8月29日(金)
浜辺の闘い

 浜辺に夕闇が降りて来る。
 一番星が光り始めるのも、時間の問題だろう。遥か彼方には、ちらちらと陸地の燈火が宝石のように光り始める。
 背後に見え隠れする、風間の妖気は、半端では無え。日が陰り、妖力を増したかのようだ。
 西の空には、真っ赤なジャックナイフの月が、浮かびあがっている。

「その前に…。あかねはどこだ?無事なんだろーな?」
 奴の前に凄んで見せた。
「ああ。あかねさんを傷つける意図は、こちらにはない。そっちのお姉さんが、見つけ出してくれたんじゃないかな?」
 不敵な笑いを浮かべて、風間は浜辺とは反対の方向を指し示す。

「居たわよー、乱馬君。こっちの岩陰で見つけたわーっ!」
 その方向から、郁さんの声が響いて来た。腕には、軽々と、あかねを抱きあげていた。郁さんは、女だてらに、結構、力が強いようだ。
「あかねっ!」
 俺が駈け出そうとした途端、ザッと風間は気を左手から打ち付けて来た。俺の前で、奴の撃った気弾が弾けて、砂が少しえぐられた。咄嗟に反応した俺は、サッと蹴り出し、急襲を避ける。
「何、しやがるっ!」
 俺は避けざまに、風間を睨みつけた。
「まだ、勝敗はついてないだろー?あかねさんを取り戻したくば、俺に勝つんだな。」
 厳しい言葉を投げつけて来やがる。
「ああ、もちろん、そうさせて貰うぜっ!」
 ダッと砂浜を蹴りあげて、風間へと仕掛けた。
「でやああああっ!」
 俺も気弾のスペシャリストだ。右手から赤い気を解き放った。

 ズゴゴオッ!

 俺の気弾を受けて、砂が舞い上がる。
「フンっ!こんなものっ!」
 風間はひょいっとかわして見せた。
「まだまだーっ!」
 俺は、横へ避けた風間目がけて、第二弾を繰り出す。

 バアアン!

 鈍い音がして、奴の真上で気が弾け飛んだ。
「どこを狙ってる?」
 奴の声が、遥か上方から響き渡った。
「何っ?」
 奴の肢体が真上に見えた。それも、遥か上方だ。人間技では無い。
 少しためらったその瞬間、奴が差し出した左手から、白い触手のようなものが、競り出して来る。
 避ける間もなく、そいつは、俺の胴体へと巻き付いた。

 シュルシュルシュル…。
 
 不気味な音をたてて、巻き付いたそいつは、俺の身体を大きく空へとすくいあげる。
 そして、そのまま、砂浜へと叩き付けた。

 ズザアアッ!

 砂煙が舞い上がり、激しく砂浜へと打ち付けられる。

「クッ!」
 かろうじて、衝突の瞬間、受け身を取った。が、その白い触手は、攻撃の手を緩めなかった。続けざまに俺の身体へと巻き付く。
「ぐ…ぬ…ぅ…!」
 俺はその触手へ掴みかかると、引き千切ろうと引っ張った。だが、そいつは絡みついたまま、離れない。それどころか、実体が無いのである。
 そう。前に幽霊と闘った時のように、俺の手は触手を突き抜けて行く。

「無駄だ。どんな攻撃も、こいつには効かない。」
 ニッと風間が笑った。そして、クンと左手を上げると、触手は再び、俺を砂浜目がけて突き落とす。

 ズシャアアア……。

 容赦なく、砂へと投げつけられた。砂地だから良いものの、岩場なら、確実に骨の一本や二本、折れていたろう。が、じわっと、砂で擦り切れたキズから、血が点々と浮き上がる。

「ふふふ。どうだ?僕の力は。もちろん、こんなものではないよ…。」
 信じられないことに、奴は上空から、真っ直ぐ立ったままゆっくりと降りて来る。まるで、自在に空に浮いているかの如くにだ。禍々しいほどの妖気が奴の身体から溢れ出して来る。
「どうだ?諦めて、僕にあかね君をくれないか?そうすれば、これ以上、貴様を傷つけず、過去の禍根も水に流してやろう。」

「じ…冗談じゃねえ!過去にてめーの流派と、早乙女流の間に、何があったか知らねえが…。あかねは渡さねえ…。絶対に…。」
 普通の人間なら、怖いと思うに違いねーが、俺は武道家だからな。妖怪が怖くて、武道家がつとまるかってんだっ!
 歯を食いしばって、俺は砂地から這い上がる。
「折角、チャンスをくれてやったのに…。」
「そんなもん、最初っから望んじゃいねーっ!猛虎高飛車ーっ!」
 振り向きざまに、奴に気弾を浴びせかけた。

 ドゴオオーッ!

