■ ファイト一発! 味噌汁日和 6 ■
第六話 タイムパラドックスの脅威

十三、

 がっくりとうなだれたままのあかねを抱きしめながら、乱馬はじっとなびきと未来を見比べていた。
「わかった…。話を聞いてやらあ…。でも、事と次第によっては容赦はしねーぞ。」
 と威嚇しながら、二人を見た。
「ったく、そんな怖い顔しないの。みくちゃんが怯えきってるじゃないの。それに…。みくちゃんはあんたが思っているような妖(あやかし)の類なんかじゃないわよ。」
 そうだ。あまりにミステリアスな未来の様子に、妖怪か化け物の類ではないかと、疑い始めていた。己の体質が呼び水になっているのか、この界隈、怪しげな奴らが横行していたからだ。
「じゃあ、訊くが、だったら、みくは一体何者なんだ?」
 鋭い瞳で未来を見た。
「ほんとっ、あんたってば鈍いわねえ…。これを目の当たりにしても、まーだみくちゃんの正体がわかんないんだ。あたしは、これのおかげで確証したってーのに。」
 なびきは伏せた南蛮ミラーを乱馬の前に置いて微笑みかける。
「わかんねーもんはわかんねーんだ!出し惜しみしてないで、とっとと説明しやがれ!」
「もー、短気なんだから、乱馬君は…。ま、良いわ…。っと、みくちゃん、あんたに訊くけど…。乱馬君はあんたのお父さんでしょ?そう理解して良いのよね?」
 その問いかけに、未来は黙って俯いたまま、コクンと頭をうなだれた。
「じゃあ、もう一つ、お母さんはあかねなのね?」
 再び、未来の頭が縦に揺れる。

「あん?今なんて言った?」
 突拍子も無いなびきと未来のやりとりに、見開く乱馬の瞳。乱馬は思わず、聞き返す。

「だから、みくちゃんは、あんたとあかねの間に出来た、娘…ってことよ。」
 なびきは、トンと乱馬の背中を叩いた。

「な…な…何だってええっ?」
 思わず、抱いていたあかねを落としそうになった。あんぐりと開いた口は、閉じそうもない。

「この南蛮ミラーが如実にそれを物語ってるんじゃないの?」
「な、南蛮ミラーだと?」
 乱馬は置かれた鏡を手に取った。
 確かに、見覚えのある手鏡だ。
「ほら、南蛮ミラーって自由に時代を行き来できる、タイムマシーンのような道具なんでしょ?」
「あ…。」
 やっと、思い当たったのだろう。乱馬は小さく声をあげた。一度、この鏡を手に、過去へ旅したことがあったのを思い出したのだ。
「そーゆーこと。みくちゃんは未来からやってきた、あんたとあかねの娘ってことよ。ねー?違うかしらん?」
 なびきは未来へと促すように問いかけた。
「そうです…。なびき伯母さんの言うとおりです。あたし…。未来から来ました。父の名は早乙女乱馬、母の名は早乙女あかね。そして、あたしの本当の名前は早乙女未来です。」
 未来は、ゆっくりと頭を上げながら己の素性を名乗った。
「ほえ…。俺とあかねの娘…。」
