バイト最終日。
朝から、郁さんの事務所に寄ってから、三角の「ガイド旗」を預かる。
「今日も頑張って、集めて来てね。」
沈んだ俺とは対照的に、郁さんはにこにこ顔だ。
俺は、いつものように、背中に旗を霊糸で固定すると、重い扉を開いて街に繰り出す。
ま、救いは、この旗が一般人には見えねえことくれーかな…。こんな旗をひらつかせて一人歩いていたら、ただの不審者だもんな。
こうやって、適当に街中をうろついて、残った幽霊を引き寄せている訳だが…。
今日も、方々で風林館の生徒たちを見た。
そういえば、あかねはどうしたのか…。
俺は、自分の準備のこともあったので、一旦、天道家へとそのまま戻った。
このバイト中は、どこで何をしていても、一切、お咎め無しだ。ただ、幽霊を引き寄せるための「旗」さえ手にしていれば、どこに行こうがそれは俺の自由な采配にまかされている。故に、どこで油を売ろうと問題は無え。
バイトが終わって、準備するのも、何となく億劫だったから、バイト中に準備を済ませようと、端的に思った訳だ。
「あら…。今日は、早いお帰りね、乱馬君。」
洗濯物を天日に広げながら、庭からかすみさんに声をかけられた。
「いえ…今もバイト中です。」
「バイト中に、戻って来ても大丈夫なの?」
まあ、かすみさんの言うことはもっともだ。普通なら、仕事中だと、よっぽどの理由が無いと、自宅には戻れねえだろう。
「ええ…。ただ、練り歩いているだけのバイトですから…。何していても良いんです。」
「あらあら、そうなの。」
かすみさん節とでも言うべき、ゆったりとしたテンポで受け答えしていると、俺まで、動作がゆるゆるしてくるから不思議だ。
「どんなお仕事をしているのかしら?」
洗濯物をしごきながら、かすみさんは俺へと問いかけてきた。
「かすみさんには見えてねーと思いますけど…背中に幽霊を引き寄せるグッズをつけていて、街を練り歩いて、そこら中に離散している迷い幽霊を集めて回ってるんですよ。」
「あらまあ…。それは、大変ねえ…。ご苦労さま。
で?幽霊さんはどの辺りに居るのかしら。」
「えっと…。俺から二メートルほど離れた上空です。」
「まあ、そうなの。今は、どのくらいいらっしゃるのかしら?」
「えっと…今は六人居ます。」
俺は、空を見上げて、答えた。
「そうなの…。」
かすみさんは不思議そうに俺の上空を眺める。一応、一般人のかすみさんには、影の片りんも見えていねーだろう。俺だって、できれば見たか無え。
俺が茶の間でごそごそやっていると、洗濯かごを持ってかすみさんが入って来た。
「で?何か忘れ物でも取りに戻ったのかしら?」
「いえ…。明日の臨海学校の準備です。必要だったら、買いに行かなくちゃなんねーし…。」
プリントを広げながら、洗面道具などをリュックに詰めて行く。
「なら、丁度良かったわ。」
「はい?」
「今日は、お父さんも早乙女のおじさまも、朝から出ていて不在なの。今日は商店街のセール日だから、ちょっとたくさん、お買い物をしようと思っていたのだけど…。席を離せるなら、乱馬君…お荷物持ちを手伝ってくれないかしら。」
懇願の瞳をかすみさんに手向けられた。
「あ…良いっすよ。俺でよかったら、付き合いますよ。商店街方面には、まだ、たくさん幽霊も残っていそうですし…。」
俺は二つ返事で引き受けた。
ほぼ、毎日のように、かすみさんは近くの商店街へと買い物に出ているが、大家族の天道家だ。時々、親父たちを荷物持ちにして、トイレットペーパーだの、洗剤だの、かさばるものを買いだしに出かけている。
米や酒類は、馴染みから配達して貰っているが、他のものは、直に買い出しに行っている。俺の睨んだところ、かすみさんも、あかねの姉だけあって、相当、腕力は強いようだ。牛乳パックや調味料などが、たくさん入った買い物袋を、軽々と、二つ三つ、抱えて帰ってくることがある。
パッと見た感じは、そんな筋力があるとは思えねえが、主婦、侮るべからずだ。
「じゃあ、お願いね。」
エプロンを外して、日傘を持って、外へ繰り出す。
「あれ?商店街はこっちじゃあ…。」
