8月19日(火)
遅刻霊と一緒

 結局、あれから俺は、郁さんから預かった変な旗を持って、街に繰り出して、目的もなく少し歩いてみた。
 一日目は平穏に過ぎて、俺にくっついて来た何人かの幽霊を、事務所に預けて、旗を返し、天道家(家)に帰宅した。

 一晩明けて、
「今日もアルバイトに行くのかしら?乱馬君。」
 かすみさんがにこにこしながら、俺にご飯をよそってくれる。
「ええ…。まあ。」
「どんなお仕事をしているのかしら?」
「街中を練り歩く仕事です。」
「あらまあ…宣伝マンか何かをしているのかしら?」
「…まあ、そんなところです。」
 さすがにどう説明して良いやらわからないから、曖昧に誤魔化すしかねえ。
「炎天下にご苦労さまね。」
「は…はあ…。」
 お茶碗を受け取りながら、頭をボリボリ掻いた。

 今日も、朝から、事務所へ行って、旗を預かり、街に繰り出す。

「今日も頼んだよ。」
 郁さんは日に日にやつれて行く。
 夜はちゃんと眠っているようだが、布団の上では無く、事務所の固いソファーの上で眠るらしいので、熟睡できていねーようだ。
 事務所は冷房がきいているが、一日中、冷っこい部屋に居るのも疲れるらしい。
 ご飯は、デリバリーのピザや弁当を頼んでいるようだ。俺が頼まれてコンビニに走ることもある。
 そう。郁さんは結界から離れる訳にはいかないそうだ。
 離れても最低、マンション内に居ないと不味いらしい。
「もう、毎年のことだから、慣れっこだよ。」
 そう言いながら笑っているが、結構、大変そうだった。
 何で、こんなきつい仕事をしているのか、腑に落ちない部分もあったのだが、
「寺で生まれた以上、浮かばれない魂はきちんと送ってやらないといけないってね…。もっとも、依頼は死神組合から貰ったんだけどね。」

 その「死神組合」というのが良く分かんねーのだが、郁さんによると、浮浪する魂を管轄する仕組みみてーのが、あるらしいのだ。

「昨日、念珠を持って帰るの忘れてたでしょう?乱馬君…。」
 郁さんが尋ねて来た。
「あ…そう言えば、忘れてました。」
「この机の上に置きっぱなしだったわよ…。もう…ちゃんと関係者に持たせなさいよ。確率は低いけれど…念のためにちゃんとしとかなきゃ、とり憑かれちゃうってこともあるんだから。」
 朝から一発、小言を食らった。
「はい…。今日はちゃんと持って行きます。」
 そう言いながら、俺は紙袋へと手を伸ばした。

「行って来ます。」
 俺は旗を預かると、外へ出た。
 今日も天気が良い。雨雲なんてどこにも見当たらねえ。
 暑くなりそうだな…。そう思いながら、うろつきモードに入る。
 このふざけたような「遅刻霊様御一行の旗」。見えてねーから、良いようなもんだが、これが、面白いくらいに、霊が引き寄せられてくるのだ。無言で近づいてきて、気がつくと旗に尻を引かれるみてーに、幽霊がふわふわとくっついてくる仕組みになっている。
 一体全体、どういう理屈で幽霊が引き寄せられるのかはわかんねーが、郁さんによると、死神の便利道具の一つなんだそうな…。
 こいつを手に歩きながら、世の中には、浮かばれねえ霊が結構いるもんだな…と、変に感心しちまう。
 もちろん、一般人には一切見えてねーし、幽霊だから物体を突き抜ける。
「あいやー。乱馬。何変な者、引きつれて歩いているあるか?」
 ちりんちりんと自転車の呼び鈴と共に、岡持を手にしたシャンプーと行き会った。そっか…。こいつにも、後ろの幽霊の団体が見えているみてーだな。
「ああ、こいつらなら、幽霊だよ。」
「幽霊?まだ、そんな変なのと関ってるあるか?」
「まーな…。アルバイトだから。」
 そう言いながら、俺は持っていた紙袋に手を突っ込み、ごそごそと念珠を差し出した。
「何あるか?これ…。」
 急に差し出された念珠を見ながら、シャンプーが不可思議に俺を見返した。
「郁さんに、幽霊が見える奴に会ったら、これを渡せって言われてさあ…。」
「くれるあるか?」
 少し、シャンプーの瞳がきらっと輝いたように見えた。
「ああ…。何でも幽霊が見えると、いろいろ厄介なこともあるみてーだから…。魔除けなんだとよ。」
「そういうことなら、有難く貰うある。」
 そう言いながら、俺の手にしていた念珠は無視して、いきなり、紙袋を開いて、勝手にごそごそやり出した。
「おい…。」
 慌ててシャンプーを制しようとすると、
「折角貰うある。なら、乱馬とおそろいの色のがよいね。」
「あん?」
「仲良い恋人、ペアで持つ。これ、当り前ね。」

