8月27日(水)
悪霊を飼う男

 臨海学校一日目は、さしたるトラブルも無く、平穏に終わった。
 夕食時のすったもんだを除けば…という脚注がつくが。
 不器用味音痴女のあかねが居るんだ。それに、お好み焼き屋店主の右京も居る。トラブルが起こらない訳無え…。あかねは不器用なのを知っている癖に、右京が俺にちょっかいをかけるものだから、調理しようと出歯ってくるし。
 ま、いつものアレだ…。味付けを頑としてあかねにやらせなかったことだけは、殊勝だったと思うぜ。ひろしと大介、それからゆかとさゆりの四人がかりで、必死で取り押さえたんだから…。
 その代わり…カレーの中に、まな板の欠片が時々浮いていたが…。はははは…。

 さすがに、風間の野郎も、あかねの不器用ぶりには、少々苦笑いを浮かべていやがった…。ざま―ミロ…つーか、こんな不器用女を、乗りこなせるのか…てーの…。あ、その件に関しちゃあ…俺も同じ立場か。
 こいつ、やる気だけは人の倍以上あるんだが…。何で、味音痴なんだろー。


 夜は、男子と女子に分かれて、別のロッジで寝る。
 キャンプ地といえ、一人ひとりにベッドがあるタイプだ。
 寝ておかねーと、体力が持たねえから、夜は十時半就寝と決められていた。
 俺は野営に慣れているから、ぐっすりと眠れたさ。他の連中はどうだか知らねえが…。
 五寸釘は朝から、蒼白な顔をしていた。何でも、興奮して寝付けなかったらしい。
「乱馬はすげーよなあ…。」
「五寸釘の奴が一晩中、ごそごそしていたから、こっちまで寝不足気味だぜ。」
 ひろしと大介が眠そうな瞳を手向けてきやがった。
 風間もこういう野営に慣れているのか、ケロッとしてやがる。

 天気も上々だし、波風も穏やかだ。
 水泳日和。
 それぞれレベルに合わせて、大学生のトレーナーたちが別れて教える。
 当然、俺は上級者の組だ。但し…女化しちまってるから、何故か、女子の方へと組み入れられる。
 元々は男だから、猛烈に抗議したのだが…。見てくれはおっぱいがボンボンにあるから、却下されちまった。
 さすがに、八宝斉じじいのくれた水着はビキニだからまずいだろうと、持って来たのは、スクール水着だ。新しく買うのも気が引けて、水には行っちまえば同じだということで、そうした。が、水着型に焼けると、悲惨なことになるから、上にこの前かすみさんが買ってくれたTシャツを被っている。
 学校のプールではダメだが、ここは海だから、多少のわがままは許される。ビキニのように露出して泳ぐよりは、すっぽりTシャツで覆う方がマシだという判断なのだろう。
 ウっちゃんも上級者に組み入れられたので、待ってましたとばかりに、俺にくっついて来やがる。
 大学生たちは俺の体質が不思議でたまらねえみたいだが、クラスメイトは慣れっこになっている。

 あかねは…というと、勿論、カナヅチコースだ。
 あかねのようなずぶのカナヅチは珍しいようで、クラスに一人二人居るか居ないか。自然、トレーナーはあかね専属に近くなる。
 あかねの担当は、風間だ。
 この前から、ゆかやさゆりたちとプールで一緒だから、あかねも話やすいようで、和やかに波打ち際でパタパタやっているのが見える。
 一応、海だからというので、予め、救命胴衣を着こんでやがる。
 が、そこは名うての不器用女。救命胴衣で浮ける筈なのに、ぶくぶくと器用に沈んでやがる…。塩水だから浮力がある筈なのに…何で浮かねーのか、不可思議だ。
 それでも、辛抱強く、風間はあかねを相手にしてやがる。
 しかもだ…手まで取って。

 その様子を盗み見ている俺も俺だが、何だか無性に腹が立って来るのは何故だろう。
 やはり、「嫉妬」なんだろーな。
 ここんところ、忙しかったから、家でもあかねとはすれ違い。昼間、プールで泳いでくる分、道場でのあいつの動きに、精悍さも無かった。疲れ切って、さっさと自室へ引っ込みやがるし…。俺も一日歩き回る仕事だったから、冷房が無くても、パタンキューだった。
 寝ることで体力を回復させるのは、基本だからな。

