あれから、美玲さんは、俺の傍に侍っていた。
俺と親父だけが見えるから、尚更たちが悪い。
あかねはずっと仏頂面だし、他の家族は触らぬ仏に祟りなし…みてーな感じになっている。俺は俺で身の置き場が無え。
というのも、四六時中、美玲さんが俺の傍にくっついていることに、相当なやきもちを妬いている様子だ。
…というのも、美玲さんが、可愛らしい幽霊だからであろう。
確かに、親父が評するみてーに、どっかの集団アイドルグループの中に放り込んでも、見劣りがしないだろう。…ま、俺は幽霊になびくほどバカではねーから、彼女の容姿がどうだとーと、あんまり関心は無え。…ま、不細工より可愛い方が嬉しいのは確かだが…男なんて皆そんなもんだろーから…。
仕事(アルバイト)だから付き合っているだけで…。
でも、美玲さんが見えないあかねは、かなりいらついているようだった。
あいつの周りの空気が、ものすごーくよどんでやがるのがわかる。
あれからの最難関は、入浴だった。当然、風呂場では、美玲さんは俺の後を追って、風呂場に入って来た。
ドアに鍵をかけたところで、相手は幽霊だ。壁や戸板を抜け出て侵入するなんざ、お茶の子さいさい。
男に戻って湯船に浸っていたら、気付くと、湯の中に入ってきやがった…。
「わああっ!」
当然、両手を挙げて、驚いた俺。
『ダーリン、お背中流してあげるわ。』
「いつから俺はダーリンになったんだ?」
『もー、照れちゃってーっ!健ちゃんカッコ仮さんより呼びやすいから、これからはダーリンって呼ぶわねー。』
ぱしぱしと俺の背中を手で叩く。
「いい…背中くらい、一人で洗う…。だから、ここから出てってくれねーかな…。」
『遠慮なさらないで。何ならあたしもお洋服、脱ぎましょうか?』
「ぬ…脱がんでいい…。そのままで良い…。」
慌てて、ひきとめる。いくら幽霊といったって、素っ裸じゃ不味かろう…。もっとも、湯船に服着たまま入っているだけで、言語道断なのかもしれねーが…。
『もー、ダーリンったらウブなんだからあっ!』
パシッと背中を叩かれて、うごっとなる。
ぐわらぐわらぐわらっ
いきなり風呂場の引き戸が開く。
と、あかねが物凄い形相をして、竹刀片手にそこに立ち蓋がっていた。
「乱馬っ!あんた幽霊をたらしこんでるのねーっ!」
「何もしてねーよ。俺は風呂に入ってるだけだっ!」
慌てて言い訳する。勿論、嘘だ。傍に服を着たままとはいえ、傍には、美玲さんがプカプカ空に浮いている。
「嘘おっしゃいっ!おじさまっ!美玲さん、乱馬の傍に居ますよねっ!」
背後に目を丸くしている親父たちの顔が見え隠れする。どうやら、偵察に来たらしい。
「あ…ああ。美玲さんなら、乱馬のすぐ横で一緒に服を着たまま、浮きあがっておるが…。」
「ほらみなさいっ!この、破廉恥男ーっ!」
こいつ…俺が素っ裸で居ることなんか、目に入ってねーらしい…。だからと言って、湯船から出たら、ぶら下がっている俺の息子がまともに晒されることになる…。
「いーから、来るなーっ!あっち行けーっ!」
そう叫んじまったから、尚更あかねをたきつけてしまった。
「あんたねーっ!いつから節操無しになったのよっ!シャンプーや右京だけじゃなく、幽霊まで毒牙にかける気なの?」
…おい…俺がいつ、シャンプーやウっちゃんに毒牙をかけた?ましてや、幽霊に興味は一切無えーっつーのっ!
そう叫んでみたところで、激こうしたあかねがはいそうですかと引き下がる訳が無え…。
「頼むから、風呂くらいゆっくり入らせてくれーっ!」
つい、興奮して、湯船から出ちまった。
「きゃあああっ!何てもの、乙女の前に晒すのよーっ!」
『まあ…。素敵♪』
あかねからは竹刀による往復びんたを食らうし、美玲さんは訳わかんねーこと叫ぶし…。
「うご…。」
仰向けに俺、そのまま湯船に沈んで行く。俺は俺でノックアウト…。情けねーけど、そのまま目を回しちまった訳…。
気付くと、親父に担ぎあげられて、裸のまんま、二階の自室へ寝かされていた。
頭には冷たいタオル…かと思ったら、美玲さんの手だった…。幽霊の手ってのは、冷たいもんだな。
反対側には、これまたぶすっとした表情のあかね。
『両手に花か…』
真正面には親父がパンダに変化して、そんな看板を掲げていた。
…うっせぇー、これが喜んでいられる状況かっつーのっ!
