◆魔の熱帯夜 前編

一、

 二泊三日のお勉強会。
 いよいよ、佳境だと言いたいところだが、その実、二日目は、バーベキュー大会にすり替わって、全く進展なしに終わった。
 「賑やかし」が好きな天道一家だ。乱馬の事情など、そっちのけで、夏の午後を楽しむ。

 日が落ちて、夜になると、涼しくなった分、賑やかさが一層増した。
 さすがに未成年なあかねや乱馬たちは、お酒を飲む訳にはいかず、ソフトドリンク中心であったが、早雲や玄馬は、ご両人とも出来上がって、真っ赤な顔で踊り歩いている。
 玄馬などは、パンダになって、皿回しや腹芸などを、お茶目にお披露目している始末だ。

 勉強会が潰えたばかりか、乱馬は乱馬で、ウっちゃんやシャンプーに好いようにすり寄られる。
 これまた、優柔不断な男だから、ガンと拒否することもできず、成すがままに様々な料理を口へと放り込まれ続けた。
 面白くないのはあかねだろう。あかねも、かすみの後ろ側で、材料を切ったり、皮をむいたり奮闘していたが、名うての不器用娘だ。
 あかねが切った野菜はすぐ明らかになる。
 味付けはするなと、かすみやのどかに言われていたようで、もっぱら、下ごしらえ隊に専念していた。

 口の悪い乱馬は、つい、あかねの切った野菜を箸でつかみ取り、
「…たく…。あかねの切った奴は、いびつだなあ…。この不器用な形…。誰でもすぐわかるぜ…。」
 などと、悪態を吐くものだから、つい、パンチがあかねの強肩から飛び出してしまうのだった。

 これも、いつもの風景。
 これで、仲良く同じ空間に居られる筈もない。




 しかしまた…。
 ややこしい状況は、更にややこしい状況を誘い込む。それもまた、天道家の常であった。

 宴もたけなわになった頃、そいつは、いずこからか、帰宅した。


「たっだいまー。…おおお、貴様ら、ワシの留守中に楽しげなことをやっておるのー。結構、結構!」

 それは、天道家の居候その四、一番、たちの悪い食客・八宝斉の帰還だった。

 八宝斉の爺さんは、常に天道家に身を置いて居る訳ではない。
 疾風の如く現れて、幾日か過ごして行ったかと思うと、いつの間にかまた、姿が見えなくなるのである。それを、天道家へ来て以来、ずっと繰り返しているのだ。
 女乱馬に水着をプレゼントして、蹴り飛ばされて以来、しばらく姿をくらませていたのだが、唐突に帰って来たのである。
 大方、どこかの海辺でも行って、アバンチュールでも楽しんでいたのだろうか…。
 この爺さん、腕っ節が強い上、女好きのどスケベときている。

「帰って来て欲しくねー奴が、帰ってきたか…。」
 乱馬は、爺さんの姿を見つけると、ふううっとため息を吐き出した。

 そう。今夜も天道家に、大介、ひろし、五寸釘、それからゆかとさゆりが泊まることになっている。そんなややこしい最中、一番、ややこしい奴が帰って来たのである。
 乱馬の顔が曇るのも、いた仕方あるまい。
 周りは、すっかりドンチャン騒ぎになっていて、八宝斉が帰って来たことなど、他に気に留める者も居なかった。
 そんな八宝斉を乱馬なりに気を遣って、見張っていた。あかねが襲われるのを、この少年は一番嫌っているし、ゆかやさゆりたちも居る。
 被害が彼女たちに及ばぬように、八宝斉の一挙手一投足に、気を配って見張っていた。

 いつもなら、女性陣の中に、無理やりにでも入り込んで、気を引こうとする。そして、隙あらば、女体へ張り付き放題、好き勝手やらかすのに、今夜はやけに存在感が薄かった。
 乱馬を女に変化させようともしなかったし、あかねやその友人たちにも一切、手を出さなかった。いわんや、シャンプーや右京、かすみやなびきにもだ。まるで、わざと己の存在感を消しているのではないかと思うくらい、女体進撃をしなかった。
 女体に興味を示さないかわりに、そこらじゅうにあるご馳走に、手を伸ばしている。
「オー、久しぶりのご馳走じゃあー!」
 とか何とか言いながら、もごもごと口を動かしていた。
 
