せり、なずな、ごぎょう、はこべ、ほとけのざ、すずな、すずしろ。
正月七日に食べる万病を防ぐお粥。七草粥だ。
これらの草を包丁で細かく切り刻んで、お米と一緒に炊き込める。
昔は正月のおせち料理は保存食だったから、だらだらと一週間食べるために、物凄い量を作ったらしい。そしてご馳走三昧のもたれた胃袋を整調するためにも、この七草粥は有効だったと聞く。
しかしだ。
これがあかねの手になると、事情が多少変わってくる。そう、「万病の元凶」になるかもしれない。
事の次第は、かすみさんが風邪で寝込んでしまったことにある。
主婦は年末からずっと働き詰で、休む間もなく、暮れ正月を過ごす。正月を抜けた辺りに疲れが溜まると、インフルエンザや流感にやられてしまうことも多いらしい。
あの元気なかすみさんが倒れたのだ。
天道家のもう一人の主婦、オフクロはその日に限って留守だった。
「ごめんなさいね。どうしても抜けられない初釜の日だから。」
と言ってそそくさと出かけてしまった。お茶やお花の先生稼業をやっていると、新年はいろいろあるらしい。初釜というのはその年初めてのお茶のお稽古日。流派そろっていろいろやるらしいのだ。たまたまオフクロが絡んでいるお稽古場は七日に初釜をすることに大概決まっているのだと言う。
迷惑千番だ。
こうなってくると、天道家に残る婦女子はなびきとあかね。
なびきは絶対に家事には携わらないのだ。これもまた謎の一つであるが、味音痴のあかねに任せても、絶対に自分から動こうとはしない。そればかりか
「ごめん、あたし友達との約束がるから外でご飯、食べてくるわ。」
と堂々と出掛けて行く神経の持ち主。大方、九能辺りを、俺やあかねのレア写真だとか何とか言って誘き出して、お年玉代わりにおごらせる魂胆だろう。
なびきは早々に逃げやがったのである。
後は親父たちと八宝斎のじじい。
こいつ等の根性も腐ったもので、かすみさんが調子が悪いと聞き及ぶや否や
「早雲、玄馬っ!正月で鈍った身体を鍛え直しに行くぞ!」
というじじいの掛け声一つでほいさかと三人揃って出て行きやがった。
いつもはじじいが修業をちらつかせるといい顔をしねえ親父たちが、
「ほれ、お師匠様、お荷物は私が持ちましょう!」
「何処へ行きますか?温泉地ですか?」
「乱馬、後は任せたぞ!」
などとほざきやがる。厳禁な奴等だ。
後に残されたのは、病人のかすみさんと俺とあかね。
あかねのジト目が俺を突き刺して来やがる。
「俺・・・。夕食は外で食うよ!」
と言い放ちたかったが、とても言い出せる雰囲気ではなかった。
それに俺には弱みが一つ。
そう。明日からの新学期の宿題をあかねに写させてもらう約束があったからだ。長期休みの宿題類は、大方あかねに頼んでノートを写させてもらうか、やり方の個人教授を受けるのだ。昨日辺りから追い込みの宿題地獄の渦中に居るわけで、とてもではないが、猫飯店やうっちゃんのお好み焼き屋に抜け出せる度胸はなかった。そういうことをしようものなら、あかねはこの先、ノートなど貸してくれないだろうし、それに、何も教えてくれなくなるだろう。
それは不味い。絶対不味い。
となると、自然、あかねの手料理の餌食にならざるを得ないわけで…。
「七草粥はあたしが作るから。」
とやっぱり言い出した。
「おめえが?」
と問い掛けると
「何か文句ある?」
と一喝。
「ぐ…。」
返事に詰まる。
・・・あー、勘弁してくれ。俺が何したって言うんだよ。・・・
お気に入りのピンクのフリルが付いたエプロンを着ると、たったと台所へ立つ。
勢い込んで作り出す。
まずは米を洗う。
「やーっ!たーっ!」
水を張ったボウルに、米を研いでゆく。だが、端から見ていても、研ぐというよりは米を粉砕しているように見えるのは何故だろう。
・・・もっと丁寧にやれ。力入れたら米が壊れちまうぜ。・・・
そう言いたいのをぐっと我慢する。
「おっかしいわねえ。いつまで立ってもとぎ汁が綺麗にならないで白く濁ったままね。」
と独りごちている。
・・・だからあ、研いでいるんじゃなくて壊してるから水が濁ったままなんだってば。・・・
「ま、いいか、このくらい洗っておけば。」
と水に浸す。
それからかすみさんが買っていた七草のパックを取り出してきた。今度は切る作業。
「はあーっ!!」
いつものように、まな板の前で握り拳を作り、包丁を持って気合を入れている。
何で気合を入れないと材料が切れないのか俺にはわからねえ。いや、わかりたくねえ。
「でやーっ!!」
一声唸ると、包丁を持つ手が高らかに上がった。
・・・おい、上げすぎだ!・・・
一気に振り下ろされる包丁。
「だだだだだ・・・。」
掛け声と共にみじん切りされてゆく材料たち。
