■ ファイト一発! 味噌汁日和 7 ■
第七話 父と子、明日への戦い

十五、

「ふーん。婿殿は我らを迎え撃つつもりか…。」

 暗がりの中、白蓮婆さんがふつっと言葉を漏らした。
 抜き足差し足忍び寄った天道家の二階。あかねの部屋はモヌケの殻だった。ベッドの上にあかねの姿は無く、どこかへ移ったことは明らかであった。
 八宝斎の爺さんは、無言で暗がりを見つめる。
「どこへ隠れても、あぶりだしてやるぞよ…。」
 ゆらゆらと、侵入者たちの影が、月に照らし出される。
「いや、別に隠れているわけではなさそうじゃぞ…。」
 ちょっと離れたところから、可崘が声をかけてきた。さっきの襲来時には、ついては来なかった。絶大の信頼を置いていた、白蓮の手腕に任せ、珊璞と猫飯店で吉報を待っていたのだ。が、八宝斎がしくじったとなると話は別だった。
 恐らく、乱馬は、あかねを亡き者にする陰謀に気付いたに違いない。十中八九、誰が後ろ側で糸を引いているかも、悟っているだろう。
 珊璞も乱馬に嫌われるのは嫌だという一心からか、二度目は自分も協力すると、言い張ってここまでついて来てしまったのだ。

「たく、可崘ちゃんも珊璞ちゃんも、わざわざついて来なくても良いものを…。」
 白蓮婆さんが後ろを振り返った。
「いや、あの子とて、必死なんじゃよ。最近の婿殿は、明らか、許婚のあかねに惹かれておるからのう…。しかも、二人の子が未来から尋ね来たとなると…尚更、焦りも出てくるというもの。」
「まあ、乙女心もわからぬでないが…。」
「大丈夫じゃ。珊璞も強い子じゃ。己の信念は貫き通す。足手まといにはならぬじゃろうて。…それに、婿殿を牽制する手段にもなり得るからのう…。」
 可崘はにっと笑った。
「最後は己の手で…引導を渡す…。まあ、良かろう。好きにするが良いわ。」
 白蓮婆さんはにっと笑った。

 と、先を行く八宝斎の視線が、ある一点へと注がれていく。あかねの部屋から見下ろす庭先。そのまだ先にある別棟の方を、八宝斎はじっと見た。
「あかねちゃんは、あそこに居る…。」
 道場を指さした。
「ほう…。あれは?」
「道場じゃ。なるほど、あそこなら、ここよりも優位に身体を動かせる。考えたな、婿殿。」
 可崘がにやりと笑った。
「やはり、待ち構えておるのか…。これは面妖な…。術も知らぬ素人が。」
 白蓮も不敵な笑みを浮かべる。
「珊璞。念のため、準備を整えておけ。」
 可崘は後ろに居た珊璞に、そう指示を与え促した。
「わかったある。」
 珊璞は素直にその指示に従うつもりだった。すうっと婆さんたちの前から姿を消した。
「用心深いのう…。可崘ちゃんは…。ワシの腕を信頼しとらぬか?」
「いや。そういう訳ではないよ。白蓮ちゃん。万全の対策を講じておくのが、女傑族のやり方ではなかったかの?」
「そうじゃな…。ハッピーはさっき、一度しくじっておるしのう…。」
 無言で八宝斎は、道場を目差す。
 どうやら、本当に、乱馬たちは道場内へ居るようだった。微かだが、複数の気配が道場の中から感じ取れた。

「さあ、ハッピー。もう一度じゃ。今度こそ、あかねの霊魂、全てを吸い上げて来い。さすれば、あかねは永遠に南蛮ミラーと共に、おまえの物。そして、ランジェリー宝箱も全ておまえの物。行けーっ!」
 白蓮の声と共に、八宝斎が、道場目掛けて一目散駆け出した。