「何か、やけに今夜はおとなしいじゃねーか…。酒もあんまり食らっちゃいねーよーだし…。」
 つい、穿った瞳を手向けてしまう。それもこれも、いつもこの爺さんにやられっぱなしの乱馬だからこそ、気になったのだ。
「ただ、腹が減ってるだけなのかな…。にしても、気に食わねえな…。」
 がつがつと次々、ご馳走を胃袋の中に入れて行く八宝斉。

 しかも、八宝斉は、ご馳走をたらふく食うと、「わしゃ疲れているから、先に寝るぞーっ!」と殊勝な言葉をかすみに投げつけると、とっとと母屋の中へと入って行ってしまった。

「じじいでも、疲れることがあるのか?」
 八宝斉が視界から消えると、首をかしげた。
「戻って来る気配も無いところを見ると、とっとと寝る気かな…。」
 八宝斉に気を取られ過ぎて、もう一人、この場から姿を消した奴がいることに、乱馬は気がつかなかった。

 この場からもう一人、姿を消した奴…。
 五寸釘だ。
 彼の場合、あまりにも存在感が無さ過ぎて、乱馬もスル―してしまった。
 それが、大きな禍を招こうとは…。五寸釘の気配が消えたのを、微塵も感じ取れなったのは、乱馬の落ち度であったと言わざるをえまい。





「しめしめ…上手くいったのー。」
 八宝斉がクスッと座敷の押入れの中で笑った。
「そうですね…。」
 その傍らで五寸釘も、にんまりと不気味な笑みを浮かべていた。
 どうやらこの二人。結託している様子だった。
「っと…天井裏への侵入路はこっちじゃ。」
 八宝斉は五寸釘へと声を投げかけた。
 勝手知ったる天道家の間取り。隅々まで知っている。
 天井裏から配線を這わせることもあるため、必ずどこかに天井裏への入り口がある。だいたい、押入れの天井に入口がある。
 八宝斉と五寸釘は、よっこらせっと、奥座敷の押入れから天井へと上がった。
「だいたいこの辺りかのう…。」
 にんまりと八宝斉は笑いながら、天井板を丁寧にはがし取る。
 それから、シュタッと部屋に降りると、きょろきょろとあたりを見回す。
「まずは、一つじゃ。」
 そう言いながら、八宝斉は、部屋の隅っこにすっと一つ、筒状の置物を置いた。
 家具が視覚になっていて、置物は見えないことを確認すると、八宝斉は、えいっと天井に這い上がる。天井裏へと戻ると、開けた天井板を元通りに戻して閉じる。
「次へ行くぞいっ!」
「はい…。八宝斉様。」
 ごそごそと、天井裏を移動する、八宝斉と五寸釘。
 何故、この二人が結託しているのか…。


 それは、昨夜のことだった…。

 お勉強会一泊目。
 乱馬たちがそれぞれのクラスメイトと眠りに就いていた丑三つ時。
 五寸釘は天道家へと侵入しようと、その庭先に現れたのだ。
 手には何か怪しいグッズを持っていた。

『ぐふふ…こいつの利き目を試す時が来た。』
 にんまりと笑いながら、五寸釘は天道家の前に立つ。
『あかねさん…今日こそ、君を早乙女の魔の手から救ってあげるからね…。』
 そんな言葉を吐きながら、ぐっと拳を握りしめる。
 天道あかねの熱烈ファンにして強烈なストーカー。それがこの五寸釘光という少年だった。 

 どっこいしょっと塀をよじ登ろうとしていたところ…そこへ、時を同じく、真夜中に帰宅した八宝斉。
『やややや…誰じゃ。こーんな夜更けに、塀を登る怪しの影っ!泥棒さんか?』