俺は、かすみさんが普段行く方向と、真逆な方向へと辿り始めたことに気がついた。
「いいのよ…。こっちに、新しいショッピングモールができたから、今日はそっちへ行ってみようと思っているの。丁度、チラシも入っていて、お得なセールもしていたから…。」
かすみさんは、のほほんとしながらも、しっかりしている。大家族の財布を預かる主婦らしく、チラシのチェックも欠かさねえし、一円でも安い方へと足を伸ばすのも、納得できる。
「ちょっと、お父さんの衣料品のまとめ買いもしておきたいから。」
紳士物の売り場へと入るかすみさん。食料品だけを買いに来た訳でもなさそうだった。
「夏物最終売りつくし」、そんな文字が売り場で踊っている。
賢い主婦は、こういうところに掘り出し物を見つけるのだろうか。おじさんくらいの年頃になってくると、最先端の流行も追わないから、こいういので良いのだろう。
さっきから、わさわさと幽霊たちも、引き寄せられてくる。こんなショッピングセンターにも幽霊はうろついているのか…。と、思わず背中の気配に、苦笑いする。
で、その売り場の近くで、俺たちは見てしまったのだ。
見知らぬ男と二人で歩く、あかねの姿を。
「ちょっと…乱馬君。」
先に気がついたのはかすみさんだった。俺の袖をくいっと引っ張る。そして、やおら、指を差す。
「え?」
かすみさんの不可解な行動に、思わず立ち止まって、指の先を確かめた。
「あかね?」
何故だろう。俺は咄嗟に、かすみさんの手を引いて、サッと物影に隠れた。売り場の中だから、身を隠す場所には不自由しねえ。
「乱馬君?」
シッ、と口元に手を当てて、息を殺す。
かすみさんも心得たもので、俺の背後へと回って、じっとあかねを見詰めた。
「あらあら…あかねちゃん。男の人と一緒だわ。」
「ですね…。」
「クラスメイトさんかしら?」
「いいえ…。違います。」
俺はボソッと吐き付ける。
「知っている人かしら?」
「いえ…。知りません。」
知らなかったが、確かに、この前から、あかねの周りをうろついている野郎だった。プールであかねを指導していたのも、昨日、ゆかやさゆりたちと一緒に居た男どもの中にも居た。
にやけた色黒の上背の男だ。
今までは、ゆかだのさゆりだの、他の連中と一緒に居たのに…。今日は野郎と二人きりだ。
しかも、ちょっと、洒落た服装をしているじゃねーか…。
手こを繋いじゃいねーが、パッと見、一緒に、服とかを選びながら、デートをしているような雰囲気だ。
ぐぬぬぬ…と頭を持ち上げて来る複雑な感情。いわゆる、「嫉妬」と呼ばれる類のものだ。
「あの…。」
言葉を継ぎかけた俺に対して、かすみさんが笑った。
「いいわよ…。面白そうだから、尾行しちゃいましょうか。」
明るく、言い渡された。
「と…その前に、待っててね…。」
かすみさんは、傍にあった売り物から、適当にTシャツを一枚、ひっつかむと、普段のおっとりさとはかけ離れたように、身軽に、レジへと駆け込んだ。
それから、会計を済ませると、俺にそいつを手渡しながら言った。
「その格好じゃ、目立っちゃうから、これに着替えなさいね。」
と、買ったばかりのTシャツを差しだした。
赤札の値札には「五百円」と印字されている。
「は…はあ。」
躊躇していると、
「さっさとしないと見失っちゃうわよ。」
その言葉に背中を押されて、さっと試着室に駆けこんで、上着を着替えた。霊糸を解いて、大慌てで着替える。その試着室の開いた上空では、幽霊が十体ほど、浮き沈みしながら、俺を見詰めている。あんまり、良い光景ではない。
大慌てで着替えて試着室を出ると、かすみさんが待っている間に購入したのか、サングラスとバンダナを俺に差し出した。
「はい、これもつけなさいね。」
かすみさんも、同じ柄のバンダナを頭に巻いて、それから、同じようなサングラスをつけている。
「え?」
「尾行には変装がつきものでしょ?」
と屈託なく笑っている。
それから、容赦なく、俺の髪のおさげを解いた。くしゃくしゃっと髪の毛を乱すと、そこへバンダナを被らせてくれる。
