◇呪泉風邪にはご用心

 中篇 投薬はお手柔らかに…


三、

 猫飯店へ着くと、コロン婆さんが、待っていましたと言わんばかりに、待ち構えていた。

「おー、連れて来たか、婿殿を。」
 だから、俺は婿殿じゃねーっつーの!ま、いちいち突っかかってても一向に話が進まないだろうから、黙っているけどよー。

「婆さん、呪泉風邪って何だ?」
 と、のれんをくぐるや否や、問いかけた。

「ふむ…呪泉型インフルエンザのことじゃよ。通称、呪泉風邪。」
 婆さんは、杖をトンと地面につきたてて、器用にその上に乗っかかりながらこたえた。いつものことだが、鮮やかなバランス感覚だ。
「呪泉型インフルエンザァ?」
 これまた、キナ臭い名前の風邪だぜ。新型インフルエンザと混同してんじゃねーのか?

「今朝方、呪泉郷から小包が届いてのー。」
「呪泉郷から荷物だあ?」
「ああ、開けてみると、ほれ、そこにあろう?」

 開けられた広辞苑ほどのサイズの小箱に手を投じると、紙袋がプチプチに包まれて、仰々しく一つ入っていた。しかも、毒々しいショッキングピンク系の紙袋だった。見るからに、怪しさが漂っている。包みには、隷書体で「呪泉薬」と表書きされている。キナ臭さ、百パーセントだ。

「これは、呪泉型インフルエンザの予防薬兼治療薬なんじゃよ。」
 と婆さんは、言い放った。
「おい…これって、日本国の薬事法、クリアしてるんだろーな?」
 紙袋を親指と人差し指の二つでつまみ上げながら、婆さんへと視線を投げやる。
「ほーっほっほ。まあ、ちゃんと正規の郵便で届いたゆえ、大丈夫なのではないのかえ?」
 
 怪しい…。

「そんなことより…。婿殿、この薬を一包み、飲みなされ。」
 と軽く言ってきた。

「いきなり、飲めって言われてもよー…。本当に大丈夫なのか?この薬…。」
 こいつらに関わると、ろくなことが無い。まさかと思うが、変な薬で、こいつを飲むと、体がどうにかなっちまうのでは…。不安がよぎる。

「まあ、疑ってかかるのも、仕方があるまいか…。」
 俺が思い切り躊躇している様子を見て、婆さんは、ふわっと、黒電話を杖に取った。今じゃ骨董物の前世紀の電話だ。そいつのダイヤルを、杖先でちょちょちょいっと回し始めた。

 どこへかけようとしてるんだ?

 ややあって、どこかへ通じたらしく、婆さんは中国語と思しき言葉で、何やら真剣に話していた。幾許か話すと、
「ほれ、婿殿。」
 と、杖にコードを引っ掛けて、俺に受話器を渡してきた。

 俺に出ろっていうのか?

「あん?俺、中国語なんて話せねーぜ。」
 と断りかけたが
「良いから、出なされ。」
 無理やり、耳に押し当てられた。

「二…ニーハオ…。」
 恐る恐る中国語で挨拶すると、聞き覚えのある男声が、受話器の向こう側から聞こえて来た。

「おー、これは、これは、お客さん、…懐かしあるな…。わたしよわたし、誰かわかるあるか?」
 特徴的な日本語の言い回し、それから、声のトーン。

「呪泉郷のガイド…かあ?」

「ピンポーン!大正解ね!わたし、呪泉郷ガイドあるよ!」

 俺が変身体質になった根源の娘溺泉が湧き出している、呪泉郷のガイドの声だった。

「な、何だ?何で、俺がガイドさんと話さなきゃならねーんだ?」
 何が何だかわからない俺に、ガイドは、言葉をたたみかけてきやがった。

「先日、数年ぶりに呪泉風邪が大流行の兆し見せ始めたから、特効薬を送ったあるよ。呪泉郷で溺れたマヌケな人、東京に何人かいたからな。」

 マヌケは余計だ!マヌケは!