「なあ。明日は、遠泳大会があるんやって。」
 ウっちゃんが言った。
「遠泳大会?」
「うん…。うちらみたいに良く泳げる生徒は、あの島まで自力で泳ぐらしいで。」
 と、沖合にある小さな島を指差した。
「五百メートルってところかな…。で?泳ぎが得意じゃねえ奴は?」
「浮輪とかビート板持って、出来る限り、頑張るらしいで…。」
「あいつみてーなのは、どーすんだろ?」
 親指を後ろにして、バタバタやっているあかねを指差した。
「さあ…。そこまでは知らんわ。」
 右京も苦笑いを浮かべている。
「泳げねーということなら、あっちも相当やで、乱ちゃん。」
 あかねの傍で、もう一人、バタバタやっている女が見えた。ひな子先生だ。そーいえば、この二人…。先学期も学校のプールをぶっ壊してたっけ。

 何だか嫌な予感が過る。

 十一時。水から上がると、昼飯の準備だ。
 昼飯は、焼きそば。ウっちゃんの得意とするところだ。
 勿論、俺たちは、あかねをけん制に走る。じゃねーと、昼飯にありつけねー。
 あかねはあかねで、調理にまい進しようとするが、それをグッと引きとめる。
「おめーは、こっち来いっ!」
 女のまま、水際に上がった俺は、ぎゅっとあかねをひっつかんだ。
「何するのよ?」
 ギロッと睨みつけて来やがったが、離すもんか。
「おめーは、俺と力仕事に加われ。」
「力仕事?」
「ああ…。調理は五寸釘が残るってよー。あいつも、腕力は非力だからなー。」
 蒼い顔をして、五寸釘が女子にまじって調理しているのが見えた。
「おめーは、俺と水汲みだ。」
「水汲み…。」
「ああ、あっちの井戸から汲みあげてくるんだ。おめーと俺は力仕事が得意だからな。だから、来いっ!」
 ギュッとつかんだ柔らかい腕。
 女同士だから、ちょっと残念な気もするが、背に腹は変えられねえ。
「へえ…。噂どおり、見事に女性化するもんだね。」
 俺の背後から、琴線を刺激するように、風間がそんな言葉を、俺にだけ聞こえるような声で、投げつけて来やがった。…こいつは、俺を焚きつけて、喧嘩でもフッかけようとでも言うのか。
 好戦的だった。
「おめーは、俺が女化することを、知ってやがったのか?」
 あかねが水汲みに精を出している間に、風間に畳みかける。
「まーね…。いろいろ調べさせて貰ったよ。」
 と、これまた、刺激的なことを言う。
「てめーの狙いは一体何なんだ?」
 ムッとしながら、問い質す。
「僕の狙いはただ一つ…。怨恨だよ。無差別格闘天道流と早乙女流に対するね。」
 それだけを言うと、すっと風間は俺から離れた。あかねが井戸水を汲み終えたからだ。
「あかねさん、そんなにたくさん、汲みあげて大丈夫?」
 などと、媚びを売ってやがる。俺に対するのとあかねに対するのとでは、明らかに声色が違うのだ。
 良く居るじゃねーか…。男を前にしたら、急に言葉遣いやトーンが変わる女が…。あれの男版だな、こいつ…。少なくとも、ろくなもんじゃねー!

 あかねに対しては陽の部分を、俺に対しては陰の部分を見せまくってやがる。

 何なんだ?こいつ…。

 でも、漂ってくる気配は、只者では無えー。
 偶然にも、昼間、その力を垣間見ることができた。
 ロッジの一部が、海の傍特有の塩っ気で、崩れかけていた箇所があったようで…。おふざけて身を乗り出していた、女子の目の前で手すりごと腐って、斜面へと落下しそうになったのだ。
「あぶねえっ!」
 たまたま傍に居た俺が飛び出そうと身構える前に、風間がダッと身を投げたしたのだ。
 いや、正確には、飛び出したのは、風間から抜け出た、白い影だった。
「え?」
 一瞬、目を疑った。

 もわもわとした白い霧状の物が、落下しそうだった女子の身体にまとわりつく。
 と、その白い霧が、女子の身体を風間に肉体へと引きよせた。と、身体が落ちかけた女子は、風間の胸へと抱え込まれる。
 だが、このままでは、風間も女子も、がけ下へと身を放り出されるだろう。
 そう思った時だ。
 女子を抱えた右腕と反対側の左腕。そこから白い気焔が飛び出すのを、この目でしかと見た。
 奴は、気弾のようなものを、掌から飛ばしたのだ。
 
