#3 相談



「なあ、何処へ行きたい?」
 開口一番乱馬はそう言葉を投げかけた。
「うーん、何処でもいいわ。」
「投げ遣りだなあ。一生に一度しかない旅なのによぅ。」
 口では文句を言っているものの、乱馬も上機嫌だ。

 やっとこの春、永い春に区切をつける。
 そう決意した若者が二人。 
 親兄弟たちは、手を取り合って喜んだようだが、ここまで来るのには気が遠くなるくらいの紆余曲折があった。と言ったら大袈裟だろうか。
 まだどこかあどけない少年、少女の面影を持つ二人。この冬、成人式を迎える、満二十歳。
 名実共に大人への仲間入りだ。
 これを機にと思ったわけでもないのだが、そろそろ潮時かとも考えた。
「結婚しようぜ!」
 不器用で素っ気無いプロポーズの言葉ではあるものの、ずっとこの言葉を待っていたような気もしたあかね。気の利いた台詞など要らないのだ。気持ちさえあれば。そう思った。
 結婚とは人生のターニングポイント。親同士が許婚にして押し付けた馴れ初め。十六歳の頃から同じ屋根の下にずっと住み続けてきた二人。
 そんな環境事情がどうであれ、いろいろ準備に入らねばならない。
 式はどうするのか。服は、披露宴は、新居は?
 そのくくりの中にあるのが「新婚旅行」。
 一生に一回なのだからゆっくり楽しんでくればいいと家族達は言った。ここの連中のことだから、一緒にくっついてくるかもしれない。
 とは言うものの、あれこれ考えをめぐらせるのは楽しい。

『結婚するまでが花だわよ。』
 高校を出ると同時に結婚した悪友がそんなことをあかねに最近言っていたっけ。
 結婚するということは実生活に入ってゆくわけだから、煩わしいことも出てくるというのである。
 結婚はゴールではない。スタート地点なのだ。それを思い知らされると彼女は言った。
 己たちの場合はどうだろうか。あかねは照らし合わせて考えてはみたものの、舞い上がっていて深く考える気持ちにはなれなかった。

「おい!どうしたんだよ?」
 急に黙り込んだ許婚を見て、乱馬は怪訝そうに声を掛けた。

「ううん。何でもないわ。それより。ここなんかどうかしら?」
 パンフレットを見ながら指差す。
 二人、さっきまで外に干していた蒲団へと頭を並べる。腹ばいになって、見開いた旅行ガイド雑誌に目を通す。
「だめ、中国は却下。」
 乱馬はすらりと言って退けた。
「何で?中国なら乱馬、何度も行ってるじゃないの。」
「ダメだ!呪泉郷のある国なんて、ろくなこたあねえぞ!また溺泉騒動に巻き込まれるのはごめんだからな。」
 乱馬が首を横に振った。それは実感として伝わってくる。女の身体に変化するという呪いを穿たれたことのある身には仕方がないのかもしれない。
「それに、やっと呪いが解けたんだ。また、なんてことになったら洒落にならねえぞ。」
 とおかんむり。
「じゃあ、ヨーロッパ。」
 一度は言ってみたい欧州方面へのガイドを漁り出す。
「却下!」
「どうして?」
「だって、遠いじゃねえか。時差だって全然違うんだろ?それに、旅行が終わったら、タイトル戦だって待ってる。」
 乱馬は一角の売れっ子格闘家として名前が通り始めていた。そのせいもあって、体内時計をそう崩してしまう訳にはいかないと判断しているのだろう。時差があるというのはかなり負担もかかるのだ。
「北欧、地中海も同じようなくくりだものね。ん〜じゃあ、エジプトや北アフリカ辺りは?」
「嫌じゃねえけど古代遺跡があるところはなあ・・・。中国の呪泉郷みたいな例もあるぜ。だから、パスだ。それに、マイナーなところは、プランニングは楽しいが、いろいろ大変そうだぜ。予防接種のこともあるだろうし。政治が安定していないところはなあ・・・。日本語が通じる訳じゃねえんだから。」
「なら思い切ってアメリカ西海岸とか。」
 そう言いながら出してきたのはマイアミやカリフォルニアのパンフレット。いずれもミッキーが全面に写っている。
「おめえ、ミッキーに会いたいのか?」
 乱馬はじっと見据えた。
「ベ、別にそういうわけじゃないけど・・・。」
「ディズニーのテーマパークなら東京にもあるだろうが。何が嬉しゅうて、アメリカくんだりまで行かなきゃならねーんだ?」
「だから。素人はダメなのよ。東京もパリもアメリカの二つのテーマパークも、全然雰囲気やコンスタンスが違うんだからあ。」
「そうか?でも、浦安へ行ったら楽しめるものを、わざわざ新婚旅行でねだられてもよぅ・・・。」
 ごちゃごちゃと御託が多い乱馬だ。
「なら、いっそうの事、国内?」
 あかねは溜息交じりで言う。
「国内のほうが高くつくぜ。それに、国内ならいつでも連れて行ってやるよ。」
 
