7月24日(木)
女の闘い勃発

 やっと、胃腸の調子が戻って来たぜ。
 まだ、全快とは言い難く、便は緩いし、食欲もモリモリって訳にはいかねーが、それでも、ムカムカ感は無くなった。

 結局、あれから、あかねの部屋で、特別課題に取り組んだ。俺の部屋にはエアコンが無えからな。
 あかねの個別指導だった訳だが…ドキドキとかワクワクとかなってる余裕なんか、全然無かった。
 数学の先公も、英語のひなこ先生も容赦無えーってくらい、宿題を詰め込んで来やがった。予定していた講義の反復復習な訳だが、量をこなせ―この野郎…的な。
 化学だって、原子記号を暗記しろだの…化学式がどうのこーのだの…。訳わかんねーっつーのっ!
 現代国語は漢字のプリント…。勘弁して欲しいぜ…。
 あかねに言わせると、質より量を取ったような宿題だったみてーだが…。俺にはチンプンカンプンな公式とか構文、化学式の羅列だった。
 
 体調が悪いのもあったが、十時過ぎまでかかっちまった。あかねの指導が無けりゃ、朝までかかってたかもしれねー。
 昼過ぎから手をつけて、仕上がった時は、おれだけじゃなく、あかねからも、はああっと、特大の安堵のため息が漏れたくれーだ。




 それはさておき…。
 何とか、補習にも中一日で復帰できた。

 朝一番、大介とひろしにからまれた。

「乱馬…昨日ふけやがったな…。」
「んだ…。体調が悪いとか言って、仮病じゃなかんべー?」
 両脇から首を抱え込まれる。
「仮病な訳ねーっ!あかねの飯食って、ぶっ倒れたんだっ!」
 二人の間で、不機嫌に言い放つ俺。

「あかねの手料理を食ったのか?」
「ああ…。」
「結構食ったのか?」
「丼軽く一杯分…。」

「メニューは何だったんだ?」
「豪華料理か?」
「親子丼…みてーな…。得体のしれねーもんだった…。」
 別に嘘をついても、仕方が無いので、ぼそぼそと問いかけに答える。

「いいなあ、この野郎っ!」
「俺も食ってみてーな。」
「バカ言うなっ!死ぬぜ…。現に俺は死線を漂ってたんだからなっ!」
 そうだ。あの奇妙な味を思い出しただけでも、ウっとなる。
 あれは、人が食うもんじゃねー。人外の食いモンだ。…しかも、賞味期限の材料ときている。立派な凶器だ。

「とか何とか言っちゃって…あかねに看病して貰ってたんだろ?」
「うりうり、白状しろっ!それが目的で、不味いの我慢して食ったんじゃねーのか?」
「あかねの手料理に倒れて、あかねがかいがいしく看病…確信犯じゃねーか。」
「それを盾に、いちゃついてたんじゃねーのか?」

 あのなあ、無責任なこと言わねーで欲しいぜ…。
 ま、もし、もっと早くに目覚めていたら、優しく看病もしてもらえたのかもしれねーが…。目覚めた途端、特別宿題の山だったんだ…。
 いちゃつく閑なんて、全然無かったんだからよーっ!
 キスのチャンスもふいにしたんだぞ…。これが一番ダメージがきつかったかもな…。

 ため息と共に、そんな言葉をグッと飲み込む。

 健康体そのものの俺が一日欠席したものだから、各方面から、穿ったことをいっぱい言い寄られた。クラスメイトだけではなく、先生からも言われた。

 だから、俺は「賞味期限切れの材料で作られたあかねの手料理」といいう凶器で、体調を崩したんだーっ!
 想像だけで羨ましがるなっつーのっ!丸一日、目を回していたんだぞっ!
 そんなにからかいてーなら、あかねの料理を食ってみやがれーっ!
 まだ、お腹が本調子じゃねーんだからなっ!

