8月4日(月)
切腹回避なるか?

 今日も朝からジリジリと真夏の太陽が照りつけて来やがる。
 日本列島、最高気温の高騰が続いている。
 しかも…ここ数日は、夕立も湧いて来ないから、道はカラッカラに干からびちまっている。

 今日はお弁当持ちだ。
 殆ど全教科、追試が確定している身の上。
 追試は、途中で休憩をはさみながら、三十分ずつ。五教科六科目だ。つまり…午後を軽く超えちまうって計算になる。

 う…。考えただけでも、暑さは倍増。

 かすみさんがお弁当を持たしてくれた。一応、その弁当を、保存庫へ預ける。この保存庫には、保冷剤が入っていて、腐るのを遅くしてくれる役割があるらしい。
 弁当の他に、お茶入りの大きなペットボトルも持参している。この暑さだ。こまめに水分補給しねーと、熱射病になっちまうって訳だな。
 唯一の慰みは、冷房がきいていることくれーだ。でも、昨今の節電ムードで設定温度は高め。
 あああ…冷やっこいー…てな訳にはいかねえ。

「乱馬、あれから勉強したか?」
「ああ…少しはな…。」
 ひろしに話しかけられて、返答した。
「また、あかねに教えて貰ってたのかよ?」
 にんまりと大介が問い質す。
「アホ…。それどころじゃなかったわいっ!」
「ってことは…。」
「まだ思いっきり、あの夜の件を引きずってるよっ!」
「ああ。あいつの機嫌が、そう簡単に直ったら、苦労なんてしねーっつのっ!」
 不機嫌に言い放つ。その視線の先に、何となくおたおたしている五寸釘が目に入った。体中、包帯だらけにしているところを見ると、飛竜昇天破の餌食になって、怪我をしたのだろう。…自業自得だぜ…。
「ってことは、まだわだかまりが解けてねーのか。」
「あれから殆ど喋ってねーよ。」
「おめーも大変だなあ…。」
「同情してくれて、あんがとよ。」

 徐に教科書を出して、最後の悪足掻き。

「…の割には、色んな箇所に赤ペン引きまくってるじゃねーか。」
「線引いたところで、頭に入ってなきゃ、同じだぜ…。ったく…。とにかく、邪魔すんな。俺、一発で受からねえと…オフクロに殺されるんだ。」
「大げさな奴だなあ…。」
「おまえのオフクロさんって、温厚そうな人じゃねーか。」

 …大げさで言ってるんじゃねー。今朝早く起き出したなと思ったら、白装束にアイロンあててたんだぞ…。


キンコン…と始業のベルが鳴って、担任のひなこ先生のご登場となる。

「みなさんのテストは、回収後、すぐに採点されます。そして、即日採点されて、各教科で合否を判断します。
 それぞれ、空き時間がある人は、図書館で自習していてくださいね。その間、余裕のある人は部活に行って貰ってもかまいませんよ。…最終採点結果は三時にホームルームで手渡しますから、その時間には教室に戻って来てくださいね。」

 簡単な説明をして、いよいよ試験。


 定期テストよりも、キツイ…。まあ、定期テストを真面目に勉強しなかったツケが回ってきてるんだろーけどな…。


 数学、古典…現代文は履修してねーから、丸々三十分休憩して、英作文、英語講読…。午前中はその五教科。
 そして、午後、二教科。

 最後の化学が終わった頃には、脳天はカラカラに干からびていた。

「どーだった?」
「多分、合否判定点、すれすれだと思うぜ…。感で解いた問題もあるし…。」
 うだっと机に突っ伏して答えた。

 定期テストよりは簡単で、点数をとらせてくれるような問題だと、先生たちは言っていたし、なびきのくれた過去問も役に立ったが…いかんせん…。教科が多すぎて、集中力が切れかかっていた。
 情けねーことに、計算間違いだの、綴りミスだの…いろいろやってる筈だ。

「やっぱ…普段から、少しはやりつけてねーと、ダメだな…。」
「高校生の本分は勉強にあるからなあ…。」
 皆、反省しきりだ。

「あーあ…。昔は、通知表を貰って来る終業式一日だけを、我慢して親に怒鳴られておくだけで良かったのになあ…。」
「一日我慢して、四十日、遊び放題だったよな…。」
 大介とひろしが頷き合う。