…また、訳のわからねーことを…こいつは…。

 と思っていると、前から、これまた、この状況では会いたくねー奴が現れる。
 あかねだ。
「何やってるの?公道の真ん中で…。」
 シャンプーが絡むと、何でこう、こいつは高圧的になるのか…。ちょっとツンとした視線を俺に手向けて来やがった。
「あいやー。これ見るよろしっ!乱馬とおそろいある!」
 シャンプーはシャンプーで余計なことを吐きだして、あかねを煽ろうとしやがるし…。
「それがどーしたのよ…。」
 明らかに不機嫌な顔を、俺とシャンプーへと傾けて来るあかね。
「あ…。おめーも適当に選んでつけとけよ。」
 郁さんにあかねにも渡せと念を押されたことを思い出して、俺は念珠が入った紙袋をあかねの目の前に差し出した。
「はあ?」
 疑問だらけの顔を、俺に傾けて来やがった。
「その…何だ…。おめーには見えて無えかなあ…。」
 そう言いながら、背中の方を指し示す。
「何?何の真似?」
 ムスッとした瞳が俺を突き刺す。
「あかねには見えてないあるか。」
 ニッとシャンプーが笑った。
「何?もしかして、あの郁さんって人と、まだ、霊がらみの仕事やってんの?」
 ムッとしながら言葉を返して来やがった。
「まーな…。郁さんが言うには、この前、美玲さんと健太郎さんの件で、おめーも霊に関っちまったから…この念珠を渡しとけって言われたんだけど…。」
「あかねには必要ないね…。見えて無いなら。」
 シャンプーが脇から冷たく言い放つ。
「おい、こら…。ややこしくなるよーなことは言うなって。」

 そう言いかけた俺を無視して、あかねは言い放った。

「そーよね。あたしはあんたたちと違って、一般人だから…。幽霊が見えないの。だから、念珠なんて必要ないわ。」
 そう告げると、プイッと傍を離れようとする。
「おい…素直に、つけろって…。」
 そう差し出した俺を横目に、
「別に要らないわ。それに、あたし急いでるの。」
「どっか行くのか?」
「ええ…。泳ぎに行くのよ。」
「泳ぎにだあ?」
「ゆかとさゆりとプールへ行く約束があるの。じゃーね。」

 すっかりへそを曲げたあかねは、俺の傍を離れると、サッサと歩いて行っちまった…。
 なびきから回されたアルバイトのせいで、あかねをコーチするという約束は、いつの間にか「反故状態」になってしまっている。俺だって約束を果たしたいとは思うが、如何せん、身体は二つには割れない。女に変身できたとしてもだ…。
 そんなもんだから、あかねは俺に見切りをつけて、ゆかやさゆりとプールへ行っているようだった。

 あんまり深追いするのも気が引けて、結局、あかねには念珠を渡せずじまい。
 見えてねえなら、大丈夫かな…などと、素人判断。
 結果的にはこれがいけなかったようだ…。

 シャンプーと別れた後も、適当に街をうろついて、俺にくっついた幽霊を郁さんの事務所で引き渡し、旗を返して、天道家(いえ)に帰った訳だが…。

 家に帰りついて、驚いた。
 何故だか、天道家がひどくひずんで見えたからだ。
「あれ?…。」
 嫌な雰囲気を感じた俺。
「こりゃ、幽霊が居るかな…。」
 咄嗟にそう思っちまった。
 
 靴を脱いで、廊下を奥へ歩くと、だんだん「その気配」が濃くなってくる。
 茶の間に入って、びっくり仰天!
 居る…。否、居るなんて、生易しいものではない!
 あかねの背中のすぐそばで、そいつは浮き上がっていた。
 ふわふわ、ゆらゆら…と。
 よく見ると足は無え。いや、それだけではない。幽霊の性別は「男」だ。それも、俺たちと同世代…又は少し上の。しかも…海パン一つしか身につけて無え…。
 俺を見るなり、恨めしそうな瞳を手向けやがった。

