもそれはおかさせやしねえ…。」

 気魄の籠った言葉だった。
 顔面、いや、全身が蒼白になったのは、三人娘ばかりでは無く、あかねも同じだった。

 言うに事欠いて、何てことを宣言してくれたのか…しかも公衆の面前で、いとも平然と…この男は…。

 反論する隙も与えず、乱馬はそのままがっしとあかねの手を引いて、悠々と昇校口に向かって歩き始める。

「ちょっと…乱馬…。」
 繋がれたままの手に、困惑したあかねが思わず声をかけた。
「いいから早く行くぜ。ほら、予鈴が鳴ったぞ。」

 下駄箱で上履きに履き替える時も、繋いだ手は離して貰えなかった。
 いや、それだけではない。昇校口から教室に至るまでの、廊下や階段でも、手は繋がれたまま。教室のドアに至るまで、手はがっしりと乱馬に握られたままだった。

「ちょっと…乱馬……いい加減、手…離してよ…。は…恥ずかしいじゃないのっ!」
 ぐいぐいと引っ張られながら、あかねが思わず声をあげた。
 が、その声はクラスメイトたちの声にかき消されてしまう。校門からずっと手をつないだまま来たのだ。誰しも、好奇の目で二人を出迎える。

「乱馬、やっとその気になったか。」
「いよっ!お二人さんっ!」
「正真正銘の許婚になったってか?」
 口々に思い思いの言葉をかけながら、二人を囲んで来るクラスメイトたち。

「ありがとう…皆…。今、この時から俺たちは正式な許婚同士だ。その証をたてるから、みんな、証人になってくれ。」
 乱馬が嬉しそうに吐き出した。
「ちょっと、いい加減にしてよね…。」
 と言いかけたあかねの唇を、いきなり乱馬が塞いだのである。勿論、唇でだ。
 クラスメイトたちの目前で、合わせられた唇。

 おおおおっ!と感嘆の声と拍手が教室中から湧き上がる。
 後は祝福の嵐。


「おめでとう、あかね。」
「今度こそちゃんと祝言ね。」
「すごーい…。」
「ちゃんと披露宴には呼んでよねー。」
「羨ましいー。」

 乱馬の露骨な行為に、あかねはそのまま固まってしまった。
 顔は今にも火で燃え上がりそうなくらい真っ赤に染まる。
 公衆の面前、クラスメイトの注目する中で、合わせられた唇。
 これでは、否定しても受け入れられないだろう。

 何…何なのよ…。一体…。どうしちゃったのよ…乱馬…。

 再び思考回路が停止する。
 隣には嬉しそうにほほ笑む乱馬が居た。


 その喧騒を、向かい側の校舎の窓から、双眼鏡片手に、しっかりと見詰めている瞳があった。なびきである。
「ふーん…。なかなか大胆じゃん……乱馬君…。起き抜けの濃厚キスといい…。今度は公衆の面前でためらうことなくキスかあ…。」
 実はなびき、ちゃっかりと、朝の濃厚キスも伺っていたのだ。あかねの隣室に寝起きするなびきだ。その尋常ならぬ乱馬の異変を、朝から感じ取っていたのである。
「これってきっと…八宝斎のお爺ちゃんがすえたお灸の効果よねえ…。ちょっとお爺ちゃんが期待していた効果とは様子が違ってるみたいなのが気になるんだけど…。
 ま…いずれにしても…面白いことになりそうだわ…。もう少し観察させて貰っちゃおっと…。」
 双眼鏡を下ろしながら、なびきはにんまりとほくそ笑んだ。



 つづく





 乱馬の愛情の暴走は続きます…多分…。まだまだ…もっともっと…。


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