 ビョオオオ…。

 風が渡るような音と共に、気は空を舞い、落下しかかった身体を引き戻す。
 そして、何事も無かったかのように、ロッジへと着地する。
 俺には手に取るように、奴の放った気が見えた。他の奴らには、一瞬で見えなかったろう。
 あかねは…信じられないという表情を手向けていたから、少しは見えたか。

 着地が決まると、女子たちが一斉に、黄色い声を張り上げて、風間を称えた。
 その中で、一人、浮かぬ顔を浮かべた俺。
 奴の反応の速さはもとより、不可思議な光景だと思ったのだ。奴の身体から飛び出した白い影。それから、解き放った白い気。

「何だ…今の…。」
 ゴクンと唾を飲み込む。

 と、俺の背後からぼそぼそっと声が響いた。

「無差別格闘風間流の後継者…風間駿…か。やっぱ、只者じゃないわね。」
 唐突な郁さんの乱入に、思わず、ドキッとする。気配なんて、全然、感じなかったからだ。
「何、驚いてんのよ。ふふふ、私の気配、読めなかったのかしらん?乱馬君。」
 ぴとっとくっついてくる郁さんの手。その傍で、アルバイト社員が淡々とした瞳で、風間を見詰めている。
「どう?菅田…。今の技。あんたはどう見た?」
 郁さんはアルバイト社員へと小さく囁きかけた。
「やっぱり、彼…飼ってますね。それも、思った以上に邪悪な念の霊だ。」
 腕組みしたまま、そいつはぼそぼそっと小声で答えた。
「飼う?…邪悪な霊?」
 思わず声が張りそうになった俺の口元を、郁さんはダッと塞いだ。
「ダメよ…。そんな大きな声を張り上げちゃ…。気付かれるわ。」
 と、抱え込まれ、後ろへと引っ張られた。

 奴から姿を隠して、ロッジの裏手へ。そこは、岩肌がゴロゴロした斜面だった。

「たく…。扱いが荒いんだから…郁さんは…。」
 俺は、思わず苦言が漏れた。引っ張られ際に、少しばかりロッジのドアで、身体を打ち付けた。蒼痣になるような程度では無かったが、少しばかり腕が擦れて白い痕がある。

「まあ、そう言わないで…。レアな情報を教えてあげなわよー。」
 ニッと郁さんが笑った。
「レアな情報ですか?」
 怪訝な顔を手向けた俺に、郁さんは言った。
「彼…風間君。あの子、悪霊を身体の中に巣食わせているわ。」
 俄かに信じられない言葉を俺に手向けて来る。
「悪霊?」
 郁さんは、霊的現象が見える人らしいから、ある程度信憑性はあるかもしれないのだが、思わず、俺は聞き返していた。

「ええ。今の乱馬君なら見えた筈よ。白い霧状の奴の本体がね。」
 へっとなって、俺は郁さんを見返した。
「あんた、美玲さんの一件からこちら、見えるようになってるでしょ?これが…。」
 と幽霊の格好をして見せる。
「まあ、そーですが…。昨日、郁さんのところから帰ってからは、見てませんよ。」
「あんたのおかげで、かなりの幽霊は払拭されたからね。」
「この海の傍に来るまでも、見えませんでしたけど…。」
「まあ、アルバイトから解放されて、少しずつ、見え辛くはなっているかもしれないけど…。あの風間っていう男の子から這い出た影くらいは、見えてたんじゃないの?」
 じっと俺を見据える瞳は真剣だった。
「ええ。女子目がけて奴から這い出した影…みてーのは、確かに見えはしたっすが。」
「ほら、見てるじゃん。」
「あれが、何か?」
「ま、話せば長くなるから…。今夜、私が泊まっているロッジに来なさい。ちゃんと説明してあげるわ…。多分、あいつが動くとしたら、明後日だと思うから…。そろそろ、私たちは仕事に戻るわ。じゃーね。」
 そっか…。今回はまかないの補助という仕事でここに来てるからな…。
 そろそろ、昼の水泳教室が始まる時間だった。

 郁さんにも、ミステリアスなところがある。
 霊のスペシャリストだと言っていたから、多分、それに関係しているのだろーが。
 それにしても、気になった。
 風間が霊を飼っているという表現が。
 あれは、気じゃなかったのか…。だとしたら…。

 訳のわからねえ戦慄が走る。
 やはり、こいつとは、いずれ対峙せねばなんねーのだろう…微かな予感があった。



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