 八宝斉はトンと五寸釘の上の塀に立ちはだかった。真夜中にうろうろしている己の怪しさは棚に上げて、八宝斉は、五寸釘を塀の上に引き上げて、その首根っこを押さえつけた。これでも、武道の達人だ。五寸釘など、相手にならない。
『決して怪しい者じゃありません。僕はただ、早乙女の奴にひと泡吹かせようと、ここに忍んで来ただけです。』
 バタバタと手足を動かしながら、五寸釘は八宝斉へと言い訳をした。
『ほお…乱馬にひと泡吹かせるとな?』
 穿った瞳で五寸釘を見下ろす。
『は…はい。』
『おぬしにそんな真似ができるとは、到底思えんが…。』
 八宝斉は五寸釘をチラッと見た。己の足下に組み敷いた五寸釘のひょろ腕では、乱馬をひと泡吹かせるどころか、帰り打ちに会うのが関の山だ。
『これさえあれば、きっと…。』
 無我夢中差しだした物…。袋に入った物を八宝斉へと見せた。
『何じゃ?どら、見せてみよ。』
 そう言って、五寸釘の手からさっとその袋を取り上げた。
『こ…これは…。伝説の吸引軟膏…ではないかっ!』
 と、その袋を見て、キラーン、と八宝斉の瞳が輝いた。
『そ、その軟膏のことを、知っておられるのですかあ?』
 五寸釘はハッとして八宝斉を見上げた。
『知らいでかっ!これぞ、幻の吸引軟膏…。おぬし、これで乱馬を出し抜こうとしておったのか?』
 八宝斉の瞳が険しくなった。
『い…いけませんでしたか?』
 ドキドキした表情で五寸釘が八宝斉を見返した。
『いや、折角、手に入れたんじゃ…。使ってみるのも面白いかもしれぬな…。おぬし、この件、このワシに預けてみんか?』
 にんまあっと八宝斉が笑った。
『と言いますと?』
 きょとんと五寸釘が八宝斉を見た。
『悪いようにはせん…。多分、お主より、ワシの手ほどきで、もっと、こいつを上手く利用できるじゃろーて…。何、安心せいっ!お主にも甘い汁を、思う存分、吸わせてやるぞい…。ぐふふふふ。』
 助平極まる表情を、八宝斉は五寸釘へと浮かべた。


 五寸釘が、天道家に忍んで朝方乱馬たちに発見されたのも、直情的にあかねに訴えかけて、お勉強会に潜り込んだのも、実は、用意周到に、八宝斉によって仕組まれたことだったのである。



 二階の天井裏で、八宝斉と五寸釘は、互いに、親指を上げた。
「設置完了です。」
 五寸釘がニッと笑った。
「後は、この家の者たちが、眠りこけるのを待つだけじゃな…。」
「ですね…。くふふふふ。」
「念には念を入れて…乱馬にはワシ、自ら対策を練ってやろう…。」
 ニッと八宝斉が笑った。
「そうしていただけるとありがたいです。」
 五寸釘は笑った。
「では、あとは手筈どおりに…。ゆめゆめ、乱馬たちに悟られるなよ。」
「任せてください!」
 五寸釘はそう言うと、天井裏から這い出て、何食わぬ顔で、庭先のバーベキュー大会へと戻って行った。

「さて…ワシは、時間まで一休みするかのー。」
 チョンと奥座敷へと立ち戻ると、自分の布団を引き出し、その上に横たわる。と、すぐに寝息を立て始めた。
 この辺りも、達観していた。



二、

 それはさておき…。

 真昼間から始まった、真夏の宴会は、十時ごろお開きになった。
 シャンプーや右京はそれぞれの寝屋に帰宅して行った。



 二人とも、なし崩しに、そのまま天道家に泊まらんばかりの勢いだったが、乱馬が帰宅を促したのだ。
 無論、無策で二人に説得を試みたのではない。
 このまま二人に泊まられては、明日も勉強会は開けまい。そう危惧した乱馬は、天道家の策士、なびきへと相談を持ちかけた。
 幾許かの料金をぼられるのは、覚悟の上だった。
 明日こそ必死で勉強せねば、この夏を無事に過ごせない。追試まであと丸二日。このままでは切腹確定だ。

