とら・とら・とら




 その日は九月だと言うのに三十度近い最高気温があったという。
 今年の夏は変だ。お盆辺りまでは涼しかったのに、それ以降、軒並み残暑。この異常気象、俺としては、かの虎じま球団が快進撃をしたのに伴う現象ではないかと勝手に思っている。
 でも、じめっとした蒸し暑さはない。秋晴れの乾いた空の下のきらめく太陽。そう、どちらかと言えば、からっとした天気。暑さの不快感よりも、汗が心地良い。滅多にこんな爽快な気分になるもんじゃない。
 茜雲が笑ってる。




第一話   寅吉 爺さん

 その爺さんと初めて会ったのは、まだ夏休みの最中。
 盆が過ぎ、そろそろ休みも終盤。溜め込んだ宿題を何とかしねえと、なんて、俺なりにしおらしいことを考え始める頃合だった。
 宿題なんざ、あかねにノートを借りて写しちまえば簡単に済むのだが、問題は、そのノートをどうやって彼女から借り出そうかということ。
 これは案外、難しい。
 俺の「山の神」はとっても「短気」で、激情の持ち主。繊細とまではいかないものの、一度気分を害してしまえば、頑なになってしまう「頑固者」。おそらく、そう簡単にはノート貸し出してはくれまい。
 それに、ここのところ、あんまり彼女の機嫌が良いとは言えないのだ。機嫌の良いときを見計らって、交渉をするのは常套手段なのだが。雲息が妖しいと、交渉ごとは滅することが多い。
 これもそれも、俺が「もてる」ということに問題があるらしい。
 いや何も自慢しているわけではないんだが、俺は「もてる」のだ。頼みもしねえのに、女どもが俺を巡って牽制しあってくる。
 え?なら、取り巻きの女たちに宿題を任せたらどうだって?
 いや、それがそう言うわけにもいかねえんだ。
 取り巻き全部がクラスメイトっていうわけじゃねえ。九能小太刀は「セントヘベレケ学園」という女子高へ通っていて、全然話にはならない。進路状況が違うからな。またシャンプーにいたっては学校へ通ってねえから、関数だのベクトルだの言ってみたところでチンプンカンプンだろう。見たところ、勉強しているようにも見えねえし。
 唯一クラスメイトのうっちゃん。うっちゃんだって頼めばほいほいと見せてはくれるだろうが、これ以上借りを作るわけにもいかねえんだ。あいつが変に気を揉むんでな。
 第一、そんなことしてみろ、俺の「山の神」が黙っちゃいねえだろうな。いや、彼女の父親だって絡んできそうな勢いだ。『許婚のあかねをさしおいてーっ!』って巨顔化されて、迫られてみろ。気持ち悪いぜ。それに、俺は彼女の家の居候だから、事を荒立てるわけにもいくめえ。
 うっちゃんもしっかりしているようで、案外、鈍いところがある。そっちから気を利かせてノートを差し出してくれるような細やかな配慮はない。まあ、商売が忙しいから仕方がないのだが。


「はあ…。」

 と溜息を吐いてみる。

「どうしたん?乱ちゃん。溜息なんか吐いて。」
 うっちゃんが目の前でお好み焼きをひっくり返す。さすがにプロの職人だけあって、手つきは鮮やかだ。狐色にこおばしい表面がじゅっと裏返って、音をたてる。
「ははあん、あかねちゃんかいな。もしかして、ここへ毎日通ってくれてるんが気に食わんのやないんか?」
 と率直に投げてくる。
「ほんまに、うちかって乱ちゃんの許婚候補なんやから…。遠慮なんてせんでええで!好きなだけウチの店では飲み食いしたらええ。」

