8月18日(月)
新たな試練?

 盆休みが明けた。
 今日から、再び、普通の生活が始まる。
 美玲さんという幽霊に悩まされ続けることもなくなった。
 何とか、美玲さんも健太郎さんも成仏させられたし…。

 ホッとするのも束の間、また、朝早くから、郁さんの事務所へと向かう。
 昨日は休ませてくれたが、月曜日から来いと言われたからだ。
 墓掃除やお盆モードは終わって、九時で良いと言われていたから、少し、朝に余裕が持てた。


 トントンと古いビルの階段を上がり、錆かけた思い鉄の扉を軽くノックして、ゆっくりと開き中へと入る。

 …どよーん…。

 薄暗く陰にこもった空気が、もわんと漂う室内。
 フッとカビ臭さも感じる。いや、生臭いとでも言うべきか。
 パソコンやら事務用品やら雑誌や本などが、散らからない程度に雑然と置かれている事務所なのだが、いつもの数倍暗いと、咄嗟に感じた。

 と、俺の気配を察したかのように、蛍光灯が、パッパ、パッパと点滅をし始める。
 あまり気持ちの良いものではない。
 
「おはよー…ございまーす…。」
 戸惑いながら声を発する。と、いくつかこちらを眺めて来る瞳と視線がかち合った。
 ざっとみても十人ほどの人影が、急に俺の視界の中に入ってきた。

(朝から、来客…にしては、多すぎねーか?)

 と思ったところで、視線を流すと、お化け電灯の下で、郁さんがコーヒーカップをすすっているのが目に入った。

「あ…?乱馬君か…おはよー。」
 郁さんが眼鏡を外して、寝ぼけ眼をこちらへと手向けて来た。
 何となく、ここで夜通し居たような雰囲気が漂ってる。髪の毛はボサボサだし、血色が悪い。

「あの…もしかして、泊まり込んでいたんですか?」
 俺は恐々と辺りを見回しながら尋ねた。

「まーね…。健太郎と美玲を見送ってからこちら、昨日から缶詰だったよ…。盆明けはいつもそーだから、慣れているんだけどね…。」
 ぼそぼそっと吐きつける。仮眠を少しとっていたのか、目が血走って赤い。
「あの…。郁さん…。」
「何?」
「その…奥にいる人たちのせいで…ここに泊ったとか…。」
 ぼそぼそっと、指を奥へ指し示しながら、囁くように尋ねかける。

「あ…そっか…。乱馬君も見えるんだっけね…。」
 フウッとため息を吐きながら、郁さんが気だるそうに俺を見上げた。
「あのー…。」
 俺は恐る恐る郁さんへと尋ねた。
「…っつーことは、ここに居る人たちって…。」
 コクンと揺れる、郁さんの頭(こうべ)。
「皆、幽霊さんよ。」
「やっぱり…。」

 よく見れば、部屋の隅っこで、それぞれ浮いている。押し並べて、膝から下が無い。何となく、顔色も悪いし、生気が感じられねえ…。

「でも、俺って、健太郎さんの遺品のお守りのせいで見えてたんじゃあ…。」
 汗を手でぬぐいながら、郁さんへと問いかける。
「多分、盆の一件のせいで見えてるだけだと思うけど…。」
「え?」
「健太郎さんの遺品をずっと付けていたのと、あの二人を成仏させたから、乱馬君にも、見えちゃってるんでしょー、多分…。」
 あふあふと欠伸をしながら、郁さんは俺へと気軽に説明した。

「あのぉ…。じゃあ、これからずっと俺の瞳の中に…霊が見えるんでしょうか…。」
 恐る恐る問いかける。できれば、勘弁して欲しい…。実体以外のモンなんて見たかねー。

「いや…一過性だと思うよ。」
「そーですか…。」
「多分だけどね…。」
「随分曖昧な答え…ですね。」
「ま、君の場合、普通の人間じゃないから…。一般的な範疇で考えたところでねえ…。」
「いえ、俺は、普通の人間ですけど…。」
「変身する人間が普通な訳ないでしょーが。」
 けだるそうに俺を見上げて笑った。
「ま、そーですけど…。」
 思わず、苦笑いを浮かべる。

「で?ここに居る人たちって…。」
「ああ、送り火に乗り遅れた人たちだよ。」
「はい?」
「毎年、何体か居るのよねえ…。送り火に乗り遅れて、霊界に帰れずに残っちゃう霊ってさあ…。」
 はああっ、と郁さんはため息を吐く。
「そら、人間だって、遅刻する奴が居るじゃない。肝心要な時に限ってさあ…。」
「ってことは、ここに居る人たちって…。」
「盆が終わって、帰れなかった霊の御一行様だよ。」
「御一行様ねえ…。」
 チラッと見る。愛そう笑いを浮かべつ奴、ひたすら暗い顔の奴…。軽そうな奴…。いろいろ個性があるようだ。
「この人たちって…身体が見えるってことは…。」
「成仏してない霊たちばかりよ…。」
「やっぱり…。ってことは…美玲さんとか健太郎さんと…。」
「同類ってことになるかしらねえ…。」
「はあ…。で?どうするんです?この団体さん。」
「ちゃんと、特別製の送り火を焚いて、あちらへお帰りいただくわよー。いつまでも、現世を彷徨ってちゃ、見える方も結構、嫌だしね。」