「お客さん、風邪の症状はないあるか?主に咳、咽枯れ、鼻水、くしゃみ、熱、関節痛など…どうね?」
 唐突に尋ねてきた。

「別に、咳も鼻水も熱も何もねーけど…。」

「それは良かった。なら、送った丸薬、予防薬として普通に水で一粒飲むよろしね!」

「予防薬ねえ…。おい、基本、インフルエンザ予防ってのは、ワクチン注射でするもんじゃねーのか?」
 あまりの胡散臭さに、問い返すと、
「呪泉型インフルエンザは普通のインフルエンザと違うあるよ。通常のインフルエンザは誰彼でも見境なしに、ウイルスで感染するあるが、呪泉風邪は、呪泉郷で溺れた者だけがかかる特別な菌から来る風邪ある。だから、ワクチンじゃなくて、丸薬一粒で予防できるある。」

 胡散臭さ二百パーセントの何の説得力もねー、説明だ。医学とか薬学とか、わかって言ってるのかよ?

「呪泉郷で溺れた者だけがかかるインフルエンザだあ?」
 素っ頓狂な声をあげた俺に、ガイドは言った。
「そうある、呪泉郷で溺れた者の間だけに流行する感冒よ。呪泉の水に含まれる何かの成分が突然変異してインフルエンザのような症状を引き起こすね。そしてそれ、爆発的に流行するある。
 一度、流行すると、その菌は海を越えて繁殖するほど強力な感染力があるね。
 この前、呪泉郷でこの呪泉型インフルエンザ感染者第一号の報告あったある。
 これ、即ち、一大事ある。だいたい、三十年周期で流行するあるが…。あ、今年、だいたい前回の流行から三十年くらい経ってるあるね。」

「おい…どんな症状が現れるんだ?そのインフルエンザって…。」

「高熱、咳、鼻水…激しい倦怠感。まあ、普通のインフルエンザと似た諸症状がまず出るある。」

「肺炎とか脳症とか起こしやすいとか…まさか、命の危険もあるなんてこと…。」

「体力が無い者がかかると、普通のインフルエンザのように、肺炎や脳症を併発することも勿論あるあるが…。一番厄介なのは…。ちょっとね…。ウ、ウン。」
 思わせぶりに、咳払いをするガイド。

「一番厄介なのは?」

 その時だった、電話口で話している俺の隙をついて、P助の野郎が、籠から飛び出して、また、俺の胸目掛けて、飛び込んで来やがった。
 引っぺがしにかかりたかったが、生憎、通話中。無下に電話を切るわけにもいかず、P助を叩き落とすこともできなかった。

「わたっ!こらっ!P助!」
 取っ払おうとしたが、敵もなかなかのやり手だ。女体化したままの俺の胸元を、縦横無尽に蠢きやがる。

 受話器の向こう側が、急に騒々しくなったのを、ガイドは感づきやがったようで、
「お客さん、聞いてるあるか?」
 と問いかけてきた。
「お…おう。ちゃんと聞いてるから、続けてくれっ!」
 しょうがなしに、P助をそのまま放置した。後でぶん殴ってやるからな!と、心で吐き出しながら、受話器へと耳を傾けた。

「厄介なのは…この風邪にかかって症状が進めば…普段、考えられないほど、肉感的になるあるね…。」
「肉感的だあ?何じゃそりゃーっ!」
 問いかける俺に、ガイドは答えた。
「つまり…エロティックになるあるね。エロティック…つまり助平になるあるよ…。あーはははは。何、わたしに大声で言わせるあるか!お客さん!」

「エロティック…助平…。」
 ブヒブヒと俺の豊満な胸へ、顔をすりすりしている仔豚を見つめながら、俺は反芻する。
 まさに、目の前に展開している、P助の行状…。いや、症状…じゃねーか…それ…。

「で…ここからが肝心ね。耳の穴かっぽじって良く聞くよろし。」
 放蕩に暴れまくる仔豚を目の前に、俺は、受話器にしがみついた。

「今日、そっちへ着いた小包の中身は、呪泉郷で開発した呪泉風邪用の特効薬ある。そこまでは良いあるね?」

「あ…ああ。」
 俺は、目の前の円卓にある小包の中身を見ながら頷く。

「この特効薬、効用は二つあるね。一つは予防薬、そして、一つは治療薬としての効用ある。一つで二役こなせるあるが…。処方の仕方がそれぞれで違うある。よろしか?」
「予防と治療じゃあ、同じ薬使っても、処方の仕方が違うんだな?」
 確認しながら返答する。
「まだ、呪泉風邪の症状が出ていない人、つまり予防の効用なら、普通にコップの水で口から一粒飲むよろし。…お客さん、まだ、風邪の症状出てなかったら、さっさと飲むよろしね…。」
「あん?」
「症状が無い人は、普通に口から水で飲んでよろしあるが…。…その…不幸にして、呪泉風邪に罹ってしまった人は…。その…エロ症状が出ないうちは、口からでもギリギリ間に合うあるが…。」
 少しばかり、詰まりながら、ガイドは続けた。
 言い辛い飲ませ方でもあるというのだろうか?

