7月19日(土)
明日から夏休み

 今日は一学期の終業式。

 風林館は九能家が運営している私立高校だ。公立高校ならいざ知らず、私立校が世間の学校と並列で夏休みがあるのは、珍しい方らしい。
 特別な進学校でもないし、部活も並み程度。大学への進学率もそこそこある中堅私立高校らしいが、私立高校にありがちな、夏休みが短いということはない。
 これも、「夏季休暇は、スチューデント諸君にとっても、テーチャーにとっても、ベリーベリー大切なバケーションね。だから、うちの学校は夏休みを削ることは、いーたしーマセン!」とかいう、校長の主義らしい。
 が、だからと言って、 ホームルームで成績表を貰って、夏休みの注意点などを聞いて、二学期までさようなら…。というような、小学校のガキというわけにはいかない。
 
「えっと、二年生は大事な時期です。なので、五教科それぞれ、規定点に達していない人は、来週から二週間、びっちりと、補習授業を受けてもらいます!」
 担任の二ノ宮ひなこ先生が、成績を渡す前に、クラス中を見渡して、宣言しやがった。
 
 ま、これも、当たり障りのない、普通の学校のやることだが…。

 一人一人、出席番号順に名前を呼ばれて、前に取りに行く。

「早乙女君、もうちょっと真剣に勉強に取り組んでくれないと…だぶるわよ。」
 と開口一番、ひなこ先生に言われちまった。

 ははは…、ってことは…補習授業のお呼び出しが、漏れなくついてきちまったかな…。
 席に戻る途中で、ちらっと開いた成績表は…。十段階評価の六〜三。ぶっちぎりで十がついたのは、保健体育だけだった。
 五教科に限って言えば、。数学に英作文に英語講読、化学に古典、それから日本史…。現代国語と生物以外は見事な赤点。つまり、三以下って言う訳だ。
 がっくしと、うなだれる。

 自業自得とはいえ、情けねえ…。
 まあ、人並みにテスト直前の勉強はしてるんだが…やっぱ、絶対勉強時間数が少なすぎるってことだな…。
 っていうことで、成績表に補習授業の時間割が漏れなくくっついてきた。

「補習授業の案内が入っていた人は、その時間に遅れないように登校してくださいね。必要ならば、お弁当持参で。それから、最終日に確認の再テストをしますから、それに合格出来なかったら、三度までテストを受けて貰います。それでも、合格できない人には、特別宿題も出すので、ちゃんと出席するようにしてくださいね。」
 ひなこ先生の声が否が応でも耳に突き刺さる。

 冗談じゃねーぞ。これ以上、特別宿題なんか食らっちまったら…俺の夏休みは灰色じゃねーか! 
 ちぇっ!ある程度頑張るしか、ねーってことか…。




 はあああっと大きなため息を吐き出しながら、下校する川縁の道。

 じりじりと照りつけて来る、梅雨明け前の中途半端な曇天の中の太陽を背に受けて、とぼとぼ歩くフェンスの上。
 ズボンのポッケに両手を突っ込んだままだ。いつもは、さあっと渡って行く風も、今日は凪いでいて、全く頬をかすめていかない。それどころか、むわっと湿気が川底から生臭い汚水と一緒に湧きあがってくるような不快感まで感じる。

「その様子じゃあ、成績…芳しくなかったんだ。」
 俺の山の神が下から声をかけてきた。

「うっせーよ。」
 と一声投げる。
 その原因はてめーにもあるだろ…と言いたいのをグッと抑える。
 そうだ。今回の期末テストは、あかねと自習ができなかったのだ。いつもの喧嘩が長引いて、こいつがご機嫌斜めだったから、彼女にわかんねーところを全く教えて貰えなかったし、山も張って貰えなかったのだ。
 結果は最悪。赤点の羅列と相成った訳で…。
 
「ま、これに懲りたら、授業中くらいは、真面目にきくことねー。」
 なんてぬかしやがる。
 返答するのも億劫だったので、ずっと俺は仏頂面。きっと、ものすげー不機嫌顔を浮かべていたと思う。

 恐らくあかねの奴は、一教科もお呼び出しを食らっていねーだろう。
 こいつは根がまじめだから、授業もちゃんと聞いているし、普段からコツコツと机に向かうことも欠かしていねえから、平均点は全てクリアしている筈だ。卒なく何でもこなすから、悪い教科も赤点までは食らうまい。
 だからと言って、ひけらかすような奴ではないが…。

 家に帰って、親たちに成績表を手渡したところで、ガツンと言われた。

「乱馬…これはなあに?」
 とにこやかにオフクロが問い詰めて来る。顔は笑っているが、目は真剣だ。そこはかとない凄みが感じられる。

 うっ…。

 思わず、後ろに下がりかけた。

「いや…あの…その…。あははは…。」

「笑って誤魔化せる成績じゃないでしょう?」
 と眉がひきつっている。
 そう言えば、三者面談はオフクロじゃなくて、親父が一緒に来たから、何事もなく、すっとすり抜けられたんだっけ…。
 親父は廊下のバケツにつまずいて、水を浴びて変身してしまったから、案の定、ひなこ先生がはしゃいじまって、面談どころではなくなったのだ。
 だから、オフクロは俺の今学期の成績を見るのは、初めてだった。
「文武両道を貫かないと、男らしくないわよっ!乱馬っ!」
 と来た。
 オフクロの場合、男らしいか男らしくないか…判断材料がこの二者択一だから、ちょっと厄介な時もある。
「いいこと?再テスト、一回でクリアしなければ、切腹しなさいっ!」

 だから…何で、切腹…ってところまで、追い詰められなきゃなんねーんだ?

