◆チョコレート戦争2012
第三話 チョコレート争奪戦



一、

 六時間目の授業が終わった。
 終礼が終われば、放課後に突入する。

 なびきの配っていた、案内書によると、バトル開始は午後四時きっかり。そこからサドンデスで、誰かがあかねのチョコレートを奪うまでが勝負となる。
 季節は冬なので、四時ともなると、かなり陽も傾いて来る時間帯だ。バトルの行方によっては、暗くなるまで、繰り広げられるかもしれない。


 それはさておき、終礼が終わると、乱馬は即効、教室を飛び出した。

「たく…乱馬の奴。本当に、参加しねーつもりかよ。」
 と大介がその背中を見送りながら、言葉を吐きだした。
「いやあ。どうだかねえ…。乱馬のことだから、どっかで絡んでくると思うぜ。」
 ひろしが言い放った。
「そうかなあ…。」
「そーだよ。あかねが絡むと、あいつ、結構、真剣になるぜ。このままな訳ねーんじゃねえ?」
「確かに…。」
「いずれにしたって、国松さんとかも参戦するんだろ?絶対、乱入してくるぜ。」
「だな…。」
「ま、乱馬が絡む絡まないに関係なく…。」
「俺たちは俺たちで、愉しみますか。」
 だてに、乱馬と付き合っていない。この二人の学友は、頷き合った。

 乱馬が教室から消えて、間もなく、スピーカーからなびきの声が流れて来た。

『バレンタイン記念、天道あかね謹製本命チョコレート争奪戦に参加の皆様は、速やかにグランドに御集合願います。繰り返します。バレンタイン記念、天道あかね謹製本命チョコレート争奪戦に参加の皆様は、グランドに集合願います。』


「あかね、頑張ってね。」
「いよいよね。」
 ゆかやさゆりたちのエールを背に、あかねは軽く頷くと、彼女もまた、教室を後にする。

(乱馬…やっぱり、あたしのチョコに、興味は無いのね…。)

 校門の方向へ走って行く、乱馬の後ろ姿を、二階廊下の窓から見送りながら、ふうっと溜め息を吐きだしたあかね。
 それから、ゆっくりと、なびきに言われた場所へ向かって歩き出す。


 一方、乱馬。
 無論、下校してしまうつもりはなかった。あくまでも、「ふり」だ。
 なびきに「トラップ」として要請された身の上。だが、彼もまた、プライドというものに振りまわされる、複雑な少年。あかねに雑言を浴びせかけた以上、彼女に対する「見栄」があった。
 正面切って参加しないと公言している以上、いつまでも、校内へそのまま留まるのも変な話だと思ったのだ。
 
 案の定、校門を出た早々、シャンプーと小太刀、それから、右京の三人娘が、互いに牽制し合いながら、乱馬が来るのを待ち受けている。

(はは…。やっぱ、いやがったか…。)

 あらかじめ、予測はできたものの、バトルを前にして、あまり関わりたくない娘たちである。

「乱馬!バレンタインデーとするあるね!」
「わたくしと、バレンタインナイトを満喫するんですわ!乱馬様!」
「乱ちゃん、バレンタイン仕様特製お好み焼き…食べにおいでや!」
 それぞれ、バレンタインの下心を秘めて、乱馬の前に立ち塞がる。

(すんなり、通してくれる、素直な奴らでもねえ…よな…。)

 今は一分、一秒でも、惜しい。
 少しでも早く、スタンバイしなければ、あかねのチョコレートはどうなってしまうか。


『ま、少しくらいは、あたしの方も好戦できるメンバーは揃えてあるけど…。だからって、そんなに時間の余裕はないわよ。わかってるわよね?』
 と、昨夜、なびきに言われたことを思い出す。

(あいつらとのすったもんだは時間の無駄だからな…この際、なびきの言に従うか…。)