「不幸にもエロ症状が出てしまったら…ただ、普通にコップに水を入れて、口から飲んでも、殆んど効かないある。」
「口から飲めないなら、どーすんだ?他に飲ませ方があるのかよ?」
 やっとのことで胸からP公を引き剥がし、受話器の前に摘み上げながら、俺は問いたてていた。
「不幸にしてエロ症状が出てしまったあるなら…。座薬としてケツの穴から差し入れる…もしくは…口移しで飲ませなければ、効かないのよ…。わかるか?」
 ちょっと、衝撃的な回答だった。

「な…何じゃそりゃあっ!」

 あまりにも過激な、ガイドの発言に、俺は思わず、P助を掴んでいた首根っこを離してしまった。今度は、俺から離れると、シャンプーへとまっしぐら。
「何するかーっ!このエロ豚!」
「あーっ!良牙っ!オラのシャンプーになんてことするだーっ!」
 シャンプーとムースの怒号が、背後でがなりあう。ガラガシャンと食器が壊れる音も…。派手にやりだした。

「座薬として、下からエロ熱を下げるか…口移しでエロ心を鎮めるか…どっちかで処方しないと、ダメなのよ。それから、この風邪、こじらせたら、肺炎、脳症に移行し易いから…もし、不幸にもエロ的症状が出てしまった人が出たら、どちらかの方法で、がんばる、よろし。」

「……。」
 俺はそのまま、絶句してしまった。周りで、自制心を失ったまま、P公が暴れまくっている。

 おい、エロ症状出まくってる良牙…どうするんだ?そのどっちの処方も、俺は嫌だぜ。実行したかねーぞ。

「それから、呪泉郷で溺れたお客さんのうち、猫飯店の近所にいるのが判明している人数分、そっちへ送ったあるから…ちゃんと、全員に、処方するあるよ。
 まだ、かかってない人は口から普通に…。不幸にして、かかってしまったら、できるだけ早めに処方するあるよ。エロ症状が進めば、脳症へと変化する確率が普通のインフルエンザより高いので、死人出ても知らないあるよ。よろしな?
 電話代、高くなると大変あるから、この辺で切るあるね。再見!」

 念を押すと、ガイドは、ガチャンと電話を切ってしまった。


「ふう…。」
 溜息と共に、受話器を置くと…。俺の目と鼻の先で、シャンプーとムース、それからP公が、ドタバタを繰り広げている。
 座薬か、口移しか…。良牙への処方をどう進めるか…。思案に暮れて、俺はそのまま考え込んでしまった。

「ほおおー、良牙はエロ症状まで突き進んでおるようじゃのー。」
 俺の傍で、電話の内容を耳をそばだて聞いていたコロン婆さんは、全てを察したようだ。
「全く…。しょうがないのー。店をこんなにしおって。」
 婆さんは、電話を元の場所へ置くと、電光石火、暴れまわっているP助の首根っこを、杖でツンと、突っついた。ツボを突かれたのか、P助はそのまま、床へ投げ出され、動かなくなった。
『ピイーッ。』
 っと、悔しそうに、天井を仰ぎながら、手足ピクつかせていやがる。

「心配するな。ワシが処方してやるわ。店の皿を割ったバツも受けてもらわねばなるまいし…。」
 にたあ〜っと婆さんが笑うと、ひょいっとピンクの薬袋から丸薬を取り出し、杖先に乗っけてそのまま、P助のケツの穴へ…。

