8月6日(水)
粉もん対決

 あかねの留守の間にランチ…二日目。

 今日はウっちゃんの店の番だ。

 昨日の猫飯店では、試食会と銘打って、思いっきり食わされったからなあ…。夕飯は殆ど、喉を通って行かなかったぜ…。
 朝ごはんも、胃もたれして、入らなかった。
 中華料理って、油分が多いのとあっさりなのと…いろいろ計算されて作られているって聞くけど…昨日の場合は試食に重きが置かれていたから…。
 脂ぎった料理が多かった…。

 正直、連ちゃんでお好み焼きというのも、辛いのだが…。
 俺の山の神(あかね)は、二泊三日で帰って来るから、予定を繰り下げる訳にもいかねー。
 もてる男はそれなり辛いぜ…。

 まあ、そんなだから、今日も朝から、適度に身体を動かしていた。


 と、十時を少し回ったところだったか…。

「ごめんくださーい。乱馬様はいらっしゃいますか?」
 小夏が天道家に駆けこんで来やがった。

「よっ!久しぶりだな…。慌てて駆けこんで来て…どーしたんだ?」
「あ、乱馬様。丁度良かった…。ちょっと、困ったことになってまして…。」
「困ったことだあ?」
「とにかく、一緒に来てくださいませんか?」

 小夏に手を引かれて、俺も天道家を後にした。
 好奇心の塊の、天道家の面々も、俺の後を追ってついてくる。…たく、閑な奴らだぜ。


 小夏に連れられて、ウっちゃんの店にやってくると、店先でウっちゃんが男と怒鳴り合っていた。
 男もうっちゃんのような個性的な和風いでたち。頭には鉢巻、顔にはお面!

「あー、あいつ…。明神隼人とかいう奴じゃねーのか?」

「あの男をご存じなのですか?」
 小夏が尋ねかけて来た。
「ああ…。いつぞや、ウっちゃんともめてたことがあるからな…。あいつ…まだ、ヒョットコ面をかぶってやがるのか…。」

 明神隼人。ウっちゃんと、お好み焼きとたこ焼き…どっちが強いか…とかいう勝負をしていたことがある。そのとばっちりを食って、俺までお多福のお面をかぶされ、散々な目に遭った。その時の記憶が蘇る。


「おーい、ウっちゃん…。」
 俺は、言い合いをしている右京と隼人の間に割り込んだ。
「一体、何、もめてんだ?二人して…。」

「あ、丁度ええとこに来てくれたやんかー。さすが、乱ちゃんやんっ!」
「こらっ!物騒な物、持ったまま、抱きつくな…。」
 背中に背負ったコテが、俺の頭に当たって痛い。

「久しぶりやのー。早乙女乱馬。」

「おめー、明神隼人だよな?」
「ああ…せや。」
「ウっちゃんの店の前で、何言い争ってるんだ?また、お好み焼きとたこ焼き、どっちが強いなんてことを競ってやがるのかよ。…あんときの勝負は、ウっちゃんの勝ちで決着を見たんじゃなかったっけ?」

「今度は、どっちが強い…やないねん。」
 ウっちゃんが言った。
「そうや、そんな生臭いもんやあらへんっ!」
「あん?じゃあ、何を争ってるんでい?」

「お好み焼きとたこ焼き…どっちが、粉もんの王者かっちゅうことを争ってんねんっ!」

「粉もんの王者だあ?」

「せやっ!お好み焼きが粉もんの王者やっ!」
「何ぬかすっ!たこ焼きが王者に決まってるやろーがっ!」
「そんな些細なこと…。」
 と言いかけてハッとした。
 ウっちゃんと隼人、双方の瞳に、ギロリと睨みつけられたからだ。
 これ以上、何か言ったら、襲いかかられそうなほど、両人からは闘気があふれ出ている。

 「粉もん」…いわゆる、関西圏の小麦粉を主体とした食べ物のことで、お好み焼き、たこ焼き、イカ焼きなどの総称らしい…。

……このまま、すみそーにねーな…。
 嫌ぁな予感が俺の脳裏をかすめて行く。
 小夏もおろおろ、困り果てている。


「ここで討論してても、らちがあかないんじゃないの?」
 すっと、なびきが出歯って来やがった。
「どうせなら、公明正大一本勝負にしなさいな。」
 とウインクを投げる。

「どうやって勝敗を決めるんや?」
「そんなの簡単よ。どっちがたくさん売れるかで勝負したら良いのよ。」

「そっか…それもありやな…。道行くお客にたいして、どっちが先に売り切るか…。」
「なるほど…。一目瞭然やな。」


「おい…なびき…。この炎天下で勝負させるつもりか?」
「炎天下なんか、あの二人には、屁とも思わないでしょうよ…。どっちも、燃え始めているもの…。下手に止めようとしたら、とばっちり食うかもよ…。」

