8月14日(木)
依頼の正体
 朝…。ふと人の気配で目覚めた。
 手に触れる、冷たーい冷気。まるで、氷枕を抱いて寝ているような…。
 いや、手だけじゃねえ…。首筋にも何か走ったような気がする。
 誰か氷でも、俺の襟元に放り込もうとしてやがんのか?

 寝ぼけ眼をこすりながら、目を開いた。

「え゛…。」

 思わず、布団を跳ねのけ、ずさささっと後ずさる。

「うわああああっ!」
 思い切り、声をあげちまった。

 俺の目と鼻の先、その娘はにっこりと笑って浮いていた。長い髪がさわさわ揺れる。
 もちろん、見たことも無い娘だ。いや、それだけならまだしも…。彼女の左右脇には、これみよがしに、青い炎が揺れている…。
 いや、それだけではない。
 俺が目覚めたのを知ると、にっこりと微笑んで話しかけて来た。

『今年はあんたが私の相手をしてくれるのかしら?』
 と…。
 そう言いながら、ふわふわと浮き上がっている。
 明らかに人間ではない…。


 バタバタと廊下を駆け抜けて来る音がする。それも複数だ。
「何、何?」
「どうしたの?」
「朝っぱらから大声出して。」
 俺の悲鳴を聞きつけて、雪崩れ込んで来る天道家の面々。
 俺は、あわわと大口を開けたまま、その娘っ子を指差した。

「何、大泡吹いてるのよっ!」
 ずかずかっと踏み込んで来たあかね。
「だから…そこっ!」
 俺は右手を挙げて、人差し指で彼女をさす。
「何も無いわよ?」
 あかねはきょろきょろとあたりを見回して、首を傾げる。
「ねえ、お父さんたち、何か見える?」
 あかねが後ろ側に勢ぞろいした、天道家の面々へと問い質す。
「いや、お父さんには何も見えないよ。」
「あたしにも見えないわ。かすみお姉ちゃんは?」
「そうね…乱馬君とあかねちゃんだけしか見えないわ。ね?おばさま。」
「ええ。あなたはどうです?」
 そう問いかけられた親父は、あわあわと大きなパンダ目をヒンむいて、俺が指差した方向を凝視してやがる…。

「親父っ!てめーには見えてんな?」
 と叫ぶと、コクコクとパンダ頭が縦に揺れた。
「ぱふぉー!」『幽霊が居る!』
 さっと看板を挙げた。

「幽霊が居るですってえっ!?」
 天道家の面々は、互いに顔を見合わせて、大きく首をかしげて見せた。




「で?結局、俺と親父しか、こいつのことは見えて無えみたいだな…。」
 茶の間でぶすっと麦茶を飲みながら、天道家の面々を見渡した。

「っていうか、本当に居るの?」
 あかねがこわごわと俺に尋ねる。…そっか、こいつ、怪奇現象とか幽霊とか怖いんだっけ…。
「い…居るぞよ。丁度、あかね君の反対側の乱馬の真横に。」
 親父は人間に戻って、見えない他の面々に説明している。それを聞いて、ビクッとあかねの肩が動いた。

『そっか…。あなたも私が見えるのね…。手ぬぐいのおじさん。』
 幽霊は、ニッと笑って、親父へと視線を流す。コクコクと揺れる親父の頭。
 おびえ切っている様子だ。
「そんなに怖がらなくて良いわよ…。別にあなたたちをとり殺そうなんて、これっぽっちも思っていないから。」
 屈託なく幽霊は俺の傍で笑う。

 当然、天道家の面々には聞こえていないだろう。

「ねえ…もしかして、そこに居るのは、美玲さん?」
 なびきがポツンと声をかけた。

 幽霊はニッと笑った。
『あら、あなた、あたしのこと、見えてるの?』
 となびきへと問いかける。
 少しの間を置いて、なびきは言った。

「生憎、あたしには見えないけど…。美玲さんなんでしょ?」
 と適当に話している。

『そうよ…あたしは美玲よ。』
 幽霊は答えた。




 どうやら、なびきは、この幽霊のことを知っているらしい…ってことは、もしかして…。


「おい…説明しろ…。これって、郁さんのとこのアルバイトと関係してんだろ?
 俺はずいっとなびきへと詰め寄った。
「まーね。」
 澄まし顔で答える。
「やっぱりな…。」
 フッと俺はため息を吐きだした。
 何かあると思ってたんだ。
「ま、そんな怖い顔しないで…郁さんにも言われてるし、ちゃんと、説明してあげるから。」