「あっかねちゅわ〜ん!ハッピーちゃんですよーっ!」
 緊張感も何もない雄叫びで、あかねの元へと一直線。背後に居た白蓮も、思わず苦笑いを飛ばしてしまった程だ。

「来たな!エロじじいっ!」
 迎え撃つ乱馬も、やり合う気に満ちている。
「今度はただじゃおかねー!のしあげてやるぜっ!」
 怒りが乱馬を突き動かしている。

 八宝斎は鍵のかかっていた道場の引き戸を、強引にこじ開けると、そのまま、中へと突進してきた。
「あっかねちゃーん!」
 小さな身体ごと、思い切り、あかね目掛けてダイビング。
「おととい来やがれーっ!」
 下で待ち受けていた乱馬の拳が炸裂する。
「乱馬のへなちょこ拳なんか、当たらないよー!ベロベロベー!」
 ふざけた言動を残し、八宝斎はあかねへと突進をし続ける。と、その背後で、未来が声をあげた。

「八宝斎のお爺ちゃーん。ねえ、あたしのパンティはいかがかしらん?」
 ヒラヒラと白い布を右手で振りながら、甘く声をかけた。
 眠り続け反応のないあかねより、ど派手なパフォーマンスで誘惑してくる未来へと視線が移るのは、自然の成り行き。
「ほーらほら、昨日実際にはいていた超レアものよーん。」
 さすがに乱馬の血を引いているだけのことはある。女に変化した時の乱馬ばりに、大げさにチラつかせて見せる。その大胆ぶりに、ゴクリと八宝斎の喉が鳴った。
「要る、要る、要るっ!欲しいぞーっ!みっくちゃーん。」
 八宝斎はくるりと身を翻すと、未来目掛けて突進を始める。
「欲しかったらご自分で捕ってごらんなさ〜い。おほほのほ〜。」
 未来はパンティー片手に、道場内を動き回り始めた。
「そーらそら、追いかけっこなら、負けないぞー!」
 八宝斎は最早、白蓮の命令など忘れ果てていた。
 きゃははきゃははとはやし立てながら、未来は八宝斎から逃げ惑う。

「たく、ハッピーめ…。完全に己を見失っておるな…。」
 物陰から見ていた可崘が苦笑いをした程だ。
 助平心を刺激された八宝斎は、その過程を楽しみながらも、だんだんに未来を追い詰めていく。暗闇など、何のそのだ。
 とうとう、未来は八宝斎の動きに捕まった。
「みくちゃんのパンティー、いっただきー!」
 そう言いながら、覆いかぶさるように、未来へと頭から突進していった。
「かかったな!じいいっ!」
 方向転換した八宝斎に、乱馬が背後から襲い掛かった。八宝斎の動きを伺いながら、飛び掛るタイミングを見計らっていたのだ。
「うぎゃあーっ!」
 乱馬の急襲。しかも、あかねの命がかかっているとなると、自然、力も入るというもの。いつもの比ではない破壊力で、八宝斎を一撃で打ちのめした。
「無念…。このワシともあろう者が…油断したーっ!」
 空を舞いながら、八宝斎はドサッと道場の床へと投げ出される。
「それ、みくっ!」
 その機を逃すものかと、未来へと合図を送った。
「わかってるわっ!」
 未来は、八宝斎に馬乗りになって、着物の中をまさぐった。南蛮ミラーを探し出すこと。それが彼女の使命だった。
 乱馬は辺りを牽制しながら、警戒にあたる。八宝斎を後ろで操っていた術者が、近くに潜んでいるのはわかっていた。油断は大敵だ。
「無い、どこにも見当たらないわ!南蛮ミラー!」
 必死で探すが、目的のブツは見当たらない。八宝斎を足から持って、逆さにゆすってみたが、それらしい物は、終ぞ見つけることが出来なかった。

