そろそろ夏休みも佳境に入って来た。
俺のアルバイトも、今日で一応、一区切りがつく。
アルバイト最終日。
いつものように、ちょっと遅めで家を出る。
今日は朝からすっきりしない天気だった。
曇りがちの空。薄日しか差してこねーのに、熱は相変わらず、アスファルトに籠ってやがる。
もわもわとしている分だけ、湿度が高い。
だから、かいた汗が全然、乾かねえ…。
お盆も過ぎ去って一週間が過ぎた。
さすがに、俺の掲げるガイド旗にくっついてくる幽霊は、激減していた。
つぎはぎだらけのガイド旗。
そう、あのすったもんだの時に、ちょっぴり破けていたのだった。昨日はそれをお針でチクチクやっていた訳だが…。
「この旗…年季が入り過ぎてますねえ…。」
事務所で郁さんに話しかけた。
「まーね…。そろそろ交換したいけど…今年はこれで行くわ…。適当に修理して使って。」
「修理しねーとダメなんですか?」
「ええ…。旗は三角形を保ってないとね…。ちょっと破けかけてるから…。」
とか何とか言って、俺にお針を持たせて、チクチクやらされた訳だ。
こう見えても、苦労人だから、お針仕事も難なく出来るんだぜ。多分…あかねより、器用だと思う。…威張れる話じゃねーが、一応な。
で、昨日修理した旗を持って、ちんたらちんたら、街中を、今日も歩き回っていた訳だ。
つーか…何だか、今日はやけにクラスメイトたちに街中で出会った。
「よ…乱馬、久しぶり。」
「宿題、終わったか?」
大介とひろしにもぱったり会ったくれーだ。
「久しぶりだな…。何だ?揃って。」
「買い物だよ。」
「買い物?」
「ああ…。明後日から臨海学校じゃん。」
「その準備用品を買いに来たんだよ。」
「…臨海学校?…っと、いっけねー、忘れてたっ!」
そうなのだ。マジ、忘れていた。
風林館高校には、夏休みの最後に、クラスごと、林間学校だの臨海学校だのといった、研修旅行みてーなのがある。
今年、俺たちのクラスは臨海学校へ行くことになっていた。
幽霊騒ぎとか…色々あったからなー。すっかり頭から欠落していたのだ。
「おいおい…マジかよー。ボケるには早いんじゃねーの?」
「ま、乱馬にはあかねが居るからなー。彼女がおまえの準備も、全部、世話をやいて、請け負ってくれるんじゃねーのか?」
「…んな可愛い奴じゃねーよ。」
ぼそぼそっと言った。
「そーいや…。乱馬…。おまえ、あかねと上手くやってんのか?」
いきなり大介が問いかけてきやがった。
「あん?」
唐突の問いかけだったので、反応しちまった。
「いやさ…俺たち、見ちまったんだよ…。」
「見ちまったって…何をだよ。」
怪訝な顔を手向けると、今度はひろしが言った。
「あかねが、男と仲睦ましく歩いているところをさー。」
ドキッと心音が唸った。
「見た感じ、相手は、大学生みたいだぜー。」
ポンと大介が言葉を投げた。
「大学生だあ?」
思わず、反応しちまった俺。
「ってことは、やっぱ、知らねえーか。」
ひろしが投げる。
案の定、返答に詰まった。
知っているといえば知っている…。心当たりが大有りだったからだ。
プールで見かけた上背のある野郎。
歳のころ合いも、俺たちより上に見えなくもない。
「で…どこで見たんだ?」
ぼそぼそっと問い質す。いつもなら、無視を決め込むんだが…心に引っかかるものがあったから、問わずにはいられなかった。
「プールの近くかな。」
「ゆかとかさゆりは一緒だったか?」
せっつきながら、問い詰める。
「居たっけ?」
「うんにゃー、あかねとその男と二人きりだったな。」
「そっか…。」
ふつっと溜息を吐き出す。
「ってことは…心当たりがあるのか?」
ガシッと大介が俺の背中に手をまわして来た。
「いや…別に…。」
口ごもりながら、視線を避ける。
「あるみてーだな…。」
ひろしも反対側から絡んで来やがる。
「おまえさあ…この夏も、あかねと全然、進展してねーんだろ。」
「つーか、進展させよーともしてねーんだろ。」
両側から攻め立てられる。
「うるせーよ…。」
歯切れ悪く、言い放つ。
「…たく、これだもんなあ…。」
「あかねは可愛いんだからよー。」
「ちゃんと、手綱を締めておかねーと…。」