 間合いを取りながら、背後を探る。

 少女たちも、乱馬を逃がすまいと、じりじりと間合いを詰めながら、牽制を計ってくる。

 三人娘と乱馬の上に、得も言えぬ緊張感が漂い始めた。

 こうなることは、あらかじめ、折りこみ済み。
 
(さっすがだな…なびきの奴は…。計画に穴はねーってか…。)
 大きな紙袋を手に、乱馬はにやっと笑った。
 なびきによって、周到にプランは練られている。


「今日は私のチョコ貰ってもらって、デートですわっ!乱馬さまっ!!」
「うちや、うちのチョコとデートやっ!」
「何言うか。デートもチョコも私とね。乱馬っ!!」

 実は、今朝、わざわざ朝早く起き出して、彼女たちのチョコレート攻勢にスカを喰らわせたのも、この時間に集中させるため。勿論、なびきの手ほどきであった。

(あと、五分を切ったな…。)
 すぐ後ろの、時計台の針をチラッと見ながら、そんなことを考えた。
 時計の針は、四時五分前を指している。

(よっし…そろそろ、行くかっ!)
 そう決意すると、三人娘に叫んでいた。
「わりいな、てめらに関わってる暇はねーんだ!」

 そう叫ぶと、ダッと駆け出していた。
 三人娘は、ぎゅっと闘志をむき出しに、向かってくる乱馬に身構えた。
 と、乱馬はいきなりくるりと彼女たちから背を向けた。そのまま一気に校舎内へと駆け込む。
 向かってくると思った乱馬に、思い切りフェイントを食らわされた形になった、三人娘。彼女たちそれぞれが、一定以上の「格闘家」だ。間合いを計り、確実に相手を捕える。そのクセがついている彼女たちにとって、乱馬の突然の方向転換は、慌てさせるに十分だった。
 一瞬の隙が乱馬に突破口を開く。ものの、数秒の間合いだが、乱馬には充分な隙となる。

 三人娘たちも、乱馬の方向転換を知るや、慌てて、駆け出していた。

「お待ちくださいっ!」
「乱ちゃん、待ちいやっ!」
「乱馬、待つね!」
 口々に叫びながら、乱馬を追い始める。

 彼女たちへフェイントを食らわせた乱馬は、出て来た校舎へ再度入ると、昇校口を土足のまま突っ切ったそ。さっと、グラウンドへ向けて通り抜ける。
 抜けた先は、丁度、チョコレート争奪戦のスタート地点となっていたのだ。辺り一面、天道あかね謹製本命チョコレート争奪戦に参加する生徒たちでごった返していた。
 その中へ突っ込むや否や、乱馬は所持していたペットボトルの水を頭からぶっかけた。みるみる、女の姿へと変化を遂げる。

「おっと、ごめんよっと。」
 女体化してしまえば、こっちのもの。人波にまぎれ、そのまま、グラウンドを駆け抜けて行く。一目散に旧校舎の方へと駆け出していた。


「乱ちゃん!どこや?」
「逃げるとは卑怯ある!」
「乱馬様、いずこへっ!」
 案の定、三人とも、乱馬の姿を見失った。
 きょろきょろと辺りを見回すが、ごった返す参加者たちに阻まれて、どうにもこうにも身動きがとれなくなってしまった。

 その様子を見ながら、乱馬はニッとほくそ笑む。
 そして、さっと、再び、校舎へと入って行った。

(さすがになびきだな…。あらかじめ、ここまで予測して、スタート地点を昇校口側に決めやがったな…。)

 再び校舎へ入ると、トイレに駆け込む。そこで、変装するのだ。おもむろに、ポットから湯を浴びて男へと戻ると、持っていた紙を広げ、愛用のチャイナ服から風林館高校の制服へと着替え始める。 なびきがどこからか調達してきたものだ。
 普段からチャイナ服で通している乱馬だ。風林館高校の詰襟の制服に着替えただけで、既に別人に見える。
 それから、ぼさぼさ頭のカツラをかぶり、眼鏡をかける。
 洗面所の鏡に姿を写しながら、
「ま、こんなもんだな。」
 と独りごちた。
 確かに、鏡に映りこんだ姿は、別人物。
 何だか変な風体の高校生が出来あがっていた。これならば、誰も乱馬と気付くまい。
 乱馬は紙袋を持つと、旧校舎へ向けて、駆け出して行った。