「そりゃ、見つからないだろうよ!ハッピーは持ってはおらぬからのうっ!」
 唐突だった。
 乱馬の横を掠めて、同時に三つの影が蠢いた。
 可崘婆さんとその友人白蓮。そして、珊璞、それも猫に変化した彼女だった。
 大の苦手な猫。乱馬最大の弱点だった。
「うわーっ!猫ーっ!猫ーっ!」
 珊璞がニャンニャン言いながら、背中に乗ってきたことを受けて、案の定、取り乱してしまった乱馬。
「来るなーっ!こっち来るなーっ!あっちへ行けーっ!」
 半ば狂乱状態で、珊璞猫を追い払おうとしたが、巧みに避けながら、珊璞は乱馬にくっつき続けた。
「それ、今度はワシらの番じゃ!」
 乱馬が珊璞猫に気後れしたのを受けて、可崘と白蓮が二人同時に未来へと襲い掛かる。
「きゃああああっ!」
 未来の悲鳴が道場を轟き渡った。
 二人の婆さんに押し倒され、持っていた南蛮ミラーを奪われた。南蛮ミラーを手にしたのは可崘婆さんだった。
「ふふふ、これでワシらの勝ちじゃ!」
 勝ちどきを上げながら、可崘は未来から奪った南蛮ミラーを手に翳した。
「それっ!月影を映せ!白蓮ちゃん。そして、あかねを今度こそ、消滅させるのじゃーっ!」
 その声を合図に、白蓮も南蛮ミラーを懐から取り出した。

「駄目ーっ!やめてーっ!」
 未来の渾身からの声が、道場に響き渡る。

 が、無常にも、婆さんたち二人が掲げる南蛮ミラーに、天窓から差し込む満月が映し出される。鏡から鏡へ伝達される月光は、異様なまでに青く、キラキラと輝いて真っ直ぐにあかねに向けて飛んで行く。
 あかねの身体が、月明かりに包まれた。
「さあ、消えてなくなれ!跡形も無く!」
 勝ち誇ったように、白蓮婆さんが、声を荒げた。

 どれほどの時が過ぎ去ったのか。
 翳した光に包まれているのに、あかねの身体は、消え果る事無く、そこに横たわっていた。

「な?何故消えん?」
 焦ったのは白蓮婆さん。本来なら、月光を反射した光に包まれると、そのまま霊魂を南蛮ミラーに引き込まれ、身体ごと虚空へと消え果てしまう筈なのだ。だが、一向にその現象は現れない。

「そりゃそうよ、本物の南蛮ミラーは、それじゃないもの!」
 今度は白蓮の背後から未来が飛び掛った。そして、あかねに翳されていた南蛮ミラーを奪い取る。
「何をするっ!」
 白蓮と可崘が動こうとした時だ。
「行かせねーっ!」
 珊璞猫に乗られたままの乱馬が、渾身の力を振り絞って、婆さん二人目掛けて、全身でタックルした。
「ニャーン!」
 珊璞猫が悲鳴のような啼声を張り上げて、身を翻す余裕すらないまま、婆さんたち二人と共に、床面へと叩きつけられた。そのことからも、乱馬の無我夢中の激しさを察せるだろう。

「今だっ!みくっ!なびきーっ!」

 乱馬が放った声を合図に、二人の娘が、手にした南蛮ミラーをリレーさせて、月光をあかねに傾けた。
 と、未来が持っていた南蛮ミラーから、キラキラと何かが大量に飛び出してくるではないか。そいつは、真っ直ぐな一筋の光となって、あかねを照らし出す。
 その光を受けて、あかねの身体が黄金に輝き始めた。体内に月の光を吸い込むように、キラキラと揺らめいた。と、それまで透けていたあかねの身体、それが、血色を取り戻した。
「あれ?…あたし、一体何を…。」
 血色を取り戻したあかねは、正気を取り戻して、目覚めた。
 勿論、何が己の周りで起こっているか、理解できよう筈も無く。