 乱馬にとっては、脳天を強く何かで打ち抜かれたような衝撃だった。呆けたように見つめる瞳。そこに映し出される未来の姿は、確かに、己が抱きしめるあかねの姿とどこか重なる部分がある。目元などそっくりではないか。
「ちょっと、伯母さんは余計よ!今はなびきさんで良いわよ、みくちゃん。」
 苦笑いしながら、なびきが言った。
「ごめんなさい。謀(たばか)るつもりはなかったんだけど、娘だなんて言っても信じてもらえそうになかったから…。嘘をつきました。」
 ペコンと頭を垂れて、詫びた。
「ははは…。そーか。だから、無差別格闘流の型をきちんとマスターしていたのか…。道理で、敵前大逃亡のような、スチャラカ奥義も使えた訳だ…。」
 未来の正体が明らかになったことで、緊張感が緩んだのか、全身から力が抜け落ちた。思わず、ペタンとそのまま、あかねを抱えて床へと沈む。
「たくー、父親の癖に、今の今まで全然気付かないだなんて…。あたしは一発でわかったわよ。あんたとあかねの身内だってね。」
 なびきが笑ってみせる。
「んーなの、気付くわけねーじゃん!そもそも、俺がこいつと結婚するだなんて…。」
「あーら、あんたはあかねの許婚じゃないのー。流れ行くままに、ちゃんとした鞘に収まったってことでしょ?うりうり、本当は内心、喜んでるんじゃないの?」
 ちょっとからかい気味になびきが言った。
「こら!茶化すな!今はそんなことを言いあってる場合じゃねーっつーのっ!」
 乱馬が顔を真っ赤にして怒鳴った。照れ隠しも働いたのだろう。
「そうね…。この場はこの状況のことも把握しておかなきゃね。」
 なびきが頷く。
「なびき、端的に問うが、これは一体…。」
 あかねの身体が透けている事実をなびきに推し量った。
「あかねに起きているのはタイムパラドックス…。多分、これが引き起こした現象ね。」
 なびきは即答した。
「タイムパラドックス…だあ?」
「ええ、タイムパラドックス…。直訳すれば、時間の逆説。ま、いろいろな解釈があるけれど、簡単に言うと、「時間旅行によって生じる矛盾」のことよ。」
「良くわかんねーけど…。」
 小首を傾げながら、なびきに説明を求める。
「時にSF物語の題材になるタイムマシンやタイムトラベルネタの一つよ。例えば、何年か前に「バックトゥーザフューチャー」っていう映画シリーズがあったでしょう?主人公が親しい博士が作ったタイムマシンに乗って、時間飛行し己の両親の恋路へ干渉する映画…。あれも、タイムパラドックスを利用した作品だったわね。」
「何か、聞いた事あるな…。それ…。」
「ドラえもんやドラゴンボールなんかも、タイムパラドックスを上手く使って物語を展開させてあるわ。」
「ああ、あの国民的な漫画作品か…。」
「ここから先は、あたしの仮説に基づいて話すんだけど…。」
 なびきはゆっくりと乱馬と未来に話をし始めた。