 思わず、凍り付けになって固まる、俺とシャンプーとムース。あまりの地獄絵に、俺たち三人は目をかたく閉じた。

「ピギヤァッ!」
 P助の悲鳴が、耳につんざく。憐れ、座薬として丸薬を、コロン婆さんに処方された瞬間だった。
 
 ゆっくりと瞼を開くと、涙目になって、身体をピクつかせているP助がそこに居た。尻をピンと突き上げて、天井を仰いでいる。

 つくづく、不幸な野郎だぜ…。婆さんに座薬を突っ込まれるとは…。

 可哀想過ぎて、何だか、切なくなった。

「後で、あかりちゃんに連絡して、引き取りに来てもらってやるからな…。」
 そう、耳元でささやきかけた。
 涙目になりながら、P助がコクンコクンと頷いた。

「良牙のようになりたくなくば…。症状が出る前に、婿殿もシャンプーも、それからついでに、ムースも、とっとと飲むことじゃな。エロ症状まで突き進んだら、ワシが、良牙にしたように処方してやるがのー、っほっほっほ。」
 コロン婆さんの瞳が、怪しげに光る。にたりと口元が笑っている。

 冗談じゃねー!座薬沙汰なんて、真っ平御免だ。婆さんに処方されるくらいなら、危険を冒しても、飲む方を選ぶぜ、俺は!

 俺もシャンプーもムースも…仕方なく、水を満たしたコップ片手に、丸薬を一気に喉の奥へと流し込んだ。
 胃の辺りに冷たい水の感触が流れ込み、何か固まりが吸い込まれて行く。得体の知れない丸薬を飲み込んだのだ。あまり気持ちの良い物ではない。

「良牙に、シャンプー、婿殿にムース…これで、四つ…。丸薬は処方できたわ…ほっほっほ、残るは…。二包み。」
 コロン婆さんは、薬袋を見ながら、頷く。
「呪泉郷と関係している奴と言えば…。後は…えっと、親父か。」
 俺は薬袋を見ながら、吐き出した。
「あれ?一つ多くないだか?」
 とムースが、指を折りながら、小首を傾げた。
 この辺りで変身する奴と言えば…。俺とシャンプーとムース…それから良牙と親父くらいだ。
「あ…八宝斎のジジイとか…。」
 後、思い当たるとすれば、八宝斎の爺さんだ。パンスト太郎とやりあったとき、タンコブに水を浴びている。
「あんなのを、予防薬なしで放置すると、どうなることか…。」
 目の前のP助でこの有様だ。八宝斎のジジイが呪泉風邪に感染してエロ症状を引き起こすと…なると…。助平ジジイ二人がエロ症状まで突き進むと、酒池肉林が繰り広げられるだろう。俺の女体も危険にさらされる。
 さああっと、背中に冷たい物が走った。
「ほっほっほ、心配するな。ハッピーなら、処方済みじゃ。昼に猫飯店へのこのこと現れよったから、昼飯と共に、処方してやったわ。」
 と婆さんが笑いながら言った。
「そっか…処方済みか…。なら安心か…。」
 ふううっと、安堵の溜息が漏れた。
「後、八宝斎のエロ友達の楽京斎とか…蛙仙人とか…パンスト太郎とか…ルージュ…とか、そんくらいしか思い当たらないぜ…。」
「ガイド殿によると、一応、その四名とも、既に薬は送付しておると言っておったが…。」
「じゃあ…予備ってことか?」
 俺の問いかけに、
「おそらく、そうじゃろうなあ…。」
 コクンと頷くコロン婆さん。

「あと飲んでないのは、親父だけだな…。じゃあ、念のために…俺が二つとも持って行くぜ。」
 と、薬袋ごと、取り上げる。
「婿殿が責任を持って、玄馬殿に投与するのじゃな?」
 コロン婆さんは念を押した。
「ああ。あれでも一応、親だからな…。親父のことは、息子の俺に任せな。」
 まだ、涙目で放心している良牙を見ながら、俺は言った。
「それから…良牙だが…。連絡先を教えるから、あかりちゃんに引き取ってもらって良いかな?」
 傷心のPちゃんを前に、武士の情けだった。このままじゃあ、あまりにも不憫すぎる。
「そうじゃな…。豚は豚の専門家に任せるのが一番じゃな。食べ物屋に豚を置いておくのもどうかと思うし…。良かろう。あかり殿に迎えに来てもらうかのー。」
 と、二つ返事で引き受けてくれた。

 良牙もあかりちゃん家に連れて行ってもらえるなら、不幸中の幸いってもんだ。せいぜい、甘えてきやがれ!