よく見ると、まな板の欠片も混じっている。
・・・勘弁してくれーっ!!・・・
ふうっと汗を拭っている。
こんな寒い季節に、何で七草を切るだけでそんなに汗だくになるのか、俺には理解不能。
「さてと、炊くわね。」
にっこりと微笑むと、土鍋を取り出した。
そこへ米を入れる。
「おっかしいなあ、ザルに取ると洗った半分くらいになったわ。」
・・・そりゃあ、あれだけ力こめて洗ったら米だって割れて砕けらあ。・・・
「ま、いいわ。米の分量は普通の半分以下でもいいわよね。お粥だし。で、水加減は・・・適当でいいか。水多めで。お粥だし。」
・・・お粥だしって、見くびってていいのか?・・・
で火にくべる。
・・・いいのか?そんなに強くて・・・
最初は静かだった鍋。ところが火の勢いが強すぎて、鍋はガタガタ。
「あちちっ!もお、蓋、全部開けちゃえっ!」
といきなりどわっと鍋が噴出す。
・・・お、おいっ!重湯の美味しいところ全部溢れ出たんじゃねえのか?・・・
そんな小さなことには動じませんって顔してやがる。流石に肝が据わっているというか、何も考えてねえというか…。
文字通りあかねの料理は格闘だ。
「さてと、隠し味、何にしましょうかねえ。」
思わず飛び出した俺。
「いい、これ以上鍋に何も入れるなっ!!」
「何でよ。軽く塩味くらい利かさないと。」
「いい、炊き上がったら自分で味付けるからおめえ・・・わあっ!!何入れてんだっ!!」
言ってる先に、いろんな調味料が加えられてゆく。
白ワインまであるぜ!!
「あたしに任せてっ!!」
・・・だからあ、てめえに任せると。・・・
俺の心配を物ともせず、あかねは「七草粥らしきもの」を炊き上げた。
「おい・・・。七草粥ってのは、黒っぽいのか?」
「いいじゃない。料理は愛情よ。」
作った本人はニコニコ顔。
・・・やっぱ食わねーといけねーのか?その物体。・・・
俺はゴクンと生唾を飲み込む。
「何よぅ。男らしくないわねっ!!さあ、食べてっ!!」
丸い目を瞬かせて睨み付けてくる。
それから粥を蓮華で茶碗にたっぷりと注いでくれた。
どう贔屓目に見ても不味そうだ。どす黒いし、何より異様な匂いが鼻をつく。
「臭くねえか?これ・・・。」
「失礼ね。七草の匂いよ。」
・・・本当かよ。かすみさんが去年炊いてくれたのは、もっと美味しそうな匂いしてたぜ。・・・
静かな空間が横たわる。できることなら、この場から遁走したい。いや、まじそう思った。冷や汗が流れ出す。
「さあ、召し上がれ。」
「・・・おめえは食わねーのか?」
「乱馬が食べたらいただくわ。」
・・・なんじゃそら。・・・
頭は理性と本能が喧嘩している。そんな感じ。本能は逃げろと言う。でも、理性は一口だけでも食えと言う。
・・・あーもう、どうにでもなれっ!!・・・
俺は一気に掻っ込んだ。
ガリガリッ!
粥には相応しくねえ、食感。
・・・固いぞ。まな板か?・・・
ツーン!!
続いて伝わる、不味さ。脳天まで突き刺さる。
でも、我慢して食った。とにかく食った。盛り付けられた分だけは。
「ごっそさま!」
そう言って食器を置くと、そのまま俺は卒倒した。
「ごめんね、乱馬。」
ふと気が付くとあかねの膝の上。
ちょっと涙目。これには弱いんだ。
「わたた、泣くなって。いい。もういいから。」
まだくらくらする頭でそう答えた。
「宿題写させていれたらそれでいいから・・・。」
ぼそっと本音。
「バカッ!」
ビシッといかれた。
それからまた俺は、意識が遠のく。上であかねが何か言っていたようだけど。でも、頭に当たるあかねの膝の感触だけは最高だった。このくらいの役得あったっていいだろう?おめえの不味い料理につきあってやったんだから。
食後の幸せ。
強烈だった。あかねの七草粥は。
七草粥って本来は無病息災を願って食するものの筈なのに・・・。厄落としどころか、俺は・・・。
次の日、始業式。俺は寝坊した。起き上がれなかったんだ。気持ち悪くて。
朝ご飯はパス。とても食えた気分じゃねえ。
宿題だって結局は自滅だ。今日、学校から帰って来たら必死で写す!
「早くしないと遅刻よっ!」
と目のふちが黒いあかね。多分、昨晩は俺の看病にずっと傍にいてくれたんだろう。ずっと柔らかな気を感じていた。
・・・嗚呼、今年もこいつの不味い料理につき合わされるのか、俺。・・・
そう思うと気分も重かった。
あー畜生!でも、どこかでそれを喜んでいるマゾな自分も居る。
惚れた弱みかもしれねえな。
走りながら朝の空気を胸いっぱい吸い込む。
天道家の門には、注連飾りのダイダイが色鮮やかに笑いながら俺達を見送っていた。
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