「戻った!戻ったわ!良かった…本当に、良かった!」
 未来は思わず、あかねへと抱きついていた。
「え?何?どうしたの?みくちゃん。」
 いきなりの未来の反応に、焦ったのはあかねだ。何が何だかわからぬままに、目の前で未来が泣いている。
「ねー乱馬、説明してよ!」
 と助け舟を求めた。
「いや、説明は後だ…。まだ全てが、終わった訳じゃねー!」
 乱馬はすっと、あかねと未来の前に出て、身構えた。
 そう、まだ、戦いは、完全に終結したわけではない。

「うぬら…よくも、ワシらをなぎ倒して…。」
 人心地がついた白蓮が、床から這い上がると、激しい瞳で乱馬をにらみつけた。
「かくなる上は…。」
 さっと懐から護符を取り出し、反撃の構えに出ようとした。
 乱馬も未来の肩越しに、白蓮が動いたことを察知していたのだ。
「まだやるか。やるなら容赦はしねえ!」
 怒り心頭、乱馬はぐっと丹田に再び力をこめる。道場をぶっ飛ばすくらいの強い勢いで、気を溜め始めた。迦楼羅の焔の如く、ゆらゆらと乱馬の背や肩から、怒りの闘気が立ち昇っていた。

「待て!白蓮ちゃん。」
 それを制したのは、可崘だった。婆さんは常に手にしている杖を、白蓮婆さんの目の前に翳して、動きを止めた。
「可崘ちゃん?」
 いきなり何をするのだと言わんばかりに、白蓮が可崘を見つめ返す。
「白蓮ちゃん。もう良いんじゃ。この度は、わしらの負けじゃ…。」
 可崘は引き際をわきまえていた。これ以上は、無駄な戦いになると、判断したのだろう。乱馬を襲ったところで、最早、奇襲というわけにはいくまい。彼の実力は、可崘自身も認めていた。

「しかし…それでは珊璞ちゃんが…。」
 と言いかけた白蓮を、可崘は強引に止めた。
「珊璞とて、これ以上の禍根を婿殿と残すのは良しとはしまいよ…。それに、あの様子を見て、これ以上はとても、踏み込めぬわい。ワシにも女傑族の前に、人の子としての血が流れておるからのう…。」
 可崘婆さんは、月明かりに映し出される、未来とあかね、そして、真摯な瞳で身構える乱馬の様子をじっと目で追う。
 これ以上、愛する者たち二人に手出しはさせまいと、凄みながら、己の気を一気に高めている乱馬。その瞳の強さに、負けを認めざるを得なかった。

「彼らの絆を、ワシらが無造作に断つことを、天の月は許さなかった…。それだけのことじゃ。」
 可崘婆さんはそう言い放つと、くるりと背を向け、伸びている珊璞猫を抱き上げた。
「さあ、白蓮ちゃん。帰ろう。おたおたしていたら、夜が明けてしまうわい。」
 そう言葉を残すと、道場を後にした。
「敗者は引き際も大切…か。良かろう…可崘ちゃんがもう良いと言うのなら…。」
 白蓮も、珊璞猫も可崘婆さんの後を追って、乱馬たちの前から立ち去って行った。