「タイムとラベルによって生じた矛盾を修正するために、時に世界は自浄しようとする力が作用することがあるんだって…。まあ、良く、SFなどの作り話の中でテーマに扱われることもあるけど…。で、これは仮説だけど、それと同じようなことが、あかねの身の上に起こってるんじゃないのかしらね…。」
「あん?話が見えて来ねーぞ…。」
「ちゃんと説明してあげるから、乱馬君(あんた)は黙ってて…。」
 なびきは口を挟もうとした乱馬を牽制した。あまり横から茶々を入れられては、話が見えづらくなってしまうからだ。
「これもSF作品で読んだことがあるんだけど…。例えば、過去の自分と現在の自分。それが遭遇してしまったら、どうなると思う?」
「うーん…。俺は過去の己と遭遇したことがあるけど、別に何とも無かったぞ。」
 自分の場合を思い出しながら乱馬が唸った。
「それは運が良かっただけかもねー。」
「運が良かった?」
「良く言われていることの一つだけれど、例えば、未来と現在、又は過去で同じ個体が触れ合ったとき、相殺する力が働くらしいわよ。」
「あん?」
「つまり、何らかの偶然が重なって、同じ個体が触れ合った途端…その双方の存在そのものが虚空へ消え去るって寸法ね。」
「俺、過去で己と触れ合ったが、消えなかったぜ…。元にここに居るだろう?」
「男の姿で触れ合ったわけじゃないでしょ?」
「あ…。そっか、女に変化してたか…。」
「女の姿で行き会ってたんじゃ、別の存在と解されて消滅作用が働かなかったのかもねー。」
「でも、八宝斎のじじいは過去の己と触れ合ってたぞ…。」
「お爺ちゃんは妖怪みたいな存在だもの…。飛騨の山奥の洞窟に数年間も閉じ込められて平気だったってことからして、もう、人間からは超越しているわ…。
 というより、タイムパラドックスを利用した消滅をさせるには、何か呪術的な咒法が働くのかもしれないわよ。」
「呪術的な咒法だあ?」
「ええ…。恐らく、そうなんじゃないかと思うんだけど…。ほら、お爺ちゃんが絡んでたのも気になるし…。」
「随分、曖昧な話だなあ…。」
「端的に言うわ。お爺ちゃんを利用して、あかねを消そうとしている奴らが居るってことよ…。」
「な、何だって?」
 乱馬の表情が険しくなった。
「現に、あかねの身体に、はっきりと異変が起こっているじゃないの。」
 透明になりかけているあかねの肌を指差して、なびきが言い放つ。
「良くわかんねーな…。あかねを消すにしても、何をどう利用してんだ?」
「頭の回転が悪い奴ねえ…。」
 なびきは愚弄したように乱馬を見つめた。
「何だと?」
 バカにされたと思い、ぎゅっと拳を握り締めた。
「あかねが二人居なくても、この状況は利用できるわ…。多分、敵はこれを使ったのね…。」
 そう言いながら、南蛮ミラーを指差した。
「南蛮ミラーを使ってだと?」
「ええ、そうよ。だって、さっきお爺ちゃんも南蛮ミラーを手に持っていたじゃないの。南蛮ミラーを使って、何らかの方法であかねを消そうとした…。そう考えるのが妥当じゃないの?」
「あ…。」
「当事者のみくちゃんに聞くけど、あかねに異変が起きた時、どうだった?」
 なびきは落ち着きを取り戻しつつあった未来に、状況説明を求めた。