 確かに、両者の背中は燃えている。


「うちは絶対、負けへんでっ!」
「俺もじゃっ!」

「じゃあ、あたしが仕切ってあげるわ。えっと、上がりの一割ずつ、寄こしてね。あんたたちは、仕込みにかかりなさいな。」
 ひょいっとなびきが、横から顔を出した。

「仕込み場はうっとこの店を使たらええわ。」
「そらありがたいな…。でも、材料は自分で揃えるで。」

「勝負はきっかり十二時から四時まで。その間に、いくら売りあげたかで勝負を決める…。で良いかしら?」

「ええで。」
「了解や。」

 こいつは…。金目になりそーなことなら、目が無えもんな。
「丁度良いわ…。お父さんたち…手伝ってよね。」
 なびきは、そっと立ち去ろうとした、おじさんと親父を呼びとめる。ギクッとなったが、時すでに遅し。グッとなびきに首根っこをつかまれていた。
「ははは…ワシら、手伝わないといけないかね?」
「一部始終見てたんだし…どーせ、閑でしょ?お父さんもおじさまも…。」
「あは…あはは、それを言われたら辛いけどね…。」
 親父もおじさんも、たじたじだ。

「素敵な勝負になりそうね…。お父さん、おじさま。頑張ってくださいね。」
 かすみさんはそう言い放つと、さっさとその場を離れた。
 
 かすみさん…その…素敵って何だ?ちっとも、意味が通じねえと思うが…。

 苦笑いしていたら、俺までなびきに巻き込まれた。

「ほら、乱馬君。あんたも手伝いなさい。」
「え?俺?」
「あんた、ウっちゃんのクラスメイトでしょ?友達の勝負なんだから…。」

「おい…ちょっと…。」

 哀れ、俺まで駆り出されちまった…。



 ウっちゃんも隼人も、さすがに、商売人だ。露天にも慣れているんだろう。

 俺や親父たちが建てた、テントの下で、入念に鉄板とコンロを組み立てる。

 何事が始まるのかと、道行く人も、好奇の瞳でこちらを見ている。

「そろそろ時間よ。」
 なびきが、パイプいすに座って、時計を片手に、両者へと声をかける。
 その背後には、どこから持ち込んだのか…でっかい氷と扇風機。

「お父さんとおじさまは、隼人君の、乱馬君はウっちゃんのサポートに回りなさいよ。」

「ええ?そこまでやんねーといけねーのか?」
 俺は迷惑顔でなびきへと声をかける。

「こういうことは、公平に行かなくちゃね。」

 何が公平だよ…。親父とおじさんの手伝いって…邪魔の極致になんねーか?


「ほら、乱ちゃんも用意して、位置に付いて。」
 右京はやる気満々だ。
 さっきまで、渋って手伝っていた、おじさんも親父も、何だか本気モードへと変化し始めている。

 俺たち武道家は、えてして負けず嫌いときている。
 己の信条に関らねえ些細なことでも、勝ち負けがかかるとなると、途端目の色が変わるのは、武道家の性(さが)なんだろーぜ…。
 それが証拠に…親父は自ら水をかぶり、パンダになって客寄せをする気満々だ。
 おじさんの手伝いも、なかなか堂に入っている。エプロンをつけて、鉢巻をまいて…俄かたこ焼き屋のオヤジの出来上がりだ。
 こういうものは、とにかく、楽しんだら勝ちだ。


「勝負始めっ!」
 なびきの言葉と共に、勝負が始まった。

 どっちがたくさん売るか…。

 ジュッ…

 暑い音がして、ウっちゃんが鉄板にお好み焼きの種を流す。
 手早く丸い形に形成して整えて行く。
 ウっちゃんによると、お好み焼きはふわっとした感を大切にするために、コテで抑えつけてはいけないらしい。

「自然に焼き上がるのを待つんや…。」


 隣のテントでは、隼人がたこ焼きのきじを流し込んで行く。

「キャベツは入れないのかね?」
 早雲おじさんが不思議そうにのぞきこんだ。
「キャベツやと?何、言うてんねん。そんなん使こたら邪道やろ?キャベツなんか入れたらお好みボールになるやんけっ!」