十六、

「行ったか…。」
 ふううっと乱馬は全身の力を抜いた。
 張り巡らされていた緊張の糸も、これでやっと緩めることができた。

「良かったわね。明日を失わなくて。」
 なびきが乱馬の傍にやってきて、あかねと未来に聞こえない声で、こそっと耳打ちした。
「ああ、おめーがいろいろ知恵を貸してくれなかったら、本当に危ないところだったぜ。礼を言うよ。」
 乱馬も、もそもそと返事をする。
「へー、結構、謙虚じゃん、あんた。」
 なびきが笑った。
「うるせー!おめーだって、妹や姪っ子の命がかかってたから、タダで協力する気になったんだろう?同じじゃねーか。」
 荒くなりそうな声を必死で抑えて、なびきに苦言を申し立てる。
「だって、あかねが居なくなったら、あんたはあたしの許婚ってことになるかもしれないじゃないの。そんなのお断りよ。あんたみたいな格闘バカ。」
 と、手を振った。
「俺だっておめえみたいな業突く張りなんかの婿はお断りでい!」
 思わず、乱馬も反論してしまった。
「それに、あかねが居なくなれば、あかねの生写真で儲けることもできなくなるし…。結構人気があるから、良い値段でどんどんと売れるのよねえ…。金づるが無くなるのはちょっとねえ…。」
「…たく、おめーらしい理由だぜ。」
 吐き出した乱馬を背に、くるりと翻ると、
「さて、もう大丈夫そうだから、あたしは休むわよー。あかねなら適当に誤魔化せば、大丈夫よ。あの子、相当鈍いから…。」
 と、笑いながら、背を向けた。
 
「おたおたしてたら夜が明けちまうな…。おい、あかね、みくも、休もうぜ…。」
 と、乱馬は後ろを振り返る。

「ねー乱馬。その前に、ちゃんと説明なさいよー。何がどうなったのよ?」
 あかねが怪訝な顔を差し向けた。
 彼女にしてみれば、何が何だか訳がわからなかった。道場に居る意味も、八宝斎が傍らで伸びていることも…。それから、さっきまで殺気立っていた珊璞の曾婆さんとその連れの謎の婆さん、それからのびていた猫珊璞と。
 どこをどう考えてみても、それらの事象と面子の関係が繋がらなかった。
「珊璞の婆さんとそこのじじいが結託して、いろいろ仕掛けてきたんだよ。それだけだ!」
 乱馬が簡潔に言ってのける。勿論、全てを説明するわけにはいくまい。あかねには未来の素性を話すのも、何だかくすぐったいし、面倒だったのだ。なびきが水を差したとおり、ここは、適当に誤魔化そうと思った。
「そんなんじゃ、わかんないわよ!ちゃんと丁寧にわかるように説明なさいよ!」
 とあかねが言った。
「あー、もー面倒だからそれ以上説明したかねー!それに、おめーがじじいに襲われて、気絶なんかするから悪いんだ!いちいち説明なんか求めるなっつーの!この寸胴女!」
 と、いつもの如く、乱暴に言い払った。ダメ押しの「寸胴女」。その台詞に、カチンと頭に血が上ったあかね。
「何ですってえー?もう一度言って御覧なさい!」
「寸胴女!寸胴女!寸胴女!」
「何度も言うなーっ!」
「けっ!寸胴女に寸胴女と言って、何が悪い!」
「いい加減になさいよねーっ!」
 だっと起き上がって、あかねが駆け出した。そして、ブンブンと腕を乱馬目掛けて奮っている。
「へへへ、おまえの弱っちい拳なんか、当たらねーよ!」
 あかんべえしながら、走り回る乱馬。


「ほんと、あんたの父親は…。素直じゃないというか、照れ屋だというか…。バカだわね。」
 なびきが傍らの未来に話しかけた。
「そーよね…。この期に及んで、母さんに喧嘩を吹っかけちゃうんだから…。」
 未来も同調した。
「でも、ああやって口汚くののしってるみたいだけど…。本当はお父さん、物凄くお母さんのこと好きなんだね…。」
 未来の瞳は輝いていた。
「まあ、そのことに関しては、否定はしないわ。」
「ちょっと羨ましいな…。いつも、ああやって、素敵に口喧嘩できる許婚って存在が近くに居るなんて…。」
 未来はにっこりと微笑んだ。
 父は母を物凄く愛している。それは、過去でも同じだったんだと、素直に羨ましかった。
「そーね…。脇から見ていても、もうちょっと、愛情表現の方法があるでしょうって言いたいけれど…。あの二人にとって、痴話喧嘩こそが、溢れる愛の証…なんでしょうよ。」
「でも、愛情は互いに空回りしてるみたいだけど…ね…。」
「ま、その空回りが円滑に回り始める日が来るから…あんたが生まれてきたんでしょうけどねー。」