 俺の解き放った気弾が起こした烈風が、奴の後ろ側へと吹きぬけて行く。
 と、奴の身体から、白い物体が、風に煽られて、スポンと抜けたように見えた。その刹那、一瞬、風間から、妖気が抜けたようで、風間の足元が少しだが、ふらついて見えたのだ。
 白い妖気の塊は、触手のような長い物体をその中からせり出し、風間の背中へと伸びた。慌てて、奴の肉体に戻ったゆらゆらと、不気味に風に揺られ、再び、奴の肉体へと消えて行く。

…へっ!やっぱり、奴の身体へ、何か霊的な奴がとっ憑いてやがるのか…。ってことは、俺にも勝機はある…。

「猛虎高飛車ーっ!猛虎高飛車ーっ!猛虎高飛車ーっ!」
 俺は無我夢中、猛虎高飛車を連打した。
 合わせた掌から飛び出した真っ赤な起爆が、風間を襲う。

「だから、無駄だって言ってるんだ。そんな技、当たらなければ意味が無い。」
 風間は器用に、猛虎高飛車の軌跡から、逃れた。
 
「猛虎高飛車ーっ!猛虎高飛車ーっ!猛虎高飛車ーっ!」
 俺はおかまいなしで、打ち続ける。
 もうもうと、起爆によって出た煙が、辺りに降りてくる。
 はあはあと荒い息を吐きあげて、スッと上に逃げた風間を下から睨みつける。
 心なしか、肩が少し上下して揺れる。連続で気弾を打ったのだ。

「ふふふ…無駄だと言っているのに、馬鹿な奴だ…。もう、息切れか。」
 憎々しげに、吐きつけて来た。
「今度はこっちから行くよ。むろん、容赦はしない。今度は、あの岩場に投げつけてやるっ!覚悟するんだね!」
 風間は岩場を指差しながら身構えると、再び、左腕から白い触手を、俺目がけて繰り出した。

 シュルルルル…。

 不気味な音をたてて、そいつは俺の身体に襲いかかり、巻き付いた。

「ふふふ…俺の手にかかって、壊れてしまえっ!早乙女乱馬ーっ!」
 至近距離で揺れた嘲笑へと、俺は声を荒げた。
「けっ!引っかかったなっ!俺は、この時を待ってたんだっ!」
「何っ?」
「飛竜…昇天…破ぁああああーっ!」

 俺は左手の拳から、冷たい冷気の拳を上空へと打ち上げた。
 そう。俺は、何も、策も無しに、猛虎高飛車を連打していた訳ではない。
 猛虎高飛車は体内の闘気を高ぶらせて打つ気技だ。当然、闘気の熱が辺りへと満ちて来る。
 それに、砂浜には真夏の太陽光から発した熱気を、まだ、存分に孕んでいる。そう、夕暮れたとはいえ、今はまだ夏だ。そうすぐに地熱も下がらない。
 つまり、俺は、自分の周りに何度も猛虎高飛車を打ち込み、熱気をこの辺り一面に立ち込めさせた。そして、猛虎高飛車の連打で、熱気を引っかきまわしたのだ。
 そこへ、打ち込んだ冷気の拳だ。
 気竜の渦が、流のように、一気に上空へと舞い昇る。

 ゴオオオオオ…。

「うわああああっ!」
 風間の身体が竜巻に吸い寄せられて、上空へと高く吹き飛ばされた。
 奴の手から延びた触手は、俺に絡みついたままだ。
 そう、俺は奴から白い容器の塊を引き剥がしたのだ。
 風間は飛竜昇天破に吹き飛ばされて、砂浜へと投げ出された。ドサッと鈍い音がして、奴の身体が波打ち際に転がっていく。

『むむむ…貴様…。小癪な真似を…。』
 俺にまとわりついていた白い妖気の塊が、人型に変化していく。
「えっ?」
 と思って見れば、風間とそっくりな姿が浮き上がった。
『これで、勝ったと思うなよ…。早乙女の小僧!』
 そいつは、エコーがききまくった声で俺に対した。
 風間の身体から引き剥がされた白い妖煙が、俺に牙を剥きだした。

「けっ!てめーが風間に憑依していた親玉か。おもしれー。」 
 俺はやぶにらみしながら、受け答えた。

『ことごとく、粉砕してやる!そして、天道の娘を我が風間家の嫁に…!』

 奴の瞳が赤く光ると、真っ直ぐに手を上げた。と、スッと空へ飲み込まれるように消えた。
 いや、正確には、矢のごとく、別の個体へ目がけて、すっ飛んだのだ。
 そう、少し離れていた場所へ…。

「うっ!」
 あかねを抱えていた、郁さんが、顔を上に上げて、大きくわなないた。
 明らかに様子が変だ。
 そして、そのまま、カクンと膝から地面へと倒れ込んだ。

「郁さん?」
 呆気にとられる俺の前で、

 背後から郁さんが、俺目がけて攻撃を加えて来やがった。
 女だてらに結構、きつい蹴りが俺を襲った。

「い…郁さん?」

『ふふふ…ふわははは…。こいつは良い。霊媒師だけのことはある…。』
 郁さんの口を借りて、奴の声が響いて来た。

「てめー…まさかっ!」

『ふふふ…保険をかけておいて良かったよ…。藤代郁美…。こやつの身体は、ワシが乗っ取った!ふあっはっはっは。』
 ゆっくりと、郁さんは立ち上がる。
 そして、冷たい瞳で俺を見詰めた。
『ふふふ。このまま、冥界へ、この娘ごと連れて行ってやろう。』