 確かに…。見える者にとっては、こんな団体…見たかねーよな。
 俺だって――できることなら、無視を決め込みたいが…。


「一人一人、返すのも面倒くさいし…。ここに集まって貰って、まとめて帰すつもりなのよ。ま、あんたにも見えてるってことは、あたしも助かるわ。」
「はい?」
「こっちの仕事も手伝って貰えるってことだから…。」
 と言って、郁さんはニッと笑った。
 そう言いながら、何か棒状のものを俺に差し出した。
 ハタキくらいの五十センチくらいの棒だ。先に布がまきつけてある。
「何ですか?これ…。」
「広げてみたらわかるよ。」
「旗か何かですか?」
 俺は先端に巻き付いている布切れをくるくると棒から引き離して広げながら問いかける。
「旗っちゃあ旗よね…。」

 ババーン、と広げた布。
 そいつは三角形で、先っぽが尖がっていた。
 赤地に黒色で文字が書かれている。

「何すか?これ…。」
 俺は困惑した顔を郁さんに手向けた。
「見たまんまのものよ。」
「見たまんまって言われても…。」
 広げた旗には、『遅刻霊様御一行』と黒文字でしたためられている。
 呪泉郷ガイドが持っている旗みてーだ。
「それを、持って歩いて貰うだけで、面白いくらい霊が寄ってくるわよ。」
 と、ニヤリと笑った。
「もしかして…これで、街を闊歩している霊を引き寄せて来いとでも…。」
「あら、飲み込みが早いわねえー乱馬君。それが、今日から三日間のあんたの仕事よ。」
「三日間…。」
「三日後の二十日に、まとめてあの世へ送り返すの。それまでの間に、たくさん引き寄せて来てね。」

「あの…。それが仕事だということは、わかりましたけど…。その報酬ってどこから出るんですか?」
 なびきのような問いかけを次に返していた。
 だって、この仕事が、誰かに依頼されてやっているような気がしなかったからだ。
「大丈夫よ…。しかるべき団体と契約を結んでいるから、ちゃんと報酬は払われるわよ。」
「しかるべき団体って?」
「死神組合よ。」
「死神組合?」
「ええ。彷徨える霊魂を成仏させるのは、死神の仕事だもの…。専門家にゆだねるのが良策でしょ?」
「は…はあ…。」
 非現実的な話に移行してきたので、俺はそのまま黙った。
 ま、呪泉郷が現存する世の中だ。死神だって存在しているのかもしれねーが…。居たと仮定しても、あんまり関りたくねえと思った。

「それから、これ。」
 と言って、郁さんは数珠の腕輪を俺に差し出した。
「これは?」
「この案件の仕事をしている間は、この「念珠」を身につけておきなさい。霊は大人しい奴らばかりじゃないから。下手をすると、霊障にひきずられちゃうからね…。…それから、あんたと関ってる人も、霊が見えると思うから、その分も貸しておくわ。」
 そう言いながら、じゃらじゃらと念珠の入った紙袋を俺に差し出した。
「あんたのお父さんと、周りに居る、呪泉被害者。結構いるんでしょ?周りに。」
「ええ…まあ。」
「昔から、呪泉郷関係者は群れを作るって言うしね。」
「そーなんですか?」
「ま、類は友を呼びたがるというか…。余分に入れとくわ。必要に応じて配りなさい。…それから、何て言ったっけ?あんたの許婚の彼女にも渡しておきなさいよ。」
「あかね…にもですか?」
「ええ…。あの子も、関っちゃったからねえ…。変身体質じゃなくても…見えるようになってるかもしれないわよ。」

 嫌な予感が俺の上を駆け抜ける…。

 また、面倒事に巻き込まれるんじゃーねーだろーな…。

「ということで、その旗持って、好きなように街を歩いて来てね。」
「この旗を持ってですか?」
 かなり嫌な顔を手向けたと思う。
 俺には見えるかもしれねーが、フツーの人間には霊は見えない訳だから…。こんなへんてこな旗持っていたら…。
「そんな顔しないでも大丈夫だよ。その旗は取っ手も含めて、一般人には見えないから。」
「はい?」
「この霊糸(れいし)で、背中にでも、くくりつけておけば良いわ。」
 そう言いながら、腰紐のような布の紐で、器用に背中にくくりつけられてしまった。

「ホントに普通の人には見えないんでしょーね?これ…。まともに見えてたら、俺、バカみたいですよ…。」
「男なら、細かいことは気にしないのっ!夕方まで、何していても良いからね。修行してても良いわよ。」
「この格好でですか?」
「ロードワークしても良いわよ。」
「この炎天下に…嫌ですよ…。」
「とにかく、夕方まで頼むわね。で、ここへ戻って来てくれれば、あの人たちと合流できるから。」



 …また、変なアルバイトな一日が始まったのだった。



☆Copyright 2000-2014 Ichinose Keiko All rights reserved.☆
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。