「で?無事に除霊できたのね?」
郁さんが俺を見ながら、好奇心旺盛の瞳を向けて来た。
「ああ…。何とかね。」
俺は、そう言いながら、チクチクと布切れに針を刺す。あんまり、こういう作業は得意ではないが、仕事だから仕方あるまい。
俺の目の前には、ボロボロになった旗が転がっている。
「で?あかねさんは?」
「今頃、また、プールで泳いでるでしょーね。」
ムスッと答えた。
「トラウマになってないの?」
「なる訳ないでしょっ!あの勝気な奴が。…ってか、、己の身に何が起こったか、覚えてねーんですから。」
「そう…良かったじゃない。」
「良かったんですかねー。」
ふうっと大きな溜息を吐きだして、また、運針を進める。
あれから…。
プールサイドでひと悶着あった訳だ…。
りんねは俺に、絶対手出しするなと言い置いて、あかねたちの方へ歩み寄った。黄泉の羽織を羽織っていたので、フツーの人間には見えない。
「何が起ころうとも、じっとしていてくださいよ。乱馬さん。それから、六文…ちょっと…。」
俺から離れてりんねは六文と、ぼそぼそ何かを語り合っていた。
作戦会議でもしているのだろう。
ひとしきり、会話をかわしすと、六文は俺の傍へと戻って来た。
「てめーは手伝わねーのか?」
「ええ…。ここで待機するように、言われました。」
六文は俺の背後へと回る。
「待機するのは良いが…。猫化するなよ。」
ぼそぼそっと吐き付ける。
こんなところで、こいつに猫化されてみろ。絶対、平常心を失う自信がある。
「ええ…。出来る限り…。」
六文はボソッと言った。
「とにかく、ぼくらはここから見ていましょう。」
「ああ…。」
予め強く念を押された俺は、言われた通り、プールサイドの隅っこで、幽霊たちをたくさん引きつれて、「成り行き」を見守っていた。
黄泉の羽織を着ている効果なのだろう。りんねも空へと浮いていた。
水際より少し高い位置から、何気なく幽霊に近付く。
あかねに背後で浮かぶ幽霊は、りんねの気配に気がついたようだ。
二人、空でガンを飛ばし合って、睨みあう。
「あの幽霊…あかねさまを狙っているそうです。」
背後で六文が気になることを説明し始めた。
「あかねを狙ってるって?どういうことだ?」
「元々あかねさんを知っていて、とり憑いた…ってことですよ。」
「でも、俺の周りには、死んだ奴はいねーぞ?ましてや水場で死んだんだろ?あんな奴、見たこともねーし…。」
「確かに、乱馬さんは知らなくても、あかねさんを知っていたんじゃないですかね。」
「あかねだって知らないって言ってただろ?」
「あかねさんは知らなくても、あっちは一方的に知っている可能性だってあるでしょう?」
確かに、六文の言葉には一理ある。
「たしかに…あの野郎…気になることを言ってたな。」
ふと、思い出した。あかねの部屋で眠っていて、夜中にふと目覚めた時、
『やっぱりこいつか…。こんな、中途半端な男が…あかねさんの許婚だったなんて…。』
…確か、こんなことをブツブツ言っていたぜ。
ということは、あかねのことを知っているってことだ。…でも、あいつは俺のことを知らなかった。にも拘らず…「許婚が居る」ってことは知ってやがった…。何故だ?
