「ねえ、やっぱりこっちが良いんじゃない?」
「そう?私はこっちがかわいらしくて良いと思うんだけど…。おばさまは?」
「そうね…。かすみちゃんのはちょっと色合いが、女の娘っぽ過ぎないかしら?」
朝から、わいわいと、なびきとかすみさんとオフクロの三人の声が茶の間から響いてくる。かしましいこと、この上ない。
まだ寝ぼけ眼の俺は、何事かと、開け放たれた廊下から、部屋の中を覗き込んだ。
と、畳一面、どっぴろげられた色とりどりの水着。
そう、全て女性用のものだ。
何か嫌な予感を感じた俺は見なかったことにして、その場からそっと立ち去ろうとした。
と、正面で、おじさんとパンダ親父と視線がかち合った。にいっとこちらを笑いながら伺っている。
えっと思った途端、親父に頭からバケツ一杯の水を浴びせかけられた。
「こらーっ!親父っ!朝っぱらから、何しやがるーっ!」
甲高い女の声で、開口一番、怒鳴りつける。
「ぱっふぉーっ!」
『目が覚めたろう?』
そんな看板をあげて見せると、親父は、くるりと身を翻して、タッタカと逃げて行く。
後に残された俺は、頭の先から足の先まで、水浸し、びしょびしょだ。
その騒ぎを聞き付けたのか、茶の間の視線が一斉に俺に向いた。
「あら、乱馬くん、丁度よかったわ。ちょっと来て!」
にっこりと微笑みながら、かすみさんが中から手招きする。
「な…何だ?何が始まるってんだ?」
水浸しのまま、きょとんと視線を投げかけると、
「いいからいいから。」
なびきに腕を引っ張られて、強制収監。
で、入った途端、女化した俺はある意味修羅場へと追い込まれてしまったのだ。
「これ、着てみて。」
唐突に手渡されたのは、ブルー系の水着。
「おい…何だこれは?」
問いかけると、
「何って水着よ。他に何に見える?」
なびきがニッと笑った。
「だから…何で俺が女物の水着を着なきゃいけねーんだ?」
じろりと見返す。
「だって、あんた…あかねの、トレーニング引き受けたんでしょ?」
「あん?」
なびきの言葉に、思い切り反応して返答しちまった。
「だから、あかねの水泳特訓。」
おい…そんなもの、引き受けた覚えは、一切ねーんだが…。
穿った瞳であかねを見返すと、オフクロが口を挟んで来た。
「あかねちゃんに個人授業してもらう代わりに、あかねちゃんのカナヅチ返上特訓につきあってあげてね。」
そう言って、にっこりと微笑まれた。
「そーいうこと。だから、あんたが装着する水着をみんなでこうやって選んであげている訳よ。」
「はああ?」
いや、ホント、はああ?だ。
誰も頼んでねーぞ。そんなこと…。
思いっきり、白んだ瞳をみんなに投げかける。
「八月末にある臨海キャンプ…あれに向けて、あかねちゃんったらカナヅチを返上したいんですって。だから、協力してあげてね。乱馬君。」
にこにことかすみさんの笑顔が俺のすぐ前で揺れた。
「おい…もしかして、昨日、道場で言ってた『俺につきあって欲しいこと』って、水泳特訓なのかよ?」
ボソッと傍に突っ立っていたあかねに尋ねてみた。
「うん…そうだよ。」
小さな声であかねがはにかみながら答えた。
何故だか、こいつは水着選びに熱心ではない様子だった。いや、何か躊躇しているようにも見えた。
「待て…あかねのカナヅチ返上計画に付き合うってーのは良いとして…何で、そこの水着を俺が着用しねーといけねーんだ?おいっ!」
当然の言い草である。
「あんたは水を浴びたら変身するわけだから、男の水着って訳にもいかないでしょう?そんなことしたら、公然わいせつよ。」
と、これまた至極当然な返答がなびきから言い渡される。
「スクール水着があるだろーが。」
思わず吐き付けた。学校の水泳授業で使っているものだ。
「学校の授業の一貫ならいざ知らず…区民プールで記名入りのスクール水着を着るつもり?」
なぎきが笑った。俺のスクール水着は、もちろん、白い布で「早乙女」と記名されている。それを思い出した。
「乱馬君…老婆心かもしれないけれど…女子高生が学校以外のプールでスクール水着じゃ、恥ずかしいと思うわよ。」
とかすみさんがやんわりと言った。
「だからってあんたにおニューの水着を買うのも、どうかと思ってねー。」
「この中から適当に選んでちょうだいね。家計的にも新しい水着を買うのも、勿体ないから。ね?乱馬君。」
「でえっ!何じゃそりゃーっ!」
真っ赤になって怒鳴り散らすも、三人対一人だ。あかねは、この不毛な会話からひたすら無言を貫いているから、範疇外か。
「良いから、男らしく、それを着てみなさいっ!」
刀を持って、凄むなよーオフクロ。それじゃあ、ルール違反だぜっ!
