ふっと頬をかすめる、柔らかな風。
冷風とまではいかないにしろ、こもり切った熱は含んでいねー。
俺はゆっくりと目を開く。
朝日が俺の目に当たって、眩く光った。
昨日の小競り合いの記憶が、フッと脳裏をかすめて行った。
そう、八宝斉と五寸釘に食らわせた、正義の鉄拳。
身体は……動く……。
筋肉…ちゃんと俺の身体に戻ってる。
見上げる天井には大穴。空の青が瞳に映る…。
ハッとして傍らに視線を流した。
目の前には、真っ赤になってこちらを睨みつけて来るつぶらな瞳。
わなわなと身体を震わせて、俺を睨みつけて来やがる…。
ってことは…。俺よりこいつが先に目覚めたってことだよな…。
俺の背中に、ひやーっと汗が流れた。
一瞬、間を置いて、つんざくような怒声が傍らで響き渡った。
「乱馬のバカーッ!」
バッチコーン!
右手で思いっきり左頬を引っ叩かれた。
朝の清々しい、強烈な一発。
「痛ってーっ!何しやがるーっ!」
つい、いつもの調子で、怒声を張り上げる。
「それはこっちの台詞よーっ!何であたしがあんたの胸を借りて、ここで眠ってたのよーっ!」
真っ赤になって、更に拳を突き上げて来る。
「待てっ!説明するからっ!な…殴るなーっ!」
程なくして、母屋に戻って、朝ごはん。
天道家の面々は、それぞれ、ぐっすり寝つけたようで、俺以外は、すっきりとした顔をしている。
その中で、一人、俺だけ浮かねえ顔。…いや、もう一人、浮かねえ顔があった…あかねだ。
隣合わせに座っているが、一向に視線を合わせようとしねー。
「ホント、あんたたち、いい加減にその不機嫌面、やめなさいよ。」
となびきが、チラッと俺たち二人に対して言い放った。
誰のせいで、こーなっとるのかわかってんのか?
…てめーが俺たちを道場に置き去りにしたからだろーが…。
きっと、俺、恨めしそうな瞳で、なびきを見返していたと思う。
あかねには変な誤解を与えちまったし…。あいつ、こーだと思い込んだら、絶対に譲らねーんだぞっ!いくら説明しても、聞く耳なんちゃー、持ってねーんだ…。
俺は、五寸釘やじじいから守ってやったってーのに…。朝から、何発、殴られたと思ってんだ…。
おかげで体中、ボコボコ…。バンソウコウだらけだ。
そのまま、あかねとは氷解せずに、勉強会が始まる。
とにかく、追試まであと二日だ。
仲直りに時間を割いている閑なんか無えー。
鉛筆片手に、なびき慣習の問題に答えを埋めて行く。
「気の強い子が許婚だと、苦労するよなあ…。」
「五寸釘が絡んでるんだろ?朝から姿が見えねーし…。」
休憩の合間、ひろしと大介が、憐れみの瞳で俺に囁く。
「ああ……助けてやったのに、この扱いだぜ…。」
「まあ、しゃーねーわな…。あの状況じゃあ。」
「おめー、朝まであかねを胸に抱いたまま寝てたんだろ?」
「あかねが怒るのもうなずけるかもな…。」
「あのなあ…好きで抱いてたんじゃねーぞ。五寸釘に変な軟膏塗りたくられて、力を持ってかれてたから…抜け出せなかったんでいっ!
あかねが覆いかぶさってたし…。あいつの身体、結構あれでいて、重いんだぜ…。
俺より、筋力あるからなあ…。骨太だし…。もうちょっと女らしい身体してたら、這いだせたかもしれねーが、無理だった…。」
急に足元が暗くなった。
ゴゴゴゴゴと背後から近づく気配。
ハッとして振り向くと、鬼のような形相をしたあかねが、そこに立っていた。
無論、平和裏に終わる訳が無く…。
ドカッ!バキッ!
腕に物を言わせるのが、あかねの真骨頂な訳で…。
「んとに…おめーは…。学習能力が無えっつーか…。」
「毎度毎度…あかねを怒らせて、殴りつけられて…面白いか?」
「いや…別に面白がってねーけど…。」
畳に顔を埋めたまま、吐き付ける。
「ほら、さっさと続き、解きなさいよ。あんたたち。」
「そうそう…。そんなんじゃ、追試…大変よ。」
ゆかとさゆりも笑っている。
わかってるよ、そんくれー…。切腹もかかってるし…頑張るしかねーんだ…。
俺は、ゆっくりと起き上がると、再び、鉛筆を持って、プリントに向き合い始めた。
今日も熱帯夜になりそうだ。
シュワシュワと、蝉が煩いほど、外で鳴きざわめいていた。
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