 ニッとなびきは笑った。

 雁首並べて、天道家の面々は、俺と一緒になびきの話に聞き耳を立てる。

 なびきの伝えるところによると…。
 この少女の幽霊…美玲さんは、どうやら、依頼人の息子、健太郎の彼女だったらしい。
 で、二人、仲良く帰宅中に不幸にしてトラックが暴走してきて、巻き添えを食って死んじまったそうだ。
 つまり、悲劇のカップルだったそうで…。

「で?健太郎が現れるのなら、納得がいくが、何故その彼女がここに現れるんでい?」
 当然な疑問をぶつける。

「健太郎さんより、彼女の方がどうやら後で死んじゃったみたいよ。ねえ?美玲さん。」
 俺の横で幽霊がコクンと頷いた。

『私が天に召されたのは、健太郎さんよりも遅れること、三か月だったの。』

「つまり、タイムラグがあって、健太郎さんとはぐれちゃったらしくて…。それで、成仏できないまま、お盆のたんびに帰ってくるんだってさ…。」

「あん?それじゃあ、まるで、成仏できない霊魂がお盆に帰ってくるような話じゃねーか。」
「その辺は美玲さんに聞いたら手っ取り早いと思うけど?」

 この野郎…説明するのが面倒になりやがったな…。

「それはそうと…あんた、アルバイト料貰ってるんだから…わかってるとは思うけど…。」
「俺に面倒見ろってんだろ?」
「そーゆーこと。結構、可愛いでしょ?美玲さんって。」

 その言葉に、無関心を装って、勝手にやってればオーラを発していた、あかねの目つきがきつくなった。
 えっという表情を、なびきへと手向けたのだ。
「ほんと?その…美玲さんがかわいらしい人だってこと。」 
 速攻、親父に向けて問いかけやがった。

「なかなかの美人だと思うぞ…ワシは。」
 コクンと親父の頭が縦に揺れた。

…この、クソ親父…余計なことを…。

『きゃはっ!可愛らしいだなんて…嬉しいっ☆』
 きゃぴっと美玲さんが笑った。
「うんうん。笑顔なんて、素晴らしく。」

…この野郎、煽るような言葉を、ぬけぬけと…。

 流し見たあかねは、ムッとした表情になった。

…ほら見ろっ!言わんこっちゃねえ…。やきもちモードに入りやがったぜ…。


☆★☆

「で?何でおめーは俺にくっついてんだ?」
 あかねと親父以外の家族が立ち去った後、俺は美玲さんへと問いかけた。
『そんなの…決まってるわ。成仏させてもらえるように、霊界から舞い戻ったのよ。』
「率直に聞くが、健太郎は成仏したのか?」
『多分…したと思うわ。』
「何で健太郎は成仏して、おめーは成仏しねーんだ?」
『さあ…。』
 美玲さんは首を傾げた。
『細かいことはわかんないけど…。健ちゃんはあたしより三か月も先に死んじゃったみたいだから…。』
「三か月もタイムラグがあったのか?」
『うん…あたしは、事故から意識不明のまま、三か月眠ったままで、それでそのままお釈迦になっちゃったみたいだし…。きっと、あたしが一緒に居ないから、生き返ったと思って、先に逝っちゃったのかもね…。健ちゃんは…』
 とにっこり微笑みやがる。さらっと言えるような話なのか?それって…。

 俺と美玲さんの会話を、ちょっと離れた場所で、親父があかねへと噛み砕いて説明している。まあ、あかねには美玲さんは見えないし、声も聞こえねえから仕方が無えんだろーが…。
 相変わらず、ムスッとした表情を俺へ向けて傾けて来やがる…。