「なびき伯母さんが言うとおりです…。あたし、この眼ではっきりと見ました。八宝斎のお爺ちゃんが手にした鏡が、お母さんの身体の中から何かを吸い込んでいる光景を…。
 あたしが起き上がって、その南蛮ミラーが倒れたら、いきなり「失敗した!引けっ!」っていう別のお婆さんのような声が聞こえて…。お爺ちゃんは一目散に逃げて行きました。」

「これではっきりしたわね…。恐らく、現時点で二つ存在している南蛮ミラーを使って、あかねという存在をこの世から雲散霧消させようとしたんじゃない?」

「ゆ、許せねえ…。」
 あかねを抱えていた乱馬が、怒りでわなわなと震え始めた。

「あかねが消えれば、みくちゃんの存在も有り得なくなるわ。だから…。ほら、みくちゃんの身体にも異変が微かだけど、起こってしまった…。ってところかしらね。」
 少しだけ透けている未来の腕を指差して、なびきが言った。

「だ、誰だ…。そんなふざけた事をする奴は…。」
 ぎゅうっと抱きしめる、透けかけたあかねの身体。起き上がる元気もないのか、あかねはずっと目を閉じたままだ。
「首謀者の見当はだいたいついてるわよ…。少なくとも、お爺ちゃんは利用されてるだけ…ってところかしらねー。」
「誰だよ…。その首謀者は…。」
「その前に、これ。」
 どこで拾ったのか、なびきは手に白い紙を差し出した。
「何だそれ…。お札?」
 白い札の表面には、漢字をアレンジした象形文字が、おどろおどろしく描かれている。月明かりに照らされて、キラキラと文字が映し出されていた。
「咒法に使う護符…っていったところかしら。こういうのを使いこなす人間に近しい人間って…。」
「五寸釘か?」
 乱馬の問いかけに、なびきが思い切り前につんのめった。
「あのねえ…。あんた、本当に感が鈍ってるわねえ…。五寸釘君はあかねに横恋慕しているから、消そうと動く筈、ないじゃないの!」
「でも、あかねと結婚して、みくって娘まで作るんだぜ?可愛さ余って憎さ百倍なんてこと…。」
「アホを言うのも大概にしなさいよね!五寸釘君だったら、あかねじゃなくて、あんたを消そうとするでしょーが!」
「あ…そっか…。じゃあ、誰なんだ?」
「珊璞と可崘婆さん…。この札、チャイナ風だし…。昼間いろいろすったもんだしてたでしょ?それに、あたしが掴んでる情報によると、今、猫飯店に可崘婆さんの昔の馴染みの客人が来ていて泊まってるそうよ…。」
「猫飯店に客人だあ?そんなことまで知ってるのか?おめーは…。」
 呆れた顔でなびきを見返す。
「あんたは留守だったから知らないでしょうけどね…。昼間、珊璞が八宝斎の爺さんを連れに天道家に現れたのよ。」
「あん?」
「なんでも、可崘婆さんの古い友人が訪ねて来てるってね。どうも、八宝斎のおじいちゃんとも旧知らしくって、会いたいから連れて来いって、半ば強引に引っ張って行ったのよ。
 でね、気になったから夕方、ちょっと、猫飯店へ行ってみたの。そうしたら、「臨時休業」の札が上がっていて…。中で婆さん二人と爺さんが仲よさげに、夕飯を食べて盛り上がっていたわ。
 なびきの情報解析力と行動力は侮れない。乱馬は内心、舌を巻いた。八宝斎が居たとなると、ますます怪しげだった。
「で?この護符は?」
「多分…。南蛮ミラーに貼り付けてあったんでしょうね…。そして、猫飯店の客人が八宝斎を使って、ことに及ぼうとした…。ってところね。」
「下手人がわかったところで…。この先どーするかな…。」
 乱馬はそのまま考え込んでしまった。
「ま、何とかしましょうか…。」
 なびきがにいっと笑った。
「あん?おまえが協力してくれるとでも?」
「まーね。あたしの可愛い妹と、姪っ子の存在がかかっているんですもの…。今回はタダにしておいてあげるわ。情報料も協力料も…。」
「おい…。命がかかってなかったら、金を取るつもりだったのかよ…。」
 ぼそっと吐き出す乱馬に
「当たり前でしょ?」
 とさも当然のように言って退けるなびき。
「さすが…。なびき伯母さん…。抜け目がないわ。」
 感動とも呆れとも取れる言を未来も吐き出していた。
「なー、おめーの過ごす時代のなびき伯母さんはどーなんだ?やっぱ、守銭奴か?」
「え、ええ…。時々、お小遣いを巧みに巻き上げるわ。」
 コクンと未来の頭が揺れた。
「おまえなあ…。人の子の小遣いにまで手を出してるのか?普通、姪っ子になら、小遣いをあげる立場じゃねーかよ…。巻き上げるって…。」
「知らないわよー。そんなことは、未来のあたしに言ってくれる?」
 ふふんとなびきが鼻先で笑った。
(有り得る、こいつなら、ガキのじゃり銭だって、平気で巻き上げるな…。)

