7月31日(木)

 猛暑日は続く。
 何でも、一日の最高気温の在り方から来る、呼び名だそうだ。
 最高気温が摂氏三十度を上回ると「真夏日」、で、摂氏三十五度を上回ると「猛暑日」と気象庁が言い表すんだと…。
 ついでに言うと、最低気温が摂氏二十五度以上の夜を「熱帯夜」と言うらしい…。

 いや、そんな呼び名はどーでもいい…。

 ただでさえ、猛暑日で熱帯夜が続く、関東地方。
 そんな中、もっと暑苦しいことになりそーな、この週末だ。

 本当なら週末は、あかねと一緒に水泳タイム…の筈なのだが、来週明けの追試に向けて、この週末は「お勉強会」が開かれるのだ。
 しかも…場所は天道家。
 メンバーはゆかとさゆり…それから大介とひろし。
 あかねと俺の、それぞれの親しいクラスメイトだ。
 こいつらとは腐れ縁で、二年生も同じクラスになった。

 いつもなら、一人で辿る、帰り道…。今日は大介とひろしがついて来る。それだけでも、相当な違和感があるのだが…。奴らの背中には、見慣れぬリュック。着換え一式が入っているのだろう。それも二日分。

 浮かない顔は俺一人で、大介もひろしもテンションが高けぇー。
 女子か…おめーらはっ!

「ただいまー。」
 ムスッと玄関先から声をかけると、ゆかやさゆりがもう先に来ていて、わいのわいのと姦しい。
「お邪魔しまーすっ!」
 そう言って、大介とひろしも三和土(たたき)を上がる。

 この瞬間から、俺たちの「お勉強会」は既に始まっている訳だ。

 天道家は広いから、四人くらい人数が増えても、何ら狭さを感じない。親父たちは物珍しそうに、高校生たちを迎える。
 台所では、かすみさんとオフクロが甲斐甲斐しく世話を焼くのも、いつものことだ。
 あかねもその中で、ゆかやさゆりたちと、食器を並べたり、食物を運んだりして、手伝っている。
 大賑わいの座敷。茶の間との境の襖を開ければ、悠に十畳以上ある。多分、昭和初期に建てられた古い家だから、広さは十分に確保できる。

 ただ、一階には冷房が無いので、扇風機が三台。家中からかき集められて、それぞれ頭を振っている。

 昔から、客人を相手するのは慣れているのだろう。…まあ、俺たち早乙女家三人が世話になっても、全然、動じないおじさんやかすみさんも凄いと思う。

「お世話になりまーす。」
「これ、俺たちの飯分でーす。」
 大介もひろしも、各々二キロの米袋をドンと出した。
「あらあら、ありがとう。お米が足りないとどうしようかと思っていたから助かるわ。」
「あたしはスイカも持って来たわよー。」
 さゆりが大きなスイカを手ににこっと笑った。
「あたしは、袋菓子。勉強会には欠かせないもんねー。」
 ゆかが笑った。
「俺たちは学校帰りだから、そーゆーのは持って来られなかったから、買い出しとか荷物持ちさせて貰います。」

 …一応、皆、それぞれ気を遣ってるんだな…。その点、早乙女家(俺んち)は…。一切、お構いなし…。まあ、オフクロはそれでも、己の収入(多分、着つけやお茶・お花の講師代)を入れているようだが…親父は無職無芸だからなあ…。バイトは時々しているみてーだが。


 わいのわいのと賑やかな昼食。
 今日はそうめんか…。夏になると、そういうのが増えるよな…。簡単だし、大人数、賄えるし。


 昼食を食ったところで、そのまま食卓テーブルが勉強机に取って変わる訳だ。
 思い思いに、ノートや教科書、プリントをどっ広げる。

「とにかく、あんたたちの追試対策よねえ…。」
 ゆかが俺たち男三人を見渡して言った。
「それなら大丈夫よ。強力な助っ人を頼んであるから。」
 あかねがにっこりと微笑んだ。
「強力な助っ人だあ?」
「ええ…。なびきお姉ちゃんよ。」

 と言ったところで、なびきが登場。

「どーもー。強力な助っ人でーす。」
 そう言って、紙袋を後生大事に持って現れやがった。それを、徐にテーブルの上にドサッと置いた。

 …強力じゃなくって…強烈の間違いじゃねーのか?…

「何だこれは…。」
 怪訝な顔をして、なびきを見上げる。と、ニッといやらしい笑いを浮かべやがった。

「追試のネタよ。」
 と涼しい顔で答えやがる。

「おい…。まさか、職員室から問題をパチッて来たなんてこと…。」

「ある訳ないでしょ?いくら私でも、そこまで危ない橋は渡んないわ。」

 …いや、金がかかればやりそーなんだが…。

「じゃあ、これが何で追試のネタなんだ?」
 率直な疑問を問いかける。

「これは、過去五年分の追試の過去問よ。」

「過去問?」
「ええ。これを分析したら、結構、似通った問題がいつも出題されてるから…これを丁寧にさらっておけば、対策はばっちりできると思うけど…。」
 ここで、また、にいいっと笑いやがった。

 何か、嫌な予感…。…つーか、絶対、ぼったくられる…。そう予感した。
 こいつ(なびき)がタダでこんなのを準備するとは思わねえ…。

「で?いくらだ?」
 ぶすっと問いかけると。
 すっと指を一本差し出しやがった。
「一万円っ!」

「なっ!」
 いや、俺だけじゃなくて、そこに居た、全員が固まった。
 なんつー金額、要求してきやがる…。俺たちは高校生だぞーっ!