…俺…一日も我慢なんてしなかったな…。ってか、親父に成績表なんて、見せたことあったっけか…。っつーか、休みのたんびに、長距離修行に旅立って…そのまま、その学区からトンずらこいて、転校したことも多かったよな…。
 そーだ…。天道家に転がりこんで来た時も、新学期早々、高校入学して間もなく、中国修行に連れて行かれて、そのまま呪泉の水に落っこちたんだっけ…。
 あれから、ろくな目に遭ってねーもんなあ…。半分、女化しちまうし…。かわいくねー女を許婚に宛がわれるし…。同じように呪泉郷で溺れた連中が、次から次へと現れやがるし…。




 午後三時。
 一番、空気が熱いその時間に、神妙な顔をして机に座る。

 まるで、死刑宣告を受ける、罪人のよーな気分だぜ…。
 もし、もう一度、追試なんてことになったら…。このまま逃げるか?
 逃げたら、ますますオフクロが刀持って迫ってきそーだな…。
 いや、悪いように考えるなっ!マイナス思考に走ると、余計、災いが舞い込むぞ…。
 ここは、一つ、平静を装って、プラス思考で…。


「早乙女君。」
 ハッとして顔を上げると、ひなこ先生がすっと試験結果の用紙を俺の元へと差し出した…。

「はい…。君の結果だけど…。残念ながら…。」

…残念ながら…って頭に付くってことは…。」
 全身がくがく、足はフルフル。

 その時、ひなこ先生が、ニッと笑いやがった。

…やっぱり…。

 肩を落としかけた時、
「どの教科もギリギリだったけど、合格でした。」

「へ?…合格?」
「ええ…。本当は、明日からも補習に通って来て欲しかったんだけど…。」

「やったーっ!」
 思わず、安堵と共に、ガッツポーズ。

「でも、英語は作文も講読も、最低点ギリギリでの通過だったわよ……ってことで、はい。これ。」
 と言って、トンとプリントを俺の机の上に置いた。
「あんまりにも心配だから、私の教えている英語だけ、特別的宿題を出したから、よろしくね。」
「特別的宿題だあ?」
「そーよ。基礎単語集と構文集です。それから、講読の副読本もつけておいたから…。」

「良かったな…乱馬。」
「特別的宿題だけで、再テストは逃れられて。」

「ああ…。おめーらはどーだった?」

「なびきねーさんのおかげで、俺、英語はどっちも、八十点代だった。」
「俺もだ。感謝しねーとな。」
 とにこにこ顔だ。

「あ…そう…。」
 ダンと机に突っ伏した。
 全身の力が抜けて行く…。
「俺って…やっぱ、バカ?…。」
 俺の評点は、合格ギリギリの六十点。殆どが、単語の間違いなどだ。




「ま、切腹は逃れられたんだから、良かったじゃないの。」
 帰宅早々、なびきが笑いながら、俺に言った。
「良いもんか…。夏休み中にこれを仕上げて来いって言われたんだぜ。」
 俺は深いため息を吐きだした。

 オフクロが白装束を再び、長持ちへと仕舞込んでやがる姿が目に映った。何故か、にこりともしないで、無表情だ…。もしかして、切腹させたかったのかあ?…などと、疑いたくなる様子だった。


「もう、手伝わないから、あんた一人でやんなさいよ。」
 そんなつれない一言を、俺に投げつけて、背後を通り抜ける。

…まだ、へそ曲げてやがるのかあ?…
 そう言いたいのを、グッと堪える。
 下手に何か言おうものなら、油に水だ。…機嫌が直ったら、少しは手伝って貰えるかもしれねえ…という「下心」を隠し込み、じっと耐える。

「良かったら、手伝ってあげてもよいけど?」
 と言いながら、なびきは、てっと手を出して来る。

「いや…いい。おめーに頼めば、完璧かもしれねーが…。俺の懐がなくなるのも辛いし…。」
「よねえ…。あと、それから、いろんな追加料金のことだけど…。」

「はああ?まだ、俺からむしり取るつもりかあ?」

「当り前よ。」
「この前、水着写真、いっぱい撮らせてやったろーが…。」
「あのくらいじゃ、まだ半分くらいしかチャラにできないわよ。」

 そう言いながら、ニッと笑いやがった。

 はあ…そーですか…。…今度はどんな写真を撮るつもりだ?

 と見上げたら、
「はい…これ。」
 と茶封筒を俺に渡しやがった。

「何だこれは…?」
 怪訝な顔をしてなびきを見返すと、一言。
「アルバイト…。」
「アルバイトだあ?」
「ええ…。再補習も再々テストも免れたんだから…。暇ができたでしょ?だから、あたしが請け負ってあげたアルバイトに精を出して、そこから残りを払って頂戴ねえ…。」

 そう言いながら、俺の傍を離れて行く。

 その後ろ姿を俺は、ずっと、見守ったまま、呆けていた。



 


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