「さて、行くわよ。乱馬君、みくちゃん。」
「行くってどこへ?」
「この部屋だと、戦い辛いでしょ?広い場所へ移動するわよ…。」
 なびきは促すように、先頭に立って部屋を出た。


十四、

 なびきに促されて移動したのは、天道家に敷設されている道場だった。
 オンボロの道場。
「ちょっと寒くねーか?」
 さすがに、深夜過ぎると、深々と寒さが足元からこみ上げてくる。吐く息も少し、白い。
「心頭滅却すれば火もまた涼しい…ってね。神経を研ぎ澄ませれば、寒さなんて…。」
「って、おめーは重装備じゃねーか。」
 厚着しているなびきに乱馬が抗議の瞳を差し向ける。パジャマの上に、ちゃんちゃんこ、そして、毛糸の帽子に手袋。恐らくカイロも携帯しているだろう。
「あんたとみくちゃんが着込んじゃえば、戦えないじゃない?」
 薄着の二人を見ながら笑った。
「おまーな…。ま、良いや。あかねだけは冷やさないようにしねーとな…。」
「わかってるわよ。ちゃんと毛布は二枚ほど持って来てあげてるから。」
 そう言いながら道場の板の間に煎餅布団を敷き、そっと寝かせた。あかねは昏々と眠ったままだ。
「本当に、今夜、また、あかねを狙って来るんだろうな…。」
 乱馬がなびきを見やった。
「多分ね…。」
「多分って…曖昧表現かよ…。」
「だって、ほら、今夜は満月じゃない。偶然が重なってるだけかもしれないけれど、こういう謀って、満月とか新月とか日食とか月食とか、天体現象に左右されるところが大きいんじゃないの?それに、ほら、中国って「太陰暦」を使っているでしょう?」
「無責任な予測だなあ…。」
「まーね。でも、裏付けがないわけじゃないわ。あれから、手を尽くして、そっち系のスペシャリスト、五寸釘君に連絡していろいろ教唆してもらったのよ。」
「結局五寸釘に頼ってるじゃねーか、てめーも。」
「あら、彼はオカルトにおいては、相当な知識を持っているもの…。あかねがピンチかもって吹き込んだら、大慌てでいろいろ教えてくれたわ。写メしてこの護符を見せたら、呪術者の名前も調べをつけてくれたんだから。」
「五寸釘も使い様ってか…。」
「相手は呪術者だもの…。万全な状況で臨まないとね。残念ながら、この連休は五寸釘君、オカルトの大会へ出向いてるっていうんで、不在だったから、携帯でしか教唆してもらえなかったけれど、呪術者がわかれば、対処の方法もあるって、ちゃんと教えてくれたわよ。」
「ふーん…。でもよ、おまえ良く五寸釘の携帯番号なんか知ってたな…。」
 じろっとなびきを見やる。となびきはあっさりと言ってのけた。
「だって、五寸釘君もあたしのお得意様だもの。顧客管理はきっちりしているわ。当然でしょ?」
「お得意様だあ?何の…?」
 訊くだけおぞましいと思ったが、つい、尋ねてしまった。
「あかねの生写真や情報を、提供してあげてるのよー。今回も、あかねの水着写真を十枚セットでタダであげると言ったら、喜んで協力してくれたわよー。」
「んなことだと思ったぜ…。訊いた俺がバカだった…。」
 もてもて少女のあかねの生写真は、風林館高校男子生徒の間では相変わらず引っ張りだこであった。
「で?今夜中に再襲撃されるっていうのは、どんな根拠からくるんだ?それに、呪術者っていったい誰なんだ?」
 乱馬は尋ねた。
「どうやら、女傑族出身の凄腕妖怪退治専門の呪術師がこっちへ来ているみたいなのよ…。」
「妖怪退治専門の呪術師だあ?」
 突拍子も無い声を張り上げた。
「ちょっと待て!あかねもみくも妖怪なんかじゃねーぜ!」
「妖怪の中には「この世ならざる者」っていう範疇もあるらしくてね…。ほら、みくちゃんは未来から来た人間でしょう?この世ならざる者であることは間違いないじゃない。」
「納得いかねーな。」
「あんたが納得いかなくても、この護符が証明してくれたみたいよ。この護符、その術者が好んで使う代物らしいから。」
「ほー。で?」
「恐らく、あかねは南蛮ミラーを使って、霊魂を奪われかけているんだろうってさ…。」
「霊魂だあ?」
「人間の身体の中に存在する生命エネルギーの源…みたいなものらしいわ。二つの南蛮ミラーを使って、この護符で月の妖力を引き出して、生体エネルギーを直接吸い出す。難しいことはあたしにはわかんないけれど、生体エネルギーを全て吸われてしまったら、その存在自体、喪失してしまうらしいわ…。」
「あかねの存在を消してしまう…か。おぞましいことを考えてくれたものだぜ。」
「ふふふ、モテ男は辛いわねえ…。」
「うるせー!好きで言い寄られてんじゃねーよ!」
 不機嫌そうに乱馬がなびきを睨んだ。
「で?本当に奴らは今夜、再襲撃に打って出てくるんだろうな?」
「ええ、今夜は満月だから、その魔力を利用しない手はないらしいわ。それに…。中途半端なまま放っておいたら、珊璞たちも困るんじゃないの?あんたに嫌われること…それが彼女にとっては一番痛いはずだもの。」
 なびきの言には一理ある。
「ま、今夜中に決着をつけたいってところでしょうね…。」
 南中の時間は過ぎ去ったのだろう。まん丸月は、西の空へと傾きつつあった。
「で?俺たちはどうやって、呪術者を撃退し、あかねを助け出すんだ?」
「五寸釘君が、呪術返しの方法を教えてくれたわ。みくちゃんが持っている南蛮ミラーを使って、逆咒法をかける…。」
 なびきは頭を寄せてくる乱馬と未来に、五寸釘から教わったという方法を、伝授した。