「どーにかなんねーかな…。」
 こそっとなびきへと問いかける。
 もちろん、また、後でたかられるだろうが…背に腹は代えられなかった。
「あら、簡単にあの二人を追っ払える方法があるわよ。」
「ホントか?あの二人だぜ…手ごわいと思うけど…。」
「あたしのいうとおりにやれば、大丈夫よ。」
 なびきにこそっと対処法を乱馬の耳元へと流し込む。
「なるほど…。その手が一番、リスクがねぇーか。」
 友人たちがいっぱい泊まっている手前、あからさまな手段に出ることは出来なかった。

 右京とシャンプーに穏便にお帰りいただくために、乱馬は手持ちのカードを切るように、なびきにアドバイスされたのだった。
 そう、例のランチの件だ。

 あかねがかすみと飲み物を取りに台所へ行った隙に、二人に駆け寄って、すっと告げた。

「あのよー。今日のところは、俺に免じて、大人しく帰ってくれねーか?」
 まだ、居たい気持ちが高ぶる二人に、真摯に言い放つ。

「何であるか?皆泊まるのに、私らは泊まれないあるか?」
「うちら、天道家に泊まっていったらあかんのん?」
 双方とも、当然、納得できないという顔だ。

「あ…俺たち、本当は勉強会やるんで集まってるんだ…。で、明日はちゃんと勉強会をしねーと、追試が…やべーんだよ。」
 チラッと二人を見返しながら、焦った顔を作って見せる。
 それから、殺し文句を一つ。
「一回で追試に合格しなきゃ、ランチ巡りは没になるけど…。いいかな…?」
 と乙女心を揺さぶって見せる。

 一番手はシャンプーで、二番手が右京だった。
 当然、没にする気はさらさらない彼女たち。

「それは困るね。」
「ウチもそれはちょっと…。」

「だったら頼むよ…。俺をまともに勉強させてくれっ!」
 乱馬は地面に土下座して、二人に相対した。

「そこまで懇願されたらしゃーないな…。」
「わかたある。今夜は大人しく帰るある。でも、ちゃんとランチの約束は守るあるよ?」

「ああ、男に二言はねえ…。」

「約束ね。じゃおやすみある。」
「乱ちゃん、待ってるでー。おやすみっ!」

 乱馬の殺し文句は有効だったようで、二人は、商売道具を抱えて、戻って行った。
 帰り際に、これ見よがしに二人、競い合うように、乱馬の頬へとキッスを投げて…。

「もてる男はつらいわねえ…。」
 なびきが影からこそっと吐き付けた。
「微塵も、思っちゃいねーだろ…おめーは…。」
 ムッとしてなびきへと言葉を投げる。
「おやすみのキスかあ…。」
 ニッと笑うと、なびきはどこかへ行ってしまった。
「…俺だって、好きで貰ったんじゃねーやい…。」
 ボソッと吐き出す言い訳。
 そこへあかねが戻って来た。


「あれ?右京やシャンプーたちは?」
 シャンプーと右京にまとわりつかれていた乱馬が、一人、ぽつねんとそこに立っていたからだ。

「あの二人なら、さっき、帰ったぜ。」
「え?帰ったの?」
「ああ…。」
「いやに、素直に帰って行ったわねえ…。」
 怪訝な顔で乱馬を見返す。
「あんた、何かあの二人に言ったの?」
 猜疑心いっぱいの瞳が乱馬を刺してくる。
「べ…別にたいしたことは言ってねーけど…。ま、あれだ、追試に合格しねーと、俺に夏休みが来ねえ…みたいなことを全力かけて説得したんだよ…。」
 あかねにはランチのことも内緒だった。
 ここで知られては一大事。そんな想い満タンでですっとボケる。

「ふーん…。」
 あかねは至近距離まで近寄って、じっと乱馬を舐めるように見た。
 暗がりで良く見えなかったが、さすがに傍まで近寄ると、顔が見渡せる。そして、何かを見つけたようだ。
 途端、あかねのその瞳が、険しくなった。
「あんた…その頬…。」
 ギロリと視線が刺して来る。
 グッとチャイナ服の襟元をつかんで引き寄せられた。