鏡を見たが、普段の俺とはかけはなれた、ちょっと不良っぽい、砕けた感じの俺が居た。
大人しい感じの服装と、くだけた感じの色つき眼鏡とバンダナで、かすみさんも、ちょっと微妙な若い女性へと変身だ。
つーか、二人で何ちゅう格好してんだろ…。いや、そんなことにかまっている閑は無え。
問題は、あかねだ。
男の買い物に付き合っているのか、若者が好きそうなショップの辺りでウロウロしている。会話までは聞こえてこねーが、うわついているように見える。
俺とかすみさんの、ちぐはぐコンビの尾行が始まった訳だ。
まずは、気配を悟られねーように、ある程度、距離を取る。
あちらがカップルなら、こちらもカップルの振りをする。相手がかすみさんだから、正直、最初は、ちょっと勝手がわからなかった。が、どうだろう。なびきがこういうのが得意なのは、何となく頷けるが…。
かすみさん…。それなりに、乗り気だった。というか、なびき以上に楽しむというか…。相手が俺だということで、勝手に納得しているのか、ここで言うのも何だが、結構、積極的だったのには、驚かされた。
「ほら…。もうちょっと、後ろに行かないと、気配を悟られますよ。」とか、「ダメよ、眼鏡を外しちゃ。不用意に素顔を晒さないで。」とか…。いやはや、普段の大人しいイメージのかすみさんとは、ちょっと違った一面を見せられたというか、何というか…。
「天道家の主婦」というイメージが強すぎて、あんまり、意識してなかったけど、かすみさんも、「若者だ」ということを、改めて思い直した。
まあ、ターゲットのあかねだが…。特に、手をつないだりとか肩を組んだりとかいう、「不埒な行動」には出なかった。が、笑顔をいっぱい、その男へと振りまいていやがった。
物の、一時間も、男性の洋服を扱ったショップを物色しながら、ショッピングセンター内をうろうろしていたろうか。
男の買い物は、Tシャツ数枚とウインドパーカーだった。
見ている限り、それ以上の物は手にしていなかったようだ。もし、下着なんかを手にしていたら、冷静でいられたかどうか、自信はねえ。まあ、隣のかすみさんが止めに入っていてくれたろうが…。
彼女に服を選んで貰っている彼氏…。そんなありふれたシチュエーション。だが、俺の方は、気が気では無かった。
当り前だ。あかねに服を選んで貰ったことなんかねーし…。二人きりで買い物ということも、恥ずかしくて出来る訳もねー。
俺でも、できねーことを、あの野郎は、平気でやらかしてくれているわけで。そう思っただけでも、「嫉妬の炎」がふつふつと吹きあがってくる。
そんな俺を察してか、時々、かすみさんが、落ちいてね…と言わんばかりに、ポンと肩を叩いてくれたから、何とか、自分を保っていられた。正直、そんな感じだった。
男の買い物が終わると、店のエントランス付近で、ゆかとさゆりに合流した。後から、また、別の男の集団が合流する。
その後も、てちてちとつけていたのだが…。ショッピングセンターに付設されていた、シネコンへと消えて行く。
どうやら、この団体と、映画でも見る気なのだろう。
あかねがチケットブースへ並ぶのを見届けて、俺は、ふうっとため息を吐き出した。
「乱馬君?」
眼鏡を取った俺に、かすみさんが声をかけたきた。
「もう、これ以上は良いです…。かすみさん。ゆかやさゆりたちと合流したし…。こっから先は、尾行はしなくても…。」
俺は、静かにそう言った。
「そうね…。見た感じ、あの男の人のお買い物に付き合っていただけのようだったし…。ゆかちゃんやさゆりちゃんとも合流したから、これ以上はめを外すことも無いわね。」
ポツンと、かすみさんが言った。あかねを幼少の頃からずっと母親代わりに見てきた長姉のかすみさんだ。それなり、あかねを信頼しているのだろう。
ただ、俺には、何故、あの野郎の買い物にあかねが付き合っていたのか…理不尽さは残った。が、これ以上、尾行したところで、今日のところは何もないだろう。
あかねは真面目な性格だ。それも、生真面目、クソ真面目という表現が似合う程に…。