「とにかく、着てみてね。」
かすみさんも、そこはかとない含みを持った笑みを浮かべて俺に迫って来る。
「諦めなさい。」
なびきの一声に、よって集って、ランニングシャツとトランクスを引っ剥がされた。
「やめろーっ!」
抵抗の声、空しく、あっという間に素っ裸にヒン剥かれ、水着を強制的に着せられてしまった。
「どう?」
「何が、どう?…だっ!」
俺は涙目になりながら、みんなを見下ろす。
「ぐ…ぐるじー。胸が締め付けられて死にそうだーっ!」
そう。女化した俺の生育盛りのおっぱいに、その水着はきつ過ぎた。
「やっぱ…あかねのは合わないか。」
となびきがポツンと言った。
「合う訳ねーだろー。こんなど貧乳の水着なんかーっ!」
みしっ!
後頭部を思いっきり蹴られた。蹴って来たのは、あかねだ。
「貧乳で悪かったわねーっ!」
そう言いながら、はあはあと息を切らしてやがる。
俺の方がスタイル良いってことになるから、ぶち切れやがったか?
「これって結構あかねにはブカブカだったから大丈夫かと思ったんだけど…。」
「やっぱり、乱馬君の方があかねちゃんより、胸が大きいのね…。」
「だからと言って、なびきちゃんやかすみちゃんのお古って言う訳にもいかないでしょう?」
「そーよねえ。自分の許婚の水着ならまだしも…あたしとかお姉ちゃんが着た水着に包まれて泳ぐ乱馬君って、気分的にちょっとねー…。」
おい…だから、恥ずかしい文言を、俺の前で並べたてねーでくれっ!
かすみさんやなびきが袖を通した水着は当然嫌だが、あかねのだって、嫌だぜ…俺は!
…あかねのが良いなんて思っちまったら、まるっきり俺が変態じゃねーかっ!
「この際、自分のスクール水着で我慢してもらいましょうか…。」
「物が水着だけに、伸びないもんねー。」
一斉に、みんなの瞳が俺に手向けられる。
「それとも、買いに行く?乱馬君。」
「いや…それは極力、ご遠慮こうむりてえ…。」
どぎまぎしながらその質問に答えた。
あったりめーだ。女化しちまってるけど、俺は男だ。
男が母親やその許婚と女物の水着を買いに行くだなんて、どう考えても、変だろーが…。っつうか、情けねえ。
前に一度、オフクロに女化がばれていなかった頃、ブラジャーを買いに連れて行かれたが…あんな情けねえことは、したかねー。
「ならば、これはどうじゃ?」
傍から、じじいの声が聞こえてきた。と、思ったら、疾風の如く駆け抜けて行くじじい…。
へっと思ったら、次の瞬間、あかねのきちきち水着から、ド派手なVカットのビキニ…それも、思い切り露出が高い黄色の水着を装着させられていた。
「らんまちゃんの晴れの日のために、用意した、師匠からの心尽くしじゃっ!それを着て、プールで楽しくワシと一緒に泳ごうぞっ!」
「誰が泳ぐかーっ!」
思わず、右拳を突き上げていた。じじいが、俺の胸へと思い切り、すり寄って来たからだ。
「楽しみにしとるぞーっ!」
八宝斉はそう言って、空へと消えて行く。
はあはあと拳を突き上げた俺の肩に、なびきがポンと手を置いて言いやがった。
「良かったんじゃん。おじいさんにおニューの水着をプレゼントして貰って。」
「持つべきものは師匠よねえ。初めておじいさんのプレゼントが役に立ったわね。」
「これで一件落着ね。」
だから、落着してねーっつーのっ!
俺は男なんだぜ…その俺が、こんな露出度の高い水着…着てられっかーっ!
恥ずかしさマックス。反論する気も残されちゃいねー。
「ま、今日は雨だから…さっそく、明日にでも、あかねちゃんをエスコートして、水泳の特訓してあげなさいよ。乱馬。」
オフクロは何故かにこにこ顔だ。男らしさにこだわるオフクロが、俺のこの状況を見て、何も感じねーのか?
…って…女物のエロい水着を着て、あかねをエスコートしろだあ?
無茶苦茶じゃねーか…。
カクカクと足を震わせる、ビキニの水着姿の俺をその場に残したまま、無責任ギャラリーたちは消えて行く。
はあああっと思い切り脱力した俺の傍らで、あかねも呆然と立ち尽くしていた。恐らく彼女も、事の成り行きに、心が付いてきていないのだろう。
「ごめんね…。あたしが変なこと頼んだから…。」
ぼそっとこぼされた詫びの言葉。
結構、かわいいところがあるじゃねーか…。
「ま…しゃーねーな…。付き合うって約束した以上はな…。」
ふっと俺はため息を共に、言葉を吐きだした
あかねのカナヅチを返上できるかは微妙だが…コーチに俺を選んでくれたわけだから…。それ相応に応えてやらねーとな…。
まあ、今日は雨模様だから…。明日以降になるけど…。
そう、外は雨。まだ、関東地方の梅雨は明けていない。
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