「乱馬、わたしも一緒に行こうか?」
 シャンプーが擦り寄ってきたが、こいつが来て、上手くいく試しはない。
「いや…。悪いが…。遠慮してくれ。薬の副作用が出ねーとも限らねーだろ?それに、万が一、親父に症状が出ていたら…危ない目にあうかもしれねーぜ?」
 と、少し脅し気味に言った。
「じゃあ、日を改めて、デートに誘うが…。良いか?」
「あ…ああ。好きにしてくれ。」
 苦手な猫に変化するシャンプーだけは、どうあっても、遠ざけておきたかった俺は、曖昧な返答をした。P助は居ない、シャンプーはくっついてきた…となったら、あかねも良い顔はしないだろうからな…。
 タダでさえ、猜疑心が強いヤツだ。

「ほら、ムース。店の準備じゃ。シャンプーもそろそろ夕餉のお客さんが来る時間だぞ。」
 コロン婆さんが、促した。

「じゃ、薬、預かって行くぜ!」
 俺はそう言葉を投げると、そそくさと、猫飯店を退散した。

 夕闇が、もうそこまで迫ってきている。



四、

「今まで、何してたの?」

 天道家に帰りつくと、物凄い形相で、あかねが俺を出迎えた。
 シャンプーに手を引かれて、P助と共に、家を飛び出したのだ。仕方があるめー。
 重圧な空気が、帰宅した俺を襲う。
 一応、変身を解かないで、女性化したまま、戻って来た。女のままだと、少しはあかねの怒りも、柔和になるのではないかという計算から、男には戻っていない。

「猫飯店に行ってたんだよ…。何か、新しいメニューを出すとか言うんで、婆さんに呼び出されて、相談に乗ってきたんだよ…。」
 道すがら考えて来た言い訳を取り繕う。

「じゃあPちゃんは?何で連れて行ったの?それに、一緒に帰って来てないみたいだけど…。」
 とP助が居ないことにも、ご立腹の様子だった。
「あ…。P助なら、あかりちゃんも猫飯店に居たから預けて来た。」
「あかりちゃんも居たの?何で?」
「そ…その。豚の専門家の意見を聞きたかったらしいぜー。」
「新メニューの意見?」
「あ…ああ。」
 嘘も方便だ。
「本当?」
 疑り深い瞳を俺に投げつける。
「で、良牙…じゃなくって、Pちゃんは、そのまま、あかりちゃんに預けてきたんだよ…。ほら、あかりちゃん家は豚相撲部屋だから…豚のスペシャリストだろ?P公もあの調子だったしさー…。天道家に置くよりは、雲竜家に任せた方が安心だしよー…。」
 靴を脱ぎながら、答えた。
 何だか、俺、浮気を必死で言い訳する、亭主みてーだ。
「そんなに疑うなら…あかりちゃんにメールして、確認してみろよ。」
「言われなくても、後でするわ!もし、あかりちゃん家に居なかったら、探しに行って貰うわよ!」
 
 うっわー、おっかねー!
 やっぱ、女化したまま戻ってきて正解だったかも…。あんまりシャンプーとのことを突っ込んで来なかったしな…。男に戻って帰ってたら、こうはいかなかったろうな…。

 それより…っと、親父だ。

「親父は?」
「おじさまなら、道場よ…多分。」
「道場だあ?」
「夕飯前に身体を動かすって、お父さんと手合わせしてると思うけど…。」
「ふーん…。手合わせねえ…。珍しいな。」
「そお?ちゃんと一日に一回は道場で手合わせしてるみたいよ。」
「ま、良いか…。ちょっと覗いてみるか…。」
「あ、あたしも行くわ。乱馬が帰ったらご飯にするって、かすみお姉ちゃんもおばさまも言ってたから…。」
 あかねも俺の後ろに続いてくる。
 親父とおふくろ、それから俺の早乙女家三人、未だ、天道家の居候として、間借させてもらっている。最近では、おふくろはかすみさんの家事まかないを、一緒に手伝っていることがある。

 まあ、親父もあれで、一応、武道家だから…。早雲おじさんと、道場で手合わせ…していると思って、引き戸を開けたら…。

「あ〜!早乙女君!また、わざと、コマをひっくり返して!この、スチャラカパンダっ!」
 と早雲おじさんの声が響いて来た。
「風邪ひいたとか何とか言って、クシャミでコマを吹き飛ばすなんて、卑怯だよっ!早乙女君ってばっ!」

 この野郎…修行サボって、また、二人揃って、仲良く、詰め将棋かあ?つーか、将棋をわざわざ、道場でするなっつーの!
 見ろっ!俺もあかねも、そのまま、つんのめりそうになったじゃねーか!