お人好しの彼女のことだ。映画に行きがてら、あの野郎に懇願されて、断り切れずに待ち合わせ前に買い物に付き合っていたのだろう…。…いや、俺はそう思いたかった。
あかねに限って、俺を差し置いて…。
でも、複雑に揺れる、俺の恋心。動揺させられるに、充分な光景だった。
そんな、俺は、相当な「陰気」を振りまいていたのだろう…。幽霊の数も、相当なものになっていた。一クラス分はくっついていたろうか。
「じゃあ、乱馬君…お買い物の荷物持ち、付き合ってくれるかしら?」
「あ…はい…。」
荷物と一緒に、上空で、幽霊がずらずらとついて来る。郁さんが見れば、どう思うか。
「すっかり、お昼になっちゃったわね。お昼ご飯、家で食べる?」
「え…ええ。」
「じゃ、お惣菜も買わなくっちゃね。」
かすみさんと、二人きりの食卓。
ちょっと、変な気分だった。かすみさんと二人きり…というシチュエーションが、殆ど無いからだ。
買って来たものを、手際良く冷蔵庫や保存庫に片づけて、残飯と買って来た惣菜を皿に並べる。あかねもこのくらい、ちゃっちゃとできたなら…。いや、同じ血が流れているんだから、きっと…いつかは…無理かな…。
ま、かすみさんは「年下は範疇外」と公言してはばからないから、二人きりになったとて、特に意識はしねえ…。
なびきみてーに、節操無く、揺すったりたかったりすることもねーし。
つーか、変な気分になろうにも…所狭しと、幽霊が折り重なるように、俺の背後にひしめいている。それを見るだけでも、気分が滅入りそうだった。
夕刻、事務所に戻った頃には、多分…三ケタ近く、幽霊が俺の背後に漂っていたと思う。
「ほんと、今年はたくさん、遅刻霊を成仏させてあげられるから助かるって、死神組合の方からも、感謝されてるわよ。」
郁さんは、にこにこ顔だ。
「いつもの年なら、二十日でこの仕事は閉めるんだけど…。まあ、手伝いのバイト社員も、明後日から復帰するし。助かったわ。」
そう言いながら、白い封筒を俺に手渡して来た。
「はい…これ。」
「何ですか?これ…。」
「死神組合から金一封。ま、死神世界は現世より貨幣価値が若干違っているから、そう、たくさん入って無いと思うけど。」
「まさか、現世じゃ使えねー紙幣での支給とかじゃねーでしょーね?」
「大丈夫よ…ちゃんと、こっちの紙幣での支給だから。」
封を切ってみると、千円札が三枚…。ま、バイト料以外に入った臨時収入だ。有難く貰っとくか…。
「うちのお給料は、これね…。あ、一応、りんねくんの取り分は引いてあるから。」
「ありがとうございました。お世話になりました。」
ぺこんと頭を下げた。
「お世話になったのはこっちだから。今年は助かったわ。また、バイト社員君が、長期休みに入ったら、協力してもらえるかしら。」
「確約はできませんけど…。」
俺は、ぼそぼそっと吐き付けた。
「それから…。その陰気、何とかしなさいよ。ホントに、不幸に魅入られちゃうわよっ!ほら、気合い入れてあげるわっ!」
パンと勢いよく、背中を叩かれた。
「いや…女になる体質になっちまった時点でどっぷり不幸ですから…俺。」
困惑げに切り返す。
「まあ、あんたも、複雑な事情を抱えに抱え込んでいるみたいだしねー。これからも、いろいろ大変だろーけど…。自分だけじゃなくて、目に見えない物も少しは信じて、精進しなさいよ。武道家目指しているんなら、筋肉を鍛えるだけじゃなくって、もっと、メンタル的にも強くなんなきゃねー。」
郁さんはそんなことばを、はなむけに送ってくれた。
確かにそうだ…。肉体だけじゃなくて、精神ももっと鍛えねーと…。
「ま、袖振り合うも多少の縁…ってね。良縁、悪縁、腐れ縁、因縁、いろいろあるし…。また、遠からず、私とも会うこともあるだろーから。そんときゃ、お手柔らかにね。」
パンとまた、背中を叩かれた。
とかく「因縁」は、禍を持ってくることがある。後で身を持って体験することになるのだが…。その時の俺には、予想だにできなかった。
家に帰る途中…また、連中に遭遇したのだ。
あかねとゆか、それからさゆり。それと三人の男ども。