 ハッとして、頬に触れる。

 さっき、帰り際にシャンプーと右京が、両頬にそれぞれ、キスをして行ったのを思い出した。
 手でなぞると、微かに紅が両頬から削り取れた。シャンプーも右京も軽く口紅かリップクリームを塗っていたようだ。

 咄嗟にそれを擦り取ろうと動作するのは、後ろめたい証拠。

「あ…いや、これは…その。」
「ははーん…去り際にキスされた訳ね。」
 ずいっと迫って来る視線に、口をあわあわさせている。適当な言い訳を探すが、見当たらない…。
 まさに窮地。本妻に浮気現場を抑えられた亭主だ。

「ま…いーわ。あんたにしては、上出来かしらね…。」
 あかねはすいっとつかんでいた乱馬のチャイナ服から手を引いた。

 へっとなってあかねを顧みる。

「頬だけだったわよね?」
 と返す口で、再確認された。

「あ…あったりめーだっ!」
 慌てて、言い返す。

「じゃ、いいわ…。それに…帰ってくれた方が、勉強会もこれ以上邪魔されないですむでしょうし…。」
「そーそー。本来の集まりの意図を忘れかけてるしなあ…。あの連中も。」

 ハハハと笑いながら、少し先を見渡す。

 まだ、そこらじゅうに残っている、料理や飲み物を、片づけるつもりで、大介もひろしも、口を動かし続けている。ゆかやさゆりも、お喋りに夢中だ。

「そーよねえ…。明日はちゃんとやらないと…。三人とも追試がやばいわよねえ…。」
 この時点で、あかねの記憶から、五寸釘の存在は消え果てている。
「ああ…。だから、明日はちゃんと教えてくれよ。期待してるぜ。」
 トンとあかねの背中を叩いてみた。
「ええ、腕によりをかけて、勉強に付き合ってあげるわ。」
 にっこりと微笑み返された。
 シャンプーと右京が居なくなれば、あかねも機嫌の悪さが抜けて行く。彼女にも余裕が出るのだろう。

「あかね…。」
 その笑顔の可愛さに、つい、伸ばした腕をあかねの肩へ持って行こうとした刹那…。

「あかねさん…。僕にも、ご指導、お願いします…。」

「わっ!」「きゃっ!」
 唐突の五寸釘の乱入に、乱馬もあかねも素っ頓狂な声を張り上げた。
 ぬぼっと、引きつった表情で、二人の間へと割り込まれたのだ。驚かぬ筈がない。
「ご…五寸釘君…。」
「おめー、そこに居たのか…。」
 二人とも、武道家のくせに、五寸釘の気配を読めなかったのだ。びっくりした表情を彼へと傾ける。多少、心臓もドキドキと高鳴っていた。

「ええ…あかねさんの居る所なら、たとえ火の中水の中…僕は追いかけますよ…。」
 にんまあっと笑ったその笑顔。

「そ…そら、ご苦労なこった…。こんな不器用女の後追いなんて……。」
「誰が不器用女ですって?」
 ジロッとあかねが乱馬を見返す。
「おめー以外に居るか?この、不器用猿女っ!」
「何ですってえっ?このスケベ男っ!」
「誰がスケベ男だとお?」
「頬にキスされたくらいで、嬉しそうに鼻の下伸ばしちゃってさー。」
「の…伸ばしてねーっつーのっ!あれは不可抗力だっ!」
「どーだかっ!」
「あー、根に持ってやがんのか?俺がもてるから。」
「誰が根に持つもんですかー。バカァッ!」

 また、言い合いを始めるのは、この二人の常で、五寸釘の存在は、二人の視界から消えさ去るのだった。
 いつもなら、無視されて、しくしく泣き出すのが関の山だが、この時の五寸釘は少し様子が違っていた。
「ま…そんなに親しげに喧嘩できるのも今夜限り…。うふふふふ。うわっはっはっはー。」
 五寸釘はそんな高笑いを吐き付ける。至近距離で五寸釘が笑い転げていても、乱馬とあかねはお構いましに、言い合いを続けていた。