 堂々巡りで決まらない。

 そんな繰り返し。
 二人でのっかったお蒲団はふかふか。
 さっきまで太陽に曝されていたのだ。柔らかくて、お昼寝に誘引しようとしている。
「何処へ行こうかなあ・・・。」
 あかねは嬉しそうにガイドブックをめくっていった。
「何処でもいいさ。おめえが一緒なら。」
 そう言うと乱馬はごろんと転がった。おそらく本音だろう。
「ま、しっかりと考えておけよ。」
 ふわあっと生欠伸。それからこう付け加えた。
「俺ひと寝入りすっから、目覚めるまでに候補地いくつか挙げとけよ。」
 そういうと目を閉じる。
「あーっ、ずっるーい!」
 そう呟いたが、乱馬は直ぐに夢の中。
 彼はすこぶる寝入りが良い。あまり悩まずに、ここで寝ると決めたなら、身体が休眠に入るように出来ているらしいのだ。寝るとなるとまっしぐら。
 ものの一分も経たないというのに、もう寝息。
「子供みたいなんだからあ・・・。」
 あかねははあっと溜息を吐いた。
 ここのところ、予選だの、弟子の試合だのと飛び回っていたから疲れが溜まっているのだろう。
 くるんと身体を丸め、幸せそうにまどろむ。
 そっと彼の頬に触れてみた。
「うん・・・。」
 彼はそう言うと右腕を回してきた。
 この柔らかな午後のまどろみ。彼には極上の時間に違いない。守られて包まれているという実感があかねの上に穂のかな幸せを運んで来る。
 彼とこれから歩む人生。決して平坦ではないだろうその道も、一緒なら苦労も厭わない。そう思えた。
 彼の腕に抱かれながら、いつしかあかねも柔らかな眠りの中へと誘引されていった。
 



 眠りから覚めたあかねに、乱馬は言った。
「新婚旅行はオーストラリアだ。」
 何故かと尋ねると
「コアラを抱っこしてみたくなったんだ。おまえの寝顔を眺めているうちに。」
 どうやら先に起き出して、あかねの寝顔を眺めて楽しんでいたらしい。。
「何よそれ・・・。」
「だって・・・。おめえ、そこのコアラそっくりじゃん。」
 雑誌を指差して笑った乱馬。
 ぷくっと膨れてみたが、あかねもまたにっこりと笑った。
 それも悪くない。

 新婚旅行はコアラを抱っこしに行こう!

 そう決まった。
 冬の陽射しがまったりとした午後のことだった。



第三話は必殺自爆ネタ(笑
己の婚約時代を思い出しつつ・・・
勿論、新婚旅行は「オーストラリア」へコアラを抱きに・・・。



(c)2003 Ichinose Keiko