ニ、

 乱馬が教室を立ち去ったのを見届けると、あかねは、暗澹とした足取りで階段を上がって行く。

「こっちよ、あかね。」
 なびきが階段手すりの上から、ひょいっと顔を出した。
「四時きっかりに、トラップが作動するようにセットしてあるから、急いでね。」
 と笑っている。
 あかねはなびきに連れられて、旧校舎へと急いだ。
 春休みには倒されるという旧校舎。学校側と掛け合って、ここを使わせて貰うことになっていた。どうせ壊す校舎なら、暴れて破壊されても、誰も文句を言わない…と、なびきはそこまで計算して、会場にしたのであろう。
 旧校舎は昭和中期の三階建鉄筋の建物。耐震性に問題があるからと、数年前から使われなくなっていて、倉庫と化していたようだ。春休みに取り壊され、更地に戻されるという。
 階段を登り切り、一番てっぺんにある踊り場の鉄の扉を開ければ、校舎の屋上へ出る。
 なびきに促された場所は屋上の一角。
 パイプいすが既に用意されていた。

 まだ冬の冷たい風が空を渡ってゆく。頼りないお日さまに陽だまりとは言え、肌寒い。
 上着を持って来れば良かったと、思うくらいの気温だった。
 と、その辺りは抜け目がないなびきだ。どこから持ち込んだのか、ダルマストーブがやかんをかけて置いてある。
「風邪引いたら洒落にならないものね。」 
 そう言ってマッチで火を入れる。
「あんたは、堂々として、ここに居たらいいだけだからね。あ、カイロもあるわよ。」
 なびきは笑った。
 複雑な気持ちとは裏腹に…屋上からの眺めは、爽快だった。遠くには富士山を望む。逆方向は東京湾。東京タワーやスカイツリー、新宿副都心のツインビルが見える。西方向は微かに横浜みなとみらいやランドマークタワーの特徴ある建物も見える。
 冬の空気は澄んでいるので、結構遠くまで見渡せるのだ。
 都会の喧騒を一瞬忘れてしまう。そんな風景があかねを少しだけ和ませてくれる。

「さて…時間ね。」
 腕時計を見ながら、ニッと笑うと、なびきはグラウンドに向かって黄色い旗を振り下ろした。

 バンバンバン。

 午後四時きっかり。空砲の音が鳴り渡った。

 その合図を皮切りに、スタート地点にぞろぞろとたむろって居た連中が、一斉に走り始めた。皆、猛ダッシュであかねが待ち受ける校舎へ向けて、駆け出して行く。
 そう、天道あかね謹製本命チョコレート争奪戦が始まったのである。
 いみじくも乱馬は、その波に乗って、一緒に駆け出す。

 と、グラウンドに仕掛けられていたトラップが派手にバンバンと音を鳴らし始めた。

 もうもうと舞い上がる砂煙。三人娘たちの影も周りの連中の影もかすんでいく。
 そのまま流されるように人混みにもまれてゆく。
 詰襟を着て、正解だと思った。中には運動部のユニフォーム姿の連中も居たが、この場に居る、大半の物たちは、詰襟の制服。全て黒。 
 木を隠さば森の中…隠れるならば人混みに紛れる。
 詰襟の黒い制服は、完全に保護色と化していた。
 一方、制服姿ではない、右京、シャンプー、小太刀の三人の姿は、どこに居ても、目立っていた。参加者たちの動きに押されて、もみくちゃにされているのが、手に取るように見える。これも、乱馬にとっては好都合だった。

(たくっ!なびきの奴…ここまで計算して、俺にこの格好をさせたのかもな…。)
 周到な徹底ぶりを目の当たりにして、乱馬は苦笑いした。
 トラップも、そこら中で鳴り響いている。
 乱馬は泳ぐように人波を避けながら、すいすいと駆け抜ける。野性児の彼にとって、このくらいのトラップ、軽いものだった。
 傍に居た連中の殆どは、トラップを避けきれず、バタバタと地面へと沈んで行く。その躯体の上を、ひょいひょいと飛び跳ねて行く。
 中には、何を血迷ったか、攻撃をおっぱじめる連中もいた。
 一応、サドンデスだ。
 互いに、攻撃をしあって、相手を蹴散らすのもルールでは良しとされていた。
 トラップと取っ組み合い。
 その二本柱で、構成されているのだ。