 居候、金欠高校生の俺にとっては、天国のようなうっちゃんの店だ。青春はとかく腹が減る。勿論、居候先の天道家では、食客として並み以上の待遇は受けている。だが、かえって、それに対して俺なり気を遣うことがあるわけだ。
 高校生の育ち盛りの俺にとって、他の欲は止められても、食欲だけは止まらねえ。満腹に三度三度の飯を食わせてもらっていても、動けば腹が減る。頭を使えば腹が減る。いや、ただ、だらだらと過ごしていても成長に栄養源は必要だ。そんな具合なわけ。
 ここの他にもシャンプーの婆さん猫飯店や九能の妹小太刀の手料理攻勢なんていうのもあるんだが、やっぱ、ここののれんをくぐるのが一番かな。
 こと手料理に関しちゃあ、俺の「正統な許婚」は、てんで駄目なんだ。
 「不器用」という言葉で簡単に片付けてしまえるものじゃねえ。どうやったらあんな「不可解な料理」を作れるんだろうと思えるほど、逆説的に素晴らしい腕なのである。
 正直のところ、この夏休み、俺は毎日、彼女の「手料理」の餌食にされかけていて、迷惑しているんだ。
 何を血迷ったのか、『あたし、この夏には不器用なりにも、ちゃんとした料理ができるようになるように修行するの!』と宣言してくれたものだから、天道家は大騒ぎ。
 夕食はお袋やかすみさんも作ってくれるからまだいいんだ。朝はトースト一枚で済ませばいいから手軽だ。だが、昼飯は、あかね担当。朝から台所でこねくりまわして作る。
 毎度毎度のことながら、許婚の俺に対して、『おまえが責任持って食うべきだ!』という家族たちの視線をかいくぐって逃げ惑っているのだ。
 何を張り切ってるのかしらねえが、彼女は料理ができあがると、俺に毒味をさせたがる。それも、自分の口に放り込む前にだ。
『味見しろっ!味見っ!』
 口をすっぱくして毎度叫ぶのだが、それすら実践したことはないようだ。
 視覚的にも嗅覚的にも異様なオーラを発し、決して美味そうに見えない品々。このクソ暑いのに、そんなわけのわからねえもの食わされる身にもなってみろっ!
 だからって天道家を逃げ出すわけにもいかねえ。昔だったら「修行」と称して山へでも篭っちまえばよかったんだろうが。
 正直、ここのところ、身体を鍛え上げる根性すらそげかけている。
 すっかり天道家のぐうたら生活が板についた親父は、前みたいに「修行の旅」へ出たがらないときている。それと同じように俺もだらけた生活。このまま山へ篭っちまったら怪我だってしかねない。はあ、情けねえ。
 
 俺だって知ってるさ。
 あかねが何のために、いや誰のために頑張っているかは。
 だけど…。頭で理解していても、味覚はかなわないのだ。
 心で「ごめん!」を繰り返しつつも逃げ惑う昼下がり。

 のれんをくぐるなり、いつもぐたっとカウンター席で果ててしまう。昼前から走り回ったので腹はぺこぺこ。目が回りそうだ。
 
 うっちゃんは優しいから、何も言わずに、お好み焼きを俺のために焼いてくれるというわけ。何も考えていないと思うかも知れねえが、俺だって多少気を遣っている。だから、ちゃんと昼飯時は外して入る。うっちゃんのお好み焼きは美味いし、そこそこ値段も安いから、馴染みも増えていて、昼は二時ごろまで一杯だ。テイクアウトもやっているので、店員の小夏と二人でてんてこ舞いしている。その時間帯は外しているのだ。

 俺が現れる頃には、店内はひと段落。うっちゃんも、俺の分を焼く余裕が出ているわけ。
 

「よお、兄ちゃん、今日も来たんか。」

 人懐っこい笑顔が一つ、カウンター席の端から聞こえた。
 縦縞のハンテンを着た爺さんだ。年の頃は七十代前後といったところか。色は浅黒く、髪の毛は白髪が立つような角刈り。歯は所々抜け落ちて黄色い。頭にはこれまた縦じまの帽子。そう、某球団のロゴが入っている。