俺が転校してくるまであいつには、男たちが群がっていた。
九能のせいで、交際を迫る男たちに、毎朝、真剣勝負を挑まれていたんだっけ。
あいつの流れるような脚力は、群がる男どもをことごとく、粉砕していった。もしかしたら、その中の一人だったのかもしれねえ…。でも、風林館で死んだ奴なんて聞かなかったぞ…。 様々な疑問が膨れ上がって来る。
と、背後からタダならぬ気配が漂って来た。
振り返ると、りんねがあかねにへばりついている幽霊と、何やら問答をし始めている。
あかねは知らん顔で、バタバタと水飛沫を上げているし、その前には上背の男が居る。周りも、りんねや幽霊が一切見えてねーだろう。
恐らく、幽霊は、りんねの説得を無視…いや、拒否したのだろう。
ゴゴゴゴゴ…。
物凄い音と共に、幽霊の背後がどす黒く渦巻き始めた。闘気とは違う、嫌な感じ…。強いて言うならば、妖気だ。
「始まったようですね…。」
六文の表情が引き締まった。
俺も、ゴクンと生唾を飲み込む。
勿論、あかねには見えてねー。だから、相変わらず、バタバタと足を動かし続けている。その上で、黒い闇が不気味に広がる。
ある意味、滑稽だ。
だが、滑稽とばかり言えなくなっていくような、異様な光景が、広がり始める。
俺も武道家だ。尋常じゃねえ空気は読み解ける。
できれば、今にも飛び出して、あかねを抱え上げて守ってやりてーくらいだ。
六文はそんな俺に対して、
「ダメですよ…。我慢…我慢です…。乱馬さん。」
と背後から声をかけてきた。
「じゃないと、猫化しますからね…。」
と脅しまで入れて来やがるのだ。…もしかして、俺のけん制のために、六文をここへ残しがやったのか?…りんねの奴。
「ああ…わかってる。我慢するから猫化するなよ…。」
情けねえが、そう返した。六文だとわかっていても、多分、猫化されると、平常心ばぶっ飛ぶだろう。となると、除霊の邪魔になることも、十分に考えられる。
りんねと幽霊の一騎打ちが始まる。
こんな場合は、実際、闘う方が気が楽だ。見守ること…それぐらい辛抱が必要なことは無え。それが、危険な場面なら、尚更のこと。
幽霊は巨大化し、りんねへと襲いかかる。
りんねも慣れたもので、大鎌片手に、縦横無尽、プールの上を暴れまわっている。
その直下で、あかねはマイペースに足をバタバタし続けている。
プールの中と上では、全く違う光景が、目の前で繰り広げられている、
「何か、色んな意味で、すげーな…。」
「ええ…。そうですね。」
六文と俺は、他人事のように、その光景を影から見守り続ける。
と、りんねは何かを懐から取り出した。
電光石火、そいつを幽霊目がけて、投げつける。
ポンッ!
何かが弾け飛ぶ音と共に、閃光が駆け抜けた。
眩いばかりの光が、幽霊を覆う。
その光に包まれた幽霊は、「ギャアア。」っと大きな悲鳴を張り上げた。そして、あかねの身体から弾き飛ばされたように見えた。
「え?」
反動と共に、あかねの身体が大きく揺らいだ。
それだけならまだしも、機嫌良くバタ足をしていたあかねの身体が、一瞬、浮き上がったように見えた。
「きゃあああっ!」
次の瞬間、あかねの身体が大きくうねり、水中へと沈んで行くのが見えた。
「あかねっ!」
構わず飛び出そうとした。
六文が引っ張る。
「あいつは泳げねーんだ…。あのままだと溺れちまうっ!」
「ダメですっ!行っちゃっ!あかねさまなら周りの人が助けてくれますっ!」
「あかねっ!」
六文を振り切ろうとした時、大きな影が俺の上へとせり上がったのが見えた。
ハッとして、見上げると、そいつと視線が合った。
そう、あかねから強制的に引き剥がされた幽霊が、俺の真上で、ギラギラと憤怒の瞳を掲げながら、見下ろしていたのだ。
「な…何っ?」
思わず身構えていた。
そう、俺も、武道家のはしくれだ。幽霊だろうが、人間だろうが、向かって来る敵に対して、咄嗟に闘争本能が働く。
『貴様…貴様さえいなければ、あかねさんは、長い黒髪を奪われることは無かった…。あのふさふさの長い髪…それを奪いやがって…。』
そいつは俺を睨みつけながら、どす黒い妖気を撒き散らしてやがる。
「はああ?」
幽霊が吐き付けた言葉に、思わず反応しちまった俺だった。
『俺は、長居後ろ髪をなびかせるあかねさんが好きだったんだ…。遠巻きで長い髪を見ているだけで幸せだったんだ…。』
幽霊は、俺の上で語り始めた。
『貴様は知るまいよ…。中学生の頃の清廉なあかねさんを。』
「あ…ああ。俺が天道家に来たのは高校生になってからだからな…。中学生のあいつは知らねえ…。」
つい、受け答えしちまう。
『長い髪を水に濡らして、水際で戯れるあかねさん…。初恋だった。』
何か、手足を交えながら、語り始めちまった。俺は毒気を抜かれた状態で、幽霊を仰ぎ見る。
『あまりに見惚れ過ぎて、排水溝へつまずいて…。溺れてしまったくらいだ。』
…ひょっとして、こいつの死因はそれか?