(なるほどねえ…。これなら、心置きなく、不埒な連中を叩きのめせるってもんだ。)

 風体から弱いと判断したのだろうか。風体の上がらない眼鏡ぼさぼさ頭の乱馬目掛けて、飛びかかって来る連中が居た。無論、乱馬の相手にもならない。
 ドカッ!バキッ!と一発でのしあげる。
「弱っちいクセに、俺を襲うとは、バカな奴らだぜ。」
 拳でのしあげながら、ニッと笑った。

「俺は俺の持ち場があっから…。」
 そう呟くと、あらかじめ、なびきに示唆されていた、別の侵入口へと辿って行く。こそっと隠れるように、開いた窓から、校舎へと入って行った。なびきがあらかじめ、鍵を開けておいてくれた窓だ。目印に赤いテープがさりげに貼ってある。
 そこから侵入すると、すぐに鍵をかけた。後続して別の連中が入るのを阻止するためだ。

「さてと…トラップとしての本領を余すところなく、発揮しに行くか…。」
 乱馬はゆっくりと、旧校舎の中へ消えて行った。




三、 
 
 さすがになびきが企画しただけあって、金儲けとイベントが見事に調和している。

 バンバンバンという空砲を合図は、当然、屋上のあかねの耳にもしっかりと鳴り響いていた。

 あかねが身を乗り出して、階下を覗いてみると、スタートラインから、一斉に、人波みがこの校舎に向かって駆けてくるのが見えた。

「あの中のどのくらいがこの校舎まで辿り着けるかしらねえ…。」
 なびきは楽しそうに微笑んだ。

 あかねが見下ろすと、グラウンドにいっぱいのトラップが仕込んであるようで、巨大な落とし穴が軒並みに出現して、男子たちを飲み込んでいる。

(凄い。…ここまでやるんだ…お姉ちゃん…。)

 我が姉ながら、その、機動力に思わず感嘆の声を上げた。 
 参加者たちは校舎の入口まで辿り着くだけでも大変かもしれない。

「ま。あたしにかかれば、このくらいは…。」
 なびきは余裕の表情だ。

(…お姉ちゃん、どうやってあんなもの作ったんだろう。ほんとお姉ちゃんだけは敵に回したくないわ…)
 と、空寒くさえ思える。
「九能ちゃんに協力してもらったのよ。」
 あかねの心の中を見透かしたように、なびきはふふんと応えた。
 なびきの様子から察するに、大方、九能を焚きつけて、忍者出身の佐助辺りに手伝って貰ったのだろう。

「じゃあ、九能先輩も居るの?」
「勿論、参加してるわよ。あ、でも安心なさい。一応、トラップとして働いて貰ってるから。」
「トラップって何よ?」
 あかねがキョトンとして尋ねると、
「校舎内には人間トラップを配置してあるの…。まあ、九能ちゃんは、一応、参加申し込みもしているから…トラップとしての役目を果たせたら、チョコを奪いに来るつもりなんでしょうけどね…。」
「まさか…九能先輩以外にも人間トラップって…。」
「まあ、それなりの連中を雇ってるわよ…。あんたのチョコを渡したくないって思う男子って、案外一杯いるんだから。」
 と涼しい顔で返答した。
 姉の楽しそうな表情から、仕掛けられた人間トラップが、一筋縄ではいかない…ということだけは、あかねにも理解できた。
「怪我人とか出ないかしら…。」
 と心配になった。
「平気、平気。命が惜しくなったらさっさとリタイアしなさいって注意書きにも入れてあるから。」
 などと、さらっと言ってのける。

…これって命がけのバトルなの?…
 反対に、そう問い質したっくなったくらいだ。

 なびきの予想どおり、半分以上はグラウンドでリタイアしたようだった。
 グラウンドの次は南館。普通教室の校舎だからそんなに派手なトラップは無かろう…と思っていたらとんでもない。上がる上がる。砂ホコリや轟音が。ドカドカバスバスと響いてくるのだ。
「ここって学校よね…。戦場じゃないよね…。」
 思わず耳をふさぎたくなるような音の洪水。

