やっと、補習授業から解放されて、夏休みがやって来た!
レギュラーの宿題と特別的宿題があるから、無罪放免…って訳にはいかねーが…。
やっと、真夏の太陽が、俺の元に微笑みかけてくれているような…そんな開放的な気分だぜっ!
で、朝から絶好調で身体を動かしまくる。
しばらく、まともに身体を動かしていなかったから、切れが悪いこと…。
身体は正直だ。本当は、毎日、ちゃんと決められた時間、身体を動かし続けるのがベストなのは言うまでもねえ。
まあ、補習授業と追試のせいで、ここんところ、修行から遠ざかっていたもんなあ…。
「朝から熱心だね、乱馬君。」
おじさんが新聞紙を広げながら、そんな言葉を吐きだして来た。
「ええ…。やっと、今日から、時間を気にせず、身体を動かせますからね。」
とそれに答えながら、縦横無尽に天道家の庭先を動き回る。
道着を着用せず、黒ランで駆け巡る。汗をかいたら、冷たいシャワーを浴びるのも一興だ。
朝一番の修行は、道場の中じゃなく、外でやるのが一番だぜ。
「その意気やよーしっ!後で私と組まないかね?」
「いいですよ。久しぶりに、無差別格闘流の基本型、一緒に流して下さい。」
と拳を突き上げながら、それに答える。
無差別格闘早乙女流と天道流は、兄弟流儀だ。
決まった道場を持たず、野山を駆け巡り、どこでも修行場とする俺たち早乙女流の方が、天道流よりも、多少荒っぽい。親父が独習で加えた技もあるから、天道流と似て非なるものではある。だが、早乙女流も天道流も、八宝斉のじじいが打ち立てた「元祖無差別格闘流」のという同じ基盤の上に展開された流派だから、組み手や技の基本の型は、殆ど同じである。
実際、あかねと初めて、道場で女のまま組み合った時も、あかねの一挙手一投足が、驚くほど早乙女流と似ていたから、内心、驚かされたものだ。
従って、面白いくらい、あいつの気の流れが良く読めた。その上、あいつは、直情的だから、思っていることが全て技の上に滲み出して来る。
真っ直ぐで、純粋だ。それに豪快さがプラスされている。
朝ごはんの時間も気にせず、身体を動かし続けていると、玄関先で声がした。
「行ってきまーす。」
声の主はあかねだ。黄色が主体の花柄のワンピースに麦わら帽子。それから、手にはボストンバック。
「気をつけていってらっしゃいね。」
「お土産、楽しみにしてるわよ。」
かすみさんとなびきが声をかけている。
「ゆかやさゆりに迷惑かけんなよー。」
玄関先に先回りして、そんな言葉を投げつける。
「うるさいわねー!」
プンとふくれっ面を俺に投げつけると、フンと思い切り顔を反らしやがった。
…たく…。かわいくねー…。
そんな言葉を、心に握りしめて、あかねの後ろ姿を見送る。
そう。あかねは今日から二泊三日で、ゆかやさゆりたちと旅行へ出かける。何でも、温泉旅行なのだそうだ。
夏休み前から入念に計画してやがったらしい。
心配じゃねーのかって?
いや、あかねが居ないからこそ、俺も多少はハメを外せるというもの…。出来ることもある訳だ…。
そう、数日前に、三人娘、それぞれと約束した、「ランチ計画」など、その名だる物だ。
さすがに、なびきのアドバイスは鋭い。あかねの行動予定をすべて見越して、俺にアドバイスをくれやがったのだ。
『八月五日から二泊三日であかねは友達と温泉旅行に行くから…その隙を狙って、あの子たちの相手をすれば、丸く収まるわよ。』
と耳打ちされたのである。
…いやはや、策士は末恐ろしいぜ…。
それは、ともかく、本日、八月五日は、その第一日目。シャンプーとの約束がある日だった。
いくら背に腹を変えられない状況にあるにせよ、あかねの手前、どうどうと、猫飯店やらウっちゃんの店なんかに行ってみろ…。血の雨が降りかねねえ…。
浮気するなら、女房が居ねー間…みたいな感覚かな。…いや、飯を食わせてもらいに行くだけで、決して浮気する訳じゃねーが…。
まあ、色気よりも食い気だな。
それに、補習期間を全力で頑張ったんだ…。美味しい昼飯…くれーのご褒美に預かっても良いだろう?…なんて、適当に自分に言い訳して、昼ごろ、天道家を抜けて、猫飯店へと向かった。
勝手知ったる猫飯店。結構、人気店になっていて、昼ごろは混雑していると思ったが…何故か、のれんが上がっていなかった。