 毎度、同じことを言うのも、面倒くさくなってきて、終いめには、もういいやと押し黙った。

 この場にあいつが居なくて良かったと思うぜ…。俺の悪態を直に耳にしたら、多分…また物凄い血相で殴り飛ばしにかかってきたに違いねー。




 そんなこんなで、午前中のありがたい補習を終えると、やっぱり、時計は十二時半を回っていた。

 関東地方も、梅雨が明けた模様…そんな曖昧な言葉で、気象庁が梅雨明けを宣言したらしいが、空は一向にすっきりと晴れない。湿度も高く、日差しがきついというより、くすんだ色の空だ。曇り…とまではいかないものの、抜けるような青空は一切見えない。
 こう、ぼんやりとした空だ。
 カカーッと熱くなる夏空ではない。煮え切らない空。
 それでも、じりじりと暑いっ!
 アスファルトからムッと熱気が立ち込めてきやがる。土が無い都会の地面に、熱がこもったまま、行き場を失ってるみてーだ。
 じとっと汗を浮かべながら、天道家に帰る道すがら、あかねの姿が見えた。

 反対側の四つ辻からこちらへ向かって歩いて来る。
 頭には涼しげな麦わら帽子。真っ白なリボンが栄えて見える可愛らしい麦わら帽子だった。そいつを深くかぶって、太陽光を避けている。

「おい、どーしたんだ?こんな時間に…。」
 俺はあかねへと声をかけた。
「あ、乱馬、今帰り?」
 気付いたあかねが答えを返した。
「どっか行くのか?」
 と問い質すと、
「うううん、今帰りよ。かすみお姉ちゃんにお醤油と玉子を頼まれたの。それから、鶏肉もね。」
 良く見ると、手元にスーパーのビニール袋を下げていた。
「…まさか、今日の昼飯って…。」
「親子丼よ。」
 にっこりと微笑みを返された。
「親子丼…。」
 一昨日の体たらくを思い出して、身体が敏感に反応する。
「何、びびってるのよ。」
 あかねがチラッと見返して来た。
「だってよ…。」
 汗が額を伝う。これは、絶対、脂汗だ。
「安心して、作るのはかすみお姉ちゃんだから。」
 あかねはポッと言葉をかけた。
「いや…だれが作ろうと…親子丼はちょっと…。」

 あかねのまず飯のおかげで、親子丼がすっかりトラウマになりかけているのだろう。
 たじっと後に下がりかけた。


「そら、丁度ええわ。やったら、ウチに来たらええやん、乱ちゃん。特製お好み焼き、焼いたるわっ!」
 きっぷしの良い関西弁が真後で響いた。
 ウっちゃんの声だ。
 颯爽と大きなコテを背負い、ウっちゃんが俺の前に立った。

「右京、抜け駆けは許さないあるね。」
 今度は真逆の方向から、クセのある日本語が聞こえてくる。
「今日の乱馬のお昼は、豪華的中華料理あるよ。」
 珊璞だった。

「何をおっしゃいますやらっ!」
 と、今度はひらひらと黒いバラの花びらが舞い落ちて来た。
「乱馬様は九能家で豪華ランチをお召し上がりになりますことよ。ほーっほほほほ。」
 甲高いこの笑い声…黒バラの小太刀。

「聞くところによったら、あかねちゃん。あんた、この世にないくらいまっずーいご飯で、乱ちゃんを卒倒させたんやって?」
「乱馬、おかげで死にかけたらしいあるね。」
「私も聞き及んでおりますわよ。」

「せやから、ウチが、腕によりをかけて、乱ちゃんが好きなお好み焼きを作ってあげるんや。ウチがあかねの不味い料理から解放してあげるでー。乱ちゃん。」
「だから私が、乱馬が大好きな猫飯店的特別中華料理ふるまってあげるあるね。だから、あかねはとっとと帰るよろし。」
「ですから、わたくしが、凝りに凝ったおフランス料理のフルコースを作って差し上げますわ。天道あかねの不味い料理など忘れさせてあげますことよ。乱馬様。」

