7月25日(金)
正念場

 今日も漏れなく、補習授業。
 あ゛ー…いい加減、嫌になってくるぜ…。

 熱帯夜が続いていて、扇風機だけの俺の部屋は、夜も暑苦しくてなかなか熟睡できねー。居候の辛いところだ。




 
 教室はエアコンがあるから、まだ良いとして…。下校時のあちーこと…。
 梅雨が明けた途端…灼熱の太陽が、ギンギンギラギラと照りつけて来やがるんだからな…。それに、あかねのまず飯の一件以来…どーも、体調がよろしくねーっつーか…。
 案外「夏バテ」なのかもしれねー。

 さすがに、三日連続、まともな昼飯に辿りつけねーのも、情けねーから、予防線を張って、朝、補習に出かける前に、昼飯を作っておいてもらえるように。かすみさんに拝みこんで、頼み込んでおいた。

 その様子を見ていたのだろう。

 登校の道すがら、なびきが俺に声をかけてきやがった。


「ねえ、あんた、かすみお姉ちゃんにお昼ご飯頼んでいたようだけど…大丈夫なの?」
「あん?」
 あかねが居ないので、フェンスの上ではなく、普通に道を歩いていた俺は、思い切りなびきへと切り返しちまった。
「争奪戦よ。あんたのランチを誰が作るかっていうね…。昨日、懲りたんでしょ?」
 と言いながら、ニッと笑いやがった。
「ああ…。まーな。」
「で?具体策はねってあるの?」
「いや…特に何もしてねーが…。」
「ふーん。甘いわねえ…。」
 と言い捨てやがった。
「何か良い方法でもあるってーのかよ?」
 つい、そう答えちまった。
「まあ、あるにはあるけど…。聞く?」
 なびき特有のにやにや笑い。この顔が現れた時は、大抵、金額の要求がある訳で…。
「どーせ、ただじゃあ教えてくれる気なんて、無ぇーんだろ?」
 逆に問い質してみる。
「まあね。」
「それみろ…。休日はあかねに付き合わなきゃなんねーから、俺、金なんか出せねーぞ。」
と畳みこむ。
「そうみたいねえ…。だったら…これからあたしが言うことを聞いてくれたら、お金の代わりに教えてあげるわよー。」
 透かしたようなその笑い方。気に食わねえが、背に腹は変えられねーか…。
「わかったよ…。」
 と、つい、承諾しちまう俺。

 ぼそぼそぼそっとなびきが、一言、二言、耳元で囁いた。

「なるほど…。」
「ね?まあ、その辺が妥当だと思うわよ。」

 さすがに、策士のことだけはある。

「そーだよな…。じゃねーと、俺の身が持たねえし…。」
「あかねも納得するんじゃないの?今日だけ乗り越えたら…。」
「あん?」
 なびきがニッと笑った。
「今日だけだあ?」
「だって、あんた、あかねに何もリアクション起こしてないんでしょ?」
「ああ…。」
「だったら、きっと、今日は作ってるわね。」
「まさか…。」
「あんたさあ…許婚の性格が把握しきれてないの?」

 確かに…。あいつなら…。

 嫌な予感が過る。

「そのことも、ちゃんと策があるわよ。」
 と来た。
「どんな策だ?」
「じゃ、追加料金…。」
「追加だあ?」
「当り前よ。これであかねの料理を食べながら避けられるんなら、言うことないでしょ?」

 人の足元見やがって…。

「わーったよっ!追加に応じるから、さっさと教えろっ!」

 なびきの策におぼれる俺。

 こそこそっと耳打ち。

「なるほどねえ…その手があるか。」
「ええ、そこはぜひとも、三人娘たちとの決着をとっとと付けて、みんな揃っての昼食時間に帰り着くことね。」
 などと言いやがる。確かに盲点だったぜ。

「ま、それなり頑張んなさいねー。夏を無事に乗り切りたいなら♪」
 なびきはそう言うと、足取り軽く俺から離れて行った。




 そして、昼。
 みっちり四時限の補習授業を受け終えて、 上履きを下履きに履き替えて、気配を伺う。チラッと昇降口から校門方向をまさぐると…居る。
 
 なびきの指摘通り、珊璞、ウっちゃん、小太刀の三人は、校門付近で待ち構えていやがった。

 戦々恐々とした殺気をビンビンに感じた殺気の中に、あかねの気が紛れていねーか、真剣に探る。
 あいつは一つも補習授業にひっ掛っちゃいねーから、多分、この場にまでは来ない筈だ…。それはそれで、またまず飯を作っていそうで、不気味ではあるんだが…。

(あかねの気配は無ぇな…。)