「大丈夫よ、そんな顔しなくても。ちゃんと、ほら…。」
 なびきが指差す方向に、赤十字のテントが設営しあるのが見えた。
「東風先生にも来てもらってるから。」
「……。」
 さらりと言ってのける姉に、思わず絶句したあかねだった。

 用意周到というべきなのだろうか。抜け目が全く無い。さすが、なびきである。

『それよりも…乱馬は…。』
 乱馬の申し込みがあったのか、無いのか…。それとも、トラップとして、どこかに潜んでいるのか…。その言葉を何度も姉に投げかけようとしたことだろうか。
 目下、喧嘩中でも、やはり気になるのは、乱馬のことだった。彼がこのバトルの渦中に居るのかどうか。
 なびきが乱馬を既に巻き込んでしまったことを、あかねはまだ知らない。

 爆音が鳴り響くたびに、はあっと大きな溜息が漏れる。手にはラッピングしたチョコレート。それから、「デート券」と書かれたチケット。

 何だかやっぱり、とんでもないことをしでかしているような、そんな気がした。

…こんなこと、やらなければ良かったのではないか…。

 時間の経過と共に、そんな苦悶があかねを襲い始めていた。




四、

 乱馬は自分に割り当てられた三階の踊り場付近へ上がるために、取りあえずは校舎の中に入った。
 まだ、校庭ではバンバンとど派手なトラップの炸裂音が響いている。
 乱馬は予め、なびきにトラップを逃れる最短距離を教えてもらっていたから、校舎内に敷かれたトラップ群を器用に避けて通る。まあ、一種の「ずる」である。
 なびきの情報に寄れば、乱馬以外にも、何人かの助っ人を雇ってあるという。
 中には、申込書も出した者も居るようで、トラップで他の男子を粉砕した後、悠々とあかねのチョコへありつこうと考えている者も居るとなびきが言っていた。

(恐らく、九能先輩だな…。んなせこいこと、考えるのは…。)
 苦笑いしながら、乱馬はずんずん奥へと進んで行く。
 乱馬の持ち場は一番奥手。いわゆる、最終トラップということだった。「適当に他のトラップの連中をかわして、位置について頂戴ね。」となびきにあらかじめ言われている。

「さてと…。」
 乱馬は静まり返った校舎を見渡した。どこからでも階段をすり抜けて行けばよいと言う訳ではないらしい。予め防火扉などで仕切ってあって、一つないし二つのルートへ誘導される仕掛けになっているという。よく短時間にこんな準備をしたものだと、なびきの手腕には、驚くばかりだった。

(消防法にひっかからねえのか?勝手に防火扉閉めたり、通路塞いじまってよう。良くあの校長が許可したもんだぜ…。)
 そんなことを考えながら、乱馬は自分の持ち場でもある上階へと突き進んだ。

 と、横からばっと誰かが飛び出してきた。

「喰らうだーっ!」

 この声はムース。
 ジャリっと音がして鎖鎌が飛んで来る。

「おっと。」
 乱馬はさっと身を交わす。と、続けざまに爆竹がバンバンと派手に鳴った。
「ふん、こんなもの。」
 乱馬ははらりと身を翻し、音玉を避けた。

「ふっふっふ。貴様、なかなかやるだな。じゃが、屋上には絶対行かせないだ。」
 ムースは怒鳴った。

(何で、ムースがここに居るんだ?何で、こいつがバトルにトラップとして参加してやがんだ?)
 ムースの想い人はシャンプーだから、何故、ここに居るのか…理由が無いと、乱馬は思った。

「天道あかねを早乙女乱馬以外の男とくっつけるわけにはいかないだ。オラとシャンプーのためにも天道あかねは早乙女乱馬の嫁になってもらわねば困るだ。だから、あの二人の恋路を邪魔する奴はオラが粉砕してやるだーっ!!」