あれから、映画を見て、どこかをうろついて来たのか。
また、身を潜める俺。どうしてだろう、真っ直ぐに向き合えねえのだ。咄嗟に、傍の飲料用自販機の傍に隠れた。
他の男に手向けている許婚の笑顔なぞ、見たかねえ。そう思うのとは裏腹に、つい、盗み見てしまう、姑息な俺。
そんな俺の複雑な想いなど、あいつは、全く気にも留めていねーよーだ。ということは、後ろめたさも皆無だということなのだろーが…。
そいつらが溜まっている場所を通らねえと、天道家には帰れねえ。だからという訳でもなかったが、俺はその場に凍りついたまま、動けなかった。
駅から家に向かう人々が、そんな俺の姿を見て、不可思議な瞳を手向けて行きやがる。徐に自販機へと小銭とを投じ、清涼飲料水を買って、その場をすり抜ける。そして、さも、喉が渇いていましたと言わんばかりに、ペットボトルの蓋を開け、ゴクゴクと飲み出す。勿論、あかねたちからは死角になる位置に、陣取って。
次に会う約束でも取りつけてやがるのか…。ひとしきり、くっちゃべった後で、奴らが解散した頃には、もう、夕闇が迫り始めていた。
ゆかも、さゆりも、別の道へと入って行った。他の男たちも、散り散りにその場を離れる。が、あかねが朝から一緒に居た男だけは、違った。
しばらく、あかねの後ろ姿を目で見送った後、その場をじっと離れない。まるで、何かを感じようとしているような様子が見て取れた。
俺は持っていた飲料水を飲み終えると、そばにあったゴミ箱へと投じる。カランと音がして、ペットボトルが消えると、ふうっと一つ、大きくため息を吐き出す。
と、あかねの後ろ姿を見送っていた、そいつが、いつの間にか、こちらへ向かって歩いて来た。
一瞬、どうしようかと戸惑った俺だが、そのまま、立ち止まってやり過ごそうと、自販機の脇に、じっと立ち止まって居た。
ポケットに両手を突っ込んだまま、横柄な態度で、俺の傍を通り抜ける。
「君が、早乙女乱馬君かな…。」
すれ違いざま、そいつは、視線を巡らせることなく、傍に佇んでいた俺に向かって、声をかけて来た。
その声に、ハッと反応して、奴の顔をチラ見する。
「やっぱり…君が乱馬君か。」
そいつは、俺を追い越すと、すっと立ち止まった。こちらを向き直ることも無く、そのまま足を止めた。
「だったら、何だってーんだ?」
挑発されたと思った俺は、つい、そんな言葉を奴に投げた。
「この前から、ずっと、僕たちを観察していたろう?」
こいつ…。俺の気配を察してやがったのか?…ひんやりと汗が、額を流れて行った。初めて、至近距離で対峙したが…こいつ、相当鍛えこんでやがる。そう思った。
盛り上がる筋肉は無駄が一切ない。得体の知れない不気味さが、夕闇と共に、俺に迫ってくる、そんな感覚だ。
「ふふ…隠さなくても良いよ…。僕は、君の鋭い視線を、幾度か傍から、感じていたからね。」
野郎は、トーンを落として、声をかけてきた。
「あかねちゃん…。とても、素直な良い娘さんだね…。ずっと、一緒に居て分かったよ。その気の強さといい、恵まれた美貌といい…。中途半端な君には、勿体ない、申し分のない娘だよ。」
呟くようにそいつは、俺を挑発する。
「中途半端」…そいつが投げた言葉に、俺の肩がピクッと動いた。
「だから…あかねさんは、僕がいただく…。」
「それは、俺に対する、挑戦状か?」
つい、ムッと言葉を返す。
「ああ…。そう、思っていただいて結構だ。僕の名は、風間駿。無差別格闘風間流の使い手だ。以後、お見知り置きを…。ふふふ。また、近いうちに会おう…。」
男は俺にそう告げると、ゆっくりと遠ざかって行く。
「無差別格闘風間流…。」
勿論、聞いたことが無え。無差別格闘竜は、天道流と早乙女流の二流しか、存在していねーんじゃなかったっけか…。
否、たとえ、存在していたとしても…あかねは俺の許婚だ。誰にもその絆の間に割り込ませて溜まるか…。
グッと俺は拳を握りしめた。
俺の前に、この夏最後の厄介事が、立ち蓋がろうとしていた。
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