「寅吉さんか。」

 俺は爺さんにそう声をかける。
 爺さんの名は「寅吉」。本名かどうかは知らねえが、うっちゃんの店ではそう呼ばれている。
「今日はいつもよりちょっと遅かったやないか。わっはっは。」
 風体から見て、某球団のファンであることは一目瞭然。言葉からも「関西人」だということが伺える。
 爺さんとここで会うようになったのは、夏の初め頃だったろうか。
 うっちゃんによると、寅吉さん、この辺りの息子さんの家に同居するようになったのが、春ごろだったらしい。息子さんの転勤の都合で、練馬へとやって来たのだという。
 ふらりと入ってきて、それ以来、ちょくちょくうっちゃんの店に、関西風のお好み焼きを食べに通ってくるようになったというわけ。

「年金生活のワシの楽しみは、ここで美味いお好み焼き食いながら、野球の話をすることや!」
 そう言いながら笑う。
 
 うっちゃんは学生なので、この店も夏休みまでは、夕方五時ごろの開店。深夜とまでは行かず、十時ごろで閉店していた。寅吉さんはこの春ごろからここらあたりに住んで居たそうだが、俺が会ったのは夏休みに入ってから。
 夏休みや土日、学校がないときだけ、うっちゃんの店は終日営業に変わる。まあ、昼はそれなりに忙しくて、その喧騒がはねた頃、午後二時くらいから夕方までの数時間、この店は年寄りの寄り合い所のようになる。
 その輪の中心に寅吉爺さんが居た。この夏、寅吉さんの人懐っこい笑顔が現れてから、少しずつ、この店の雰囲気が変わってきた。
 寄り合って来るお年寄り、どうも、関西に縁(ゆかり)のある人間が多いようなのだ。それが証拠に、店の中では「関西弁」が飛び交う。日本も狭くなったようで、この下町にも、関西出自の人間がそれなりに暮らすようになっていたようだった。
 寅吉さんの他にも常連の爺さん、婆さんは数多(あまた)いたが、その中でも寅吉さんは目を引いた存在であった。
 このあたりの関西人のお年寄りの殆どは自ら望んでこの土地へ来たわけではない。
 一緒に暮らす息子さんや娘さんの転勤など、仕方なく、暮らし慣れた土地を離れて、東京へ出てきた。そういう人が殆どだった。
 うっちゃんのこのお好み焼き屋がそういったお年寄りたちを集めるのも、何となく納得ができるような気がする。うっちゃんも一応関西人だ。あちこち修行してきたために、寅吉さんあたりに言わせると「うっちゃんのその関西弁、ちょっと訛りかけとるで。」ということらしいのだが、それでもベースになっているのはパワー溢れる関西弁。故郷を遠く離れた人々には望郷の思いが滲み出てくるのだろう。それに、お好み焼きという食品自体、関西文化圏のものなのである。
 最近の「お好み焼きうっちゃん」。俺から見れば「異空間」と化しつつある。
 ある程度冷房も効いているし、何より、うっちゃんのお好み焼きは「安くて美味い」。それに、うっちゃんは関西人らしくパワフルで愛想も良い。そんな店の雰囲気に、昼間はお年寄りたちが涼みに集ってくる。そんな感じだ。
「ワシらの唯一の昼間の贅沢やからな。」
 寅吉さんは笑った。ここへ集ってくる、爺さん婆さんたちは、皆、第一線を引退した人たちばかり。それも、ぎすぎすとしているのではなく、年金生活をしながら、或いは家族と暮らしながら、のんびりと余生を楽しんでいる、そんな感じだろうか。
 「ご隠居さんたち」。そういう言葉がしっくりくる。