「お盆には、あちらに居る霊魂は、皆戻って来るんじゃねーのか?」
『成仏した人と、成仏できない人じゃあ、魂の階層が違うのよ。成仏できない人もそれぞれレベルがあってね…。』
「魂の階層だあ?」
『ええ…基本的にはお盆になると、あちらの世界でまだ転生していない成仏した人は、無意識な祖霊として、戻って来るの。で…成仏できないで狭間の階層で彷徨ってる人はあたしみたいに、生きていた時の姿のまんまで戻ってくるのよ。』
「俺、今の今まで幽霊にお目にかかったことってそんなに無えぞ。その話が本当なら、もっと幽霊を見ていても、良いんじゃねーのか?」
『そう誰かれもが見える訳じゃないわよ…。』
「じゃあ、単刀直入に聞くが、何で俺には見えるんだ?」
『そんなの決まってるじゃない…。そのお守りのせいよ♪』

 俺はハッとして、胸元を見た。
 そう言えば、郁さんから変なお守りを預かっていたんだっけ…。
 胸元をはだけて見る。「恋愛成就」のショッキングピンクのお守りが、眩く見えた。

 と…また、あかねの視線がきつくなったように思う。そんな刺すような目で見つめられてもだなあ…。

『そのお守りのせいで、あたしとチャンネルが合っちゃったのよ。きゃはっ!』
 何か喜んでねーか?こいつ…。
「俺に見えるカラクリはわかった…でも、親父に見えるのはどーしてだ?」
『あんたのせいが半分…それから、そっちのおじさんの体質半分ってところかな…。』
 チラッと親父を見ながら、美玲さんは言った。
『特異体質なんでしょ?匂いでわかるわ…。』
 と親父を見ながら言いやがった…。ってことは、呪泉関係者にはわかる訳か。


『お盆の三日間は、あんたが健太郎さんの代わりに、あたしの相手をしてくれるんでしょ?』
「あん?」
『だって、健ちゃんの家に行ってみても、彼の魂は別の階層にあるから、あたしには感じられないし…つまんないから…。毎年、盆のたびに健ちゃんの家ですねてたら、霊媒師の人があたしを見つけて…毎年、彼氏を紹介してくれるんだもの。今年はあなたなんでしょ?健ちゃんカッコ仮さん。』

「その健ちゃんカッコ仮さんってーのは何なんだ?おい…。」

『こういうこと。折角だからあ、三日間、恋人モードで楽しもうよ♪』
 ぴとーっとそいつは俺にくっついて来やがった。

…おい…そんな大胆な…。というか、幽霊なのに透けねえで実態みてーに柔らかいじゃん…。

 抱きつかれてたじっとなった俺の視線の先に…物凄い形相のあかねが藪睨みしていた訳で…。
 どうやら、親父が見たまんまをあかねへ伝達したらしい…。


「わかった!わかったから、俺にあんまりくっつくなーっ!」

 そう言いかけたところで、ばっしゃーんっ!
 あかねがバケツで俺の頭の上に、水を思いっきりぶっかけやがった。

「ちめてーっ!こらっ!あかねっ!いきなり何すんでーっ!」
 女化した俺は、怒声を挙げた。
『きゃはっ!あなたって、変身体質なんだーっ!楽しいーっ!』
 あかねの思いとは裏腹に、美玲さんは俺に頬ずりする。
「だから、やめろって…。」
 
 べしっ!

 大きな音がして、今度は真正面から花瓶が飛んできた。

 めこっ。

 俺の顔に容赦なく、ぶちあたる。


『ふふ、楽しい、盂蘭盆会になりそーだわー!』
 一人、美玲さんだけ、浮かれてやがった…。


 あー。勘弁してくれ…。畜生…これじゃあ、身が持たねえ…つーか、なびきめ…郁さんとつるんで、俺をはめやがったなーっ!

 そう、俺にとっては、地獄の盂蘭盆会が始まったのである。


 


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