「この、クソ親父っ!道場っつーから、真面目に修行してると思ったのによー!」
 俺は、毛むくじゃらの背中をペンペンと叩きながら、親父の横に立った。
 ったく、この、パンダ親父はっ!

 ん?
 親父…。何か、そのパンダ鼻から、ずずーっと鼻水垂れてねーか?
 いつもより、ハアハアと息も荒いような…。
 って、さっき、早雲おじさんが、クシャミでコマを吹き飛ばしたって、言ってたよな?

 ハッとして視線を合わせた。

 にやあっ…と笑っている。その瞳が、尋常ではない。

 やべーっ!呪泉風邪にかかってやがるっ!

 そう直感した俺は、ダッとあかねの手を引いて駆け出した。

「ちょっと、乱馬っ?」
 いきなり、手を引っ張ったものだから、あかねが怪訝そうに俺を見た。
「いいからっ!今、親父に近づくのは危ないっ!」

 クエスチョンマークがたくさん点灯しているあかねの手を引いて、道場を飛び出した。とにかく、親父から離れなければ、危ない。

『逃げなくても良いじゃないか?』
 そんな看板を俺たち目掛けて投げつけてくる。

「どーしたのよ?乱馬ってば!」
「あ…いや、親父が…ちょっとな。見てみな…。」
 呪泉風邪のことは、こいつには言わないほうが懸命だろう。そう判断した俺は、口を濁した。
 あかねは、俺に促されて、後ろから追いかけてくる、親父をチラ見した。

『あかねちゃーん!乱馬ちゃーん。』
『玄馬おじちゃんと遊びましょう!』
『ねえ…待ってよー。』
『楽しいことしよーよ。』
 また、ふざけた看板を、書いては書いては、バンバン、投げつけてきやがって、この、クソ親父っ!

「…おじさま…何か、悪い物でも食べたのかしら…。ちょっといつもと様子が違うわ…。」
 いつもと口調が違う、親父の投げ看板に、鈍感なあかねも、さすがに気持ち悪くなったらしく、手を引く俺に、素朴な疑問をぶつけてきやがった。
「ははは…。まあ、そんなところだろーな…。頭が変になるキノコとか食ったかな…。」
 と誤魔化す。
「頭が変になるキノコ?」
「何でもかんでも食い気に走りやがるからな…。腹でも減って、道端に生えていた毒キノコか何か、拾い食いしたんだろーよ。」
 まあ、鈍いあかねのことだ。このくらいの言い訳で、多分、自分なりに解釈して、それなり納得するだろう。
 と、あかねは俺を見て、ポツンと吐き出した。
「…ねえ…乱馬。逃げるばっかで、良いの?」
「あん?」
「…反撃とか…しないの?」
 と真摯な瞳で尋ねて来た。

 確かに…。逃げ惑うだけでは、何ら打開策にはならないだろう。
 攻撃こそ、最大の防御。早乙女乱馬流格闘技の基本要素の一つだ。

「やっぱ、この場合、力ずくでのしあげちまうのが、一番、手っ取り早いか…。」
 俺は、親父が投げた看板を、ひょいっと地面から二つ、拾い上げると、あかねに一つ渡した。
 看板を手に、コクンと、互いに、相槌を打ちあう。
 ピンチの時は、一心同体…というか、普段は喧嘩ばかりの俺たちも、ここぞというときは、息がピッタリと合うのだ。
 俺たちは、母屋の南面の池の脇にある、石灯籠のところへ駆け込むと、タンッとそれぞれ、二手に分かれた。そして、駆け込んで来た親父目掛けて、野球のバットよろしく、思い切り看板を振り抜いた。

 ベシッ!バシッ!

 平たい音に続いて、ドサッと大きな胴体が庭の芝生の上に沈んだ。
 
「やったぜっ!」
 思わず、ガッツポーズ。

「何です?騒々しい。」
 居間からおふくろが、ニョキッと顔を出した。俺たちが大騒動していたのを、何となく母屋から聞きつけたらしい。
「まあ…。あなた。」
 慌てて、縁側からおふくろが降りて来た。
「乱馬っ!何です、このザマはっ!説明なさいっ!」
 右手には、さり気無く日本刀が握られている。

 …そんな物騒な物、持ち出して来るなってっ!

