バレンタイン ノベルス 2001・・・第一話
◆バレンタイン プロローグ



「あかねちゃん、やる気充分ね・・・。」
 かすみが笑いながら台所を覗いた。
「ちょっとお姉ちゃん。この後はどうするの?」
 あかねがかすみに話し掛ける。
「あ・・・。駄目よ。チョコはね、湯煎で溶かさないと・・・油っぽくなっちゃうわよ。」
 
 明日はバレンタインデー。
 恋する乙女たちの聖なる一日。
 あかねは学校から帰ると、真っ先に台所へ篭ってしまった。エプロンをつけて、ずっとチョコレートの甘ったるい匂いの中、クッキングに精を出していた。
 あかねといえば、味覚音痴の極地な女の子。天道家の誰もが、あかねが台所に篭ったというだけで、どきどきそわそわとしてしまうのである。
「乱馬くん・・・。いいわね。明日が楽しみだわね。」
 なびきが他人事のように乱馬に話し掛ける。
「あん?」
 乱馬はなびきが云わんとしていることが分からずに素っ頓狂な声を上げた。
「明日は2月14日でしょ。」
 なびきはにやにやと答える。
「そっか・・・。なびきくん。バレンタインデーか・・・。」
 玄馬が腕を組みながら答えた。
「それであかねは、帰るとずっとあやって台所に篭ってしまったっていうわけか・・・。」
 早雲も腕組みをしながらうんうんと頷く。
「乱馬くんも大変ねえ・・・。あかねの作ったチョコレート食べなきゃならないんだから。」
 なびきはふっと笑って乱馬を盗み見た。
「そうだぞ。乱馬くん。不味いなんて言ったらどうなるか分かってるだろうね。」
 早雲もじわりと乱馬を横目で見詰めた。
「うるせえ。関係ねえよ・・。」
 乱馬はからかわれると、どうしても無愛想になる。あかねのことが絡むと必要以上にムキになるところは、出会った頃からちっとも進歩がないのだ。
「天道家との許婚としての使命を果たしてもらわんとなあ・・・。」
 玄馬もからかいの姿勢に入る。
「たく・・・。親父たちが勝手に決めた許婚だろ。」
 乱馬はむっとした表情でそう言い含めると、茶の間を出て行った。これ以上、家族たちにからかわれるのが堪らなかったのだ。
「素直じゃないわね。相変わらず・・・。ま、あかねといえば、筋金入りの味音痴だからしょうがないかもしれないけど・・・。」
 なびきがふふふと笑いながら出て行った乱馬の背中に呟いた。
「なかなかあかねくんも可愛いところがあるじゃないか・・。乱馬の為に頑張るなんて。なあ、天道くん。」
 玄馬が笑いながらそれに答えた。
「あら・・・。甘いわね、お父さんたち。バレンタインデーには義理チョコっていうのもの存在してるのよ。あかねのことだから、きっと、お父さんたちのも作ってるわよ。」
 なびきがさらりと言ってのけた。それを聞いて、さっと父親たち二人の表情が変わった。
「あはははは・・・。それは困ったねえ、天道君。」
「おうさなあ・・・。明日は一日、何処か安全な処へでも修行に行きますかね、早乙女君。」

 乱馬は通り際にこそっと暖簾の向こう側を覗いてみた。
 そこには、かすみに指導してもらいながら、せせこましく動き回るあかねがいた。
「あ、熱いっ!!」
「あらあら、気をつけないと火傷しちゃうわよ。」
 たった一つのことをこなすのでさえ、大騒ぎで台所を右往左往するあかね。そんな様を見て乱馬はふっと溜息を吐いた。
・・・やっぱ、どんなに不味くても、全部食わねえといけねーんだろうなあ・・・。
 やれやれといった心情で乱馬は其処をそっと離れた。
 バレンタインチョコレート。
 別段、欲しいと思うわけではないが、貰えないとなるとそれもまた寂しいものだ。
 競うつもりもないのだが、各々、どのくらい女生徒から貰えるかなどと、今日だって悪友たちと話題になっていた。
 
「乱馬はいいよな・・・。いくつも本命のチョコを貰えるんだろ?」
 ひろしや大介もそう言って背中を叩いてきた。
「中でも、あかねなんか・・・。許婚だし。期待できるよな。丹精こめた手作りだろうし。」
「んだんだ。あかねといえば、乱馬が来るまで俺たち男子生徒のマドンナ的な存在だったからな。くそ。羨ましい。」
 二人にうりうりされながら、乱馬は冷やかされたのだ。
「なに呑気なこと言ってんでい。おめえらはあかねの作る料理がどれだけ不味くて迷惑か知らねえからそんな無責任なことがいえるんでいっ!!」
 乱馬は顔を紅潮させながら言い放った。
「いいじゃんか、味や形が悪くったって・・・。要は心だろ?」
「何にしても乱馬は幸せ者だよな・・・。」
 いくら言葉を繋いで反論を試みても、級友たちには相手にされなかった。
 