 そんな五寸釘を、一人、好奇の目で追いかける人物が、また、そこに居た。
 五寸釘の不敵な高笑いが目に引いたのだろう。

「急に勉強会に参加した…五寸釘君…。それに、何の前触れもなく戻ってきた八宝斉のお爺ちゃんか…。あのエロ爺さんが、あかねのクラスメイトたちに感心を全く示さなかったし、散々飲み食いしてそのまま母屋へ入っちゃったし……これは、何かありそーね…。」
 ピクンとなびきの触手に引っかかったのだった。

「考え過ぎかもしれないけど…やっぱ、何かあるんじゃないのって…気になるのよねえ…。」
 なびきはウンと一つ頷くと、庭の片づけもそぞろに投げ出して、母屋へ向けてかけ出して行った。



 大所帯になると、風呂に入るのも時間がかかる。
 天道家の風呂は、結構広いので、同性同士二人ペアになって入ることにした。一人が身体を洗っている間に、一人は湯船に浸るのだ。
 ゆかとさゆり、あかねとなびき、かすみとのどか、早雲と玄馬、大介とひろし、そして最後に乱馬と五寸釘。
 この組み合わせで入った。
 爺さんはもう寝ているので、数から外れる。

「早乙女君は好い身体しているねえ…。」
 五寸釘が感心して見せた。
 この前の恥ずかしい水着の痕は、上半身裸体のまま、日なたで修行をするという乱馬の努力で、ほとんど感じないほど薄くなっていた。
「お…おめーがひ弱すぎんだよ…。ちったあ、運動したらどーだ?」
 ちろっと五寸釘の貧相な身体を見た。思った通りのひょろひょろ身体だ。
 骨と皮ばかりで、あばら骨が透けて見えそうだった。

「ホントに、好い身体しているよねえ…。」
 すうっと五寸釘の指が乱馬の背骨をなぞった。
 と、ぬめった感覚が背中を突き抜けて行った。

 ゾワゾワッと粟粒のように、鳥肌が立った。

「こらっ!いきなり何しやがるっ!」
 思わず、声が荒がる。

「いやあ…見事なもんだなあって思って…。ちょっと触らせて貰っただけだよ。」
 クスッと五寸釘が笑った。

「…たく、気色悪い…。」
 乱馬はタオルを持って、背中をごしごしと洗い始めた。
 石鹸を思いっきり泡立てる。

「そんなに、思い切り洗い流さなくても好いじゃないか…。」
 五寸釘が湯船から声をかけた。
 それには答えず、ひらすらに背中をごしごしやって、それから、ジャバジャバとシャワーで石鹸泡を流す。
 その背中をじっと眺める五寸釘。ニッと口元には笑みが浮かんだ。

 もちろん、乱馬は何も気がつかなかった。
 ある意図を持って、五寸釘が背中をなぞったことなど、気にも留めなかった。

「ウヒヒヒヒ…これで、君の逞しい身体は僕の物だ…。石鹸で流したところで、この吸引剤は落ちないよ…。くくく…。」
 五寸釘は持っていた小さな軟膏容器を持ったまま、ひっそりと笑った。

「ほら、交代だ。」
 乱馬はそう促すと、湯船へと身を浸した。
 その気配を背後に感じながら、五寸釘は持っていた軟膏を、自分のタオルへと塗り込む。そして、背後の乱馬へと声をかけた。

「早乙女君、悪いけど、背中をごしごしやってくれないかな?」
 そう言いながら、タオルを差し出す。
「あん?自分でできねーのか?」
「ええ…。僕、力が無さ過ぎて、自分でやると、ごしごしやれないから、お願いします。」
「ガキか…てめーは…。」
 苦笑いをしながらも、乱馬は湯船から手を出して、五寸釘のタオルを手に持った。
「そら、背中向けろ。」
 そう言いながら、ごしごしと背中をこすった。