(なるほど。そういう訳か。たく、なびきの奴。それでムースを引っ張ってきやがったのか。)
 それなら利害関係が一致しようというもの。ムースがこの場に居ることも、納得がいった。
 乱馬はにやりとムースへ笑いかけた。

「じゃ、ここで俺を攻撃しても意味ないぜ。俺も天道なびきに雇われたトラップの一人なんだから。」
 乱馬はふわっとムースの上を飛び抜けながら、言い放った。
 できるだけ、ムースを無傷でここに残したい。そういう、皮算用が乱馬なりに働いたのだ。ムースも強い男だ。普通の男子生徒たちを蹴散らかすに十分なトラップになる奴だった。
 ここで、自分がのしあげるのは、勿体ないと思ったのだ。

「うぬ…。猿のように身が軽い奴じゃな…。おまえ、本当に天道なびきに雇われただか?」
 ムースは眼鏡を持って両目をしばたたかせた。じっと乱馬の方を見詰めた。
「何だ、おまえ、乱馬じゃねーだか。」
 と、ムースが言った。

 乱馬はドキッとして、黙った。
(こいつ、俺に気付いたか?)
 このド近眼に気を読まれたのだろうか。いや、そんな筈はない。
 ドキドキしながら、ムースと真正面から向き合う。
 
「あれ?おさげがないだか?うーむ、乱馬とは違うだか…。」
 腕組んで真剣に考え込む。

「悪いが、先を急いでるんだ。ぼ、僕はこの上を固めなきゃならないんだよ。なびきさんと約束してるから…。」
 わざと丁寧な言葉遣いに声のトーンも高く上げて、ムースへ言葉を投げ返した。
「ほら、第一陣が向かって来たよ。」
 と、背後を右の親指で指した。。
 階段を駆け上がってくる足音が聞こえて来る。
「なんだか釈然としないだが…まあ、いいだ。おまえも雇われたトラップなら、とっとと持ち場へ行って阻止するだ。忙しくなるだーっ!!」

 乱馬はムースと分かれて階段を駆け上がる。

(ムースがど近眼で助かったぜ…。)
 ふうっと溜め息を吐いて、一息つく。

「とととととと、チェストーッ!!」
 という怒声と共に、いきなり階段脇の廊下側から、木刀が振り下ろされて来た。

「わたっ…、九能か。」
 そう言いながら、乱馬は横へ飛びのき、最初の一振りを避けた。

「ふっ!よくぞ、僕の突きをかわせたな…だが…。生憎、この先は、九能帯刀が一歩たりとも上がらせぬ。ぞっ!」
 九能は勢い込んで木刀を振りあげた。
「たく、いつもいつも、ワンパターンの攻撃しやがって。」
 乱馬はひょいっと階段の手すりに上がると、だっと駆け上がった。そして、トスン、と軽く九能の後頭部を蹴り上げ、その反動で踊り場まで跳ぶ。
「ぬぬぬ…、おぬし、何奴っ!」
 九能はすぐに立ち直った。

 いつもなら、容赦なく蹴落とすのだが、九能も多分、なびきの用意した人間トラップなのだろう。
 ムース同様、九能も普通の男には十分トラップになり得る。今は、一人でも味方が欲しいところ。 
 そんな、知恵が働いて、乱馬は、いつもより思い切り手加減してやった。

「僕も、なびきさんに頼まれたトラップです。九能先輩。」
 とこれまた丁寧語で答えてやる。

「ぬぬ、貴様もなびきに頼まれたトラップか…。にしては見かけぬ顔だが…。」
「て、転校してきたばかりですから…それに、ほら、これ。」
 と言って、なびきのサインが入った人間トラップ認定書なるものを差し出して見せる。これも、あらかじめ、なびきが手渡してくれたものだ。

「ほう…確かに、なびき君の字だな。」
 それを見て、九能なりに納得したようだ。
「行って良しっ!」
 とあっさりと、通行を許可してくれた。
「じゃ、遠慮なく上がらせてもらいます、先輩っ!僕のところまで誰も通さないように、期待していますからねーっ!」
「誰に物を言っている!この九能帯刀、この先は一歩も通さぬわ!わっはははは。」