 本当は、ウっちゃんや珊璞、小太刀の三人娘より、あかねが一番厄介なんだ。
 あいつ、一回、ヘソを曲げると、もう、お手上げ状態。こっちが何を言っても、冷静に聞く耳なんか持っちゃいねー。…っつーか、明日から二日間は週末で補習が無えのに、つまんねーことで火花散らせたくねーんだよな…。
 多分、この前、お釈迦になった分、明日、明後日と、水泳特訓に付き合わされるに違ぇねーもん…。
 もっとも、プールサイドじゃあ、女化するしかねーし、ある意味俺にとっては拷問なわけだが…。それでも、あかねの水着姿に興味がある…。っつーか、一緒に戯れてーじゃん…。たとえ、女化していたって…。
 いや、男の身体している時より、多分、女化していた方が、あかねとのスキンシップもそれなり近くなるんじゃねーかって…期待しちまうんだよな。ほら、女体化してたら、警戒心が解けるっつーか、何つーか…。

 …やっぱ、俺って結構スケベかな…。


 で、校門を出たところで、予想通り、三人はパッと俺の前に立ちふさがった。
 予め、予想していたことだから、俺は特に動揺も見せず、淡々と三人を相手にする。

「乱ちゃん、昼はうっとこでお好み焼きや。」
「猫飯店で中華定食ある!」
「九能家で豪華ランチですわ!」
 三人三様、それぞれが凄みを出して睨んで来やがる。

「っと…そのことなんだけどよー。」
 こほんと一つ、冷静に、俺は三人へと相対した。
 そして、さっと、準備していたあみだくじを三人へと見せた。

「何やそれ?」「何あるか?」「何ですの?」
 怪訝な顔で三人が俺を見る。

「その…何だ。俺は必要以上の争いごとに首を突っ込みたくねーんだ。…昼飯のことで三人に争って欲しくもねーし…。」
 チラチラと視線を流しながら、そんな言葉を吐き付ける。
「そこでだ…。どうせなら、順番におめーらの飯を食いに行こうと思ってるんだが…。」
 そう言いながら、あみだくじの下の欄に日付を入れる。

 8/5、8/6、8/7
 そう記入した。

「えらい、先の話やん。」
 右京が言った。
「ああ…悪いが、は八月四日までは俺をそっとしておいて欲しいんだ。」
 と懇願の瞳で彼女たちを見詰める。
「何であるか?今日はダメなのか?」
「四日の日に、その…俺の残りの夏休みが安泰になるかどーかのテストがあってよー。そいつをクリアしねーと、おめーたちともゆっくり過ごせねーんだ。頼むッ!三年でちゃんと高校を卒業してーから、その日まで、そっとしておいてくれっ!」
 柄でもなく、頭下げてやったぜ。

「なるほどなあ…。乱ちゃん、結構補習大変そうやからなあ…。」
 さすがにクラスメイト。ウっちゃんは納得してくれたようだ。
「高校くらいはちゃんとご卒業して貰わねば、確かに困りますわね…。私より後に卒業なんてことも嫌ですし…。」
「何かよくわからないけど、わかったある。」

「その代わりと言っちゃなんだが…。一日ずつ、おめーらのところで、味わいながら、飯を食うからよ…。その日を決めるのに、あみだくじをしてくれ。」

「ま、ええわ。それで手を打ったるわ。」
「その代わり、約束破たら、ダメあるよ。」
「その日は最高のおもてなしをさせていただきますわ。」
 口々にそう言いながら、線を選ぶ。
「聞き分けが良くて助かるぜ…。これで、俺も勉強に集中できるってもんだ。」
 とか何とかおべんちゃらを言いながら、適当に横線を書いて、順繰りにあみだを辿る。

「えっと、五日が珊璞で、六日がウっちゃん、七日が小太刀っと…。確かに、お昼をよばれに行くから、腕によりをかけて招待してくれよな?」
 などと愛そう笑いを浮かべる。

「きっとやで?」
「約束破るダメあるよ。」
「お待ちしておりますわ、乱馬様。」

 ほおおっ…。
 何とか平和裏に終わった。
 これもなびきの提案のおかげだ。必要最低限で最大の効果をあげねーとな…。

 これで、今日はまともな昼飯にありつけるってもんだぜ…。



 ただいまあ…。

 と、足取り軽く帰る天道家。
 引き戸を閉めて、靴を脱ぎ、トタトタと上がる茶の間。
 丁度、昼ご飯を食べようかというグッドタイミングだった。
 さらっと帰って来て良かったぜ。

「あら、乱馬君、お帰りなさい。今日は早かったのね。」
 かすみさんがにっこりと微笑みかけて来た。
「ええ…まあ。で?俺の分は?」
「ちゃんとあるわよ。今、あかねちゃんが盛り付けているわ。」
 とかすみさん。

 えっと声を飲む。

「あかねが…盛り付けてるんですか?」
 ぼそぼそっと問い質す。
「乱馬君の分は自分が盛り付けるって…それはもう、張り切っちゃって。」
 その言葉に、汗がどおっと全身を伝って行く。
「今度は大丈夫よ。そうめんは皆のと一緒に湯がいた物だし、つけ汁も既成品だし、あかねちゃんが担当したのは乱馬君の分のトッピングだけよ。」

