時々、俺、猫化する。
そう、猫に襲われると、己を猫化して逃れようとするんだ。
それも、これも、親父の修行の賜物。猫拳を伝授しようとして、幼児期に無茶苦茶やられた結果だ。
猫の姿が町を横切っただけで、へっぴり腰になっちまう。
身体が容赦なく固まっちまうんだ。
それが、大挙として、来られて見ろ。
理性がぶっ飛んで、後は野となれ山となれ…だ。
実は今日、久しぶりに猫化しちまった。
なりたくてなるんじゃねーぞ。
不可抗力なんだぞ。
暑い最中、猫だって涼を取りたがるんだ。
動物の本能が涼を求めてやって来る訳だ。
で、引き戸を開け放せば、案外、道場は涼しい。風がある日なら、尚更だ。
動けばすぐに汗だらだらになるが、じっとしている分にはあんばいが良い。
板の間のひんやりしたところが、良いんだろうか。
最近、一匹の黒野良が、この辺りを我がもの顔で闊歩してやがんだ。それも、ふてぶてしーぐれーに猫相が悪い。野良のくせに、ぶくぶくと太いんだ。 こいつはこの近所の猫たちを牛耳ってるボスみてーな奴みてーで、他の猫を連れていることが多い。ハーレムも持ってるみてーだ。
それが、朝晩となく、にゃーごにゃーごやってくれるから、こっちは耳が痛い。
で、そいつが、その真っ黒なデブ猫が、あろーことか、道場の中にまで侵入してきたがった。
熱気をこもらせないように、使って無い時も、昼間は道場を開け放ってるもんだから、これ幸いと入って来たんだろう。
それも、何匹かの子分たちを引き連れて。
こちとら、そんなことは知らねえーもんだから、一汗流そうと、日が傾いた頃、道場へと足を踏み入れた訳だ。
道場へ入った途端、一斉に、俺を睨みやがった。
「いっ!」
思わず、息を飲んだ。
「乱馬、相変わらず、猫が怖いのか?」
背後から親父の声がした。
「う…うるせー。苦手なものは苦手なんだ。第一、親父だろー?俺を猫嫌いにした張本人はっ!」
この猫集団、俺が恐れているのを察しているのか、なかなかそこを動きやがらねえ。逃げも隠れもしねーんだ。
そう、日頃の俺の態度から、猫が苦手だということを察しているんだろう。すっかり舐められちまってる訳だ。
入口で及び腰になっていると、
「何、弱気になっとるんじゃっ!いい機会じゃっ!猫嫌いを克服してみいっ!」
親父にドッカと背中を蹴られた。
「うわーっ!」
俺はそのまま、猫だらけの中の道場へと、レッツ・ゴー。
「そら、猫に修行をつけて貰え―っ!」
ガタゴトと、道場の引き戸が閉まる音が四方でした。どうやら、おじさんとタッグを組んで俺を陥れようとしていたらしく、猫たちと一緒に、道場の中へと閉じ込められてしまった。
たまったものではない。
急に暗闇になって、猫たちは元気に飛びはねる。俺は俺で、必死で逃げる。
にゃんにゃんにゃん…にゃんとも、情けのねーことになるわけで。
当然、俺の感情線は、プツンと大きな音を発てて、崩壊した。
※注…以下、猫化した俺でお送りするぜ…
猫と化して、覚醒した俺。
縦横無尽に暴れまくってやったさ。
人間の心なんて、クソ食らえ!
俺様は乱馬様だ。最強・最猫(さいびょう)の!
おいっこらっ!そこのデブ猫っ!おめーだおめーっ!真っ黒いのっ!
ここの主は俺なんだぞっ!
何、のうのうと、道場で羽伸ばしてやがる。わかってんのか?こらっ!
おらおら、そこの猫どもっ!雌猫も雄猫も、全員、そこへ直れっ!
その腐りきった猫根性、俺様が叩きなおしてやらあーっ!
何?逆らうってか?
逆らう奴は、皆、特別の焼き入れてやるぜーっ!
覚悟しなーっ!
どんくれー暴れまくったか。
他の猫たちは、許しを乞いながら、逃げ惑う。
逃げれば追い掛けて襲う…それが、野生の猫の証明だ。
猫だって立派な狩人なんだ。追っかけるのはネズミだけじゃねーぞっ!