「たく…単純な奴だな…九能先輩は…。」
 九能の高笑いを聞きながら、乱馬はひょいっと階段を駆け上がっていった。

 二階を駆け抜け、三階の指定場所へ向けて、一目散。

 三階へ入った時、 
「ここはいったい何処なんだーっ!!」
 ガバチョと突然振って湧いた人影。
「り、良牙…。」
 リュック背負って仁王立ちしているのは、良牙だった。
「なあ、君、ここは何処だ?風林館高校か?」
 たく、ぼけかましやがって。
「ああ、風林館高校の本館の三階だが…。」
 と、良牙の目が輝いた。
「おお、奇跡だ。辿り着けた。」
「あん?」
「ところで、これは始まったのか?」
 例の争奪戦のちらしを乱馬にずいっと見せた。
「とっくに始まってるぜ…。」
 乱馬の言葉に、一瞬、沈黙が訪れた。と、いきなりだった。奴は徐に傘を抜いた。そして、だっと乱馬に差し向けた。この傘、鉄製で十分凶器になり得る。
「何しやがるっ!」
 乱馬はだっと飛び退いた。着ていた学ランがぴっと音を発てて破けた。
「おまえ、あかねさんの元へ上がろうとするふとどきな挑戦者だな!ならば勝負だっ!」
 良牙は、乱馬へと対峙した。
 どうやら、彼も、なびきに雇われたトラップのようだ。
「いい加減な許婚の乱馬になり変わって、あかねさんの操は俺が守る!覚悟しろっ!」
 良牙は、にじり寄った。
 
「こ、こらっ!やめろっ!良牙。」
 無駄な体力を良牙との戦いに消費させるのはやばいと、咄嗟に思った乱馬。
「良牙っ!俺だ!俺、早乙女乱馬だっ!」
 咄嗟に、変装のカツラと眼鏡を取った。自ら、己の正体を明かしたのだ。
「なっ!乱馬…。」
 良牙は攻撃の手を、寸でで止めた。だが、返すその手で、ぐいっと乱馬の学生服の胸倉をつかんできた。
「乱馬、貴様、何考えてやがるっ!」
 返答如何では容赦しない…という喰らいつき方だった。
「おまえ、あかねさんのチョコレート争奪戦だなんて…何でこんな企画がまかり通ってやがるんだ?」
 乱馬に突っかかる良牙の顔は真剣そのものだった。
「何って、いろいろあってだな…。」
 ぼそぼそっと歯切れ悪く、眼を背けた。
「色々って何だ?おまえ、あかねさんに何をしたんだ?」
 と詰め寄って来る。
「べ…別に…何も…いつもの喧嘩だよ。他愛のない…。」
 と視線を反らせながら答えた。
「他愛がなくて、こんな企画をあかねさんがたてるのか?」
 ぐぐっと良牙がせり出してくる。 
「だあ、とにかく、それより、他の男をあかねに近づけさせる訳にはいかねーから、変装してここに居るんだっ!」
 それを聞いて、良牙はすっと手を離した。
「ということは、乱馬…てめー、一応、他の男たちを阻止する気はあるんだな。」
「あったりめーだっ!それより、てめーは何でここに居る?なびきに雇われたのか?」
「違うっ!あかりさんに頼まれたんだ。」
 良牙はぷいっと横を向きながら答えた。少し頬が赤らんでいる。
「あかりちゃんだって?」
 意外な人物の名前を口にしたので、思わず良牙を覗き込んだ。
「あかりさんが、こんな企画が行われることになったって、チラシを俺に差し出したんだよ…。」
 そう言いながら、なびきが印刷した、争奪戦の告知チラシを、ポケットから出して見せた。

「貴様、また、あかねさんを怒らせたんだろう。」
 良牙は突っ込んで来た。
「まあ、…な。とにかく、いろいろあったんでい。売り言葉に買い言葉っつーか…その…。」
 罰悪そうに、乱馬は答えた。