「他の男に持ってかれるぞ。」
ぐうの音も返せなかった。
彼らの言うことに、一理あるからだ。
「とにかく…。」
「臨海学校は一つのチャンスの場でもあるんだから…。」
「悪いことは言わねえ…。」
「少しはあかねと進展させろっ!」
急に、そんなことを言われてもだなあ…。
「俺たちも、協力してやっから…。」
その協力…てーのが、引っかかるんだが…。
二人と別れて、ハッとする俺。
あかねが件の男と歩いているのを、見つけたからだ。
いや、正確には、あかねだけじゃなくて、ゆかとさゆり、それから、多分、あの時のプールサイドに居た他の男たちも一緒だったんだけど…。
集団で、わいわいと、商店街へ向かって歩いてやがる。
思わず、物影に身を隠した俺。
鉢合わせになる勇気は無かった。
路地にそれて、さっと隠れる。別に、息を潜める必要もなかったんだろーが、自然、そう身体が反応していた。
笑い声を響かせながら、通り過ぎる一行。
まるで、グループ交際している連中みてーだ。
あかねたちが通り過ぎると、ふうっとため息を吐き出した。
と、背中に別の気配を感じる。幽霊がガイド旗に引き寄せられて、三人ほど、上空に浮いていた。無言だが、そいつらが、一瞬、憐れんだような瞳を俺に手向けやがった。
…ひょっとして…俺、こいつらに同情されたのか?
俺は、連中から視線を外すと、あかねたちが行った逆の方向へと、すたすた歩き出す。
見てはいけないものを見てしまったような、この、胸糞悪い気分…。
心臓はズンズンと重く唸りだす。足取りも急に重たくなった。
多分、肩も思い切り落ちていただろう。
そのまま、足早に、郁さんの事務所へと一旦戻った。昼ご飯の時間でもあったからだ。
途中で立ち寄ったコンビニで、郁さんから頼まれた弁当も一緒に買いこむ。
「ただいまー。」
重い鉄扉を開いて中へ入ると
「あらま…。」
そう言いながら、郁さんが目をぱちぱちさせる。
「乱馬君…。今日はまた、たくさん連れて帰って来たわねー。」
そう言われて振り返る。
「でえっ!」
多分、今までの最高人数がくっついて来たようだ。鈴なりになった俺の背中の上。折り重なるように、幽霊がわんさかと、取り巻いて浮いている。
「こりゃあ…本格的に、不幸に魅入られちゃったかなあ…。」
郁さんは苦笑いを浮かべていた。
「不幸だったら、幽霊の数が増えるんすか?」
「幽霊は陰気を好むからねえ…。あんたの発する陰気に引き寄せられて来たんじゃないの?」
「陰気…ですか。」
「何か、悪いことでもあったの?彼女とケンカしたとか…。」
ギクッと肩が動いたかもしれねえ。
否、喧嘩だったら、ここまで落ち込まねー。
痴話喧嘩は俺たちの日常だ。喧嘩することに慣れちまった俺たちだから…。
「いや…別に、何も…ありません。」
と、言い繕う。多分、思いっきり、言葉が滑っていたろう。
「まあ、こっちとしては、陰気を出して、幽霊をたくさん引き寄せて貰えれば、有難いことは有難いんだけど…。幽霊は陰気に引き寄せられるからねえ…。今の乱馬君にはオーラのごとく、陰気がまとわりついてるわよ。」
ずずっとコーヒーをすすりながら、チラッと俺を見る。
「え?陰気?」
ドキッとして郁さんを見ると、
「気にしてるの?」
「あ…いや、別に…。」
「この様子だったら、これは、午後も期待できそうだわ。」
意味深に笑われた。
午後も、うろついてきたが、それなりに、幽霊が俺にまとわりついてきた。
暗澹とした気分で、うろついていたので、「陰気」をたくさん発していたのに、引き寄せられたのだろう。
夕刻、事務所へ帰ると、郁さんの瞳が光っていた。
「やっぱり、たくさん惹きつけて来てくれたわねえ…。」
「まーね…。」
俺は思わず苦笑い。
確かに、相当な数の幽霊を引きつれていたからだ。
「明日で最終日だよね。明日も、この調子で幽霊をたくさん引きつれてきてくれたら、助かるわ。
「ええ…まあ。」
コクンと頷く俺。
「この調子で、明日もしっかり、霊の引き寄せを頼むわね。」
ニッと郁さんは笑った。
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