「させるかっ!」
 俺は妖目がけて、気弾を打とうと身構えた。
 ぐっと構えて体内の気を瞬時に上昇させる。

『ふん。小僧。貴様、気弾ごと、この女と娘を吹き飛ばすつもりか?忘れたのか?ワシは霊じゃ。どのような攻撃もワシにはきかん。代わりに、この女の身体が吹っ飛ぶだけじゃ。』

 そうだ。風間を攻撃した時も、白い触手に、俺の攻撃は、悉(ことごと)く粉砕された。いかなる物理的攻撃も加えられなかった。この場面で俺が気弾を打ち付ければ…奴を粉砕するどころか、郁さんやあかねを傷つけてしまう。

『ははは。一応貴様も武道家の端くれだろうからな。セコイあいつの息子とて、そこまで腐りきってはいまい。』

 セコイあいつの息子は余計だぜっ!…たく。でも、確かに、このままでは分が悪い。あいつに同じ手も通じまい。

『そらっ!』
 郁さんの細腕から繰り出された、パンチ。
 女性とて、背後を操っているのは、一応、武道家だった野郎だけある。
 ガツン…と芯を捉えて、俺に殴りかかる。

「くっ!」
 俺も一応、武道家の端くれだ。衝撃を少しでも緩和するために、受け身を取る。

『ふふふ。いくら受け身を取っても、数を食らえば、一溜まりもあるまい。』
 奴は、憑依体の郁さんを操って、何度も俺に拳や蹴りを繰り出して来やがる。
 殴りつける方も、通常の状態なら息切れの一つもしてくるものなのだろうが、相手は得体の知れない憑依体に乗っ取られている。一向に力は緩んでこねーし、かえって芯を捕えることが、巧みになってきやがる。

 何発目かを食らったところで、ズサアアッと砂の上に投げ出された。

「クソ…。何か手立てはねーのか…。」
 足を踏ん張って、顔を上げる。
 と、郁さんの瞳が、クスッと笑ったような気がした。
 奴め何か企んでやがるな…。
『この宿主、おまえの弱点を俺にささやきかけてくれたぞ。』

 いきなり難をぬかしやがる?

 俺は殴られて赤みがかった頬を、ぐっと右手でぬぐいながら、郁さんを見上げた。

「俺に弱点なんか、ねーぞっ!」
 そう言って、睨み返してやった。

『そうかな?それに…、貴様は知らぬだろうが、この島。ワシたちばかりではないぞ。』
「どういう意味だ?」
『貴様も武道家なら、感じないかね?』
 奴に示唆されて、辺りを伺った。
 浜辺は、もうすっかり、暗がりに包まれていた。

 と…ガサガサ、ごそごそ…。何かの気配が、近くで動いた。
 いや、それだけではない。俺の耳に、、俺の一番嫌いな、小動物の鳴き声が、そこここから響き渡る。

 にゃー、にゃー。
 みゃー、みゃー。
 ふみゃー、にゃー。
 ごろなーご…。

 そう…。猫だ。 
 それも一匹こっきりじゃねー。集団だった。

 ひっと、一瞬、肩がすぼんじまった。

『ふふふ。やはりな…。貴様の弱点は猫。』

「う…うるせー。ね、猫が、じゃ…弱点なんかじゃ、ねーっつーの…。」
 恐らく、俺の声は震えていたと思う。
 俺の周りを取り巻いて来る、小動物の気配が、一つ、二つ…その姿を現にする。

『この島には、数多の野良猫が住み着いていてね。ほら、バーベキューをするにはもってこいの場所だ。その残飯を漁りに、こうして夜になると、集まり始める。それを、ワシの霊力で集めてやった。ふふふ…。
 猫は吾輩たち、霊魂の波動を感じることができる、霊的能力が高い生き物だからね…。
 こいつらは、全て、ワシの忠実な僕だよ。それも、ワシの妖力で、凶悪化、且つ、力も上がっている…。くくく…。タダの猫ではないのだ。
 この島に住む猫たちに粉砕されて、ズタボロになるが良い。ふわーはっはっはっ!』


 何とも、陰にこもった野郎だ。おやじの比じゃ無え。…いや、俺を猫嫌いにした張本人は親父だから、同類か。
 そんな、悠長なこと、考えてる場合じゃねーっ!
 万事休す…。
 いや、普通ならそう思うだろう。

『それ。吾輩の僕どもっ!そやつをボロボロに引き裂いて、血祭りにあげてやれーっ!』


 ぶにゃーごーっ!


 猫が一斉に俺目がけて、飛びかかって来た。
 それぞれ赤目が不気味に光っている。
 それぞれの前足から、長く鋭い爪がくり出して、無抵抗の俺目がけて、飛び込んで来る。


「うぎゃあああああーっ!」


 空に輝く、ジャックナイフの月。

 プッツン!

 その月に引き裂かれたかの如く、人としての俺の意識は、そこで途切れた。



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