俺様がこの猫山の大将だっ!
誰も俺様に逆らえねえほど、一度、皆、ズタズタにしてやるぜーっ!
ガラガラっと音がして、引き戸が開いた。
さああっと風が通って行く。
と、 あのデブ黒猫め。いの一番で遠のいて行くのが瞳に映った。
道場の中で逃げ回っていた他の連中も、一斉に、出口へと駆け抜けて行く。
目は血走って、恐怖に染まっている。
俺様に恐れを成したか。
ざまーみやがれっ!
わかったら、今度から舐めた真似するんじゃねーぞっ!
二度と俺様の縄張りを荒らすなよっ!
鼻を鳴らしたところで、くるっと振り返る。
後は、俺を散々な目に合わせやがった、憎き奴らに復讐だ…。
まずは一目散、手ぬぐい親父へとジャンプッ!…それからおかっぱ頭のおじさんにもジャンプッ!
ドカッ、バキッ…。
見事な猫キーックッ!
決まったぜ!
っと…まだ、誰かいやがるのか?
そこで、ハッとする。
そこに居るのは、俺の好きな匂いの奴。俺を甘えさせてくれる、唯一の…。
指先がおいでおいでと俺を誘っている。
吸い寄せられるように、一目散駈け出した俺。
お日様のぬくもりがするその場所へまっしぐら…。
ずっと前から知っている、柔らかな肌のぬくもり…。そう、俺の場所だ。
そして、そこに居るのは、俺の一番好きなメス猫…。
押し倒してしまいたい欲望を、何故か俺の残された本能が抑制する方に働く。
それが何故かはわからないが…。まだ、ダメだと囁きやがる。
その代わり、俺に与えられた極上の温もりが、全身全霊に降りてくる。
背中を撫でて来るしなやかな指先。
あかね…。
思い出した愛しきその名を心で呼びながら、降りて来るまどろみへと身を任せる。
極上のまどろみへと…。
いつか…いつかきっと、最強のオスになったら、おめーの全てを貰いに行くから…それまで…待っとけ…。
ふうっと淡い眠りの淵へ吸い込まれる。
いい気持ち…。
「もー、いつまで甘えてんのよーっ!」
ぺしっと背中を叩かれた。
「えっ?」
巡らない頭でそれに答える。
ハッとして、辺りを見回す。そして、状況把握に走る脳回路。
「いっ!」
その場から飛び起きた。いや、飛び起きてパッと離れた。
目に映ったのが、あかねの柔らかな膝だからだ。チラッと上に水玉のパンティーが見える。
「あ…あの…その…。」
真っ赤になって、後ずさる。
「もしかして…俺…猫に…なってたか?」
ぼそぼそっと歯切れわるく問いかけた。
「なってたか、どころか…、このバカ息子っ!」
「そのまま、猫になっていたよー。乱馬君。」
「うわっ!」
俺の目の前に、引っかき傷だらけの親父たちが、苦笑いを浮かべていた。
それだけではない。あちこち削った跡のある、道場の柱や床。
凄惨とした道場。
「ほんと…。あんたってば、猫になると何もかもわかんなくなるのねえ…。」
呆れた声をあかねに出された。
「いや…あの…俺…。あはははは。」
笑って誤魔化すしかない。
「もう…。まーいいわ。今回はおじ様達が仕組んだことみたいだから。」
ふうっとあかねはため息を出して笑った。
どういう訳だか知らねーが…。この頃、俺が猫化した後のあかねは機嫌が良い。
初めての時は平手打ちを思い切り食らわせられて、すっ飛ばされたが…。
めっきり、そういう凶暴さは形を潜め、猫化しても怒らなくなった。
うーん…。もしかして、こいつ…猫化した俺が好きなのかな…などと、考えてしまうこともある。
ま、いいか。
「ほら、そろそろご飯だよー。ご飯食べたら、お勉強もしなくちゃね。」
「へーい…。」
俺も、猫化した後は、少し従順になる。これも何故だかわからねーが…。多分、あかねの膝の上を独占できて、充足するんだろーな…。
俺たちが重い腰を上げた頃には、すっかり日も陰って、カラスがカアカアと鳴いていた。
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