『もう一度、あかねさんに会って、成仏するつもりだった。俺は、このプールであかねさんが来るのを待ち続けたんだ。
一年後…夏休みに現れたあかねさんには…。髪の毛が無かったっ!』
「いや…あったし!髪の毛はちゃんとあったしっ!無くなってたんじゃなくって、短くなってただけだろーが!」
思わず、突っ込んじまった。
その言葉をきいて、幽霊の野郎、キッと表情を変えやがった。
『短くなった髪の毛は、俺にとっては無いに等しいっ!』
と怒鳴りつけてきやがる。
『風のうわさで真相を聞くと、許婚にバッサリと切られたというではないか!その後、あかねさんが髪の毛を伸ばすことは無くなってしまった…。』
幽霊はビシッと俺に向けて、指をさす。
『貴様さえ来なければ、あかねさんのみどりなす髪は健在だったはずだ。』
…んーなこと、今さら言われても、知らねーっつーのっ!つーか、髪の毛を切ったのは正確には俺じゃねーし。良牙のバンダナだし。…責任が無いわけじゃねーが…。
「だったら、どうするってんだ?俺とやり合うってか?」
『あかねさんをとり殺してやろうと思ったが…やめとくよ。貴様を…貴様をとり殺してやるーっ!』
幽霊は、俺目がけて飛びかかる。
「何をっ!」
俺は得意の蹴りで、幽霊をけん制…したが、空振りで終わった。
相手には実体が無い。ということは、空気のように身体を突き抜ける。
『ふん!拳や蹴りなんか、ぼくには無意味だ!』
幽霊は身を翻し、両手を広げて襲い来る。
「ぐわっ!」
伸び上がって来た奴の肢体に、絡め取られてしまった。
粘着があるようなないような、不気味な肌触りの物体に捕えられた。そう、幽霊の身体の中に、とりこまれたような感じだ。
ゼリー状なぶよぶよした感覚。いや、それだけではない。
『どうだ…息が出来まい。』
気管を全て塞がれた俺は、息ができない。手足をバタバタさせようとするが、それも叶わない。
「ぐ…。」
みるみる、苦しくなっていく。
『ふふふ…。苦しめっ!』
畜生…このまま、沈んでたまるか…。
ギュッと握りしめる拳。
全身に気を漲らせる。ダメ元でも足掻いてやる…武道家の意地だ。
「でやああっ!」
身体から一気に闘気を弾けさせた。
『ふん、そんなもの…。粉砕してくれよう…。』
幽霊の奴がいきり立った時だった。
バッサアー…。
奴の背後、俺の上空から、振り出された「大鎌」。
りんねが容赦なく、一刀両断。幽霊を鎌にかけたところだった。
『貴様…。ずるいぞ……。』
散り際、幽霊が悔しそうな声と共に、ザアアッと砂状に崩れ去って行く。
「悪霊化した奴に、苦情を言われる筋合いなんて、ねーよ。」
りんねは、さらっと吐きだした。
見事なまでに、淡白な奴だ…。
俺の周りには、個性豊かな奴が多いが…こいつも相当なものだと、感嘆した。
まあ、一件落着した訳だが…。
それより、あかねは?水の中に投げ出されたけど、どうなった?