 三人揃って、好き勝手並べ立てる。
 あかねの顔がみるみる不機嫌に変わって行く。

「だったら、好きにすれば良いわっ!」
 フンっと鼻息荒く、俺を一目睨めつけると、がに股で天道家の方へと歩き去る。ズカズカズカ…どう見ても、怒り心頭、かなり頭に血を登らせてしまったようだ。

「あ…おいっ!あかねっ!」
 いつもの習性で、思わず、立ち去るあかねを追いすがろうとした。

 が、傍に並び立つ、三人娘が、行く手を遮った。

「あかねなんかほっときー。さあ、ウチとこへ行こう。乱ちゃん。」
「何言うか。乱馬は私と猫飯店へ行くあるよ。」
「いいえ、乱馬様はわたくしと九能家へ行くのですわ。ささ…ご遠慮なさらずに。」

 いや、遠慮する…。ってか、俺は誰にもついて行かねー。
 抵抗しようとするが、三人娘は頑として受け付けなかった。
 だんだんにあかねの姿が遠ざかる。


 畜生…。何だってんだよー…。

 そう思いかけて、ハッとした。
 こいつら…何で、俺があかねの手料理で卒倒したことを知ってやがるんだ?…それも、揃いも揃って…。
 ある命題に気がついた時、すっと、少し先を通り抜けた人影が一つ。
 俺をチラッと見て、ピースサインまで出して行きやがった…。

 なびきだ…。

 そっか…。あのアマ…、俺があかねの手料理に中って寝込んだこと、一切合財、こいつらに言いやがったな…。それも、有償で情報を垂れ流したに違いねー。


 ふんぬっと力を入れて、俺は集って来る三人娘の腕を振り切った。

「悪い…俺、腹減ってねーんだ。」
 そう言いながら、駈け出した。

「あ、乱ちゃんっ!」
「乱馬っ!」
「乱馬様っ!」

 そんなことで、諦めるような奴らじゃねー。それに、皆、その筋では勇猛な実力の持ち主。運動神経も上の上。
 逃げたところで、やいそれと見逃してくれるような甘い奴らでは無ぇー。

 思い思いに追いすがって来る。しかも、コテやら双錘やら新体操の飛び道具やら…。危険極まりない獲物を容赦なく投げつけて来る。

「だあああっ!しつけーっ!」
 逃げる俺も必死だった。
 町内爆走の追いかけっこが始まってしまったのである。
 こうなったら、悲惨だ。
 
 病みあがりの身の上、身体にキレも無く、いつもより、振り切るのに時間もかかっちまった。
 小一時間、駆け回っていたろうか…。
 服はドロドロ、身体はへとへと…。
 
「ただいまー。」
 青息吐息で天道家に辿り着いた時には、既に遅し。


「あら、乱馬君。おかえりなさい。」
 かすみさんが後片付けにかかろうと、食器を茶の間から台所へと下げていた。
「あんたの分なら、無いわよ。」
 あかねがその横を通り抜けた。一言、冷たく言葉を俺に向けて吐き出していた。
「え?…。」
 途端、顔色を変えた俺。
「な…無いって…まさか…。」
 そのまま、絶句する。

「ええ、あかねちゃんが乱馬君は外で食べてくるだろーから、昼ごはんは要らないって…。だから、作らなかったのよ。」
 これまた、にっこりと、撃墜宣言。

「そ…そんなあ…。」
 へなへなへな…。
 その言葉に、思いっきり身体から力が抜けてしまった。
 そして、そのまま、床へと突っ伏した。

 空腹で、もぉー、動けねー…。



 こうして、またもや、俺の昼飯は、玉砕してしまった…。


 気の毒に思ったかすみさんが、カップラーメンを差し出してくれるまで、俺は半ば呆然と廊下にへたれていた。


 


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