朝ごはんのときも、美玲さんは俺にぴったりくっついて、箸を持って世話を妬いてくれるし…。美玲さんは実態が無いから、箸だけが浮き沈みしているみてーで、その様子を横目で見ながら、あかねはバリバリに怒りの気焔をあげてやがるし…。
『あーん…。ダーリン!』
「美玲さん…そこまでやってくれなくても良いから…。ご飯くらい自分で食べるよ…。」
『好いじゃない…。後一日のアバンチュールなんだから。』
「何がアバンチュールだよ…。」
『男は黙って、恋人の箸を受けなさいって…。ねえ、ダーリンっ!』
美玲さんの声はあかねには聞こえてねーだろーが、俺の言葉は聞こえている訳だから…。
「たく…。朝っぱらから、いちゃいちゃと…。」
ムッとした言葉を横から吐き付けてくるあかね。
…美玲さん、わざと、あかねを煽ってねーか?…
『やーね…この子、やきもち妬いてるわ。』
くすくすっと美玲さんはあかねを指差して笑う。
…たはは…。あかねに美玲さんの言葉が聞こえたら、俺は無事では居られまい…。
見えている親父は、目を白黒させて、俺と美玲さんをじっと凝視してやがるし…。あかねはあかねで、不機嫌だし…。
このままじゃ、いけねー。
たとえ、このまま盂蘭盆会が終わったとしても…下手すりゃ、変な禍根をあかねとの間に残しちまう…。
俺は一大決心すると、朝ごはんののち、郁さんの事務所へ行ってみることにした。なびきじゃ多分、らちが明くめぇー。
俺の移動と共に、勿論、美玲さんも一緒に漏れなくついてくる。
『ダーリン?どこ行くの?デートかしら?』
わくわくとした瞳を俺に傾けてきやがる。その後ろ側に、親父を伴ったあかねがくっついて来る。
朝ごはんの後、親父は強制的にあかねに人間モードに戻された。暑いから外に出たくないと拒否しかけた親父に、ジロッとキツイ瞳を手向けると、逆らえなかったらしく、すごすごと大人しくくっついてくる。
俺とあかねと親父…それから幽霊の道行きだが、美玲さんは他の人には見えてねーみたいだ…。
猫飯店の前を通ると、シャンプーが水をまいてやがった。
「乱馬?どこ行くね?…ん?その娘誰あるか?」
空に浮いている美玲さんを指差した。
…そっか、シャンプーは呪泉被害者だから、美玲さんが見えるんだっけ。道の選択を間違えたかな…俺。
「シャンプーにはあの子が見えるの?」
あかねが不機嫌そうに彼女に問いかけた。
「見えるあるよ…。誰あるか?あれ…。」
「見たところ、人間ではない様子じゃのう…。」
コロンばあさんも見えるらしく、杖を持って店から出て来た。
「そっ!昨日から乱馬が侍らせてる幽霊さんよ。可愛い子でしょ?」
あかねが吐き付けた。
…おい…その言葉…剣が無えか?
「日本人の美的意識、私にはわからないあるが…。」
と言いながら、シャンプーもムッとした表情を美玲さんに手向ける。
「そこの幽霊さんとやら…。何故、乱馬に取り憑いてるあるか?」
びっと指をさしながら、美玲さんに問いかけた。
『幽界との扉が再び開いて、私があちらの世界に帰るまで、ダーリンに面倒を見て貰っているの。』
「ダーリン?」
その言葉を耳にして、シャンプーの顔が曇った。
「いつから、おまえが乱馬の嫁になったねっ!」
ほら、語尾がきつくなったぞ。
『嫁じゃないよー。ただの恋人カッコ仮だよー。』
「恋人カッコ仮?何ねそれ…。」
『私にはちゃんと心に決めた健ちゃんっていう恋人が居たんだけどー。はぐれちゃったから、毎年、この盂蘭盆会の時期に、彼の代わりを務めて貰う、恋人カッコ仮お盆限定を紹介してもらってるのー。で、今年の相手が、このダーリンなの。』
きゃぴっと乱馬の腕に手を通した。
「乱馬、今の、本当あるか?」
あかねと違って、直接、美玲さんとやり取りできるシャンプーが、ずいっと迫って来た。
「あ…ああ。ちょっとアルバイトで…その、何だ…恋人カッコ仮お盆限定というのを引き受けたんだが…。」
ぼりぼりと頭を掻いて見せる。
「俺もまだ、事情が良くつかみ切れてねーから、バイト先のボスのところに行く途中なんだ。」
「ふーん…。ということは、お盆が終われば、この娘は居なくなるね?」
「多分…。」
「これから、そのボスのところに行くあるか?」
「ああ…。」
「わかったある。じゃあ、私もついて行くあるね。良いな?曾婆ちゃん。」
「うむ…婿殿の一大事なら、それを支えるのは、シャンプー、おまえの役目じゃ。店はワシとムースで回すから、遠慮せずに行っておいで。」
とにっこりと孫娘に微笑みかけた。
無論、俺の背後にくっついてきている「山の神」は、もっとぶすっとした表情を傾けやがった。
あかねと親父とシャンプーと幽霊と…。俺は郁さんの事務所へと向かった。
駅前のビルの一角にある、郁さんの事務所。
扉には「お盆休み、八月一六日まで」と書かれた紙が、ぺタッと貼ってあった。
「休みか…。」
少しがっかりして、ふうっと息を吐き付けると、
『私が見て来てあげるねー。』
そう言って、美玲さんがすっと扉の向こう側に消えた。
ややあって、俺に囁くには、『霊媒師さん、居たよ…。』
「霊媒師?」
美玲さんの言葉に思わず反応しちまった。
「インターホン鳴らしてみたら?」
あかねが後ろからぼそっと吐き付けた。
「だな…。ダメ元で…。」
ピンポーン!
勢い良くなる。…が、反応はない。
「ホントに中に人が居るんだよな?」
美玲さんに問いかけると、
『居るよー。』
「じゃ、も一回…。」
ピンポンピンポンピンポン…。
続けざまに押す。
「たく…。何度鳴らしたら気がすむんだいっ!あんたはガキかっ!」
ガチャット音がして、扉が開いた。
中から出て来たのは、ジャージ姿の郁さんだった。
「やっぱ、来ちゃったか…。…それも、たくさん引きつれて来たねえ…。」
髪の毛もぼさぼさのまま、郁さんが中へと迎え入れてくれた。
「ま、立ち話もなんだから…中に入りなよ…。」
そう言いながら、郁さんは俺たち四人と一人を中へと引き入れた。
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