幽霊のことで無我夢中になっていたことと、この場から動くなと六文にきつく言われていたことで、あかねに気を配るのが疎かになっちまっていた。
さっきまで、バタ足をちらつかせていたあかねは…。と思って、プールを振り返り、びっくりしたさ。
丁度、あかねが水際から、バタ足を指導していた奴に、お嬢様抱っこされて、水際に上がってきたところをまともに、見ちまった訳だから…。
それはそれで、衝撃的シーンだった。
ゆかやさゆりが、周りを取り巻いて、わーわーやっている。
近寄るのも憚られたが、見つからぬように、こそこそとできるだけ前に出て、俺は、必死で耳を澄ます。
「あかね…大丈夫?」
「溺れちゃったの?」
心配げに覗きこむ、ゆかやさゆりに、男の腕の中から下ろされて、プールサイドへと腰を下ろす。
「大丈夫よ、ちょっと足を取られて、水の中でひっくり返っただけだから…。」
水際でへたりこみながら、そんな言葉を吐いてやがった。
「水も飲んでいないみたいだし…。少し水際で休憩すれば、いいよ…。」
「そうですね…。ほんと、情けないわ。これくらいで足が吊るなんて…。」
そんなやりとりをしている声が聞こえてきた。
…否、足が吊ったんじゃなくって、幽霊が引き剥がされた反動で、水の中に投げ出されたんだぞ…。
ぐっと心の中で話しかける。もちろん、あかねには聞こえない。
俺はふううっと深いため息を吐き出した。
すっかり出遅れちまった…。いくら除霊のためだとはいえ、このまま、あかねの前に出るのも憚られる。
「ありがとうよ…。りんね。六文。」
力なく、礼を言いながら、俺はサッと更衣室の方へ向かって歩き出す。
「泳がないんですか?」
六文が問いかける。
「ああ…。泳ぎに来たんじゃねーし…。」
「入場料分が勿体ないですよ。」
と、力が抜けそうなことを話しかけてきやがる。
「いいよ…。クラスメイトに女化したところを見られたくもねーし…。」
そう。今更、あの輪の中に入って行く勇気は無え…。
あかねはきらきらと笑顔をたたえながら、見知らぬ男たちとくっちゃべってるし…。
「お送りしましょうか…。郁さんのところまで。」
りんねの言葉がやけに優しく響いた。
送って貰う前に、りんねは、俺にくっついて来た幽霊を、大鎌で成仏させた。
こいつらは悪霊化している訳じゃねーから、キラキラと空へと消えて行く。
「じゃ、行きますか。六文…。」
六文はりんねの声を合図に…巨大な猫顔車に…。
いや、車のような乗り物な訳ではなかろーが…。数メートルはあろうかという巨顔になった。
「ぎええ…何じゃこりゃ…。」
「さあ、遠慮なく、背中につかまってください。」
「つ…つかまれるかあぁっ!」
「つべこべ言わないで、とっとと行きましょう。」
「ぎえええええええーっ!」
俺の悲鳴と共に、パッと上空に霊道が開いた。だから、あかねたちには、俺の声なんざ、聞こえなかった筈だ。
大嫌いな猫の顔…。それも、巨大な猫顔に変化した六文。
「振り落とされないように、しっかりつかまっててくださいよー。」
明らか、こいつ(りんね)は、面白がってる。口元がフッと笑っていたように思う…。
そして、気がつくと、郁さんの事務所のソファーで震えていたという訳…。
我ながら…情け無え…。
つーか…今度会ったら、覚えておきやがれ…。死神野郎…。
家に帰っても、あかねは何も語らなかった。
プールで溺れかけたたことも、知らない野郎たちのことも…。一切、何も触れて来なかった。
「六文くんだっけ?猫ちゃん、居なくなったわね。」
と、なびきに指摘されるまで、六文が居ないことにも気がつかねえ鈍さは健在だった。
「そーいえば…。乱馬、六文ちゃんは?」
と、問い質してきやがる。
「あ…六文なら、帰ったぜ。」
一言、ポンと投げた。
「え?」
「俺が郁さんちにバイトに行ってる間に、りんねが帰って来て、おめーから幽霊を引き剥がしてくれたみてーだ。気付かなかったのか?」
ご飯をかっ込みながら、その問いかけに答える。
「そーなの?もう、その幽霊さん、居ないの?」
「ああ…、な、親父。」
『確かに、もう、見えてないよーん』
さっと看板を上げる、おちゃらけパンダ親父。
「へええ…どうやって除霊してくれたのかしら…。」
「俺が知る訳ねーだろ…。バイトに行ってる間に、ちゃちゃちゃっと除霊したみてーだから…。」
ムスッとしながら、その問いかけに返答する。
本当は、一部始終、見ていたし、関っていた訳だけど…。
ただ、なびきの奴だけは、ニヤニヤと俺を見ていた。鋭いなびきのことだ。俺の嘘を見抜いてやがるのかもしれねーが…。
ここは、知らぬ存ぜぬで貫き通すさ。
そう…あかねと一緒に居た野郎のことも…。
「はああ…。」
また、俺の口から、巨大な溜息が零れた。
「あんたさー、さっきから溜息ばっかりついちゃって。そんなに溜息ばっかり吐いてたら…幸運が逃げていくわよ。」
郁さんが笑った。
「いえ…。呪泉に落っこちたところで、俺の幸運なんて…とっくに、潰えていますから…。」
ぼそぼそっと歯切れ悪く、そんな言葉を吐きだした。
「またまた、心にも無いことを!そんなんじゃ、不幸を引き寄せちゃうわよー!」
バシッと一発、背中に平手打ちを入れられた。
…いや、もう、不幸を引き寄せちまってるのかもしれねーが…。
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