「わかった…。おまえの言うとおりにすれば、あかねを元に戻せるんだな?」
「ええ…。上手くやれたらね…。じゃあ、後は作戦の手筈どおりにね…。あかねやみくちゃんの命は、あんたのその腕にかかってるってこと、忘れちゃダメよ。」
 なびきはそう言い置くと、道場から出て行った。

 なびきが去ると、道場には乱馬と未来、そしてあかねの三人が取り残された。広い道場の真ん中に、あかねは寝かされている。
 心細い頼りなさげな満月の白い光が、道場の高い窓から二人を照らしつけてくる。
 明り一つ灯さない、暗闇の中。

「そんな不安そうにするなって…。大丈夫。俺が何とかしてやるから。」
 傍らで沈みきっている未来に、乱馬が声をかけた。
「ほんとに?お父さん…。」
 己の素性を告白した未来は、すっかり素に戻っていた。若い乱馬相手にも、「お父さん」という呼び方を使った。その呼びかけに、思わず、胸がくすぐったくなる。
 じっと未来の瞳を見返した。心配げに揺れる瞳の中に、己とあかねの確たる絆が見えたような気がした。彼女の存在を消してはいけない。強い決意が心の奥底からわきあがってくる。
「ああ…。任せておけ!大切な存在を、みすみす消させるようなことをするものか!」
 と胸を張る。
「なー、みく。未来の俺たちってどんな風なんだ?やっぱ、喧嘩ばかりしてんのか?」
 とぼそっと問いかけてみた。
「うーん…。あんまり激しい喧嘩をしているのは見たことないなあ…。お父さん、お母さんに対しては、砂糖をかけたみたいに甘いから…。」
「そ、そうなのか?」
 思わず、真っ赤になった。が、暗がりで未来からは乱馬の表情は推し量れない。
「お母さんが怒って手をつけられなくなっても、キス一つで解消しちゃうって言うのかなあ…。」
「キ、キスだあ?」
 未来の言動に、思わずそのままきびすを返していた。
「うん。あんまりあたしたち子供の前で堂々といちゃいちゃはしないんだけど…。何度かお父さんがお母さんをやりこめて、キスしている現場に偶然遭遇して見ちゃったことがあるわ。」
「……。」
 未来の話のような己の行状など、想像だにできない。キスであかねの怒りを沈めるだなんて、積極的過ぎはしないか。そう思った。
「お母さんもお父さんにキスされちゃうと、怒っててもその矛先を収めちゃうみたいだよー。喧嘩吹っかけてお父さんにやりこめられた次の日はさあ、お母さん、たいていご機嫌になっちゃうのよー。
 喧嘩した後、どんなマジック使ってるのかしらねー、お父さん。」
「さ…さあな。いろいろ大人な事情ってのがあるんだろう?」
 未来はくすっと笑った。
「大人な事情ねえ…。やっぱ、あれかな、身体合わせて矛先収めちゃうのかなあ…。」
「し、知るか!」
 ませた未来の発言に、思わず、言葉を詰まらせる。
「で、さあ、お母さん、次の朝はご飯を張り切っていっぱい作るのよ。それはそれで…。いろいろ大変なんだから。」
「いろいろ大変だあ?」
「うん。お母さんの料理の腕…アレだし…。」
「あ、ああ。そっちか…。やっぱ、下手なのか。」
「うーん…上手とは言えないわねー。良く焦がしてるし、味付けも間違っちゃうことがあるし…。あ、でも、食べられない訳じゃないからねー。人より時間はかかってるみたいだけど、一応、未来ではそれなりに料理できてるから、安心して。」
「ははは…。そーか…。不器用はそのまんまか…。」
 複雑な心境で答える。
「あたしも、その不器用さをそのまま、遺伝子としてもらっちゃったみたいだけど…。」
「そーだな…。味噌汁…物凄い味してるもんな…。」
「あー、言ったわね!」
 御互い顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。

「とにかくだ…。あかねは俺が絶対守り通す。そして元に戻してやる。だから、心配すんな。」
 乱馬は未来の頭を軽く撫でた。
「うん…。」

 と、その時だった。
 乱馬の表情が険しくなった。

「来たぜ…。」
 ただならぬ気配を感じたのだろう。
 未来にも緊張が走った。
 全身を研ぎ澄まして、気をまさぐる。
(一人…二人…背後に更に二人…。じじいと術者。それから珊璞と婆さん、こいつらも様子見がてら、付いて来た…そんなところだな。)
 全身で気配を感じ取る。
(てめーらの良いようにはさせねー!)
 乱馬は未来に合図を送る。コクンと未来の頭も揺れた。未来の手には、南蛮ミラーが握られている。このミラーを使って、八宝斎のミラーに吸い込まれてしまった、あかねの生体エネルギーを吸い出さねばならないのだ。
 未来の南蛮ミラーの後ろ側に、八宝斎が張っていた護符が貼り付けられていた。つまり、八宝斎の仕掛けてきたことの逆をするのだ。五寸釘からも、そう伝授された。
 敵とて、真剣に仕掛けてくるだろう。後にも先にも、ラストチャンスだ。
 
 緊張して固まった未来の手を、乱馬はそっと暗闇の中で握ってやった。
「大丈夫…。己を信じろ。それから、父さんと母さんのことも…な。」
 父の手は柔らかく大きい。そのぬくもりに、緊張が少しずつほぐれていくように思った未来だった。





 どーでもよいのですが、私が「タイムパラドックス」という言葉を知ったのは、巨匠・手塚治虫氏の往年の名作「鉄腕アトム」の中です。原作は掲載雑誌が唐突に廃刊されたため、「鉄腕アトム」の実質的な最終話は漫画という形態では存在していないのですが、第一作のアニメで太陽へと飛び込んで行ったアトムの後日譚として氏が描かれた「アトム今昔物語」。ベトナム戦争を背景にしているため、メチャクチャ暗い作品でした。
 中学生の頃、単行本にて「アトム今昔物語」を読んだのですが、過去へ飛ばされたアトムが草原で爆破されることによって、やっとアトムが生まれたという、あの衝撃的な場面が強烈に印象に残っております…。ってことで、そこからプロットのヒントを貰いました。
 
 
 


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