「あふうー…。いい気持ち…。」

「こらっ!変な声出すなっ!」
 思わず苦笑いする。



 乱馬と五寸釘が風呂場で戯れていた頃、なびきはかすみの傍らに来て、何やら、こそこそと話し込んでいた。
 食器を洗いすすぐかすみの脇で、汚れた食器に洗剤を泡立てながら、話しかける。
「ねえ、お姉ちゃん…。今夜はお姉ちゃんが、あかねのお友達と寝てくれないかなあ…。」
「あらあら?どうしたの?」
 かすみが穏やかに問いかける。
「あかねたち、今日のお勉強会流れちゃったでしょ?だから、ちょっと、明日までに、小テストの問題を作ってあげておこうかと思ってさあ。」
「小テスト?」
「ええ。少しだけ夜ふかししようと思ってるのよ…。だから、お願いしたいの…ダメかな?」
 媚びるような瞳を姉に手向けていた。
「そうね…なびきちゃんが夜遅くまで起きるつもりなのだったら…。いいわよ。確か、ゆかさんだったわね?なびきちゃんの部屋で寝ていたのは。」
「うん、ゆかちゃんよ。やった、これでちょっとくらい遅くなっても、あたしも気兼ねなく作業できるわ。」
 明るく言い放った。
「じゃあ、後でお布団、運んでおいてね。」
「任せて。」

 なびきは、フッとため息を吐いた。

 部屋に戻って、あかねを呼んで、自分の部屋にあった客用布団を、かすみの部屋へ移動させてもらった。

「どーしたの?急に部屋がえなんて…。」
 布団をよいこらしょっと抱え込みながら、あかねがなびきへと瞳を巡らせた。
「あら、乱馬君のためよー。だって、今日は全然、お勉強会にならなかったでしょ?ちょっといくつか模擬問題を用意しておいてあげようと思って…。」
「どーゆー風の吹きまわしよ…それ。お姉ちゃんが乱馬たちのために一肌脱ぐって…。」
「あら、あたしだって、たまには人の役に立とうと思うこともあるわよ?」
「夏バテで思考力低下してない?…お姉ちゃん。」
「失礼なこと言わないでよねー。あんたのために一肌脱いであげてるんでしょーが。」
「あたしのため?」
「乱馬君のため…ってことはあんたのためでもあるのよ。…それとも、あんた…乱馬君を切腹させたいの?」
「ま…まさかっ!切腹なんて…望んでないわよっ!いくらあいつが、くされ外道な許婚でもねっ!」
 顔を真っ赤にしてあかねが怒鳴る。
「くされ外道ねえ…確かに、その通りだけど…。」
 シャンプーや右京相手に、右往左往していた乱馬を思い出して、ぷっとなびきは吹き出した。

「何、笑ってんの?」
 あかねがムッとしてなびきを見詰めた。

「一応、あんたも、許婚をけなされると、それなり怒るのか。」
 チラッとあかねを透かし見る。
「なっ!そんな訳ないわよ。」
「あんたも、少しは乙女心ってものがあるみたいねー。」
「もうっ!からかわないでっ!」
 ドサッとかすみの部屋へと布団を投げつける。
「これで良いかしら?」
 じろっと姉を顧みる。
「ええ、上等よ。ま、あんたも、いろいろ複雑な気持ちもあるだろーけどさー。乱馬君をちゃんとサポートしてあげなさいよ。」
 なびきは、バシッと一つ、あかねの背中を叩くと、そのまま自室へと入って行った。

「もー…一体、何なのよ…。お姉ちゃんたら…。」
 あかねはふうっと一息吐くと、友人たちを待たせている自室へと引き上げて行く。


「…やっぱり、今夜は一筋縄じゃあ、いかないようねえ…。」
 なびきは、ベッドの下から不審な筒状の置物を見つけ出して、そう吐き出した。
「時限装置付きの催眠筒…か。何を企んでいるのかしらねー。お爺ちゃんたちは。」
 そう言うと、カチッと時限装置を外した。
「ま、それなり、楽しませて貰おうかしらねえ…。」
 そう言うと、ガサゴソとクローゼットを漁り始めた。



つづく

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