「返事は?」
 刀の鞘を手に、ぐいぐいっと迫って来る。
 そいの迫力は、親父の比ではねえ…。ボボボと気焔の炎を揺らめかせて、鬼気迫って来られると、否とはとても言えねえ。

「乱馬っ!男らしく誓いなさいっ!一回で再テストをクリアしてみせるとっ!」
 切っ先が俺の鼻先で蒼白い光を揺らめかせる。
「はいっ!わかりましたーっ!」
 直立不動で思わず言っちまった。
「わかったら、よろしい!」
 刀を鞘におさめるつもりが、手元が狂って、俺のつま先のほん目の前に、刀身がかすめた。  ズバ…っと、半歩先の畳みに突き刺さる。

 ひっ!

 背筋から冷たい物が一筋流れ出した。
 いや、遠巻きに見ていた、天道家の面々の顔からも、さあっと血の気が引いて行く。

「ごめんなさいね。刀の扱いに慣れてないから…。」

 慣れてねーなら、持ち出すなっ!…んな、物騒なもんっ!

 叫びたいのを我慢して、ぐっと堪える。
 それから、はああっとため息が漏れた。

 一回で再テストクリアかあ…。結構きついんだよなあ…それって。
 自慢じゃねーが、数学辺りは、二度、三度、再テストを受けるなんてことは、ザラだった。あの教科は一夜漬けがきかねー。最後に数学の教師が根負けしておまけしてもらって、合格…てーのが、常だったからだ。
 前途多難だな…。

 折角の、楽しい夏休みだってーのにーっ!




 夕方、道場で、汗を流す。
 成績表のことがあれから、ずっと尾を引いている俺。どことなく、動きにも精悍さが欠けている。
 それが証拠に、流した自分の汗に足を取られて、見事にすっ転んだのだ。
 そいつは、一瞬だった。

「…っととととと…。」
 
 堪えて反対側の足を出したつもりが、踏ん張りきれなかった。

 ズン…。

 尻をいささか、床板に打ち付けた。

「てて…いてて…。」
 尾てい骨を少し強く打った。肛門から痛みが頭へと突き抜ける。

「何、やってるのよー。乱馬らしくないなあ…。」
 すぐ傍で、同じく、基本の型を修練していた、あかねが、クスッと笑った。

「何がおかしい…。」
 ムスッと俺は起き上がる。

「乱馬が自滅してすっ転ぶなんて、珍しいと思ったからさー。」
 と言いながら、また、クスッと笑う。

「悪いか…。」
 ムスッと口を結んで、あかねを振り返った。

「憎まれ口を叩いてたら、手伝ってあげないんだから。」
 そう言って、にっこりと微笑まれた。

「え?」
 何のことだと、あかねを見返す。
「おばさまに頼まれたのよ。このままじゃ、不味いから、あんたの個人教師をやってあげてくれないかって。」

「個人教師だあ?」
 思わず、素っ頓狂な声を張り上げてしまった。

「おばさま、あんたのことが急に心配になったみたいよ。だから、頭下げられちゃった。」

「おめー…受けたのか?」
 あんぐりと口を開いたまま、あかねへと問いかける。
「ええ、特に断る理由もなかったからね。だから…。今夜から、二時間、特別にあんたにつきあってあげるからね。」

 おい…。冗談じゃねーぞ。
 おめーがつきっきりで、お勉強だあ?

 俺の頭はぐるぐると回り出す。

「あんただって、切腹はしたくないでしょう?」

 まーそうだが…。
 って、俺、勉強に集中できるんだろーか…。切腹よりそっちが心配だぜ…。

「あ、テキストは夏休みの宿題プリントだから、宿題もはかどって一石二鳥でしょ?」

 なんか、俺の知らねーところで、どんどん話が進んでいきやがる。俺の意志とは、全くかけ離れたところで…。

「あ…あたしもあんたに付き合って欲しいことがあるから…。それで貸し借り無しの相殺ってことで引き受けたのよ。おばさまも乱馬に頼んだら良いって言ってくれたし…。」
「俺に付き合って欲しいこと?」
 キョトンとあかねを見返した。

 まーこいつのことだ。なびきみてーに、金銭を絡めてオフクロと折衝した訳ではあるめぇ。

「わかったよ…。素直に申し出に従ってやらあ。」
「あー。教えを乞う癖に態度でかいわねー。」
「うるせー。態度がでかいのは生まれつきでいっ!」


 そんなこんなで、熱い夏休みが始まった。
 とりあえずは、再テスト合格…それが前半部の目標になるな…。
 後半の楽しい夏休みのためにも…しゃーねえ…頑張るか。


 俺は起き上がりながら、こそっと気合いを入れた。


 


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