8月3日(日)
あと一日…。

 明日は追試…。

 ということは、後一日の命…じゃなくて、勉強期間だ。

 目前に迫る現実…。

 今日の昼間、オフクロが、後生大事に持っている「家宝」の刀を、一心不乱に手入れしているところを目の当たりにしてしまった俺。
 懐紙を片手に、入念に切っ先を磨いてやがった…。

 それって、何のパフォーマンスだ?

「おばさま、本気なのかしらねえ…。」
 俺の真横を、なびきが意味深に笑いながら通り過ぎる。
「一回、首、すげ変えて貰ったら?」
 一緒に通り過ぎたあかねが、そんな言葉を俺に吐きつけてきやがった。

 …たく…こいつは…。まーだ、昨日のこと、根に持ってるのかよ…。

 無言のまま、背中でそう受け答えた。


 昨日は夕暮れまで、目いっぱい、大介たちが天道家に居た。
 五寸釘はあの夜以来、戻って来なかったが、俺たち不出来な男子三人。みっちりと、あかねたちにしぼられ続けた訳で…。
 いや、正確には、あかねとのお勉強会は、まだ続いている。

 あかねも、「あの件」以来、どことなく冷たい。
 まだ、わだかまりが解けない、俺たち二人だ。
 関係もぎくしゃくしている。
 もう、慣れっこになっているから、ほっときゃ、そのうち、元の鞘に収まるのだろーが…今回は人がたくさん居た分、長引いている。
 
 そんな俺たちを、慮(おもんばか)ってか、今朝からは、なびきが俺の勉強に一枚噛んでくれている。
 俺が直接頼んだ訳ではないから、恐らく…かすみさん辺りが関っているのだろう。
 あかねはどう思っているかわかんねーが、かすみさんもなびきも、妹が大事なんだろう。

 俺には兄弟が居ねえから、少し、羨ましいと思うこともある。



「後は丸暗記かなあ…。」
 昼過ぎになって、俺の顔をチラチラ見ながら、なびきが持っていた、教科書を放り出した。
「暗記ねえ…。」
「あんたの暗記力が明日の明暗を分けるかもね。所詮、勉強なんて、所詮、反復演習よ。」
「そーゆーもんか?」
「って、あんたも高校入試の時はそーだったんじゃないの?」
「だって、俺、高校は受験してねーもん。」
「え?」
「前に言ったろ?中高一貫の男子校だったから、スル―だったんだ。」
「ってことは、中学をお受験したの?」
「いんや…。」
「じゃあ、どうやって私学なんかに入学できたのよ。」
「うーん…あんま、覚えてねーんだよなあ…。」
「武道関係が強い学校で、特待生で通ってたとか?」
「さあ…。」
 と首をかしげた。

 特に部活が活発だった訳じゃなかったと思うしなあ…。まあ、中学時代も俺、奔放に親父に付いて修行に出かけていたから、そんなに成績も良かった訳じゃねー。
 ま、あの学校には良牙も居たし…。だからという訳でもなかったが、秀才が居るような感じでもなかったと思う…。
 かといって、やばい連中ばかりでもなかったし…。

「実際、細かいことは、わかんねーんだよな。…気にしたことも無かったし。
 親父と放浪していたよーなもんだから、小学校は流転ばっかりしてさー。中学だって、ここへ行け…みてーな感じで、通わされたっつーか…。」

「案外、いい加減に生きて来たのねえ…。」
「否定はしねーよ。親があいつだもん…。」
 縁側でパンダになって汗をかきつつ、将棋勝負している親父の姿を顎で指しながら、なびきへと言葉を返した。


 多分、風林館高校へ編入学できたのは、早雲おじさんの力が働いているんだろーが…。
 …っていうより、どこの馬の骨ともわかんねー俺みたいな奴を、ポーンと私立高校へ通わせてくれてるよなあ…と思うぜ。
 細かいことは聞いたことがねーが、多分、親父のことだ。学費なんて払えねえ筈だ…。とすれば、スポンサーはおじさん以外に考えられねー。
 いくら、天道家の許婚だからと言っても…。ましてや、娘も二人、現役で私立高校生なんだぜ…。

 あんまり深く突っ込むと、頭の中が、やばいことになりそーなんで、俺は全くノータッチで居候させて貰っているのだが…。


「ほらほら、ぼんやりしてないで…。今日はきっちりやんないと、明日は切腹日和になっちゃうわよ。」
「うへっ!冗談じゃねーや。」
 俺は、再び鉛筆を持つと、たったかと、問題集へと手を伸ばした。

 その後ろ側で、あかねの鋭い視線を感じる。あいつも、宿題をやっている訳だが…。

 …そんなきつい瞳で、いちいち俺を射て来るな…ってーのっ!
 個人授業はなびきじゃなくて、おめーの役割じゃなかったのかあ?


「こらこら、集中なさいっ!あたしが折角、ロハで付き合ってあげてるんだから…。」
「わ…わかってるよ。」
「この答案、採点して合格してなかったら、罰金貰うわよ。」
「あんだと?」
「嫌なら、集中しなさいねー。えっと、タイムリミットはあと十分。」
「短けーぞっ!」
「男は文句言わないの。」
「わかったよっ!やりゃーいいんだろ?やりゃーっ!」

 熱気にほだされながら、問題へと目を転じる。

 チリン…、チリン…。

軒下の風鈴が、涼しげな音を鳴らして、熱風が吹き抜けて行った。

 


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