「本日、都合により、夕方から営業いたします。店主」
という張り紙が、引き戸にしてある。
「今日は昼営業しねーのか?」
鍵はかかってなかったから、張り紙のある引き戸から中へ入る。
「あいやー、乱馬、来てくれたあるか。大歓喜!」
ふわっとシャンプーの髪が俺の頬に当たる。いきなり抱きついてきやがった。
「お…おいっ!こらっ!」
つい、顔を赤らめてしまう俺。
俺の真正面から、ムースの眼鏡が鋭い視線を投げつけてくる。
まあ…当然だろーな…。
「今日は腕によりをかけて、乱馬をもてなすね。」
とにこにこ顔のシャンプーだ。
「ほほほ。昨日から、今日のために仕込みに余念がなかったからのう…。」
コロンばあさんもニッと笑った。…この婆さんに笑いかけられると、ウっとなるのは何故なのだろう。
若いころはシャンプー以上に美少女だったそうだが…。往年の美少女の面影は、全くねえ…。
まあ、歳が歳だからなあ…。美人だって、干からびるか…。
「とにかく、満腹するまで、食べさせてあげるから、覚悟するよろし…。」
にこにこ顔でシャンプーが言う。
ドンっと置かれたのは、彩り鮮やかな、料理。
「まだこれから売り出そうと思っておる試食品も数多く作ったで。全部平らげて、いろいろ意見を聞かせて貰うぞよ。ほっほっほ。」
そう言いながら、次々に皿を並べて行く。
「もしかして、毒味役か?」
「そんな顔しなくても大丈夫ね。あかねとは違うあるから。」
「ま、それもそーだな。」
あかねが聞いたら、きっと、張り倒されそうな会話を重ねながら、試食品とやらを胃袋に収めていく。
多分、あかねが居ないから、シャンプーもいつもより穏やかなような気がする…。
どういう訳か、あかねの奴、シャンプーが親しげに俺にからむと、途端、直情的になって、感情をぶつけてくるからなあ…。
それも、俺に怒りをぶつけて来る。
殴る、叩く、張り倒す、蹴り上げる、頭から思いっきり水をぶっかける…凶暴さが顕わになるから…。
もっと、かわいい、やきもちの妬き方があるだろーに…。
「婿殿、どうかね?この料理は…。」
「ちょっと、粘っこいかなあ…。もうちょっとあっさりした方が好みかも…。」
いろいろと正直な感想を伝える。
あかねと違って、味覚は至って普通だから…。おっと、これも禁句かな。
一通り、食べ終わって、満腹になりかけたときに、冷麺を置かれた。
「どーぞある。」
「おっと、閉めは冷麺か。」
猫飯店の冷麺は夏のスペシャルメニューだ。
「遠慮なく食べるある。」
「いっただきまーす。」
チュルチュルと胃袋へ掻きこむ。
「う…。」
途中で箸が止まった。
ちゅどん…。
耳や鼻から、ツーンと脳天に抜けた。
一気に、彼岸へ意識が持って行かれたようにも思った…。
が、次の瞬間。
満たされていた腹が、いきなり空腹になった。
「どうじゃ、まだ入ろう?シャンプー、次の皿じゃ。」
ドンと置かれた、次の皿。
山盛りの新メニューだ。
「ほれ、食いなされ…。」
「……」
俺は蓮華を掴んだまま、ばーさんとシャンプーを睨みつけた。
「おい…てめーら…。さっきの冷麺…天上天下唯我独尊麺(てんじょうてんがゆがどくそんめん)を仕込みやがったな…。」
「あはは、ばれたあるか。」
ペロッと舌を出したシャンプー。
「ばれいでかっ!あの脳天を突き抜けんばかりの不味い麺…。それから、この空腹感。」
「そりゃあ、ただでご馳走をしてやっておるんじゃ。新メニューの試食を、心置きなく試させてもらうぞよ。」
「まだ、唯我独尊麺はあるから、お腹が満ちた来たら、言うよろし…。」
「今日の試食が終わるまで、家には帰さないだ…。」
婆さん、シャンプー、ムース…その三人に、ずいっと詰め寄られた。
……。
なるほど、タダより恐ろしいものは無えッってか…。
その後、俺は、山ほどの試食料理を、延々と食わされ続けたことは、言うまでもない。
しばらく、中華料理はご免だ…。胃がもたれて…もう食えねえ…。
夕方、天道家に帰宅すると、かすみさんが酢豚を鍋いっぱい作って、待ち構えていた…。
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