 そんな中に、俺の存在は違和感があるかもしれないが、貴重な昼ごはんのお好み焼き。背に腹は変えられず、結局、いつも昼下がりにうっちゃんの店に顔を出しているのだ。

 勿論、俺の「山の神」がそれに気がつかないはずはない。時々、敵情視察に入って来るのだが、その辺は慣れたもので、うっちゃんがそれとなく誤魔化してくれている。あいつは、小太刀やシャンプーと違って、人の家にずかずかと上がりこんで怒鳴り散らすほどの「非常識さ」はないから、うっちゃんに居ないと言われれば、それであっさりと引き下がって帰っていく。
 悪いなと思いつつも、俺はうっちゃんの店で、関西系の年寄りたちと過ごす。それが最近の日課になっていた。
 まあ、そのおかげで、早朝トレーニングの折、朝早く街中をジョギングしていると、そこここの年寄りから声をかけられるので、一緒に走ってる親父あたりは怪訝な顔をするようになっちまったが…。

 うっちゃんの店のご隠居さんたちは、世間話に暇(いとま)ない。誰かが来なければ、今日は嫁さんと出かけただの、ちょっと身体の調子を悪くしているだの、孫の相手に忙しいだの。婆さんだけではなく、爺さんたちまで賑やかなんだぜ。うっちゃんが夕方の客のための仕込みを始める四時過ぎには、一斉に散るようにみんな居なくなる。
 学校が夏休み中のこの店の昼下がりは、ご隠居さんたちの憩いの場所のようだ。
「うっちゃんの高校が始まったら、昼間は来られなくなるから寂しいのう…。」
「学業第一じゃから、仕方があるまいがな。」
 と皆、口を揃える。
「しゃあないやん。今しかでけへんことかってあるんやさかい。それに…。土日は昼間もやってるから、ゲートボールの帰りにでも寄ったってえや。」
 と屈託ない。

「昨日も勝ちよりましたなあ。」
「ほんまに、今年はやっぱり、ぶっちぎりだっしゃろか。」
 寅吉さんを中心に、最近のここでの話題は「プロ野球」。それもセリーグのあの球団の話題で盛り上がる。
 この店は関西人の溜まり場なので、贔屓の球団は関西系。寅吉爺さんはいつも縦縞のハッピを着ているから、自然その話へと移行していくのだ。
「乱馬君はどこをご贔屓にしとるんや?」
 と訊かれたが
「俺は特にないっす。」
 とあっさり答えた。
「そりゃあ、気の毒に。」
 何が気の毒かわからねえが、まあ、あの球団のライバル球団を応援していないのならええわという空気に包まれるのだ。
 俺は本当に野球に興味がないのだから、何処の球団がどんな結果だろうと、あんまり気にしたものじゃねえ。だが、人間とはおかしいもので、夏休みの間に、ここへ決まって来るようになって、寅吉さんたちと親しくなってからは、何となくあの虎じま球団の成績が気になり始めた。
 寅吉さんが言うように、今年のペナントレースは春先からこの球団がぶっちぎりで強いらしい。今まで耳にも入らなかったプロ野球ニュースが目につき出す。
「今年こそいけるでえっ!」
 と毎日のように寅吉さんたちは浮かれている。
「死のロードも今年は押せ押せムードやどっ!」
 「死のロード」。俺には意味が良くわからなかった。この球団のホームグラウンドは、高校野球の聖地でもある。だから、全国高校野球大会が行われるときは、自動的にこの球団はホームグラウンドからはじき出されるのだそうな。そして、各地に点々と出向いて連戦する。それを称して「死のロード」と言うのだそうだが、夏場のクソ暑い時に、ホームグラウンドではないところで試合をこなすのだ。そりゃあ大変だと思う。今年は例年よりも涼しかったとは言え、なあ。
 俺は格闘家の端くれだから、夏場のスタミナには十分に気を遣う。きっとプロ野球の選手も、この暑い夏を乗り切るのに、見えない苦労をしまくってるはずだ。
 それから、この球団、どうやら暫く「優勝」という言葉から、大きく後退していたようだ。
 前に優勝したのが十八年前というから、十七歳になった俺が生まれる前っていうわけ。その前もかなりの年数、優勝していなかったらしい。本当に、ポツン、ポツンとしか優勝しないから、ファンはその時を待ち侘びるのだという。そんなことが、おぼろげながらにわかってきたのだ。
「前回の優勝のときは、そら、凄かったでえっ!」
「ワシなんか、ひっかけ橋から頓堀(とんぼり)へと飛び込んだわ。」
 などと楽しそうな会話。ひっかけ橋とは心斎橋筋にかかる戎橋(えびすばし)のこと。頓掘とは道頓堀川のこと。
「昔やったらともかく、今の道頓堀川ってどぶ川やろ?そんなとっから飛び込んで、おっちゃん、大丈夫やったん?」
 うっちゃんが笑いながらお好み焼きをひっくり返す。
「めちゃくちゃ臭かったで。そら、ヘドロがドロドロでなあ。臭い、臭い。悪臭垂れ放題。数週間くらいとれへんで、嫁はんにごっつう嫌がられたわ。わっはっは。」
 寅吉じいさんは武勇伝を嬉しそうに語る。
 去年、サッカーのワールドカップのフーリガンの話が盛り上がったが、この球団のファンも物凄く熱狂的なのだと、その時初めて知ったような俺だった。そういや、サッカーで日本チームが勝ったときも、大阪のなんたら川で飛び込み合戦があったという話だから、もしかしてそこだろうか。
「あんとき、一緒に、ほら、ケンタッキー何たらチキンとかいう白髪の親父の人形も一緒に飛びこんどったわ。」
 あん?もしかして「カーネルおじさん」のことかあ?
「何でも、その親父さん、道頓堀から二度と浮上してこんかったらしいわ。それで、その球団がそれ以後、勝利の女神から見放されたんは、その親父さんの祟りやなんて、まことしやかに噂されとったわ。」
 カラカラと笑う。
「うちもお父ちゃんに訊いたことあるわ。その話。カーネルおじさんの祟りやって。」
 と、うっちゃんも合いの手。
 うへ、激しいんだな。そこの球団のファンって。カーネルおじさんも浮かばれんから、優勝させてもらえなかったのかな。
 まあ、関西人という人種は、俺たち首都圏の人間とは、体感温度に差があるらしい。だから、そういう「悪乗り」を、一般人でもごく普通でやっちまうらしい。
 大阪は「お笑いの町」だからなあ。