「えっ…もしかして、俺のはみんなのと違うトッピングなんてこと…。」

「ええ。あかねちゃんが特別に乱馬君のために、ごそごそと作っていたわ。」

…また、あいつは…余計なことを…。

「大丈夫…ちゃんと賞味期限内の食材で彩ってくれてるから…。」

 …そういう問題じゃねーんですけど…かすみさん。

「あ、乱馬。お帰りー。丁度、できたところだからねー。」
 可愛い顔をした悪魔が俺の前に現れた。ピンクのエプロン姿の眩しい笑顔。地獄の三丁目へ案内してくれる、頼もしい笑顔。
 フッと浮き上がる、ニヒルな笑い。
 彼女が手にした、前衛的な盛り付けの「そーめん」らしき物体をまともに見た。

「これ…」
 躊躇しながら、指差す器。
「どう?なかなかのもんでしょ?」
 盛り付けた当人は悦に入っている。

 とても、綺麗とか涼しげだ…とか言えねーセンスだ。
 錦糸卵は真っ茶色だし、シイタケなんか黒い墨だぞ…。それに、キュウリだってどうやれば、こんな前衛的な色になるんだあ?他にも訳のわかんねーもんいっぱい乗っかってっぞっ!
 まあ、確かに、そーめんは普通だな。普通だが…色んなトッピングと合わさって…悲惨なことになってるぞ…。

 器を見ながら、なびきに授けられた攻略方法を思案する。

 あかねをここで拗ねさせてしまったら…個人授業の行く末にも関る。それに、明日と明後日の楽しい週末にも、大いに関ってくるだろう。正念場だ。

 俺の前に置かれたそうめん器。そいつだけ、どー見ても、他とは違った、おどろおどろしさが伝わって来る。
『食えるもんなら食ってみろー。』
 そんな威嚇めいたメッセージ性まで感じるのだ。
 その向こう側に居る彼女は、上々の笑顔を手向けてくる。

「どうぞ…遠慮せずに召し上がれ。」
 なんて、可愛い顔で言いやがる。

…遠慮してーのに……反則だぜ…。

「いただきまーす。」
 全員で唱和して始まる、昼飯タイム。

 俺は徐に、ちょっとだけ、そうめんの端っこを摘まんで、恐る恐る口へ運ぶ。

 ズ…チュル…。

『ブッ…』

 予想を越えた不味さだ。こんなもの、大量に胃に流し込んだら、この前の二の舞じゃねーか。

 天道家の面々が、しらーっと俺を見詰めて来る。
 親父がにちゃっと笑いやがった。
(あんにゃろー…見てろ…。)

 むかっと来た俺は、迷わず、なびきの伝授してくれた方法に頼ることを即座に決めた。

 徐に麦茶をがぶ飲みすると、空になったコップを持ってあかねに命じる。


「悪い。喉かわいてんだ!麦茶、持ってきてくんねーかな。」
「え?あたしが?」
「ああ、頼むぜ。」
 と拝んで見せる。
「しょうがないわねえ…。」
 そう言って、俺のコップを持って立ち上がったあかね。

 それをゴングに、俺は動き出す。

(ターゲットは親父…それから、おじさんだっ!)

 それから、上体を起こし、ものすごい速さで、箸を巡らせ始める。
 あかねの眼にもとまらぬ速さでだ。

 そう、俺はグルッメデフォアグラ…あのおぞましき、格闘ディナーの必殺技を使ってやったのだ。 
 他人の口に放り込み、自分の代わりに食わせるという、あの恐るべし、格闘ディナーの奥義。

「うっ!」
「おごっ!」
「あがっ!」
「げへっ!」

 親父たち二人の大きく開いた口元、目がけて、俺の器の中身を飛ばしまくる。
 みるみる、あかねの作った不可解な物体が、次々と俺の目の前から消え失せる。
 返す手で、今度は親父たちの器の中身を失敬して、己の口元へと運び入れる。

 一見、あかねの料理を食うと見せかけて、親父たちへ食わせる。そして、親父たちのそうめんを俺が食う。
 グルメデフォアグラを習得している俺だからこそ出来る、裏技だ。
 なびきがこうすれば良いじゃない…と教えてくれた必勝法。

 器の中身が全て空っぽになったところで、親父たち二人は、畳の上に沈んだ。
 口から泡を吹き、白目を剥いて。仰向けに倒れたのだ。
 のほほんと食っていたかすみさんやオフクロたちには見えていない筈だ。それに、あかねも、麦茶を入れに席を外している。


(俺だけにあかねのまず飯を押しつけた罪…とくと味わうが良いぜ…。)

…あかねには悪いんだけど…。俺だって、身が持たねえし…。平和な午後を迎えてーし…。そろそろ補習テスト勉強にも身を入れねーと、本当にやばい訳で…。


 さすがになびきだ。
 某かの報酬を払うだけのことはあるな…。


「あら、もう食べちゃったの?」
 あかねが戻って来た時には、既に完食。おじさんと親父の分で腹は満たされたし、親父たちが身代りになってくれた。

「ああ…腹減ってたからな。」
「そんなに早食いしてちゃ、太るよ!」
 にこやかな笑顔に、ちょっとだけ罪悪感が残ったが、背に腹は代えられねえ…。

 あかねがいれてきてくれた麦茶が、とても美味しく感じた、昼下がりだった。



 


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