 視線の先で睦びあうように、痴話喧嘩しながら追いかけっこしている、若い両親の姿が、今の未来にはとても眩しく、そして、羨ましく見えたのだった。



十七、

 翌朝、何事も無かったかのように、天道家の朝は始まった。

「ねえ…。昨日の晩、何があったの?」
 と朝起き抜けに、姉のなびきに尋ねてみた。
 あかねは、己の身に何が起こっていたのか、全く覚えても居ない様子だった。昨夜、道場で目覚めた時も、きょとんと泣きじゃくる未来を見据えるだけで、困惑気味だったのだ。
「ちょっとね…。八宝斎のおじいちゃんがあんたにちょっかいをかけてきてね…。いろいろすったもんだあったのよ。あんたは気を失っちゃうし、みくちゃん、かなり動揺していたみたいだしねえ…。」
 なびきは面倒くさそうに、そう説明してくれた。
「いきなり目覚めたのが道場だと思ったら、みくちゃん、泣きじゃくってるんだもの…。びっくりしちゃったわよ。」
「そりゃあそうでしょう。未来ちゃんには、八宝斎のお爺ちゃんがどんな助平爺さんかなんて…知る由もなかったでしょうしねえ。」
 なびきは上手い具合にはぐらかしにかかる。
 乱馬と未来、双方から、未来の素性について、一切、あかねに知らせることを、止められていたからだ。もとい、口止めされなくても、あかねに告げる気持ちも無かった。
 みくの正体が何であれ、知らせる必要は無いと、この合理的な姉は判断していた。

 昨晩起こったことは、結局あかねには、良くわからずじまいだった。
 ゆうべの追いかけっこの時、乱馬の表情が、いつもと違って、穏やかに見えたのも、少しは気にかかったが、それも、良く理由はわからなかった。
 可崘やその友人に惑わされた八宝斎が、あかねを襲い、道場へ連れ込んだところを、乱馬とみくが必死で助け出した…。
 と、まあ、こんな説明で、納得するしかなかった。


 いつもより、少し遅いめに起き出して、未来と連れ立って台所へ立つ。
 そして、味噌汁修行をおっぱじめる。
『今日こそは、乱馬に美味しいと言わしめる。』
 互いの望みはそこにあった。
 未来の希望もあって、今日は、あかねと未来、それぞれ違う鍋で味噌汁を作っていた。一人の手で最初から最後まで仕上げたい。最終日にあたって、未来がかすみに希望したのだ。
「そーね。今までは、二人一緒にやっていたから、個性で味がぶつかっちゃったのかも…。それで、満足いく出来にならなかったのかもしれないわね。
 じゃあ、今日は、二人それぞれがやってみなさいな。」
 かすみが快諾した。
 コトコトと、だし汁を作ることから始まる、味噌汁作り。
 今日が最後の修行日。今日中に未来へ帰る。そう決めていた未来は、かすみの言を逃すまいと、メモを取りながら、作業を続ける。
 自然と、あかねもつられて、いつもに増して、真剣に作業していく。