「あ…いや、その…。親父の奴が、何か悪い物でも食べたらしくって…。俺とかあかねに突っかかってきやがったから、その…成敗…したんだ。」
 頭を掻きながら、必死で言い訳する。
「本当なの?あかねちゃん。」
 俺の傍に立っていたあかねにまで、聞き及ぶ周到さ。
「え、ええ。ちょっとおじさま、普通と違っていたんで…。乱馬もあたしも身に危険を感じて…。…ちょっと、やりすぎちゃいましたけど…。」
 もじもじしながら、あかねが答えた。
 あかねも武道家の端くれ。親父が尋常ではなかったことは、肌で感じたらしい。
「乱馬の言い訳はともかく…。あかねちゃんがそう言うなら…。」
 
 何だよ…それ。息子より嫁の言を信頼するってか?この母親は…。

 何を思ったか、おふくろは、そのまま、ひっくり返って目を回している親父を突っついて、叩き起こした。

「わたっ!親父を起こすなっっ!寝かせとけって!」
 慌てて止めに入ったが、時、既に遅し。

「パーフォッ!」
 両目をパチクリと開いた親父と視線がかち合った。と、にたーりと、薄気味悪い笑みを浮かべやがった。

 うわっ!言わんこっちゃねー。まだ、エロ目してるじゃねーか!
 
 ぞわぞわっと背中が寒気を催し、一瞬、出遅れた。
 もそっと、おもむろに起き上がって、女体求めて、あかねに襲い掛かろうとした。
「きゃあーっ!」
 あかねの悲鳴に、俺は身を挺して立ちはだかる。が、俺も、女体化している。
 このまま、二人、親父の餌食に…と思った時だ。

 パコンッ、とすぐ横で音がした。
 
 えっ?…と思うと、親父がそのまま、前のめりに、ズンと倒れてしまった。
 振り返って、ギョッとした。
 おふくろが日本刀を鞘に納めたまま突っ立っていた。どうやら、そいつで親父の脳天を、思いっきり殴ったらしい。
「あなたっ!妻帯者でありながら、何て破廉恥なっ!」
 おふくろの鼻息が荒い。ブチ切れる様を目の当たりにして、あかねも俺も、後ろから追いかけてきた早雲おじさんも、目をパチクリ、まばたきすら忘れていた。
「お…奥さん、お手柔らかに!」
 早雲おじさんが必死でとりなす。

「あ…そうだ。おふくろ。親父の食あたりに良い薬持ってるんだ…。」
 ここぞとばかり、俺は、コロン婆さんから貰った薬をズボンのポケットから取り出した。
「食あたりのお薬?」
 不思議そうに見るお袋へ、咄嗟に取り繕う。
「多分…。何かの食あたりで、脳天をやられたと思うから…その…。これ、座薬なんだけど…。こいつを…。」
「わかりました。これを使えば、治るのね…。」
 ゆらりとおふくろが立ち上がった。

「あかねっ!おじさん。こっちへ!」
 咄嗟に、二人の手を引っ張って、俺は、慌てて、縁側から家の中へと誘った。
 後ろを振り返っては不味い。多分、おふくろは、このまま、親父のケツの穴へ…座薬を…。

「ぱふぉーっ!」
 ピンチな親父の雄叫びが、すぐ後ろから聞こえてきたが、俺もあかねもおじさんも、後ろを振り返る事無く、さっさと家の中へ入ると、そのまま、奥へと消えていった。



 何はともあれ…、呪泉風邪の件は、これにて、全て解決。この時点で…俺はそう思っていた。
 シャンプー、ムース、良牙、親父…そして、俺。この五人は無事に薬に有り付けたからだ。
 残り一つの薬は誰に投与されるべき物なのか…。

 俺とした事が…すっかり忘れていたのだ。
 もう一人、呪泉郷に溺れた者が、すぐ傍に居たことを…。
 

 
つづく



 私のネット同人第一作目は「あかね風邪を引く」という作品でありましたが、以来の風邪ネタです。本来最初に使った「座薬ネタ」をまた掘り起こしたような…?
 やっぱ、脳内、かなりど腐れているのがわかる一本かも…。

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