8月1日(金)
八朔

 いよいよ八月に入った。
 
 一応、今日で最後の補習授業。
 朝から寝不足気味の眼(まなこ)を擦(こす)りながら、起き上がる。

 女子がそれぞれ、アドバイザーとして出来の悪い俺たち男子に教える…というスタイルで、昨日の午後から、天道家でお勉強会が仰々しく催されている。
 大介、ひろし、それからゆかとさゆり、そしてあかねと俺…。
 メンバーはその六人。

 女子はあかねとなびきの部屋に分かれて、夜は休んだようだ。一応、あかねの部屋に三人はさすがにきついからなあ…。というか、なびきが良く承諾したと思うが…。
 俺たち男子三人組は、一階の客間に布団を並べて雑魚寝だ。
 もちろん、エアコンなんて気の利いたものは無い。
 勉強会場と同じく、扇風機が数台、ブーンと音をたてながら、首を振る。
 おまけに、網戸はあるが、窓も開けっ放しだから、蚊帳(かや)が吊ってある。
 いまどき、蚊帳なんて死滅しているに近いから、それだけで、大介もひろしも舞い上がっていた。


 …というよりも、一日目は難なく、何事も起きずに暮れて、明けた。
 夕食も風呂の時間も、特に問題も無く、男女それぞれ、品行方正…。
 大介とひろしは、普通の奴らだから、不必要な争いごとも起こらねー。
 俺の周りに居る、呪泉関係者が非常識すぎるだけのことなのだろう。
 ここんところ、良牙も八宝斉のじじいの姿も見えねえから、太平だった。じじいなんか家に居てみろ…。おねいちゃん〜とか言って大騒ぎになることは目に見えている。
 ま、何事も無えってことは、俺にとってもありがたいことで…。

 いや、平穏なのは一日目だけだった。

 いくら、大介とひろしが常識的な高校生だとしても、そこは、お泊まり会。枕投げとまではいかないものの、夜なかなか眠れないのは世の常だ。エアコンも無えし、それなり蒸し暑いから、寝辛いこともあったろう。
 横になりながら、くっちゃべるのは、他愛のない事ばかり。

「おめー、あかねとどこまで進んでんだ?」
 ほら、こういう事を、必ず聞いてきやがる。
「別に、進んでねーし後退もしてねーよ。」
「嘘つけっ!許婚だし、祝言も挙げかけたんだから、んーなことはなかろー?
「こらっ、あらいざらい吐いちまえっ!」
「無えよ…。許婚ったって、名目上だけのことだっ!それに、許婚っつっても、居候だから、結構、厄介なこともあるんだぜ…。てめーらにはわかんねーだろーが…。」
 ムスッとした表情で、二人の尋問に答えさせられる。
 期待はずれ答えに、二人が納得する訳もなく。尋問は、やがて、互いの恋愛論にまで、話は及んで行く。
 大介もひろしも、健康な高校生男児だ。恋愛ごとの一つや二つ…悩みはあろうというもの。
 あかねのことは、俺に遠慮してか、とっくに諦めたようなことを言っているが、そんなに簡単に忘れられるもんでも無かろう。その辺りは俺でもわかるが、俺も、許婚の沽券があるから、あかねをみすみす手渡す気はさらさら無え。
 多分、隠していても、アリアリな状況で、あかねが好きだということは、殆どの奴らがわかっているだろーから、俺を差し置いてあかねに手を出そうと言う奴は、九能先輩と良牙くれーのもんだろう。
 あ…いや、もう一人…五寸釘って言う奴が居たっけ…。



 問題その一は、その五寸釘だった。

 今朝は朝の修行は休んだから、六時半頃、あかねたちに叩き起こされた。
 で、布団を上げて、この部屋で摂る、朝食のテーブルの準備など、男子三人でよっこらせっとやっていた時のことだ。
 ガサゴソと庭先の木が揺れた。

「誰だ?そこに居る奴はっ!」
 不法侵入者だ…。そう思って、傍にあった灰皿を投げつける。

 パコン…と音がして、誰かが木の上から落っこちた。
 見覚えのあるひょろんとした背中。思い切り影が差す、暗い奴…。

「五寸釘…また、おめーか。」
 思わず俺は苦笑い。こいつ、良く、あかねを隠し撮りしようと天道家に忍び込んで来る。
「この朝早いのに、ご苦労なこった…。」
 溜息と共に、嫌みを吐き出した俺。
 いつもなら、てへへと笑って誤魔化す五寸釘が、今朝は違った。

「許せない…皆揃って、あかねさんと同じ屋根の下で寝泊まりしてるなんて…。僕を差し置いて…。」
 ふるふると背中が揺れている。手には不気味な藁人形をいくつか握りしめている。良く見ると、俺やひろし、大介の名前が藁人形に書かれている。

「あのなあ…好きで寝泊まりしてんじゃねーんだよ。」
「そーそー、追試のお勉強会をやってもらってんだよっ!わかるか?」
 と大介とひろしが即座に答えた。

…いやいや、てめーら、やる気満々で、ここに来てんだろーが…。嫌々やってる訳じゃなかろーが…。

 そう突っ込みたかったが、グッと堪える。

「あかねさんに教えて貰う…楽しいお勉強会…。」
 心なしか、五寸釘の背中が嫉妬の炎で燃え盛っている。怖くはねーが、陰気な影が不気味だった。
「僕だって、追試を受けるのに…。何て、羨ましい…恨めしい…。」
 そのマイナスエネルギーに、そこに居た俺たちは、固まりかけた。