「おい…あかね…。そいつは…?」
 指がそこで固まった。
「何?」
 幽霊を引きつれていることなど、恐らく、こいつは自覚もしてねーだろう。
 親父はどうかと、流し見たら…。奴め、苦虫を噛み潰したような顔つきをしてやがった。しかも、喋るのが億劫なのか、パンダ化してやがる。
 しかも、いつもより、大人しい。俺と視線がかち合うと、慌てて目を反らしやがった。

…やっぱ、見えてやがるな…。

 僕は何事も知りません…という態度があからさまだった。
 早雲おじさんも、なびきも、かすみさんも…誰もこの幽霊は見えていないようだ。誰も絡まねえし、それぞれ静かなことが、如実にそいつを物語っている。

「あかね…。俺と来いっ!」
 次の瞬間、茶の間で雑誌を読んでいたあかねの手を思い切り引っ張った。
「な…何よ?急に。」
 俺の予測不明な行動に、あかねの方が驚いたようだ。
 幽霊は黙って俺を睨みつけている。それに気後れしねえように、力を振り絞る。
「いいからっ!そのままじゃ、不味いっ!」
 俺も無我夢中だったので、掴んだ手をそのままに、玄関へと逆戻り。
「来いってどこへ行くの?」
「黙ってついて来いっ!」
 頑としてきかない亭主のように、俺は靴を履く。その間も一切、あかねの手を離さなかった。
「ほら、おまえも靴を履けっ!」
 明らかに困惑顔を浮かべるあかねに、俺は言い放った。俺の勢いがいつもと違う様子なので、反論も投げ返して来ねえ。そのくらい、鬼気としていたろう。
 何も説明しないのも不味いと判断した俺は、くつを履きかけたあかねへと、一言投げた。
「いいか、良く聞けっ!今、この瞬間…おめーの背後に幽霊が居るんだ!」
 へっと言う顔をあかねは手向けた。
「そのままほっとく訳にいかねえから…。郁さんのところへ行くぜ。」
 俺の剣幕に押しまくられたのだろう。あかねは、戸惑いながらも、コクンと頷いた。
 幽霊が傍に居るなどと、口走られたのだ。怖がりのあかねを恐怖に陥れるには、効果てきめんであった。

 夕泥む街を急いで歩きながら、一路、郁さんの事務所を目指す。
 黙ったまま手をつなぎ、速足で歩く。あかねも必死で、それにつき従う。
 俺が手を離さなかったのは、幽霊への宣戦布告だ。あかねに手を出してみろ…俺が許さねえ…。そう、気でけん制し続けた。

 階段を駆け上がり、重い扉を開け放つ。

「郁さんっ!」

「あら…。乱馬君?さっき帰ったんじゃあ…。」 
 ソファに寝そべっていた郁さんが、俺へと振り返り、ふうっと大きな溜息と共に吐き付ける。
「だから、あれほど忠告したのに…。念珠を渡さなかった訳ね…。」


「念珠?」
「ああ…昼間、つけろって言ったこれだよ。」
 じゃらっと俺は自分の念珠を見せる。
「シャンプーとおそろいの念珠なんでしょ?」
 こいつは…どこまで話を戻すつもりだ?…つーか、しつけーぞ!
「あれは、勝手にあいつが紙袋から取り出しただけで…。」
 言い訳が滑る俺も情け無え…。

「悠長に喧嘩してる場合じゃないわよ…。今更、念珠をつけたところでねえ…。これは専門家を呼ぶしかないわね。」

「専門家?」
「そんな人が居るんですか?」
「まーね…。でも、タダって訳にはいかないから…。悪いけど、一日分のお給金、我慢して貰うわよ、乱馬君。」
 郁さんはそう言いながら、事務所の隅っこにあった、懐かしの黒電話へと手を伸ばした。
 そして、徐にダイヤルを回す。

「あ…魂子さん…。郁です。藤代の…。ちょっと不味いことが起こっちゃって…。すいません、手を貸していただけますか?
……。そうですか。それで良いです。りんね君でしたよね?よろしくお願いいたします。」

 チンと電話を切ってから、郁さんは言った。

「私じゃ手に負えないから、死神を呼んだわ。」

「死神っ?」
 思い切り叫んじまった俺。
「ええ…成仏の専門家よ。心配しないで。彼、人間と死神のクオーターだから。」


……何か、おおごとになっちまったけど…。
 あかねのこの事態を回避させるために必要なことなら、仕方がねえか。

 あかねの背後でそいつは、ゆらゆらとうすら笑いを浮かべて揺れていた。




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