「お好みボール?」
 聞き慣れない言葉を漏れ聞いて、思わず反芻しちまった。


「そうか…隼人も正統派のたこ焼きを貫いてる職人か。こらおもろい。」
 ニッと右京が笑った。

「正統派のたこ焼き?」
「ああ…。大阪のたこ焼きはキャベツなんか入れへんねん。入れる野菜はネギだけやな。」
「そうなのか?」
「せや…たこ焼きにキャベツなんか入れたら、お好み焼きと変わらんやろ?」
「まあ、言われてみると、そーだが…。」
「だから、キャベツ入りのたこ焼きは「お好みボール」って言われるんやわ。そら、たこ焼きと違うって差別化されてんねんで。」
「へええ…。」
「お好み焼きかって、地方いろいろあるけど、大阪のは山芋を擦りおろして入れるのが特徴的やねん。山芋入れたらふわっとするんや。」
「なるほど…。」
「それに、大阪ではお好み焼きをおかずにご飯を食べるんやで。あ、たこ焼きをおかずにすることもあるわ。」
「へ?お好み焼きとか、たこ焼きにご飯が付くだあ?…それって炭水化物と炭水化物、食ってることになるじゃん…。」
「ええねん…それが大阪なんやから。ご飯だけやのーて、お味噌汁つけて、定食として普通に夕食になってるで。」


 いや…ウっちゃんとは色々と付き合い長いけど…俺の知らない大阪文化の話があるんだなーと感心しちまった。
 「お好みボール」って言葉も初めて聞いたし…。正統な大阪のたこ焼きはキャベツを入れないなんて…そんなことも初めて聞いた。


 勝負は、ウっちゃんの方に分があったように思う。
 ここはウっちゃんの店のど真ん前だから、そのファンがたくさん居る。
 それから、お昼ごはんにと、結構、弁当代わりにお好み焼きを買って行く人も多かった。夏休みのお昼の献立は、主婦を悩ませるものなのだそーな。
 このこおばしい匂いにつられて集まって来た腹ペコ客は、たこ焼きよりお好み焼きを好むのは仕方無かろう。
 それに、ここは関東だ。大阪じゃねえ。
 正直、キャベツが入らないたこ焼きに面食らう人も多かったかも…。

 こんな練馬の場末にも、結構、大阪で育った人がいるみてーで…キャベツ無しのたこ焼きを懐かしいと言いながら、大量に買って行く、ご婦人も居たりなんかした。


「勝負は、ウっちゃんの勝ちかしらね。」
 ウっちゃんがお好み焼きを売り切ったところで、勝敗は付いた。

「いや…ここは、うちの店の前やしな…。それに、ここは関東平野のど真ん中やから…キャベツ無しの大阪のたこ焼きはちょっと地場になじまんかったかもしれんな。」
「この勝負はおめーの勝ちや…。言い訳はせんわい。」
 隼人が汗をぬぐいながら、そんな言葉を吐き付けた。
「勝負はうちの勝ちやけど…。お好み焼きも、たこ焼きも、どっちも大阪人にとったら粉もんの王様や。それでええんとちゃうか?」
「せやな…。それぞれ、発祥も、進化も別モンやしな。比べること自体が、無理なんかもしれんもんな…。」


……いや、俺たち関東人にとったら、お好み焼きもたこ焼きも、そう、変わるもんじゃねーんだけど…。

 そんな、俺の心の声が聞こえたのか。

「一回、俺のたこ焼き食うてみんか?」
 と言って、隼人が爪楊枝を差し出した。
 舟に盛られた丸いたこ焼き。鰹節が濃厚なソースの上でゆらゆらと揺れている。
 実は俺、キャベツ無しのたこ焼きには初めてお目にかかった…(と思う。)

 一口食べて、ウっとなった。
 トロッと中身が口の中に溢れ出す。未体験ゾーンだった。

…確かに、キャベツが無い分、ふわっとした食感で、濃厚で旨え…。今まで食っていたたこ焼きとは、明らかに舌触りが違う。
 たこ焼きは、お好み焼きの類似品ではなく、全く一線を画す食いモンだって実感できた。

 隼人によると、マヨネーズをかけるのも、たこ焼きでは邪道な行為なんだそうな…。



「お好み焼きもたこ焼きも、浪速っ子にっとったら、ソウルフードやからな。」
「ソウルフード?」
「せや。文字通り、魂の食べもんや。」
 いつしか、争っていた二人は、仲直りしていた。
「これかれも、うちはお好み焼き、あんたはたこ焼き…それぞれの王道を貫いて精進していこうやないのっ!」
「ああ…。いつか、今度は、本場の大阪で勝負しよーか。」
「せやな…。ウチも、まだまだこれからやさかい。」


 なんか…俺のランチはどーなったんだろ…。
 ま、今日のところは、そんなことを言うのも野暮なんだろーぜ。

 真夏の粉もん勝負…。

 かすみさんとオフクロのお土産に、本場物のたこ焼きを貰った。
 俺の手の中で、ほこほこと…たこ焼きのソースの香りが、芳しい。
「乱馬君も食べるかね?」
 さっきから道を歩きながら、早雲おじさんが親父と嬉しそうにたこ焼きを食べている。
「はい。いただきます。」
 夏の夕暮れを、親父たちとたこ焼きを摘まみながら、歩いて帰った。
 その向こうには、東京の魔天楼が笑って見えた。


 


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