「今日のは大丈夫みたいね…。」
 出来上がった二つの味噌汁の鍋を見比べながら、かすみがにっこりと微笑んだ。立ち上がる湯気からも、美味しい味噌の香りがする。不ぞろいだが、豆腐もなんとか壊さずに入れることができたし、干わかめも適度の柔らかさに戻せた。青ネギは相変わらず繋がっている場所もあったが、まあ、それくらいは及第点に入ろう。
「二人とも、これなら、きっと、乱馬君も納得してくれるわよ。」
 小皿で味見をしてくれたかすみが、双方の味噌汁に太鼓判を押す。
「二つ揃えて、乱馬君に出してあげる?」
 というかすみの問いかけに、未来が首を横に振りながら言った。
「あたしは良いです。乱馬さんには、あかねさんの作った味噌汁を飲ませてあげてくださいな。」
 意外な言に、あかねが驚いた。
「みくちゃんの味噌汁も乱馬に飲ませなさいよ。あいつ、今までぼろっかすに言ってたじゃないのー。見返してやらなきゃ!」
「ううん、やっぱり許婚のあかねさんのを飲ませてあげるべきだわ。それに、味噌汁は喧嘩の道具じゃないでしょう?」
 未来が笑った。
「あかね、これはみくちゃんに一本取られたわね。そうね…。乱馬君にはあかねちゃんのをあげるとして、みくちゃんのはお父さんたちに飲ませてあげましょうか。」
「はい、そうしてください。」
 どういうつもりで、未来がそんなことを言い出したのか、あかねにはわからなかったが、その場は未来の申し出を受けることにした。未来とどっちのが美味しいとか、そういう争いになるのも、気持ち的に嫌だったからだ。
 
 当の乱馬は、なかなか起きて来なかった。
 休日だということもあったが、昨晩、張り切りすぎて、疲れていたのだ。
「こりゃ、乱馬っ!いつまで寝とるのじゃ?」
 なかなか起きてこない息子に、玄馬が起こしに来た。休日とて、天道家は皆揃って、朝ご飯を食べるのを常としている。学校へ行く平日よりは少し遅い時間帯だったが、ちゃんと朝食と呼べる時間に、食卓へつくのが天道家の決まりごとでもあった。
「たく…。夕べ、何があったか、親父は知らねーだろ?俺は、大変だったんだ。だから、疲れてるんだ…。もうちょっと寝かせてくれー!」
 そう言いながら、布団を被る。
「何を言うか!修行は日夜、規則正しく行ってこそ、精神も肉体も双方が鍛えられるというもの。己が武道家だという事を忘れたか?このどら息子!」
 玄馬が枕元で文句を言う。
「たくーっ!昨日の八宝斎の乱入事件、全く起きて来なかったのは、親父だけだろうがあ…。好い気なもんだぜ。てか、異変を察して起きられないなんて、てめーこそ、武道家と呼べるのかあ?」
「うるさい!ワシの休んでいる部屋まで聞こえてこんかったんじゃい!」
「なーにが、聞こえてこなかっただよ!かすみさんや早雲おじさんだって、ちゃんと起きて来たぜ!」
 逆に乱馬が玄馬を攻め立てたほどだ。
 現に昨夜、最初に八宝斎があかねの部屋を襲った時、異変を嗅ぎ付けて、なびきばかりでなく、かすみや早雲も様子を見に来ていたのだ。だが、玄馬だけは、姿を現さなかった。このスチャラカ親父は、異変など気にすることもなく、また、嗅ぎ付けることもなく、普通に眠り呆けていたようだ。
 これが、呆れずにいられようか?
「親父は気楽で良いよな…。さすがに、エロ妖怪の弟子だけはあるぜ。」
 決して褒め言葉ではない文言の羅列であったが、玄馬はどう評されようとも、一向にお構いなしであった。

 そんなやりとりを二階でしていると、階下から芳しい匂いが漂ってきた。
(そういえば、昨夜から何も食ってなかったよなあ…。すっげー腹は減ってるぜ。)
 食事の匂いを嗅ぎながら、腹をさすった。さっきから、グーグーとお腹が鳴っている。
 さすがに眠気も、空腹感には勝てないようだ。
「そーら、おまえの意地汚い腹時計も鳴っているではないか。起きよ。起きて飯じゃ飯じゃ。皆待っておるんじゃぞ!」
 と玄馬に強く言われた。
「わかったよ…んなに怒鳴るなよ!親父のおかげで目は覚めてらあっ!」
 渋々と、布団から抜け出すと、いつものチャイナ服へと着替えた。



 


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