 良牙のような純情一直線の奴には、下手な言い訳はしない方が良い。

「たく…お前って奴は…。」
 良牙はふうっと溜め息を吐き出しながら続けた。
「あかりさんはあかねさんのことを真剣に心配してんだよ。チラシを目にしたあかりさんが、主催者のなびきさんに問い合わせたら…、俺にトラップの一人として、一肌脱いでくれるよう頼んでくれって言ったんだとよ…。」

(たく、なびきの奴…こりゃ、体よくタダ働きさせようと、良牙を巻き込みやがったな…。)
 じっと良牙の話を聞きながら、乱馬は思い切り苦笑いしていた。

「本来なら、あかりさんとバレンタインデートする筈だったんだが…無視するわけにもいかんだろう?だから、デートは後回しにして…。」
「で、わざわざ駆けつけたっていうのか。おまえもご苦労さまだな。」

 なびきに良いようにトラップとして引っ張り出されたことに、恐らくこの単純お人好し男は気が付いていないようだ。

「その言い草はねーだろ?乱馬っ!おまえが、あかねさんを怒らせたからこういうことになってんだろうがっ!!素直にバレンタインチョコレートを待っているっていう態度を、見せないから…。」
「うるせー、余計なお節介なんだよっ!」
「貴様ぁ!あかりさんの真心をムダにするつもりか?」
 再び、良牙の語気が荒くなる。

「たく、それが余計だっつーのっ!俺たちのことは、ほっとけよ!」
「おまえなあ…、人が下手(したて)に出てやってるのに…。」
「何が下手なんだよ。変に俺たちの喧嘩に、首を突っ込みやがって。」


「まあ、いい。ここは仲間割れしている場合ではないからな…。」
 拳を収めながら、良牙は言った。
「で、乱馬よ…とどのつまり、おまえも、争奪戦に参加していると理解して良いんだな?」
「いや…俺も一応、トラップとして参加してんだ。」
「トラップだあ?参加者じゃないのか?」
「ああ…その、俺にもいろいろ事情ってのがあるんだよ…。」
「事情とは何だ?」
「強いて言うなら…男のプライドだよ。」
「プライドねえ…貴様には似合わない言葉だな。」
「うるせーよ!…まあ、俺も他の連中にあかねを渡すつもりはないからな…。」
「それで、トラップとして参加者たちを蹴散らすつもりか。」
「そういうことになるな…。」
「たく、ひねくれものめ。」
「何とでも言えっ!」

 と、乱馬はずいっと廊下の向こう側へ目をやった。
 そちらの方から、数多の気配が雪崩こんで来るのを感じたのだ。

「良牙、おしゃべりはここまでだぜ…。」
「ああ…そうみたいだな。」
 良牙も頷いた。
「さすがに、ムースと九能だけじゃあ、数には対応できず、取りこぼした連中も居るみてーだな…。」
 乱馬は吐き出した。
「まーな…。奴等がいくら気炎を吐こうとも、それを避けて通って行く奴が、何人か居ても、不思議じゃないな。」

 あかねのチョコレートをもぎ取って、デート権を獲得したいという無節操な下心。女に飢えた男というのは、必死になるものだ。
 近づいてくる男どもの、荒れた気が、何よりも、それを明確に現しているではないか。

「乱馬、最後にもう一度訊くが…他の男にあかねさんを渡す気はねーんだな?」
 身構えながら良牙が乱馬を流し見て言った。
「ターコッ!わかりきったこと、訊くんじゃねーよ!」
 乱馬は、変装に使っていた、眼鏡はポケットにしまいこみ、カツラは、バサッと投げ捨てた。無駄な物は一切捨てて、闘いに専念する。その一心だった。

「たく…変な変装しやがって…。」
「うるせーよ!こっちだって、いろいろ事情があったんだよっ!」
「もう、変装しないのか?」
「その必要は無くなったしな…。身軽な方が闘い易いってもんだ。」


 乱馬も良牙も臨戦態勢に入った。
「さて…一暴れすっか。」
 二人はにんまりと含み笑いをした。
「行くぜっ!」
「おおっ!」
 乱馬の合図に、良牙も飛び出した。
 ここから始まる正念場。

(一人たりとも、この上には行かせねー。)
 乱馬の決意は、石よりも固かった。





つづく







(c)Copyright 2000-2012 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。