 そーいや、こいつも、漏れなく補習授業を受けていたっけ…。影が薄すぎて、あんま、印象に残ってねーが…。
 暗いだけじゃなく、こいつもバカだもんな…。(おっと、失敬。)


「あの…五寸釘君…。」
「はい?」
 あかねの呼び声に、振り向いた面は、目が血走っていた。
 その迫力に、俺でも一瞬、息を飲んでぞっとした。
「その…良かったら、あなたも加わる?」

 その言葉を聞いた途端、五寸釘の顔がぱああっと明るくなりやがった。

「え…良いんですか?あかねさんっ!」
 天にも昇って行きそうな顔つきだった。

「え…ええ。」
 明らか、勢いで言いやがったな…こいつ…。
 たく…。ストーカーを引き入れるか?…お人好し過ぎるだろーが。

 はああっと俺は、ため息。





 最後の補習授業を受けた後、大介とひろしに混じって、五寸釘も一緒にやって来た。
 完全なる「お邪魔虫ストーカー」だ。

 あかねたち女子組は、天道家に残って、朝はかすみさんの手伝いをして居る筈だ。もしくは、午後からの勉強会に備えて、いろいろ作戦を練ってるか…。

 帰ったら、早速、みんなで昼飯だ…。

 そう思ってくぐりぬけた、天道家の門。


 この香ばしい匂い…。え?お好み焼き?…。

 玄関をする―して庭に回ると、ウっちゃんが、鼻歌交じりでお好み焼きをやいてやがるのが目に入った…。

 いや、ウっちゃんだけじゃねえ…。
 外から茶の間を見ると、シャンプーとコロンばあさんがムースを連れて、かいがいしく動き回っているのが見えた。
 で、俺と視線が合うや否や、
「あいやー、乱馬。おかえり。今日はみんなが集まると言うから、特別的料理作るあるよー。たくさん召し上がるよろしいっ!」
 と、すりすりと身体を擦り寄せてきた。
「でえっ!暑いからくっつくなーっ!」
 俺が声を張り上げると、後ろ側で、ウっちゃんとあかねの殺気染みた瞳が、こっちを睨んでやがる…。

 ええ根性してるやないか…。
 好い身分ね…。

 というウっちゃんの歯ぎしりと、あかねのフンという大きな声が、聞こえてきそうだった。
 いや、それだけじゃねえ…。
 案の定、投げつけられるコテと鉄板。

 殺気を感じた俺はシャンプーを突き放した。が、俺はまともに、あいつらの攻撃を食らってしまった。

 ぐえ…。

「おめー、仮にしも、武道家じゃねーのか?」
「これくらい避けられなくて、武道家、つとまるのか?」

「うるせー。あいつらの、急襲を完全に避けるのは案外難しいんだぞ…。」
 背中にコテ、頭に鉄板をかしずいたまま、俺は思わず吐き付ける。その先に、三つ巴になって言い争う、シャンプーとウっちゃんとあかねが見える。

「もてる男はつらいなあ…。」
「んーだ…。しかも、一筋縄じゃいかねーツワモノ女子にばっかもててるよな…乱馬は…。」

「何なら変わってやろーか?」

「いや…遠慮しとくわ…。」
「俺も…。」

「羨ましい…というより、恨めしい…。」
 五寸釘がボソッと耳元で囁いた。

 でえええっ!こいつは、また、唐突に至近距離に現れやがって…。


「あらあら…、おかえりなさい、乱馬君。
 お昼ご飯と夕ご飯は任せて欲しいって、右京さんとシャンプーちゃんがわざわざ来て下さったのよ。」
 にこにことかすみさんが、脳天の上で笑っている。

 なびきが、また、要らぬ情報をこいつらに筒抜けさせたんじゃねーのか?
 そうに違いねえ…さっきから、なびきが、こっちをニヤニヤして見据えて来やがる。

『ご馳走っ大歓迎っ!』
 親父が脳天気にパンダになって踊りまわる、天道家の庭先。


 はああ…こいつは、勉強会どころじゃねーな…。
 テストは月曜日だってーのに…。

 いや、これが通常ならば、俺も、こういうドンチャン騒ぎは好きだ…。だが、元々は俺たち追試組のお勉強会の集まりだった訳で…バーベキュー大会じゃねえ!

 俺の危惧は現実になる。
 やんややんやの野外昼食。それから、なし崩しに夕食まで…。

 ひろしや大介も、もう、勉強会のことを忘れてやがるぜ…。
 こちとら、切腹がかかっているんだぞーっ!

 そう叫びたい中、右京とシャンプーにまとわりつかれて、それどころじゃねー。
 無論、あかねの冷たい視線付きだ。
 俺の後ろ側でアヒル化したムースが、鋭いクチバシで突っついてきやがるし…。
 

 案の定、この泥沼のドンチャン騒ぎは、昼間から夜にかけて、繰り広げられてしまった。
 天道家の庭先は、俄かバーベキュー会場…。
 親父たち大人は、お酒がまわって、ぐだぐだ状態。
 ウっちゃんとシャンプーは俺の頬に別々にキッスを投げかけると、ご機嫌さんで帰って行ったのが、十時前。

 おい…勉強会はどーなったんだ?勉強会は…。

 宴会がはねても、まだ浮かれている、他の連中の姿をぼんやり眺めながら、俺は一人、笑いながら引きつっていた。


 


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