 一所懸命にチョコを作るあかねを見るうちに、大介たちが言っていたように、自分は幸せなのかもしれないと思うようになっていた。
 楽しみでもあり、恐ろしくもあり・・・。
 バレンタイン。
 差し出すほうも、受け取る方も、どきどきの一日。

「胃薬・・・用意しといた方が無難かもな・・・。」
 そう呟くと、乱馬は道場の方へと歩いていった。
 


「なんとか仕上がったわ・・・。」
 仕上がったときには、もう夜はすっかりと更けていた。
 あかねは出来上がって冷蔵庫で固めておいたチョコレートをそっと型から外すとふっと溜息を吐いた。
 たったこの一欠けらを作る為に、何時間かけただろう。
 ああでもない、こうでもない・・・試行錯誤の連続であった。
 形は一応ハート型をしてはいたが、表面はでこぼこひており、お世辞にも滑らかな形をしているとは言い難かった。
「気は心よね。見てくれじゃないわよね・・・。」
 自分の不器用さを身にしみて感じながらあかねはそっとそれを用意していた袋に詰めてみた。
「上手くできたようね・・・。よかったわね。あかねちゃん。」
 風呂上りのかすみがひょこっと台所を覗いた。
「ありがとう、お姉ちゃん。ずっと付き合ってくれて。おかげで何とか物になったわ。」
 あかねはそう礼を述べた。
 周りには失敗作品がごろごろと転がっている。
「あかねちゃんも努力したじゃない。あとは彼に上げるだけね。もういい時間だから早く床に入りなさいよ。」
「そうするわ。」
 かすみはにこっと微笑んで出ていった。
 
 手作りする・・・そう決めてから一週間。
 あかねにとっては一大決心だったのだ。
 元来の不器用さは、手つきや仕草だけではない。味覚にまで及んでいるのだ。自分が作る食物はことごとく家族たちに拒否される。露骨に嫌な顔をされるのだ。何のかんのと難癖をつけられる。
 今年のバレンタインこそ!!
 密かな、でも重大な決心だった。
 何年か前、中学生の頃、やはり手作りして東風先生の元へと運んだことがあるが、確かあの後、先生は半月ほど接骨院を休院して寝込んだという。かすみお姉ちゃんが持っていったチョコレートにはしゃぎすぎて骨折した上に、原因不明の腹痛というダブルパンチだったとか。
 その腹痛も、おそらく己のなせる業だったのではないかと、今でも密かに思い巡らている。
 それ以来、バレンタインチョコレートの手作りは止めていた。
 
 去年乱馬に差し出したのは、一粒の小さなチョコレートの欠片だった。
 いつも悪たれてくる乱馬に、意地を張ってそんな小さなものしか渡さなかったのに・・・。乱馬は「これでいい。」と感動してくれた。
 去年、意地を張った分、今年は・・・と、一念発起したのであった。
 味と衛生面を万全にするために、かすみに頼ることにした。
 天道家の台所を預かる姉。何年も手作りしているだけあって、かすみはチョコレートをアレンジするのがとても上手であった。姉に頼れば、お腹を壊す代物だけは避けられるだろうと考えたのだ。
 甲斐あって、自分で毒味をしてみたが、今のところなんとなかったし、味も普通のチョコレートだったと思う。
 これなら、形のことはともかくも、なんとか乱馬にも食べてもらえるだろう・・・。

 あかねはチョコレートをそっと包むと、それを持って自分の部屋へと引き上げていった。
 精根尽き果ててしまい、もう、今日は机に向う気力も残されてはいなかった。
「でも・・・乱馬のことだから、生存競争は激しいだろうなあ・・・。」
 あかねはライバルたちの顔を一人一人思い浮かべてみた。 
 シャンプー、右京、小太刀・・・。そのほかにも思わぬ伏兵が潜んでいるかもしれない。 
 悔しいが、乱馬はもてるのである。
 きっと、格闘少女たちは我先にと乱闘になるだろう。それも充分予想できた。
「後でこそっと渡せばいいわよね・・・。」
 あかねはベットに寝そべると、そっと失敗したチョコレートの破片をそっと口に含んでみた。
 甘い味が口の中に広がる。
 乙女の純情。恋する人への憧憬。切ない想い。美しき夢。 
 そんな想いをたくさん含んだ恋の味。

 期待と不安とが入り乱れる中、バレンタイン前日の夜は更けてゆく。 



 第二話へ続く



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