 唖然と見詰め返すと。
「って…言いたいけど…一教科、五百円で良いわ。」
 俺は、六教科だから三千円か…。それでも高くねーか?

「買ったっ!」
「俺も!」
 大介とひろしが挙手する。
「乱馬君は?」
「わーったよ、買えば良いんだろ?」
 渋々、返答する。
「あ…でも、後払いな。今、持ってねーから…。」
 小声で答える。
「しけてるわね…。」
「うるせーよ…。文句があるなら買わねぞ!」
「立場が逆でしょうが?…まあ、良いわ。毎度ぉ♪」

 もっとも、あかねたちも、これを教材に使うつもりだろーから、俺だけ持ってねーっていうのも何だかなあ…。それに、過去問と結構似ているのが出るっていうのなら、悪くもねーか。

「でも、良く、五年分もかき集めましたね?」
 ゆかがなびきへと声をかけた。
「まーね。剣道部の方から回して貰ったの。」
「剣道部だあ?」
 俺が素っ頓狂な声をあげると、なびきが、しれっと言いやがった。
「ええ…。九能ちゃんをそそのかして、先輩を当たって貰ったわ。」
「九能…。」
 また、嫌な名前を出しやがって…。
「良く、九能先輩が、そんなこと協力してくれたわねえ…お姉ちゃん。」
 あかねが横から茶々を入れた。
「ええ…。おさげの女の子のビッチビチ写真数枚で、快く引き受けてくれたわ。」

 その言葉に、ギクッとなった俺…。

「おさげの女の子のビッチビチ写真…ですか?」
「俺も興味あるな…それ。」
 食いついて来たのは、大介とひろし。もちろん、おさげの女が誰なのかは、知っている。
「見る?」
「ええ…。是非。」

「うわーっ!やめろーっ!」
 思わず飛び出していた。
 思いっきり、心当たりがあったからだ。

 血も涙も無え、あかねの姉貴に、写真を広げられた。


「おおおっ!」
「すげーっ!」
「やだーっ!乱馬君っ!」
「大胆っ!」


 ずらずらと並べられたのは、この前の「あかねの手料理撃退方法」を教わった時の報酬として、なびきに撮らせた、幾許かの写真だった。
 あかねが居ない隙に、何枚か、なびきに撮らせた、じじいの水着を来た、大胆ショットの写真である。お股をどっぴろげてみたり、チラッとおっぱいを見せてみたり、後ろ向きで思い切り尻アップな写真とか…。

「やめいっ!み…見るなーっ!」
 怒号を飛ばす。

 当り前だ。こんな恥ずかしい女化した俺の生写真なんて…。
 ハッとして振り返ったあかねの瞳…。思いっきり、冷たかった。「変態!」ときつい瞳がそう話しかけて来る。

 痛い…痛すぎる…その視線…。

「おめー、すげーな。」
「うんうん…。良くやるな…。」

「う…うるせーっ!こっちにだって色々、事情があるんだーっ!」

「どんな事情だ?」

「うっ…。」
 思わず、口ごもった…。

 ここで詳しくは話せねえ…。あかねが目の前に居るから…。あかねのまず飯と三人娘の追撃を交わすために、払った代償で撮らせた写真だなんて…口が裂けても言えねえーっつーのっ!

 …チグジョー…俺の足元見やがって、思い切り晒してからかいやがってぇ…なびきの奴…。


 その後…あかねの態度が、嫌に硬化してしまった。
 …つーか…気まずくなっちまったというか…。


 トイレに立った時、なびきに囁かれた一言。

「これであんたも勉強に集中できるでしょー?あかねも、あんたと距離を取れてやりやすいだろうから…。クラスメイトの手前、あんまりべたべたっていうのも不味いから…。ね?」

 …何が…ね?…だっ!思い切り、あかねと気まずくなっちまったじゃねーかっ!
 あからさまに無視してきやがるんだぞ…。
 まあ、クラスメイトの手前、ある程度、距離は取らなきゃなんねーだろーが…。
 やり過ぎだっちゅーのっ!


 これじゃあ、先が思いやられるぜ…。



 迷惑至極の、お勉強会が始まった。


 


☆Copyright 2000-2014 Ichinose Keiko All rights reserved.☆
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。