 とにかく、寅吉爺さんは元気だった。
 この球団が好きで好きでたまらない。
 聖地の球場は遠く離れてしまったが、ここ東京でも球場はいくつかある。全試合に足を運ぶことはできなかったが、それでも一ヶ月に二度はチケットを買って嬉しそうに観戦に行くのだという。勿論、野球放送は欠かさず、観たり聴いたりしているという。いつでもどこでも聞けるようにと、携帯のトランジスタラジオを持ち歩く熱心さ。それにも虎マークのシールがべったりと貼り付けてある。

「今までずっと耐え忍んできたさかいな。今年は優勝せんと、大阪は暴動がおこるで。」
 と笑う。

 毎度毎度、話題の中心はプロ野球。当然、興味のないお年よりも居たが、寅吉爺さんの熱気にほだされて、だんだんその球団ファンへと転身しはじめる。勿論、敵球団ビイキもいたろうが、この店の店長のうっちゃんが虎ファンだったことから、あえなく退散したようで、夏休みが終わる頃には「にわかファン」も交えて、この辺り、すっかり元気なお年寄り集団が生まれていた。







 これを書いている時点では、まだ未完の作品です。
 簡単にするっと書くつもりが、気がついたらまた膨らんでしまっていました。
 ノープロットで思いつくままキーボードを叩いています。

 見切り発車した割には、話的には好きです♪
 なお、二次創作なので、わざと球団名はぼかしていますが、まんま阪神球団のことを書いているつもりです。
 関西人でもある一之瀬の阪神モードをお楽しみくださいませ。

 全六話を予定しています。




(C)2003 Ichinose Keiko